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三浦市マラソン大会で順天堂大学OB
市職員が参加費5000万を盗む
https://togetter.com/li/1292082 鈴木諒くん 茨城でまだ海賊版Office まだ売ってるの? 女子高校生を盗撮容疑 順天堂大准教授の医師を逮捕 「10年以上前から」
2/4(木) 15:18配信
女子高校生のスカート内を盗撮したとして、警視庁本富士署が、
順天堂大医学部先任准教授で同大医学部付属順天堂医院の脳神経内科医、高梨雅史容疑者(51)=東京都江戸川区=
を都迷惑防止条例違反の疑いで逮捕したことが同署への取材で判明した。
逮捕容疑は2020年10月、文京区後楽の歩道で歩いていた都内の女子高校生の背後から、
靴先に仕込んだ小型カメラでスカート内を盗撮したとしている。
本富士署によると、容疑を認め、「10年以上前から盗撮をしていた」と供述している。
所持品から、他にも盗撮したとみられる複数の画像が見つかったという。
順天堂大は「現在、事実関係を確認中であり、その結果に基づき厳正に対処する」とのコメントを出した。【柿崎誠】
https://news.yahoo.co.jp/articles/8323de8dc395b4d910824e9cf6dc9696544f7e95 世界の頂点を狙っていただけに、日本勢としては12年ぶりの個人種目メダルも、素直には喜べない。 団体総合金メダルの快挙で、得意の種目別あん馬の前に、張りつめたものが薄れたのは事実。 極限の集中力を持って、本気で勝ちに行かないと金メダルは取れない。 歓喜と悔しさをともに味わった鹿島は、北京で再び世界の頂点に挑む。 観客のブーイングで採点が“上方修正”され物議をかもしたアテネ五輪男子体操種目別で、採点を上げた当事者がついに口を開いた。 真相を話したのは、93年以来審判歴11年のカナダの審判クリス・グラボウェッキー氏。 男子体操種目別鉄棒で、ネモフ(ロシア)の演技の得点が低いとして観客が大ブーイング。 審判団が協議して2人の審判が得点を上げたが、そのうちの1人が同氏だった。 「あの時のプレッシャーは何と言えばいいか分からない。 その状況で点数を上方修正したのは「審判委員長のストイカ氏が私を呼び、採点を上げるよう強く促した」のが理由、とした。 同氏は「どんな採点競技でも、観客に左右されるのはよくない。 上方修正を指示したとされるストイカ氏は「審判も人間。 28年ぶりの体操団体の金メダルに貢献した九州共立大の中野大輔(21)が26日夜、福岡空港に到着。 同大体操部員やファンら約100人が出迎え、花束や拍手で祝福した。 「やったぜ!金メダル」と書かれた横断幕の前で記者会見した中野は「約束通り福岡に金メダルを持って帰れました」と満面の笑みで喜びを語った。 しかし、中野は「自分の演技は100パーセントできた。 4年後の北京五輪については「自分がエースになって団体で金メダルを取りたい」と決意を語った。 アテネ五輪で28年ぶりに体操男子団体総合の金メダルを獲得した日本の塚原直也(26)が30日、所属する朝日生命の本社(東京)で帰国報告をした。 塚原は「みなさんの声援のおかげで念願の金メダルを取ることができ、うれしく思っている」とあいさつし、社員から花束を手渡された。 塚原は、日本の黄金時代に活躍した塚原光男アテネ五輪体操チームリーダーの長男で、日本初の親子金メダリストに。 「父はずっと応援してくれて、その思いに応えることができた」と満足そうな表情を浮かべた。 4年後の北京五輪については「アテネに出る前から最終的な目標と位置付けていた。 アテネと同様に喜びを分かち合えるよう頑張りたい」と前向きに話した。 今後は9月18日から開かれる全日本社会人選手権に出場する予定。 それぞれ実施減点で考えれば非常に素晴らしい内容であるが、価値点の面で考えると平行棒とゆかでそれぞれ5名中4名が失敗し、 チーム順位を大きく下げる結果となってしまった。 決勝では、予選での失敗を繰り返すことのないように調整してもらいたい。 何にしても、これまで練習してきたことが出せれば、確実にメダルを獲得できる 位置にいることが確認できたのだから。 1種目目で3位、2種目目で2位、3種目目で3位、4種目目で 再度2位に浮上! しかし、5種目目でわずかの差で4位に落ち、最終種目ではその差を縮めることは出来ずに4位に甘んじてしまった。 入場してきた選手達は、団体予選での失敗を反省し、今日の試合では何としても入賞を、という意気込みが各選手の表情から伺えた。 日本は、つり輪からのほぼ完璧に近い演技でのスタートだった。 各選手ともに一つ一つの技を大きな失敗もなくこなし、着地も無難 に次々に決め、スタートとしては申し分のない内容であったように思われた。 次の跳馬においても、着地ミス、ライン減点等は若干あ ったものの、平均9.681という高得点をだし波にのれる得点をたたきだした。 さて、前回問題の平行棒では、大きなミスはなく、日本としては 上々の出来であったように思われた。 しかし、得点が今ひとつのびなかったのは、他国に比して技のきれや大きさがたらなかったからではないだろうか。 この平行棒の得点の伸び悩みで3位となってしまった。 4種目目の鉄棒では放れ技や着地を確実にきめ、再度2位に返り咲きチーム全体にメダルへの可能性が見いだされた。 つぎのゆかでミスを出さず確実に演技をこなせば、さらにメダルへの確信は強まったことだろう。 が、ここで予期せぬライン減点やちょっとしたミスがでてしまい、チームは僅差でロシアに抜かれ4位となってしまった。 さあ、この僅差を最後のあん馬で、比較的得点がでているあん馬で返せることが出来るかどうか? 期待は高まったが、最後の最後にミスをだしてしまい、そのまま4位にとどまってしまった。 結果は4位とメダルを逃してしまったが、選手達の奮闘ぶりには目を見張るものがあった。 今回は本当に僅差でロシアに破れてしまったが日本のやらなければならない課題が、予選、決勝を通してつかめたように思われる。 技のスピード、きれ、大きさなど他国の体操に比して若干劣っているように見えたのは私だけだろうか? 通過した選手には是非頑張って素晴らしい演技をしてきて欲しいと期待するところである。 個人の力がいくらすぐれていても、 チーム戦の運びというのは独特です。 あの中に日本チームがいないのは本当に寂しいですね。 全般的に、上位選手は0.1の僅差での戦いとなったことは、解説者も言っていたように世界の競技水準がまた一段と上がった現れだと思われた。 平均で 9.7〜9.8での戦い、10点満点の演技構成をもち、失敗はもちろんのこと、 ちょっとしたミスも許されない。 それに加えて高難度な技の質的な向上、すなわち、最高級難度をいかに余裕をもって捌き、技の美しさや大きさ、安定さといったものを表現するかといったレベルの戦いであったように思う。 また、落下はしたものの藤田選手の頑張りにも拍手を送りたい。 日本女子ただ一人個人決勝に出場した、山脇選手もメダル争いに関わるであろう世界のトップクラスとの同じローテーションでさぞ緊張したに違いありません。 きっとシリーズ系の加点が取れないほどがたがたしてしまったか。 温存していた段違い平行棒の伸身新月面は使いましたが、残念ながら手をついてしまいました。 最終的に30位代から少し頑張って29位としましたが、やはり20位以内には入って欲しかったです。 この経験を糧に、今後また日本女子を引っ張っていって欲しいと思います。 さて、明日は鉄棒に日本のエース塚原選手が出場する。 世界も注目する塚原選手に何とか一矢を報いて欲しいものである。 大きな失敗はもちろんのこと、種目別や個人決勝では着地の1歩が明暗を分けています。 今回のメダリストたちも着地によってその色が変わった人も多くいたはずです。 体操競技は、大変な精神力と、高難度の演技に熟練性の必要な時代となっています。 各国ともに、本当に拮抗して来ているので誰が勝つかわかりません。 選手たちは本当に4年間頑張ってやってきたのに報われた選手、報われなかった選手様々ですが、感動させてもらいました。 そんな結果だけが明日の新聞紙上 を賑わすことになるかもしれません。 世の中、どうしても結果がわかりやすいだけに、それが取り上げてしまうことは素直に受け止めたいと思います。 しかし、ここでは専門家の立場で、今回の男子体操競技チームの戦いを振り返ってみたいと思います。 何と言っても男子団体決勝のメダル争いが今大会の大きな見どころでした。 我々を含めた男子体操競技委員会は誰もが口にし、選手たちもそのために厳しい練習に耐えてきました。 そしてチームとしてのまとまりも数回の合宿によって非常に強いものになっていました。 塚原選手以外、五輪初出場ということで、やはり予選では気負いがあったのかも知れません。 とくに団体予選は、種目別の予選もかねており、 団体戦とは名ばかりで、各個人が種目別決勝進出のために過度な緊張を自らにかけてしまったのではないでしょうか。 例えば、期待されたゆかとあん馬の笠松選手、平行棒の塚原選手、鉄棒の斎藤選手は、自分のもっている力を出し切れずに得点を上げることができなかったように感じました。 そして不運にも1つの種目にミスが集中するという最悪の事態。 これには正直に言って、予選通過さえも疑う状況でした。幸い、韓国が思いのほかチームとしての得点を伸ばすことができず日本は決勝進出を果たしたわけです。 予選の雰囲気がうそのようにがらりと変わり、それまでこなしてきた合宿によって磨き上げたチームワークが本当に 発揮されたと言えるでしょう。 つり輪、跳馬で波に乗り、平行棒では、予選の失敗を最小限に抑え、鉄棒では5名中4名が着地を完璧に決めるというチームとしての強さを真に感じることができました。 ライン減点がクローズアップされていますが、私は予選でのミスが思いのほか大きかったものと考えています。 それは、斎藤選手、原田選手、笠松選手が予定していた構成を実施できなかったことにあります。 これらのミスは傍からみればたいしたことないように見られますが、ゆかという種目にとってはライン減点よりも致命的なミスだったのです。 決勝のとき私はライン減点よりもまず自分の準備した構 成をしてほしいと願っていました。 残念ながら原田選手は実施できませんでしたが、斎藤、笠松両選手は予選のミスを見事に克服してくれました。 当然順位をその時点で4位に下げることになりましたが僅差。 そしてあん馬には安定している塚原選手、そして世界チャンピオンの可能性を秘めた笠松選手がいますので逆転の可能性を十分に持っていました。 彼らを襲ったプレッシャーはとにかく計り知れないものだったと思います。 その中で藤田選手の演技、斎藤選手の演技、塚原選手の演技は本当に素晴らしかった。 しかしこの演技でメダルを獲得できるかできないかが決まる最後の演技者笠松選手には、今大会最大のプレッシャーがかかっていたに違いありません。 チームの期待、日本体操協会の期待、そしてテレビを見て応援している日本人の期待。 彼はたった40秒程度の演技にその期待に応えることを求められていたのです。 失敗したことのないポメルの技でバランスを崩しながらも立て直し(これは彼の精神力もさることながら応援している方々の思いも伝わっていたのではないでしょうか)、フィニッシュへ。 もっとも不安だったミスが五輪を経験していなかった最後の最後に出てしまいました。 個人総合、種目別に関しては、やはりこの団体決勝でメダルをとれなかったことが選手からその集中力を奪い、過度なプレッシャーを与えた結果だと考えています。 とくに最後の鉄棒には、それまでメダルをとっていない日本体操に対するプレッシャーも加わり、団体決勝の笠松選手同様のプレッシャーが彼を襲っていたに違いありません。 さて、メダルゼロに終わりましたが、私はその結果だけでなく、彼らがぎりぎりのところで味わってきたプレッシャー、そして、負けはしたけれども逃げずに戦った選手たちにまず拍手を送ってほしいと思います。 その応援は本当に選手たちの最高の演技を引き出してくれる大切な宝物なのですから。 最後になるが、この遠征中、大変お世話になった現地日本人の、エリッヒ淑子さん夫妻につ いて少々触れておきたい。 出会いは、このご夫妻が試合会場に隣接するスペースで空手道場を開いていることにある。 隣という立地条件により、27日の会場練習でお会いする機会を得て挨拶した。 そのときご夫妻 から、「困ったことがあれば通訳しますよ」という心強い言葉をいただき、28日の試合にも 足を運んでくれる約束をしてくれた。 しかし前述したように佐藤選手の思わぬアクシデント発生。 このとき、ご夫妻が病院に付き添ってくれることとなり、大変スムーズに対処することができた。 その後も、自分と佐藤選手を会場へ、そして宿舎へと送ってもらった。 あまり経験したくない 出来事ではあったが、ご夫妻の親身な対応に触れ、感謝と嬉しさの気持ちでいっぱいになった。 なお、ご夫妻には感謝の意をこめてレセプションに参加していただき、日本からのプレゼント を渡した。 終日自由行動ということで、大会会長がグラーツ市外観光を企画して くれたときのこと。 これは、レセプションのとき、 夫妻が大会会長に話をしてすでに決まっていたことだったそうだ。 残念ながら、この日は ショッピングを楽しむお店がすべて休みであったが、多くの素晴らしい観光地を案内し、詳しく 説明していただいた。 この場でご夫妻に対する感謝の意を含めて大会報告としたい。 笠松、斎藤両選手は非常に素晴らしい出来で、特に斎藤選手に関しては、ほぼパーフェクトの出来ではなかったかと思う。 ただ、本来ならば「日本男子表彰台独占」ということで喜ぶべきなのであろうが、今回に関しては素直に喜べなかったのが残念だった。 まず、個人総合の大会にも関わらず全種目演技しなかった選手がいたこと。 又、時期的に難度が落ちていたり、ミスが出るのは仕方のないこととしても、特別要求を満たしてこなかった選手がいたことも非常に残念だった。 不調の塚原に代わってシドニー五輪に続き、日本男子をリードした斎藤。 今後は、世界選手権で個人でもメダル圏内に食い込むように期待したい。 最終種目、鉄棒で逆転優勝が可能だったが、おしくも2位に終わった笠松。 シドニー五輪での団体での安定した活躍がそのまま彼にいい活力となっていたようだ。 全日本での活躍を中日に持ちこむことはできなかった。 オリンピック当時の肘の状態よりも、鎖骨を痛めているとのことで、じっくりと体を治して世界選手権を狙って欲しい。 新ルールの中、アジアでの最初の大きな大会として中国、韓国、そして日本の動きを世界が注目する中、中国は基本的な動きの素晴らしさで実施減点を最小限に抑え、価値点はまだ10点にしきれない種目が多かったものの日本、韓国を圧倒した。 それに対する日本は、万全な状態とはいえない演技が続いた。 しかし、今季好調の冨田がミスを最小限に抑え、個人総合予選で3位に着けた。 また、米田も地元大阪でのファンの声援に応え、ミスの続く嫌なムードを切る安定した演技をした。 斎藤が怪我、笠松が不調、岩井も大きなミスを連発など、五輪組がチームを引っ張れなかったのは世界選手権に向けて一つの不安材料ではあるが、五輪を逃した米田、冨田が明日の個人総合や世界選手権に向けても期待を持たせる何かを残してくれた。 女子団体決勝が行われ、中国が地元の日本を9点近く引き離して優勝。 日本は、段違い、平均台で三名ずつ落下があり、調子が上がらなかったが、韓国、オーストラリアが得点を伸ばせない中、危なげない銀メダルとなった。 初めての大きな国際大会出場となった水鳥が着地を決めて、その後の選手も好得点をマークし、波に乗れるかと思われた。 しかし、段違いの第一演技者、竹中が落下すると、中瀬、佐原と連続してミスが続いてしまった。 以前からの弱点である器具系でミスを引きずるという悪い癖が、この若いチームにも出て、平均台も同じく落下が続いた。 新ルール対応で、構成を変えて来る必要があったとはいうものの、チーム戦の戦い方として、過去に五輪団体出場をこのようなミスで僅差で失ったことを考えると、メンタル面での鍛錬が依然問われる。 ユニバーシアードでは、今持っている力を十分に発揮し、良い結果につながったので うれしく思っています。 中国との差はまだ少しありますが、確実に近づいているという手応 えを感じました。 世界選手権では、さらに上をめざしますので、男子体操競技の応援をよろしくお願いします。 はじめてのユニバーは平行棒とゆかと跳馬に出て、団体のメダル、自分はゆかのメダルを目標 にして行きました。 団体では銀メダルを取ることが出来たんですが、ゆかは決勝に残ることが出来な くて悔しい思いでした。 この大会における感想は、世界選で6・3・3で戦ったとき、中国との差は無 いんじゃないか、そして、種目別もメダルを十分狙えるのではと言うことです。 いろんな人が応援してくれているので世界選では期待以上の、自分でも納得できる結果を出せるように頑張ります。ぜひ応援して下さい。 自分にとって初めての国際試合となった、今回のユニバーシアードは、ゆか以外の5種目に出場し、チームでは銀メダルをとる事が出来ましたが、種目別に一つも残る事が出来ませんでした。 会場の雰囲気等に圧倒されたのと、調整が上手く行かなかったのとで、自分の演技が出来ずに、失敗を出してしまいました。 自分にとっては悔し い思いのまま終わってしまった今回のユニバーでしたが、日本と中国の差がそんなにないのでは、と実感出来たので、この経験を世界戦で活かせるように、またこれから頑張りたいと思いますので、応援よろしくお願いします。 NHK杯で足の甲を痛め、その後2年前に痛めていた右手首を再度痛めてしまい ユニバーシアードはあきらめかけていました。 しかし、自分のまわりの人達に支えられ試合直前で全種目出場できるようになり、その結果、個人総合で2位(銀メダル)という成績で競技を終了することができ、大変うれしく思います。 私は北京で行われたユニバシアード大会に日本代表として出場しました。 まず北京で開催されたというのもありますが中国の強さを実感しました。 しかし日本も持てる力を出せば十分渡りあえるのではないかと感じました。 私自身としては、団体戦でチームに貢献できたのは良かったのですが、種目別で失敗し、精神的な 弱さを実感しました。 この経験を生かし、次のステップにしたいと思いました。 最後にコーチならびにスタッフの方々に感謝し、感想とさせていただきます。 個人総合優勝争いをする中で、日本の冨田選手は少し不安を持っていた最初の種目のあん馬を無難にこなし、種目別優勝する得点を獲得し、幸先のいい出だしであった。 また、全種目を通じて目立った過失は、平行棒における「後ろ振り上がり倒立」と「支持後ろ振り開脚入れ脚前挙支持」でバランスを崩し、肘を曲げて体勢を立て直した2箇所 にとどめ、全体の印象からは、今大会で最もエレガントな体操を表現できた選手だと思う。 いずれにしても彼の演技に対する各国審判、コーチたちの評判もよく、さらに冨田選手自身が新たな自信をつかんだようで非常によかった。 運営については、ほとんど問題はなかったが、女子跳馬の高さで男子が練習を始めてしまう問題が起きてしまった。 現在は男女共に同じ向きと形状であるため、見逃しやすいの かもしれないが、しっかりとした確認体勢が運営側に必要である。 試合はアメリカらしいといった雰囲気で、 観客の人達も楽しみながら見ていたし、自分自身も楽しみな がら演技することができました。 応援してくれた皆様へ感謝を申し上げ、簡単ですが感想とさせていただきます。 しかし、米田は現地の20日夜から腹痛を訴えだし、翌21 日早朝に現地のスポーツドクターの診察を受け飲み薬等を処方してもらった。 現地での跳馬の調整が整わず、予選通過出来なかった。 跳馬に関しては、日本と世界を比較した際に日本の遅れを否めないと種目であると感じた。 助走のスピードから跳躍の高さ、技の安定性、2本合計のスタートバリュー等全てにおいてである。 日本選手が跳馬での得点で世界の選手らに置いて行かれない様にまた、確実に得点を積み上げる種目として強化を工夫しなければならないと考える。 平行棒は今回参加した全選手らが非常に苦労していた種目である。 佐野が参加予定であったが、つり輪での着地で腰、足首を痛めてしまい、最後まで参加すべく調整したが最終的には参加しなかった。 その優勝者らは、その種目のスペシャリストが優勝するだけでなく、6種目のオールラウンダーが得意種目で優勝する傾向も強いと感じる。 また、近年の種目別優勝者が多くの国に分散するといった傾向を如実に表していた。 今年の世界選手権種目別選手権もこれら近年と同様の傾向を示すのではないだろうか。 種目別予選大会では、各種目において参加選手が多くなり長時間に渡る変則的なウォーミングアップ、ローテーションを余儀なくされる。 また、さらに他の種目にエントリーしている選手らは、これらの長時間の変速ローテーションをくぐり抜け種目移動を行わなければならない。 各国のトップが競い合う予選会の中では、小過失の積み重ねや中過失・大過失のミスは決勝へ進めない程、選手間のレベルに差がない。 さらに、決勝では小過失を出さないと言ったレベルでなく、審判や観客等全ての人たちを感動させられる演技を行わなければメダルに手が届かないのではなかろうか。 跳馬における日本の遅れが今後世界と戦う上で極端な弱点にならない様に強化の工夫が必要であると考える。 他国のコーチ・選手らは、コトブス大会の翌週にルーマニアで開催される国際大会、ウクライナで開催される国際大会に移動する者もいた。 もちろん、帰国する選手団もいるのだが、 多くのヨーロッパ選手らはこの3〜4月にどこかしらの国が開催する国際大会を転戦している。 日本から19時間もかかる移動を経て1回だけの競技会で帰国するのではなく、数カ国 を連続した週で競技会をセットする派遣も良いのではないかと考える。 特にナショナル選手には、代表選考で選ばれてからの代表強化と共に、3〜4月にかけて強化の一環としナショ ナル選手らをこれらの大会に分散して派遣する必要性もあるのではないかと考える。 また、コトブスの大会において平行棒の審判と話をした際に、先のアメリカンカップで審判した審判員が、冨田選手は素晴らしい選手だったと言っていたことが印象的である。 審判に名前と顔を覚えてもらいポディウムに立つ選手は、何らかのアドバンテージを持ち演技出来るのではないか。 今回の競技会では、跳馬を除く他の5種目は日本選手らの競技力が同等あるいは上回って いると思われる。 しかし、不参加であった中国が参加した場合どうなるのか。 また、同じスタートバリュー10点でも中身の質やオリジナルの技があるか無いかも最後の0.01を競う中で非常に必要だと再度痛感した。 今回の派遣は日本の強化、選手強化の為に非常に意義ある海外遠征となった。 日本オリンピック委員会、日本体操協会の各関係者の皆様に感謝申し上げると共に、確実かつ誠実な競 技運営を配慮してくださった滞在先のコトブス大会組織委員会の皆様にお礼を申し上げ報告を終えたい。 今回はミスが出て、あまりいい演技ができなかったので、大会本番では、そういったものをなくしていって、文句のない演技ができるように仕上げていきたいと思います。 世界には、派手な技でというよりも、一つ一つの技の姿勢だとか、熟練性で自分をアピールしたいと思います。 全日本も五連覇されましたし、世界選手権でもメダルを取ったり偉大なことをしている人なので尊敬しています。 強い人は誰でもライバルなんで、冨田選手も含めて、その選手のいいところを見習ってレベルアップできればと思います。 今回、価値点を上げてきましたが、自分に合ってない技で合わせてきた感じもするので、失敗しにくい安定した構成を目指していきたいと思います。 得意のあん馬では、旋回の大きさと、きれいな体操を目指してやっているので、それをアピールしていきたいです。 去年の世界選手権上位のウルジカや肖欽には勝ちたいです。 去年の東アジアでは団体戦で失敗して、悔しい思いをしてしまったので、今回は失敗しないようにしたいです。 自分の持ち味の粘り強さと、得意種目の平行棒をアジアでアピールしていきたいです。 手の動きで0.1減点されたりするので、基本の技から大技まで一つ一つの技を丁寧に、そして着地まで決めていきたいです。 アジア大会では、個人のことはさておき(笑)、団体戦を中心に、役に立てる選手になりたいです。 今回は、ある程度代表を経験しているメンバーと、初めて団体に入ったメンバーがうまくかみ合えばいいなと思います。 アジア大会の代表になれるようにこの冬頑張ってきたのですが、まだコントロールできずに今回も失敗したものがあるので、アジア大会では、自分の練習してきたことが100%出せるように頑張りたいと思います。 鉄棒では、(コバチとコールマンの)連続が確実にできるようにして、また、今はまだはっきり決めてませんが、できればもう一つ離れ技を増やして、種目別決勝進出を目指します。 選手たちは「チームの雰囲気はとても良かった」と口をそろえた。
斎藤は昨年の世界選手権の4位と比べて「今回の方が価値がある」と評した。
塚原は「メダルを取る力はあった。問題は最後の詰め。
これを経験に日本は変わっていくと思う」と話した。(吉岡潤)
https://web.archive.org/web/20010217042111if_/http://www.chunichi.co.jp/og/gymnastic/g091953.html 斎藤良宏(大和銀行)が12位
塚原18位
常に練習を見守ってきた森泉コーチは、右ひじの具合が悪かったことを明かした。
シドニー入りする前に治療したが、痛みが再発。
本番用の演技構成での練習ができなかった。
https://web.archive.org/web/20010217042456if_/http://www.chunichi.co.jp/og/gymnastic/g092154.html https://web.archive.org/web/20010217042915if_/http://www.chunichi.co.jp/og/chubu/aichi/aichi091901.html https://web.archive.org/web/20010217042206if_/http://www.chunichi.co.jp/og/chubu/aichi/aichi091801.html https://web.archive.org/web/20010217043019if_/http://www.chunichi.co.jp/og/chubu/gifu/gifu092201.html https://web.archive.org/web/20010217042717if_/http://www.chunichi.co.jp/og/chubu/gifu/gifu091801.html https://web.archive.org/web/20010217044344if_/http://www.chunichi.co.jp/og/side/column/kisetsu/kisetsu3.htm https://web.archive.org/web/20010217042143if_/http://www.chunichi.co.jp/og/side/kateruka/kateruka6.htm [1926] 原田選手 投稿者:にゃ 投稿日:2003/01/15(Wed) 13:55:08
数日前ですが、新聞にシドニー五輪代表の原田選手の引退記事でてました。
母校の順大で鹿島選手のスタッフになられるとか。
いい選手の引退はもちろん残念なことですが、話題に挙がらないのはもっと残念なような・・・。
(既出だったらすみません)。
指導者としてもがんばってほしいですね。
https://gfcj.org/past/past/s114.htm [1926へのレス] 投稿者:たかこ@管理人 投稿日:2003/01/15(Wed) 20:02:54
そうなんですか〜。
いま知りました。
原田選手の世代は、私が体操を見始めた頃にインカレの主力で、充実してて面白かったという印象です。
でも考えてみれば、もう小林選手も藤田選手も引退してるんですね・・・。
順大で鹿島選手のスタッフということは、鹿島選手は大学院に進まれるのですね。
いい環境で、頑張って欲しいです。 [1926へのレス] 投稿者:あつみ 投稿日:2003/01/15(Wed) 21:43:02
残念です。
原田選手はシドニーの時堂本剛くんに似てるとかもあって体操ファン以外にもファンを増やしましたよね。 [1926へのレス] 投稿者:M 投稿日:2003/01/16(Thu) 09:44:13
>鹿島選手は大学院に進まれるのですね
今は企業に進んでも練習以外の環境が心配ですから、優秀な選手は大学院に進むことが望ましいですね。
引退後の選択も広がりますし・・・ [1926へのレス] 投稿者:にゃ 投稿日:2003/01/16(Thu) 16:26:21
>鹿島選手は大学院に進まれる
そこまでは記事からはわかりませんが・・。
私の書き方がおかしかったのですね。
記事を抜粋(1月10日読売新聞)すると
「(略)母校の順大で後輩の指導に当たることになり(略)鹿島丈博の専任強化スタッフとして、日本オリンピック委員会から認定された。」だそうです。 [2015] 教えてください! 投稿者:りんご 投稿日:2003/04/21(Mon) 22:59:48
はじめまして〜りんごと申します。
私も体操ファンなんで、
この前の2次予選の結果が気になるところなんですが…
体操協会のHPに入れないんです…
だから結果がわからないんです。
3位くらいまでは新聞で見たんですが、
それ以外がわかりません。
私の好きな斉藤良宏選手が何位くらいなのかも気になります。
どなたかお願いします。
2次予選の男子の結果を教えてください!! [2015へのレス] 投稿者:みく 投稿日:2003/04/22(Tue) 21:13:49
斉藤選手調子が悪かったのでしょうか?
結果見る限りじゃ失敗が多かったようにも見受けられるし。
一昨年くらいまでは確実に代表入りしてたのに、
去年から中々。。。
最終選考会追い上げは厳しいかもしれないけど
頑張って欲しいです。 冨田と塚原のデッドヒートは最終演技の鉄棒までもつれた。 「優勝を決める最後の鉄棒でいい演技ができたのはうれしい」。 名実ともにエースとして世界選手権初代表を手にした。 シドニー五輪後に頭角を現したが、代表に決まっていた01年世界選手権(ベルギー)は米中枢同時テロで幻に終わった。 「世界で自分がどの位置にいるのか分かるのが楽しみ」。 昨年の種目別世界選手権は出場したが、個人総合のある世界選手権は初めて。 2年間蓄えた自信が「メダルを目指す」との言葉に表れた。 今春から所属するセントラルからは、さっそく金一封が贈られることも決まった。 「社会人になってプロ意識が強くなった」という冨田が、体操王国復活のエースとして世界に挑む。 今春順大を卒業し、セントラル所属になった冨田はただ一人6種目すべてを9点以上でまとめた。 中でも跳馬では難易度の高い「伸身カサマツ跳び1回半ひねり」を成功させるなど「大きなミスなくすべてできた。この冬取り組んできた跳馬は結果につながった」と満足げ。 アテネの前哨戦となる今夏の世界選手権へ向け着実なステップアップを披露した。 https://web.archive.org/web/20030804033300/http://www.sponichi.co.jp/others/kiji/2003/04/13/01.html あん馬のスペシャリスト鹿島が初出場の世界選手権で銅メダルを獲得した。 いきなりE難度の開脚旋回1回ひねりからの連続技を見せ、その後も大きな交差技や腰の高い旋回技を披露。 中3で全日本選手権を制した得意種目で世界にアピールし「納得の演技ができた。初めての大舞台で自分の名前を認めてもらえた」と笑顔を見せた。 もっとも、アテネ五輪へは他の種目の強化が必要なだけに「それはこれまでも、これからも課題です」と表情を引き締めた。 https://web.archive.org/web/20040405193953/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/athe_2004/news/at20030818_01.htm https://web.archive.org/web/20040216114854/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/athe_2004/news/at20030818_02.htm https://web.archive.org/web/20040604085034/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/athe_2004/news/at20030819_01.htm https://web.archive.org/web/20040216122706/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/athe_2004/news/at20030821_01.htm https://web.archive.org/web/20040216131644/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/athe_2004/news/at20030825_01.htm 表彰台で金メダルをかけてもらうと、緊張していた鹿島に、ようやく笑みが戻った。 日本体操の黄金期にも成しとげることができなかったあん馬での優勝。 少し目を潤ませた23歳は、きっと夢見心地で日の丸を見つめていたのだろう。 知名度の低い鹿島があん馬に向かっても、拍手は大きくはなかった。 だが、腰の位置が高く、つま先まで脚が伸びた美しい旋回が始まると、リズム感あふれる演技に観客は引き込まれた。 さらに上を目指し、順天堂大の恩師である加納実監督と今大会に照準を絞って技と構成に磨きをかけた。 ほとんどの選手が前半にヤマ場を作る中、下り技の前にマジャール移動などのD難度の技を連ね、終盤に盛り上げる展開に。 決勝前日にも2人で話し合い、マジャール移動で手をつく位置を変更した。 シドニー五輪、世界種目別選手権覇者の第一人者ウルジカらを破っての価値ある優勝。 次の目標を聞かれ、鹿島は「オリンピックです」と言い切った。さらなる高みに向け、師弟の二人三脚は続く。(内田 守俊) 日本の男子体操界が長い間、あん馬の世界チャンピオンを誕生させられなかった理由は、早期教育の遅れにある。 あん馬は、演技の大部分を「旋回運動」が占める特殊な種目。 両腕を軸にして体を水平方向に回転させる、この運動は一見、単純な技に見える。 しかし、あまりにも特殊な動きであるだけに、質の高い、つまり、美しくて雄大な旋回をマスターするには、長い年月がかかる。 20年ほど前まで日本の小中学生は、ゆか、鉄棒と跳馬か跳び箱の3種目で大会成績を競っていたため、ほとんどの選手は高校生になるまで、あん馬の練習に力を入れなかった。 大人になってからも、旋回の練習時間が不足しているせいか、得点が伸びなかった。 今回の金メダル獲得は、体操界全体で強化に取り組んだ努力が、やっと報われたといえる。 さて、鹿島の快挙はアテネ五輪への追い風になるのか――。 日本は今後、審判の目に「あん馬のチャンピオンを出したチーム」と映る。 採点競技はイメージの良しあしも大切な要素だから、ほかの日本選手に対する評価まで高くなる可能性がある。 体操ニッポンが抱き続けてきた苦手意識を払しょくする、まさに「悲願の金メダル」だった。(ニューヨーク支局・田中富士雄) https://web.archive.org/web/20040216131652/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/athe_2004/news/at20030825_03.htm 24日に行われた体操の世界選手権最終日、男女種目別決勝で、鹿島丈博(セントラルスポーツ)が鉄棒で優勝を飾った。 今大会で鹿島が獲得したメダルは団体総合の銅、種目別あん馬の金に続いて3個目。 平行棒の塚原直也(朝日生命)は、メダルに一歩届かず、4位だった。 シドニー五輪平行棒優勝の李小鵬(中国)が、昨年の世界種目別選手権に続き、平行棒と跳馬の2種目を制覇した。 世界選手権は全日程を終了、日本のメダルは冨田洋之(セントラルスポーツ)の個人総合の銅を加え、金2、銅2の計4個だった。 3番目に演技した鹿島は、E難度の後方伸身2回宙返り2回ひねり下りの着地をピタリと決めると、ニッコリ笑って、「9・775」の高得点を確認した。 演技途中の、空中回転を伴う手放し技「コバチ」も十分な高さのある雄大な演技で、観衆を魅了。 この後に演技したロシアのアレクセイ・ネモフが9・737、イタリアのイゴール・カッシーナが9・750と迫ったが、鹿島を超えることはできなかった。 今大会前までは、国際的には無名に近かった鹿島が、2日連続で「世界のカシマ」をアピールした。 https://web.archive.org/web/20040216131656/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/athe_2004/news/at20030826_01.htm 今回の世界選手権で日本は、「体操ニッポン」復活ともいえる戦果を上げた。 この勢いを来年のアテネ五輪につなげることはできるのか。 「名前を売ることができたのは大きい。(日本の選手は)塚原だけじゃないことをアピールできた」。 加納実男子監督は、鹿島の種目別2個の金、冨田の個人総合での銅メダルを、五輪につながる好材料と見る。 採点競技の体操では、実績に基づく事前の評価がものを言うこともあり、世界にデビューしたばかりの鹿島と冨田にとって、今大会の実績が持つ意味は大きい。 団体戦では、6選手中3人のみが演技し、そのすべての得点が採用される決勝の「6―3―3制」を日本は初めて経験した。 今回は持ち駒がうまくかみ合うことで無難に切り抜けた。 しかし、予選3位の中国が、決勝では見違えるような力を発揮して優勝したように、新方式を意識した編成ならではの強みがあることも見せつけられた。 団体戦でのメダルを優先するなら、チームの弱点を埋めるスペシャリストの起用も要検討だ。 強豪国と比較して見劣りのした跳馬とゆかの強化も欠かせない。 個人総合で佐原礼香(リベラルク)が唯一、決勝に進んだが、大きなミスがないにもかかわらず実質的な最下位だったのは象徴的。 価値点を上げなくては、世界で戦えないことを実証した。 団体決勝にコマを進め、種目別・ゆかで優勝選手も出したブラジルは、ウクライナ人コーチを招へいして成功した。 優秀な外国人コーチに現場を任せることなども検討する必要がある。 種目別の金メダルを2個獲得、アテネ五輪の「期待の星」へと一挙に駆け上がった鹿島。 その躍進の陰には、幼いころからのライバルにして同僚という個人総合銅メダリスト、冨田の存在がある。 鹿島は兄の影響で3歳の時から大阪市内のマック体操クラブで体操を始めたが、その5年後、同じクラブに通い始めたのが冨田だった。 池谷幸雄、西川大輔という五輪選手を生んだ名門クラブ。 多くの体操関係者は、2人に共通する体操の美しさ、正確さの原点が、ここでの徹底した基礎練習にあると見る。 中学3年生だった1995年の全日本選手権のあん馬で史上最年少優勝を果たし、マスコミで大々的に取り上げられた。 高校時代は冨田が高校選抜、インターハイ、全日本ジュニアの3冠を達成するなど注目を集めた。 高校こそ、鹿島が清風、冨田が洛南と別々の道を選ぶが、大学で再び合流。 鹿島は「冨田は体操がうまく、とてもいい練習をするので、ずっと刺激を与えてもらってきた」と話す。 そして鹿島が種目別で連日の金と、まさに日本チームの両輪となって働いた。 互いに相手を目標とし、切磋琢磨(せっさたくま)してきた2人。 「冨田のような存在が身近にいてくれたことは本当に幸運」と鹿島は言う。(内田 守俊) 米オクラホマ州ノーマンに、会員数1000人の名門体操教室がある。 元五輪金メダリストで、創設者のバート・コナー氏(45)は「家には11個のメダルがあるんだけど、9個は妻の物だよ」と豪快に笑った。 2004年1月中旬、その妻は事務室で書類の整理に追われていた。 「ちょっと上手な選手だとは自覚していたけれど、自分の演技のインパクトなんて全然、理解できなかったわね」。 かつてルーマニアの「白い妖精」と呼ばれたナディア・コマネチさん(42)が控えめに笑い、28年前の夏の光景を脳裏によみがえらせた。 1976年7月18日、モントリオール五輪の競技会場で、真っ白なレオタードに身を包んだ14歳の少女が、体操界に革命を起こす。 段違い平行棒の規定演技で史上初の10点をマークし、以後も満点を連発。 愛らしい容姿と軽快な動きでコマネチは一躍、大会のヒロインになった。 国から「労働英雄章」を授かり、家や車を与えられる一方で、自由を失った。 当時、独裁政治を敷いていたチャウシェスク大統領にとって、女子体操チームは国内外に対する絶好の“広告塔”。 国外逃亡を警戒する政府の監視体制は81年、チャンピオンを育てた名コーチ、ベラ・カロリー氏の亡命を機に一層、強まっていく。 現役を退いたコマネチは89年11月、自由を求めて米国へ亡命した。 合宿所で自室から洗濯室へ移動するにも監視員に詰問されたこと、凍りついた川を渡り、何時間も暗闇の中を歩き続けて国境越えを果たしたこと……。 近ごろ出版した自伝「若き選手たちへの手紙」(ベーシック・ブックス)の中で、改めて過去を振り返ったコマネチだが、「語りつくせるものじゃない。言えるのは、衝動的に亡命したんじゃなくて……」と言ったきり、黙り込んだ。 現在、チャリティー活動や講演会で世界中を飛び回る毎日。 しかし、夫の体操教室に籍を置きながら、指導には携わっていない。 波乱万丈の人生が、体操を、スポーツを、五輪を「負の記憶」に変えたのか。 「違うわ。たくさんの人に支えられ、私は(体操を通じて)人生の中で、もう何かを達成したと思う。慈善活動ができるなら、やるのは自然なことでしょ」 精力的にスポーツ施設への寄付、慰問などを続けており、今後は満足に治療を受けられない子供たちのために診療所を建てようとも計画している。 五輪で味わった感激は、抑圧を受けても色あせず、むしろ第二の人生を歩き始めるためのエネルギーになった。 「スポーツ選手にとって、オリンピックは究極の夢のシンボル。 (2012年の開催に立候補している)ニューヨークの招致活動にかかわっているけど、幸せだわ」。 優しくほほ笑んで続けた。
「きっと、私は何も失っていないのよ」――。
(ニューヨーク・田中 富士雄) https://web.archive.org/web/20040407025523/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/athe_2004/special/at20040130_01.htm 昨年から全日本選手権、NHK杯を賞金大会にする一方、今年の世界選手権代表選考では、演技の難度が低いと初めから減点する内規を導入するなど、“アメとムチ”作戦を展開した。 「褒賞金は企業の休廃部が続く中、トップ選手の生活を少しでも助けようという協会の意思と、動機付けの意味がある。 内規は、世界で戦える演技構成を練り上げさせるのが狙い。 実際、選手たちは演技内容をより高度なものにするよう努力してくれた」 世界選手権では、男子選手のみビジネスクラスで渡米させ、エコノミークラスの女子と差を付けた。 また、来春には男子のみアテネ合宿を計画するなど、協会内部にも「男子は甘やかし過ぎ」の声がある。 それだけ周囲が期待しているということを選手個々に自覚させることが大事。 シドニー五輪の男子団体は、ゆかのラインオーバーなどが相次ぎ、結局4位に終わったが、選手たちに基本的な力はある。 https://web.archive.org/web/20040422091121/http://www.yomiuri.co.jp/sports/feature/athe_2004/special/at20030817_01.htm 2003年8月、アメリカ、カリフォルニア州アナハイムで行われた体操の世界選手権で一躍脚光をあびた二人の日本人選手がいました。 種目別の鉄棒とあん馬で二つの金メダルを取った鹿島丈博選手。 6種目の合計で競う個人総合で銅メダルを獲得した冨田洋之選手。 千葉県印旛郡にある順天堂大学桜キャンパスの中にある体育館をのぞいてみると、そこには去年の4月からセントラルスポーツに所属しながら、大学院に進んだ鹿島選手と冨田選手の姿がありました。 ここで一緒にトレーニングをするようになって5年がたちました。 鹿島選手は、体操日本といわれる伝統のなかで、初のあん馬の世界チャンピオンとなりました。 手足が短い日本人にあん馬は不向きと言われたのは昔の話。 鹿島選手は長い手と足でスピーディーに軽々と旋回ををしていきます! 小学生のときにすでに将来性を感じさせる美しい動きを見せいてた鹿島君。 小学校4年生で跳び箱の上で上手に旋回をしている映像が残っています。 中学3年生のときには、特別推薦で全日本選手権に出場し、いきなり鞍馬で優勝。 当時世界選手権のあん馬で銀メダリストとなっていた畠田好章選手を破っての快挙でした。 以来、「あん馬のスペシャリスト」と呼ばれるようになりました。 体操競技は、あん馬のほかに5種目(ゆか、吊り輪、跳馬、平行棒、鉄棒)をこなさなくてはなりません。 筋力がつきにいタイプということもあり、力技が要求される吊り輪や、平行棒があまり得意ではありませんでした。 10代の頃から鞍馬では世界トップクラスの実力を持ちながら、なかなか世界の舞台に立てなかったのも、6種目総合で選ばれる日本代表になれなかったためです。 しかし、そんな鹿島選手が徐々に変わり始めたのは、大学で冨田選手と再会してからでした。 二人は子供のころから大阪にある、同じ体操クラブに通っていたのです。 ソウルオリンピックのときに一大旋風を巻き起こした清風高校コンビの池谷選手と西川選手が通っていたクラブに、鹿島君は3歳の時から、冨田君は8歳の時から、ともに中学を卒業するまで通っていました。 現在まで実に14年間、同じところで体操をしていることになります。 冨田選手は運動神経抜群、その上、力技が得意で、苦手な種目を持っていません。 6種目全て強いオールラウンダーとして力を発揮してきました。 背骨の両脇に背筋がこんもりとまるで骨のように盛り上がっているのです。 オールラウンダー冨田選手とスペシャリスト鹿島選手はともに刺激しあってきました。 順天堂大学体操部 加納監督はふたりの関係を次のように分析しています。 「冨田の方が感覚的なところとか、器用なところがあると思うんですね。 ですから、技を覚えるときも冨田の方が早いと思うんですね。 どういう感覚なのかっていう、彼らは選手同士でおしえあっていると思うんです。」 その感覚をお互いに確認しあいながら、ふたりは練習を進めていきます。 とはいえ、金メダリストの鹿島選手が俄然注目を浴びるようになってから、冨田選手の心境はどうなのでしょうか。 冨田:「世界でトップがいる、まじかで取った、それも同じ歳で取ったというのが刺激になりますね、まあそういった金メダル次は僕が取りたいなっていう風に。」 同じ寮に住み、一緒に練習をし、実力も近い同い年の二人。 鹿島選手と冨田選手を見ながら、ソウルとバルセロナの二度のオリンピックに出場した池谷幸雄選手と西川大輔選手を思い出しました。 4月3日に代々木体育館で行われたアテネ五輪二次選考会に姿を見せた二人に伺ってみました。 二人にライバル意識というのはなかったのでしょうか。 池谷:「いいライバル意識って言うのも必ず、あいつが一つ技を覚えたら俺はふたつおぼえようって言うのもあるし、絶対口に出さなくてもあるんですよ。あるよな?」 別に足引っ張るわけじゃないし、怪我させてやろうというわけじゃないし、相手もうまくなって、俺もうまくなっていこうということですよ。」 それにしても高校3年生でソウル五輪に出場した時など、池谷選手と西川選手はいつも一緒でした。 池谷:「毎日一緒に練習しているんですからね、合宿行ったら24時間一緒ですからね、兄弟より、親より一緒にいますからねえ(笑い)」 気心が知れている仲間の存在が、大きな試合では精神的な支えになっていたといいます。 1988年ソウル五輪で日本チームは目標の銅メダルを獲得。 池谷選手はゆかで銅メダル、西川選手はあん馬で10点満点をマークするなど大活躍でした。 西川:「体操って基本的に孤独なんでね、器具の上にぽんと乗って一人でやらなくちゃならない、そういうところで、仲間がいる、一緒のところを目指している仲間がいるって言うのは心強いですよね。」 演技をするときには自分だけしか頼るもののない体操競技。 だからこそ、仲間の存在はなにものにも代えがたいのかもしれません。 鹿島:「シェルボ選手を見ていて、体操ってすごいな」」 1992年のバルセロナオリンピックで団体、個人総合優勝に加え、4つの種目別でも金メダルを獲得し、体操史上最多の6個の金メダルを獲得したシェルボ。 鹿島選手は、どんな練習の時にも、つま先まで神経を行き届かせています。 鹿島:「誰が見てもきれいだなとおもうような体操をしたいと思っています 体の使い方だとか、指先までの使い方、一つ一つのことをちゃんと正確にできればいうことができればいうことがないかな。」 一方の冨田選手は美しさの先にあるものを目指し始めたようです。 冨田:「ずっときれいな体操を意識していたんですが、合理的な動きだとか、ただその技をきれいにするのではなく、演技全体を通じて流れのいい体操を意識するようになりました。」 それは世界の体操界に新しい流れを作りだす日本のスタイルです。 オリンピック2次選考会で現在冨田選手が2位、鹿島選手が3位。 5月に行われる最終選考会で6位までに入れば、はじめてのオリンピック、アテネへの切符を手にすることができます。 体操女子個人総合で優勝しながら、興奮剤のエフェドリンで陽性となり金メダルをはく奪された十六歳のアンドレーア・ラドゥカン(ルーマニア)。 そこには、感動的なシーンを生み出す表舞台とは対照的に、五輪をむしばむ影の部分が垣間見える。 サマランチ会長は、世界最高のパフォーマンスを見せる場として五輪の価値を高め、巨額のTVマネーやスポンサーからの協賛金を引き出してきた。 これに伴って、選手の五輪に対する意識は大きく変容した。 オリンピックでの活躍やメダル獲得は、自らの商品価値を高め、報酬や生活の向上という果実をもたらす。 五輪のスタジアムは自らの名誉とともに価値を世界に披露する展示場なのだ。 マラソンレース関係者が、男女マラソンの出場予定選手を見ながらこう言った。 「これだけのメンバーをそろえるには、アピアランス・マネー(出場料)や賞金などで数百万ドルになってしまう。 賞金や出場料なしで、これだけ派手にやれるのはオリンピックしかない」と。 それを、無報酬でやれるのがオリンピックというわけだ。 サマランチ会長も、五輪で賞金を出すことはない、と明確に否定している。 だが、フルタイムの競技活動を続けるトップ選手たちにとって、五輪の舞台は将来、レースに呼んでもらうために自分を売り込む、まさに「展示場」。 さらに、国や所属のスポンサーから報奨金やボーナスが出ることも当たり前となってきた。 「勝ちたい、いい記録を出したい」という選手のプレッシャーは高まるばかりだ。 検出されない薬物やその使用方法の開発側とのイタチごっこが続く。 ある陸上のトップ選手が風邪気味になったとき、スタッフが厚さ十センチ以上の禁止薬物リストを持ち出して、どの薬を飲めばいいのかを必死になって探していた。 たとえ風邪を治すためであっても、陽性反応が出てしまえば、選手は大きなダメージを受ける。 医師の単なる処方ミスなのか、それとも何らかの競技力向上効果を狙ったのかはわからないが、その行きついた先が、「風邪薬を飲んだだけで……」という小さな“犠牲者”を生んだ。 一部の科学者が、薬だけでなく、脳や遺伝子の操作まで競技力向上に利用出来ると公言する現状はいびつだ。 かつてオリンピックは、戦争や東西冷戦という国際政治の波にもまれて幾度かの危機を迎え、それを乗り越えてきた。 そしていま、ドーピングや肥大化によるひずみという内部から出てきた問題点を解決できないまま、新世紀を迎えようとしている。 次代の子どもたちにも、オリンピックの感動という財産を残すには何が必要なのか。 スポーツが発信する本来の輝きを影の部分が覆い隠さないために、真剣に見つめ直す時が来ている。 二十年にわたって商業五輪をけん引してきたサマランチ国際オリンピック委員会(IOC)会長(80)が、来年の勇退を前にした“最後の五輪”シドニー大会もあと一日を残すばかりになった。 直接的な開催経費だけでも千五百億円以上、ショーまがいの競技すら加えた超巨大イベントを支えるのはサマランチ会長が導入したビジネス手法。 だが、行き過ぎた商業主義が引き起こす軋(きし)んだ音もそこかしこから聞こえてくる。 新世紀へ向けて平和とスポーツの祭典をもう一度見直す必要があるのではないか。 一・五キロ四方の壮大な敷地にシドニー五輪の主要競技会場が集中するオリンピック・パークは、連日三十万人を超す観客でにぎわった。 オーストラリアで人気の水泳に限らず、陸上、テニスやホッケー会場も常に観客席が埋まった。 陸上競技の予選の段階から、十一万人収容のメーンスタジアムがほぼ満席となった五輪は、過去にもまれだろう。 しかし、その壮大さは五輪の肥大化というゆがみの裏返しでもある。 国際オリンピック委員会(IOC)のディック・パウンド副会長は、大会前にこの問題について問われ、「肥大化というが、その傾向が顕著なのはメディアの方ではないか。 選手一人に対して、メディアは二人だ」と報道側を逆に批判した。 そのうち一万二千人が放映権を持っている各国テレビ局のスタッフだ。 二十八競技三百種目すべての競技映像を制作、配信するシドニー五輪放送機構(SOBO)の三千五百人は、この数に含まれていない。 前回アトランタ大会と比べると、テレビスタッフは四割近い増加となっている。 バックネット裏席の通路で、元プロテニス選手が立ったまま、盛り上がる場面であろうとなかろうと、プレーごとにしきりに声援を送っていた。 横にはビデオカメラでその姿を撮影するテレビ関係者がいた。 しかし、編集した番組の中でこそ見栄えするのだろうが、試合展開と無関係に声援を送る姿は、現実のスタジアムでは空虚に見えた。 米国NBCテレビは、時差の関係でビデオ編集でシドニー五輪を伝えている。 選手の生い立ちから追った個人ストーリーなどと競技を織り交ぜる。 制作費は日本円に換算すると百三十三億円と言われる。 スタート地点の各レーンに国旗が浮かぶ。まるでプールに設置されているように見えるが、現実のプールにはない。 「バーチャル・リアリティー(仮想現実)」と言われる技術だ。 しかし、これは画面の中だけの加工された“現実”だ。 スポーツの安易な「劇場化」が、今後、進められる危険性は高い。 五年前にNBCは、まだ開催地が決まっていない大会も含めて、二〇〇八年までの五大会の放映権を一括三十五億七千万ドル(約三千八百二十億円)の巨額で契約した。