左利きが頭が良いなんてもの言いの標題自体が噴飯ものだが、
左利きが奇異の眼で眺められていた日本の旧弊な過去を眺めると
少数派をつぶそうとする 日本の卑しい心根を考えざるを得ない。
左遷なんて言葉をいまもって遣っているのは最たるものだ。うんざりする。
右利きだろうが、左利きだろうが 利口も馬鹿も居るのは同じ。

只、西欧の過去の突出した天才的偉人の中に 左利きが目立つのは常識。
鏡文字で私文を密かに書いたダヴィンチ、不思議な直観を基に宇宙を構想した
アインシュタイン、驚くべき感性と天性の統合力で希有の演奏をなし遂げた
ピアニスト グレン・グールドなど 枚挙に暇が無い。
東洋や日本では、そんな右利き、左利きなどに大した関心も無く、
文献が無いだけだろう。

すこし古いが 日経サイアンス巻末の数学ゲームで有名だった
マーチン・ガードナーの 「右と左」(?)てな著書でも読んで下され。
宇宙の始まりからの組成そのものが Lで始まっている事も示唆している。
それと、生物学者が良く言う母親が(人間のみではないが) なぜ左手で子供を抱くか、
心臓の右心房・右心室と 左心房・左心室の機能について考えるのも一興だろう。
ただ単に脳味噌の 言語優位脳だけのはなしでは無い。
私は左利きのひとが 不便に感じるような社会は 間違っていると考えているだけ。