国鉄の急行列車・準急列車を語る
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今は準急全滅
急行も指で数えられるほどにまで減ってしまった
そんな急行・準急について語るスレを試しに立ててみる 急行「紀州」は「きのくに」「南紀」「くまの」にくらべ、別格扱いだったよん。
10連で、一等が2両、新車を優先使用してて、停車駅も特急並だったぞ。
>>2
南紀方面が新婚旅行のメッカだったせいがある。80系気動車時代のくろしおも
グリーン車2両付けてたし。 タイムスリップできたら客車準急の並ロなんて乗ってみたいな
オロ35(スロ43)とかマロネロ38とかスロハ32とか… 俺はついに乗ることが出来なかったキハ91系のりくらに乗ってみたかったな 急行・準急と言えばかつては庶民の中長距離移動手段のスタンダードだったんだよな。
53-10改正あたりまでは特急よりも国鉄では主役級の列車たちばかりだったのが今となっては懐かしい。
>>2
紀州は確かに別格だったな。
くろしおがあるにもかかわらず末期まで紀勢線の主役だった。夜行も存在していたし。 俺が一番印象に残っている急行は「ニセコ」
最後まで残った昼行PC急行でもあるし、DCの方も(上りだけだが)根室〜函館と
北海道を横断する列車だった。
あと、「しれとこ」とか「ぬさまい」とか「天都」等のキハ22型ローカル急行も印象に
残っている。(「いぶり」と言う循環急行もあったし)
小さい頃にC62ニセコの映画を観たことがあるけど
後で聞いた話によればマニアの間では名作と言われてるらしいね >>6
現役車両だと東武の300/350系が
並ロに一番近いかな。 >>11
「雪の行路」か?
あれ、ケケ島が構成・演出した作品だぞ。
列車ではないけど、思い出の車両はキロ25かな。
実際に乗れたのは格下げになったキハ26-400だけど、この車両は別格だったよ。
その後、地元から消え遠方で首都圏色に塗られた時、とても切なくなった。 >>15
ロングロングシート車はキハ26 600じゃない
400はキロ時代と内装は変わらない キロハ25の初期車はロ室が一枚窓、ハ室がバス窓で
ちぐはぐなスタイルだったね スーパーロングは600番台だね。
首都圏色に塗られたのは600番台だけかも・・・ 記憶が曖昧で申し訳ない。
私の思い出は、もちろん座席そのまま格下げされた400番台。
元一等車にタダで乗れるなんて、いかにも中高生が喜びそうでしょうww
急行・準急には縁がないけど、スーパーロングならオハ41。
特ロの成れの果てがツーリスト寝台? なんて冗談を言っていた青春時代を思い出すよ。 >>10
下りも一応3列車分割で根室までいっていたよな。
函館→(ニセコ1号)→札幌→(狩勝3号)→釧路→(ノサップ3号)→根室
ノサップ3号だけロ付で停車駅は厚岸のみ。分岐駅の厚床通過。
上野から会津若松行きのDC急行なんていうんだっけ?乗った。郡山からの
磐越西線が遅くて驚いた。 キハユニ16を先頭にしたきのくに2号が大好きだったな。
先頭のキハユニは締め切り扱いだったはずなのだが、
何故か乗せてもらった記憶がある。
ビニールの座席で、阪和線をめちゃくちゃ飛ばしてたのが懐かしい。
>>21
出島・弓張の先頭に島鉄、というのもありました。
58系より一回り小柄な55系が最前って、何か健気で良い感じでした。
>>21
10両以上の長大編成で中間にキユニを連結した夜行の「のりくら」も懐かしいね。
富山までの登山者が結構多かった。
名古屋〜北陸では急行が「兼六」だけだったので「しらさぎ」を避けて「のりくら」で
いわゆる通り抜け的な利用をしたものだ。 「みささ」「みまさか」に乗ってたなぁ
旧客の普通が遅くて退屈で嫌で仕方なかったガキの頃
>>25
ちょーしゅーりきー あしがみじかい
ちょーしゅーりきー うでもみじかい
ちょーしゅーりきー くびもみじかい
ちょーしゅーりきー ぜんぶみじかい
なーにこらー たーここらー
なーにこらー たーここらー
っておぃ、一緒にプ板wjスレに帰るぞコラ! きのくには南海キハ55も併結してましたね。
冷房化できなかったのは残念だけど、末期でも
国鉄車より車体が綺麗でした。 南海持ちのきのくに車のキハ55は
餓鬼の頃の記憶では車体に南海のアンドンが
あったように思うのですがご存知の方
如何でしょうか?
南海線内では特急扱いでヘッドマーク付きだったそうですが
当時自分は、紀南だったので見たこともありません。
大阪行くときも名古屋行くときも何故かくろしお5号と2号
両面キハ81でカッコ悪いなあと思っていました。
今、交通科学館で見ると懐かしいですね
ヘッドマークの形状が違いますが。 >>10
釧路をずっと後に出た「おおぞら」に段々と差を詰められていたんでしたよね。 >>30
照明付き南海のマークは扉横についてましたよ。
ヘッドマークは青地に円月島が描かれたシンプルな物でした。
大昔には天王寺発天下茶屋線経由なんて列車もあったそうだ。 >>23
当時の名古屋駅は定期の名古屋始発夜行急行が
関西線「紀州」、高山線「のりくら」、中央西線「きそ」が電車と客車2本で合計4本もあって
かなりにぎわっていたな
特急も入れれば「金星」がある >>31
確か、ニセコの釧路発が12:30でおおぞらが14:25だったはず。
で、函館着が23:50に0:20だったかな?
いずれにしろ、2便or102便の深夜便に接続していた。
>>34
上野発9時10分の「ざおう(季節運転)&いいで」
「ざおう」編成は山形行でハザとハのみ
「いいで」編成は新潟行でロザハザハ
単コロで国鉄急行があったのは、北海道だけでしたか? 別府と長崎・佐世保を走った「西九州」それと「由布」
それと「ゆのか」、「あおしま」、「日南」 そう云えば「ひかり」って愛称は、そもそも九州あたりの準急の愛称
じゃあなかったけ?? >>38
その「ざおう」と定期の「おが1号」が、板谷峠の急勾配をELの力を借りずに息も絶え絶えに登っていたんだよ。 あぁぁぁぁ
PCもBDレコも携帯もいらんから
この時代に戻りたい 国鉄時代って面白い「気配り」があったよね。
併結列車の場合たいがいロザなどは「本線」優先だったのに
「西九州」は佐世保編成がロザ有
「さんべ」1本も美祢線周りがロザ有だった
急行「火の山」鹿児島本線荒尾に住んでいた俺の小さい頃
家族旅行で別府へ行くのによく乗ったなぁ >>44
撮影機材だけは今のを持って行けたらなあ。 (*´Д`)¶<たいむまぁ〜しんにぃ〜 おーねがいー♪ 修学旅行列車。集約臨には乗りました。EC167系、PC12系、DC58系、PC20系。
167系では今の妻とも知り合い。ああ0系もね。その頃は修学旅行担当でした。
添乗手当ては安いぞ・・・ >>45
「西九州」は米軍将校のため、「さんべ」は宇部興産重役のため。
>>51
あんた、もしかして勤務中に連絡船でセクスしてたのか >>19
ベースが苗穂だったから下りは系統を切らざるを得なかったんでしたっけ? >>39
出水ー宮崎間「からくに」(キハ52)
岡山ー広島間「たいしゃく」伯備線経由(キハ20)
ユニークなのが高知ー松山間の「予土」でキハ58の1両のみ。
高知ー阿波池田間「浦戸」、阿波池田ー多度津間「いしづち」、多度津ー松山間「うわじま」に併結され、
単独では動けなかった。まるでコバンザメのようだ。
「たいしゃく」はS43.10まで単行で存在、その後は区間変更されて2001年ごろまで芸備線を走っていたね。
「からくに」はS47,3まで単行で存在、「予土」はS43,10には時刻表から消えていた。 >>56
キハ58そのものは1両でも走行可能ではあるが。
(但し、バック運転の場合は規則上の理由で最高速度が15km/hになるが)
金沢⇔青森走ってた『しらゆき』
全線電化されてたけどキハ58で走ってたな
今なら叩かれるだろうなw >>57
キハ58の正向き単行の試運転が本線を走る動画を見せてもらって
びっくりしたことがある。
そういえば、妻板に尾灯あるよね。
スレチにつきsage >52
というか、美祢線の優等列車自体(もっというと美祢線が)宇部興産用なところがあったな。
重役さんも今は専用道で宇部市まで移動しているのだろうか。 おい、おまいら!!
今NHKで凄い映像が流れてるぞ!! みているみている
小松島機関区の転車台
78680
>>60
すれ違いだけど、宇部興産の専用道、
普通自動車だと猛烈に乗り心地が悪いとか専用スレで聞いたことが。
余談だけどあそこって取り締まりとかめちゃくちゃ厳しいんだって
個人的には常磐線の急行列車が気になるね
首都圏に最後まで乗り入れていたキハ58とか。 >>63
> 個人的には常磐線の急行列車が気になるね
> 首都圏に最後まで乗り入れていたキハ58とか。
常磐線のキニって、急行に連結されていたのですか?
それとも荷物列車として単独運行?
交直流の荷物電車って作られませんでしたものね。
荷物輸送末期に改造されたキニとかスユニとかには
数年しか使われずに棄てられたものも多かったはず。 今NHKでやってる映像凄いな………飯山線や川越線をSL走ってたなんて知らなかった。 >>64
常磐線のキニは末期は専用列車として運用されてた筈。
昭和61年11月改正であぼーん、だったかな。 >>65
当時に実際に乗車した経験は、結構辛い事が多かった。
今のグリーン車とか寝台車は庶民のものでなかった。 (補足)
グリーン車は、1・2・3等があった時代の2等に相当する。 >>61>>62>>65
俺もそろそろ寝ようかと思ってたら例の番組が!!
思わずテレビにかじりついて見た。録画もバッチリと
なかでも一番の見どころはC62ニセコだったな。
長編成に帯つきグリーン車つきとはまさに最後のSL幹線急行にふさわしい姿だった。
森駅でのいかめしの立ち売りに、乗客がみんなお札を差し出して待っていて
それを立ち売りのおじさんが要領よく、おつりのある人には弁当とおつりを一緒に渡していた。
ああ、あの頃の鉄道全盛期が懐かしい…
>>47 撮りたい時、カメラなし
カメラがある時、撮るものなし >>66 ありがとう。
他スレで、昼行急行ニセコが最後まで客車で残った理由が
書かれていたので、こちらもそれかと思ったものだから。
「例の番組」、俺も木曽森のところから見た。
プロの撮影・編集についひきこまれた。 >>63
>>宇部興産の専用道
列車並みのダイヤで管理されてるらしいね >>73
黒猫とかの長距離便もかなり厳密に運行管理されているよ。
専用道なら渋滞等の外的要因がないから、鉄道並みの運行管理がされていても
不思議ではない。
俺にとっての急行列車は「丹後」だな。
キハ28(キロ28が1両)の6〜7両編成だったと思う。
昭和40年代の話。 >>75
山陰東部の優等列車といえば、昭和40年代といわず、
1980年代まで、それがスタンダードw
京都口が「丹後」「白兎」、大阪口が「丹波」「だいせん」、
必ずキロが入っていて、65が入らない、きれいな編成だったな。 >>76
「白兎」をいれるなら「いでゆ」も・・・ネ
>>77
いでゆは昭和53年改正でだいせんに統合されたからな。
それを言うと但馬だけでなく、みささ・みまさか・石見・美保なども出てきてしまう。 新大阪発赤穂線周り岡山行きの「あこう」はいつもガラガラだった
あと名前は忘れたけど、月田行きなんてどこに行くかわからないDC急行もあったな
「みささ」だったっけ? >>80
大阪→姫路→津山→中国勝山・月田・新見方面は「みまさか」(美作国より命名)
大阪→姫路→津山→鳥取方面は「みささ」(三朝温泉『みささおんせん』より命名)
両者は併結していたな。
ついでに津山→新見→備後落合→三次→広島「やまのゆ」なんてあった
「美保」もそうだけど、漢字2文字だけの愛称であまり馴染みのない地名とか名所が出自のものってなんとなく
しっくりいかなかったよね。
「野沢」「天都」など 地元にとっては違和感はなかったのだろうけど。
2文字じゃないけど「はんだ」も。どこを走っているのかわからない急行。 準急伊吹
急行編成でお得感があった座席はまあ
比叡とかと変わらないが
ビュフェの営業があった >>82
急行名称に限らず固有名詞は独特の読み方あるからなー。
でも,ガキのころから鉄ヲタやっていたおかげで旧国名,主要都市名は勝手に頭に入ったので
社会は強かったぞ。
先生「さーみなさん長崎・佐世保を地図帳で調べてみましょう」
オレ(アーヒマだなー,ン?そろそろ昼か「さくら」が長崎に到着するな)
国鉄の準急が無くなったのは何年だったのですか?
短距離のが多かったようですが。 >>86
S42年位か?
新幹線出来るまでは東海なんて長かった >>82
「はんだ」とは終点の湯布院近くに飯田高原(はんだこうげん)てのがあってそこから命名された
確か宮脇先生にも「はんだとは素っ気ない愛称だが」と書かれていた記憶が 走行距離が100kmか200kmのどっちかで
それ以下が準急って区切ってなかったっけ? >>85
俺も社会、特に地理は抜群だったよ。
読めない地名がなかった。 「はぼろ」は分かるけど「みぼろ」が分からなかった
御母衣のほうが地元に近いのに orz >>88
今から20数年前に由布院から福岡県の直方まで「はんだ」に乗ったけど、
快速で、窓口で乗車券のみ買った気がする。急行だったり、準急だったりした時期があるのかな?
詳しい方お教えを。
小学生の頃小遣い握りしめてよく急行に乗りに出かけた。
キハの長編成だったゆのくに・越後
午後の日差しの中、客のいない寝台車をつないでた屋久島
阪和線をかっとばす気動車きのくに
京都駅1番線始発の平安
休業中のサハシをつないでた立山
尼崎からいきなりローカル気分のいなば
小児半額は安かった。 >>85
>>92
俺も時刻表を愛読したおかげで地理は得意で都道府県に対する県庁所在地、その場所は
すぐにわかった。
高校に入ると授業中、ノートに急行の編成表をよく書いていたな。
隣のヤツは麻雀の役満をノートに書いていたっけ。
さて本題に戻して編成の話となるが特に客車急行の編成は特急と違いバラエテイに
富んでいるので暗記している編成を授業中に書いていただけでも飽きなかったものだ。
最近だが会議中にマロネ、マシ、スロなどとか書いていて隣の人が「何の暗号だ?」
とか聞かれた。 >>94
おれの知っている「はんだ」は急行だった時期がある。
そのころ日田彦山線は急行が下り4種上り5種あった。
「日田」「はんだ」「あさぎり」「あきよし」と上りのみ「ひこさん」
「はんだ」は小倉からそのまま日田彦山線にはいらず折尾直方伊田線経由
「あきよし」は山陰の浜田だか江津だかが始発で美祢線・日田彦山線経由だった記憶
>>80
「あこう」は小学生の時に小豆島に行った時に日生まで乗ったことがある
日生から小豆島に向かう船の中で見えてくる島を指差して「あれはなんていう島」「鹿久居島」とか教えてくれたのに
なぜか意識的に名前教えてくれない島があって気になっていたけど
あとで長島というハンセン氏病の人が療養している島だと知った (´‐`)ノttp://www.nicovideo.jp/watch/sm4593800 「はんだ」「日田」はキハ66/67使用の唯一の急行だったね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています