>>447
>>446
日本でかくも差別的な言動がまかり通るのは、創価学会のせいだ。
身体が不自由な人や知的発達が遅れている人や精神に変調をきたした人に対して、悪質な差別の言動を創価学会はしている。

池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P321
「俗にいう日蓮宗を代々やっていると家族に不具者ができたり、知能の足りない子供が生まれたり、はては発狂する者ができたりして~」

日蓮本山から破門されても、自分たち(=創価側)が正当な日蓮宗の継承者だという無理を通すため、正当な日蓮本山を「俗にいう日蓮宗」と罵っている。
つまり日蓮本山を悪の巣窟のように決めつけている

まあ、それは措くとしても、その後の文面を見て、ごく当たり前の感覚を持った人なら、どう思われるだろうか?
身体が不自由な人や知的発達が遅れている人や精神に変調をきたした人は、悪いことをした因果に囚われたためとしか読めない
本人に何の落ち度もないのに、障害者は生まれつき絶対的な悪であり、少なくとも現生ではそこから逃れられないと決めつけている。
ユダヤ人差別をしたナチスと少なくともメンタリティーの上では同レベルであり、底知れぬおぞましさを感じる。
こういう人権を完全無視した差別的な団体がいまだに存続していること自体が許されない。

人類普遍の真理である人権を守り、差別を許さない姿勢を貫こうとする人権団体はいくつもある
障害者差別を許さないという以外にも、同和出身者や在日朝鮮人や女性差別を許さないという団体などである。
とても共感と尊敬をしている。
しかし、なぜ創価学会に対してはダンマリを決め込んでいるのか?
圧力かければすぐに屈しそうな者に対しては徹底的に糾弾するが、
相手にすると面倒だから創価の差別発言はシカトするというのなら、それこそ最も軽蔑すべき差別である。
差別解消を心底は考えておらず、ただのポーズにしかすぎないという疑念を持たれても仕方あるまい。
否、屈服させやすい者の差別発言には過剰に反応するのに、強者の差別的な言動にダンマリを決め込むことはむしろ差別を助長する風潮を生み出しているとも言える。
差別解消を心掛けている団体がご都合主義でないことを願う。