>520
気動車くらいの出力だと電気式が嫌われたのも分かるんだけどね。何より重いし。
キハ44000代にしても飽くまで液体式完成するまでの繋ぎでしか無かったというし。

>北九州に配置された車は当時の小倉工場に電気車のノウハウが無く、お手上げ状態
ちょっと西鉄に頼んで整備してもらう……ワケにはイカンわなぁ。


ただ、本線用ディーゼル機関車となると先にDF50とかが或る程度普及している
状態だから、イチから電気式の整備環境造らなきゃいけないわけじゃない。
(寧ろDF50での経験や慣れが活かせる)
電化も進展してる時期だから、電気車の整備環境も無駄な投資にはならない。

まぁそんなこと言えるのは後世の部外者の見方であって
当時はDF50の「重い・高い・使えねぇ」という印象の下、
DD51(やDE10、或いはDE50)が魔法の機関車のように見えたのかもしれん。
DD54というハズレもあったけどw

よくよく考えたら技術でガラパゴスはこの国の(以下略


>521
傘歯車が作りにくいから(特殊な工作機械が必要だから)電車の直角カルダンは
普及しなかったとか云われてるけど、傘歯車なんて全ての気動車に、
またほぼ全ての自動車に入ってるんだよなぁ。

電車だけで嫌われたのが理由がよくわからん。
脱線気味の話でスマソ。