全日本F2・全日本F3001を語るスレ 2
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グループA、グループCなどはありますがフォーミュラ回顧スレは無かったので立てました。
※前スレ
全日本F2・全日本F3000を語るスレ
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1453518784/ マーチ 842 、85B、85J はモノコック同じみたいね。 GCが3リッターになったのは87年で最低でも86Bが使われてるから85Bは無かったはず
亜久里だけは前年ベースの86J +ox66だったか 濱田さんとこが86年の終わりに85Bか86Bか86/50を2台手配して鈴鹿でテストしてたよ
ホンダがヨーロッパから持ってきたEPSONカラーのラルト中嶋車(星野)とか松田秀士も走っていたかな
86Jのモノコックは85Bと同じだったのでは? 後に松田はマーチ86を、清水はローラ86を使うことになる
真田もマーチ86 >>69
87年はF2にタイトルが掛かることになってたのだから、それが不成立なら空白でも良かったかも知れない
GCも2リッター継続でヤマハ勢以外が欠場なら不成立だったかも 87年に松本さんが乗ったF3000かと思ったら星野さんの名前が書いてあるし、そもそも同じキャビンとは言えこのカラーリングは90年くらいのもの(右京が乗ってた頃
)
展示用に作った割にはリアリティが微妙 星野が中子にテストさせたが実戦では一度も使われなかったレイナードはどこへ? 星野とレイナードは相性が悪くて
影山正彦に勧められて服部尚貴車を買ったものの
試し乗り程度でやめ。
災難だったのは服部で、"まがねーぞ!ごら!"と怒られたとさ。
服部:自分の好みと合わないと怒られても、、、 当時、85Bを輸入してテストしたの?
その車両が残ってたってこと? >>72
松本さんは ルマンだから新車しか乗っていないと思う 87年の松本てどういう体制だったっけ?
8月の富士にレース観に言ったが覚えてない
早々にリタイヤした関谷(レイトンカラー、既にシャーシはローラに変更、DFVエンジン、BSタイヤだった)が決まりが悪いのかヘアピンのところの小さな階段に座り込んで時間を潰していたわ 85年の国際(ヨーロッパ)F3000 に BS がタイヤを出しているから
テストカーとして持っていてもおかしくはないよね。 >>60
リンク先を辿ると
シェブロンB48 とか シェブロン B40/42 、マーチ 782
多分 当時のものに塗りなおしたんだろうけど
良く残っていたものだなぁ >>78
87年からエイボンに一本化の国際F3000
国内格式なのにマルチメイクの日本F3000
仕切り役も居ないのよくもやってくれたもんだよ
エンジン競争と一緒に廃止すべきだった >>75
40年近く前の事だから流石に記憶が曖昧になってきているけど、85Bか86BかT86/50を輸入してテストしたのは間違いないよ
86年オフは87年開幕前まで鈴鹿の東ピットが使えなくて、ヘアピン先から裏ストレートに移設された(現)西ピットを使ってやってた
上のXの個体(85B)が86年オフに3000のテストのために輸入された物なのか、87年のGC用に輸入されたけど結局使われなかった物なのか、私には分からないけど エンジンやシャシー、タイヤがマルチメイクだったから面白かったんだが。
ワンメイクシャシー、ワンメイクエンジン、ワンメイクタイヤのレースなんか見てる側からすればつまらん。
型落ちシャシーを独自モディファイして最新型シャシーに挑むとか、そんな下克上が見たいのだ。 F2選手権が不成立と確定したのは87年が明けてからでしょ?
それ以前のテストの段階ではF3000シャーシが使われるのは88年の予定だったはず
GCが3リッターベースに移行して86BやT87が必要になるってのもその後じゃないか?
勝手にF3000を始めたから全日本タイトルも無かった >>81
雑誌を見てみたら、2月だか3月のテストは 86Bと87Bみたいよ
別なテストで 中嶋と星野がラルトで走行 ラルトも国内でテストしていたのは知らなかった。
F3000に移行するのは当初1988年からという予定で、それを1年前倒しにしたが、それでも事前テストしたマシンは86年型で、85年型ではなかったと。
星野さんが85年にクラッシュして、85Jの代わりに85Bのモノコックを買ったのも知らなかったが、それ以外に85Bが国内にあったことが驚き。 まだF2がどうなるかわからん段階だからタイヤメーカーの合同テストも無かった
誰かが書いてたようにスピードスターが86を持ち込んで長谷見がテストしたのは記憶してたが
ラルトの件は知らなかったというか覚えてなかったね
いずれもプライベートテストだろうしさ
やるはずだったF2を勝手に潰したわけだから関係者にも後ろ暗さは当然あったろうし
経過が表に出て来ないのは当然かもな
F2も勝とうと思えば市販はされてるのはヤマハしかないんだからハッキリ
潰した方が良かったと思うね(87年は選手権無し)
ホンダ、トヨタのワークス4台とヤマハプライベーターだけじゃ良くて8台にしかならんし
GCも都合でヤマハに乗れないドラを振り落としたら同じく台数不足で選手権中断で構わない
87年の主な選手権はグループA、CとF3のみ、88年から仕切り直しで ラルトは12月と1月にテストしたんじゃなかったかな、中嶋も乗ったと言われれば「そういえば年末のテストには中嶋も居た」ような気がしなくもない…タイヤはBSでステッカーも貼ってあったと思う
1月の終わりには台数は少なかったけど合同テストしたんじゃなかったかな?2月初旬からだっけ?2月の火水木はずっと鈴鹿に居た気がする
87年の恵二さんの体制、もう忘れてしまいましたごめんなさい。87BからT87/50でDFVなのは覚えているんだけど、バテさんとこだった様な気がするんだけど、ルマンって言われたらそうかもしれないってくらい記憶が曖昧汗 雑誌が肝心なことを書かないからどの時点で87年の全日本F2が断念されたのかが不明
そこから新カテを始動しても間に合わないはずだから「日本F3000」は信義に反する
「ウチはやらないよ」言うのは勝手だが、だったら1年間他のカテで頑張れよとしか AT誌85年12月号より
・英国AS誌8/29号に日本で86年からF3000が始まると掲載される。
・9/29 鈴鹿サーキットとエントラント間で会合
86年F2/F3000混走、87年F3000が提案される。
・エントラント側からは再考を求める意見が出る。
>鈴鹿からは 87年最終戦から混走が提案される。 鈴鹿=ホンダだから85年にOX66が出て来た時点で店仕舞いしたくなったと勘繰られても仕方無い
そのヤマハは86年には「市販」されたのだから予定通り87年までやらないと無駄になる
ホンダがより早く市販していたら「勝ち目のあるのは2台だけ」という状態になりシリーズが
前倒しで潰れていたかも知れないのだから終わらせたければそうすれば良かっただろと言うほかない AT誌86年11月号より
・10/13 マーチ86B 鈴鹿を試走 (長谷見 SSR ダンロップ)
ただし、タイヤはF2用を使用
・9/26 ホンダランドとエントラントで会合
87年開幕から F3000/F2 混走の方針に
※JAF-F2は国際規格でないことからスポンサーからの評価が低くなった。
※F2のコスト上昇 AT誌87年1月号より
12/1-4 F3000テスト
ラルトRT20ホンダ(サックウエル車):星野、中嶋
マーチ86B DFV : 長谷見、和田、舘 ※ 和田はピロ車
ローラT86/50 DFV : 岡田 ホンダが日本のF2にエンジンを持ち込んでなきゃBMWからDFVに移行するだけの話だったし
ヤマハが出て来ることもなかった
コスト上昇の引き金を引いたホンダに全ての責任がある
モータースポーツに限らないがその地域にやる気があればどうにでもなるんで余計なことを
してくれたなという感想しか無い
鈴鹿はあくまでホンダの中の施設なんだから公私混同せずに最初から独自規格のレースでもして
おれば良かったんだよ
メーカーを跨ぐようなシリーズは別の場所でやらなければ駄目 国際F2がF3000に移行したのもホンダ潰しでしょ?
そこら辺に転がってるDFVを再利用すればランニングコストが下がるし、ホンダを追い出せると思ったんだろう。 銘柄の指定はしてなかったからホンダがDFV互換機のようなものを持ち込んで来るのは防げなかった
日本の場合だと最初の87年からホンダが4台、ヤマハが出てくれば実質的には両ワークスの4台しか
勝ち目が無くなって他が置いてけぼりになるのは目に見えていた
だから89年からそれら全てが一層されたわけよ
市販すると宣言してた5バルブヘッドが駄目なんだから売り物ですらないホンダエンジンなんか
問題外ってことだがレースマスコミはそれは書けなかったわけよ
ヤマハは4バルブも散々作ってきたわけだからそれを投入してみたら良かったんだよ
そしたら数年先にはDFV以外も32バルブ以外も禁止になってスッキリしたかも 87年の松本選手なぜDFVなのか
当時も凄く疑問だった
DFVの中ではかなり良い燃料噴射
とチューナーで450馬力位と当時
なにかで読んだ。並のDFVは430
それでも500馬力近いホンダには
勝てないよね
松本選手がox77使うの見たかったな F2と違って、F3000では初期はともかく
無限がエンジンを供給し、F2とは違うのだよ! F2とは と
F3000導入時に長続きするカテなのか?
との疑念を吹き飛ばしたので問題ない。 AT誌87年3月号より
特集記事 F3000
・童夢F3000 (以前にもべた記事掲載はあった)
・ローラT86/50 紹介記事
・3月初め(2月末?)のテストの記事
マーチ87B,86B 各4台が参加
ホンダ勢は 無限ではなく ジャッドを使用 マーチ87B懐かしい
殆どのチームがローラt87に
さっさと変えてたね
なのに亜久里選手のマーチ87Bは
異常に早くて
亜久里選手と由良拓也デザイナーの
腕が凄かったね ホンダが4台だけの限定供給、そこへシーズン半ばから童夢とムンクラにOX77が供給となれば
いずれ台数が10台を割り込むのは目に見えていただろ?
5バルブヘッドが安くはならないことは想像がつくしワークス格と同じ物が使える保証も無い
86年の市販OX66にしたって「金を払えばみな同じ仕様」だったわけではないから
だから88年いっぱいでそれらが締め出されたんだよ
89年以降にホンダのワークス活動が継続されることは有り得なかったし、
無限に移管しなければ強制退場
そうなった場合は参加者全員が4バルブDFVを使うことになっていたろうがホンダもそれは回避
FIAとしてはF2の二の舞を許すわけにはいかなかったんだよ その後に8気筒以外が禁止されたりバンク角が90度に指定されたのも高回転が不要ならと規定を逆手に取った
6気筒や挟角のエンジン等が出て来てコストアップでシリーズが崩壊することを恐れたから
あれもこれも向こうにはワークス活動を封じれるだけの権限があったからの話であって
統制者のいない日本では土台無理な話 >>97
公称値では、92年のSUGO大会プログラムによると
DFV 450ps/8600rpm(あくまで公称)
無限 460ps/9000rpm
シェアは 28台中 DFV 4台, ジャッドKV 1台、他は無限
91年までの結果では
無限 31勝
ホンダ 6勝
コスワース・ヤマハ 6勝
フォード・コスワース 2勝 OX77の供給先はムーンクラフトとダンロップじゃなかったか?
だから松本のところには行かなかった
ダンロップの分は童夢(ドラはヤン・ラマース、Cカーで欠場の時はロス・チーバー)、
ムーンクラフトの分は亜久里だったし 87年こそ、DFV が多かったけど
88年には、無限が主流、
無限と言ってもチューナーに販売したので
細部はことなったものになっていったらしいし
ヨーロッパでの戦歴を見ると、
コスワースを使ったドライバーがタイトルを取ることが多い
地域柄って感じじゃないの
シャーシにしてもエイボンに特化したマーチと
相性が良かったローラ、最終的にはヨーロッパ向けと日本向けでサスを変えることになるレイナードでは
差異が出るだろうし、マーチでも独自に改造をしたチームは比較的良かったんだろうし
※マーチ87Bはモノコックそのものがダメだった説あり マーチ87Bがダメダメだったのに、翌年も88Bを導入したのって、さすがに2年連続で失敗はしないだろうと思ったのかな?
おかげでローラのシェアが増えたし、レイナードの上陸も後押ししちゃった。 >>103
おお、ありがとう
104
ああ、なるほどそういうわけでか
蛇足だけどラマースと亜久里選手だけは
DFVの時からエンジンエアインテークが
左右振り分けのがついていた記憶ある
なんか特別扱いだったような
他にも関連レスの方ありがとう >>106
マーチへの信頼はあったと
おれも何かで見ました
レイナード、懐かしいな
コーナー立ち上がりトラクションが
強くて、ローラすら立ち上がりで
ヒューって引き離されてた 時系列で言うと87年のF3000の後半戦からOX77が登場したものの欧州では翌88年から、
日本では89年から5バルブ禁止が決定
無限は88年から供給開始だからFIAとホンダとの協議は87年中には済んでいたと思われる
この辺の経緯は日本では全く報道されなかったね、いつものことだけど ヤマハが87年に5バルブを投入しなければ日本も88年から禁止にされてたな
だからとりあえずコスワースベースで出しておいて「市販」を印象付け、後から完全自製をというつもりだったかも知れないが、
F3000でのワークス活動そのものが封じられたのは予想外だったんじゃないか 200ccV6は気筒あたり333cc、3000ccV8は375cc
前者が13000rpmなら後者はレブリミット無しで12500rpmくらいかな
あくまで85年当時にヤマハが新設計した場合の話で設計の古いDFVでは到底無理だが
F1のNA時代の末期は2400ccで気筒あたり300ccだから当時なら13500rpm程度が精々だが、
数十年後にNA廃止になった時は20000rpmオーバーしてたんだから恐ろしい話 F1の2400ccV8NAエンジンの最後が2013年だからOX66の28年後
もしもその頃にOX66のような物があれば19200rpm、「ヤマハ完全自製のOX77」なら18500rpm 85年同時に3000ccV6エンジンがあれば11360rpmは可能だったから規制が無ければV8より軽量小型のそれが登場するのは時間の問題だった
車体全体としてもその方が有利
だからこそV8限定、バンク角90度限定にしたというわけ
V6なら90度にはしないとも考えられるしな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています