【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 62laps
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
!extend:checked:vvvvvv:1000:512
!extend:checked:vvvvvv:1000:512
あの頃のF1って良かったよね
・セナvsプロストvsピケvsマンセル
・ターボから自然吸気へ
・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
前スレ
【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 61laps
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1531919457/l50
次スレッドを立てる時、本文(テンプレート)の最初に以下の1行を追加してください。
!extend:checked:vvvvvv:1000:512
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured ベルガーのマクラーレン移籍時はカラーリングが若干チェンジ
バイザーに隠れる開口部の周りがシルバーからホワイトなった
あれが不評だったのかサンマリノでフェラーリ時代のカラーに戻したけど、マルボロのロゴがヘルメット上周囲部分に入るところも、ロゴの上下の細いラインがマルボロカラーラインからただの黒ラインになった
バイザーに隠れる開口部周囲のシルバーカラーも、全体と同色になって残念だった
結局サンマリノでアライユーザーは終了になったし
レオス〜ショウエイは仕方ないが、ゲ・・ベ(西山平男命名)はアライには信頼感かなりあったと思ったんだが、93にマイナーイタリアンメットにしたのは更に残念 後年のBIEFFEは、アレはシューベルトみたいなもので
当時のフェラーリやベネトンの事実上の指定品というか
チームスポンサー的な立ち位置だったんでは。
ベルと高額の契約を結んでいたとされるシューマッハはおそらく「特例扱い」みたいなもので
アーヴァインの方はフェラーリ在籍中はやっぱりBIEFFE使ってて、
アレジもショウエイが4輪用を完全に止めて以降のベネトン在籍中は一時的にBIEFFE被ってるんで、
「他のメーカーと契約が残っている等の事情があれば拒否はしないが、原則としてBIEFFEを使うように」
という推奨品的なものだったり、BIEFFEを使用する場合にはギャラが割り増しになる的なw
コレ的なのではショウエイが1991〜92年にジョーダンのチームスポンサーに付いてたけど、
ドライブが急に決まって、かつ短期間だったシューマッハとモレノ(アライのロゴ消し仕様)を別としても
モデナは92年シーズンを通じてずっとベル被ってた的な。
今思うと、例えばそこでショウエイに替えてたら大口のパーソナルスポンサーが
ひとつ手に入ったのかもしれないとも思うけど
ベルと長期契約を結んでて替えると違約金が発生しちゃうとか、
93年のチェザリスみたく「大っぴらにロゴ掲出は出来ないけどベルから悪くない金額が貰えてた」
もしくはよっぽどショウエイのヘルメットが上手く相性が合わなかったのか、どれだったんだろうと。 >>299
あれは、ギアボックスの間違いだと思う。放送作家が書き間違えた? >>299
B193Aにセミオートマ、アクティブサス搭載って言ってるし
いまいち情報が行き届いてなかった感 >>308
それは合ってるだろ
ベネトンは開幕からセミATアクティブ搭載だぞ >>309
あれ、そうなの?
GPCAR STORYの93年特集号ではB193Aはハイテクが間に合わなくて
パッシブサスにマニュアルトランスミッションて書いてあるけども。 >>310
GPCAR STORYの93年特集号にはいまいち情報が行き届いてなかったみたいだね >>310
93年のベネトンはシューがストレートでステアリングのボタン押していたよね。アクティブだから車高が上がるはず。 95年にはシムテックすらベネトンからギアボックスの供与を受けてたので
(それゆえ例の閉店セールの時のS95はミッションすらケースだけのドンガラ仕様と
当時のレーシングオンにあった記憶)、
93年のリジェならルノーの采配でウィリアムズから足回りまで来てても不思議なことはないと。 音速の名無しさん (ワッチョイ 6f12-2qZe [39.111.238.74]) >>313
ブラバムBT49C「ハイドロニューマチック・サスペンションならアクティブサスペンションじゃなくても車高変わるんだよね」
ピケ「せやな」 いまもってハイドロリンクシステムの構造が分からない、というのは
まあ本来このスレの話題ではないか。 >>316
たしかに 93ジョーダンがフロントの車高調整だけやってたな >>312
93年の総集編は、イモラでザナルディがリタイアする時も、タンブレロを「パラボリカ」と言っていたり、ミス原稿が多め。 >>318
ティレル020Bにも付いてたそうで、オートスポーツの記事だったはずだが、
チェザリスが鈴鹿で快走してた時には実は自動機構が作動不良起こして
手動制御に切り替えてたという記述があった。
90年代の一般的な純レーシングカーで非アクティブサスの場合は
フロントはグランドエフェクトと車高を重視するために低くロール・ピッチ共比較的ガチガチ、
逆にリアはトラクション確保のためにロール・ピッチ共柔らかく車高も上げ気味にセットして
加減速によるダイブは必要によってジオメトリーで抑制するというのが定石。
ということで1Gやストレート走行中の走行姿勢は空力安定も含め幾らか前下がりになってる。
ただしストレートでは空気抵抗を減らすには車高は高い方が良いし、
リフトしない程度にアンダーパネルの対地角度は水平に近い方が良い。
さらに車体全体の姿勢が本来より後ろに傾くことでウィングの角度を倒したと同じ効果も得られる
…といったわけで、ストレートでフロントの車高上げられるだけで十分に効果が高い訳ですよ。
もちろんフルオートでリアも上がっちゃえば言うことは無いのだけど、
確かパトレーゼのウィリアムズが何かのトラブルでケツ下がっちゃって失速してた記憶が。
ありゃー迎え角付いちゃって危なくて乗れたもんじゃない。 この時代、ベルガーは評価高いドライバーと認知されているが、俺的にはマッサの
足元にも及ばないチープなドライバーと考えている。 鈴鹿F1日本GP30回記念特別番組を観た。
1988年鈴鹿のスタートだけどプロストは明らかにフライングだなw
JS29C >>321
今のレッドブルなんか、レーキがいっぱいついてるもんね。
パトレーゼのは、モンツァじゃなかった? >>320
フランスGPの予選も
3位ブランドル
4位ブランデル
が正しいのに、逆に言ってたしなぁ ベルガーがチープか・・・
確かにマクラーレン加入の90年はカナダのフライングや鈴鹿バナナの皮コースアウトで未勝利、酷すぎたな
86年は本人もお気に入りの超パワフルなベネトンBMWで、地元エステルライヒリンクやモンツァでキレた走りしたり鈴鹿130Rとか、超高速域のテクニックはセナプロマンを上回ってたんだがな
結局ケケみたいに、スタイルとマクラーレンシャシーの相性が悪かったのもあるんでは
ケケと共にウィリアムズなら相性良くてFW11BやFW14なら、チャンピオン争いしたかな >>327
90年の開幕戦で、スロットルペダルとブレーキペダルの間に足が挟まってクラッシュしたのとか、コクピットが狭いって訴えていたのと関係があったのかな。
でも、引退した時に、「今までのベストエンジンは90年のホンダV10。ドライバビリティが秀逸。」って言ってたから、MP4/5Bは、」そんなに嫌いなマシンではなかったのかも。 あの修正だらけのステアリングさばきと固いサスだと一発は速いだろうがレースでタイヤがもたないよ。
ただ卑下するドライバーじゃないと思う。1987鈴鹿、1992アデレード、1997ホッケンハイム、高速コースバンザイ!
ルネ・アルヌーも文句が言えないドライバー
一枚まつがえた 禿乙。ベルガーだけに
しかし、ち○ぽはあんまりだと思うw >>322
マッサンはF1勝利ドライバーの中で
最長未勝利期間記録保持者だから
どんなチームに所属してもたまに勝利するベルガーが
マッサンの足元にも及ばないとか笑止
マッサンはフェラーリでアロンソが勝てるマシンに乗っても勝てず
メルセデスの次に速いウィリアムズに乗っても勝てず
チープの称号はマッサンの方がふさわしい >>327
そもそも近代レーシングカーのコクピット周りやらペダルっていうのは
https://jota-garage.com/stock/st9/F393mugen.html
https://jota-garage.com/stock/st9/_src/10979/dsc03107.jpg
https://jota-garage.com/stock/st10/F395TOYOTA.html
https://jota-garage.com/stock/st10/_src/10558/dsc04293.jpg
少なくとも量産フォーミュラならこんなんで普通らしいので。
服部尚貴もF3000時代のレイナードについて「ブレーキペダルは棒みたいに細いのが標準」って。
細っこい棒状のベースの部分と、場合によっては必要最低限程度の踏板らしきものが付いてるところに
ドライバーの好みに合わせてチームが踏板を後加工で取り付ける的な感じ。
これはF1でもベースの段階は同じでしょ。設計時点では支柱だけ作って2人のドライバーの好みに合わせて
シート合わせの段で踏板部分の位置関係とかを最終加工するって。
とりわけブレーキペダルは右足派と左足派が混在してた時代で、ヒール&トゥするしないとか
(クラッチレスシフト多用派や左足派はしないことが多い)あるから、
小さいままでいいか左側にデカく広げるかとか好みが分かれそう。
画像のF393のオーナーは右足踏み替えを意識してアクセルペダルの端を作ってるし、
395の方はブレーキペダルを中央より左下角に拡大して左でも踏めるようにしてると見える。
元々の基準体格が狭いモノコック(MP4/5Bはセナ/プロ用だったやつの改修型だし)で
辻褄を合わせるみたいなレイアウトのところに座ってたんだと
「爪先ルール」に合うように辻褄合わせるのが精いっぱいで
マクラーレンをして踏板形状をホントの意味で最適化するのは難しかったり、
「うっかり隙間に入っちゃったところで、おっとっととすぐに抜けるほどの余裕が無い」
なんてのは結構あるある展開に見える。
大体この部分の規定最低寸法25×25cmとかで、大してマージン取ってないところに
レーシングシューズの細い爪先入れるんだよ?w そーいえば足元レイアウト絡みでいうと、この時代は誰だったか巨漢系ドライバーで
レーシングシューズの爪先切って履いてた人いたな。
当時はFIA公認の耐火ソックスさえ破れてなければそれで認められたかもしれないとして
今だったら流石にこれは用具検査で弾かれるだろうw
今時はウェアは日本国内ですらヘルメット以外海外製全盛の感があるけど
(契約で無償供給してもらえる場合はともかく、市販品だと日本製は猛烈に高い上に入手性が悪い)、
ハイノーズ全盛期はあの高いノーズに入る足先の血行を確保するために
日本のメーカーの二層構造のレーシングソックスが重宝されていて
スクデリア・フェラーリをして採用していたと当時(F92Aの時期)のカーグラの記事にはあった。
ところで今なお素朴な疑問なのだけど、所謂「爪先ルール」っていうのは
1:踏み込み前のABCペダル踏面及びドライバーの足先基準(←まあ流石にこれは無いか)
2:各ペダル全てを踏み切った(またはワイヤや圧を抜いたペダル構造が奥まで入った)時の位置基準
3:ペダルボックスの前面隔壁そのもの
この3つのうちどれが「確実に車軸中心位置以降に無くてはならない」っていうんだろうと。
さっきのダラーラF393の場合はもう第一バルクヘッド自体が車軸きっちりに来てる感じ。
https://jota-garage.com/stock/st9/_src/10963/dsc03075.jpg
ブレーキやクラッチのマスターは全部ノーズコーン内に追い出されてる。
安全基準がもう一世代進んだ(F3は92年→95年で改正)F395はマスターがモノコックの中。
https://jota-garage.com/stock/st10/_src/10548/dsc04309.jpg
上を通ってる丸棒がステアリングラックだと思うので、ペダルボックスはこれ以上前に出られないし
モノコックが延長されてバルクヘッド自体が1枚増えてる?
逆にそう思って見返すとF393の方はステアリングラックも第一バルクヘッドの外側だ。
整備性だけいえば実によさそー。
しかし逆に考えりゃー爪先ルール前時代のターボF1なんていうのが
どんな恐ろしい車だってのがF3を見て分かるっていうね。 スレに変わりはないですか
読んでもらえぬ長文を
暑さ堪えて書いてます 暑さといえばデイモン・ヒルのメットスカートとか
デヴィッド・クルサードのベンチレーション無しアライ
(例の雨のモナコで曇った件はその点では少しアライを弁護してもいいw
まあでもインディのノウハウか、ベンチレーションや曇り止めでベルの方が一歩進んでたのも確かだが)
とかは大丈夫なもんだったのか気になる。
そして彼らがフサフサであるということは必ずしもメットとハゲの相関関係はry 週末の日本GP、メルセデスのオンボードカメラ映像を観て振動していなくて、全くブレていないことに驚いた。
これだけでもマシンの進化が実感できる。 効いてないアピールあざす
多少なりとも効いているのね >>346
それ、車体の方ももちろん進歩してるんだろうけど
カメラの方の技術にも何か進歩があるという可能性は。
フランソワ・エスノーが付けてたやつはそれこそハンディカムを無理矢理マウントしたようなもの
→ダンフリーズや中嶋が付けてたのはさながら防犯カメラ
(見えてる部分だけで十分デカいが送信ユニットや電源等含めると25kgある)
→それがこのスレの時代の後期には5kgの小翼状のパーツにまとまるようになった、と
数年間で長足の進歩をしてることだし。
確かバブルの頃のホーム用ムービーカメラで手振れ補正機構の載ったのもあったので
その種の技術がモータースポーツレベルの振動でも色々な意味で適切に機能するようになってれば
画質サイドの要求で載せてもおかしいことはないと。 >>977
おぅ、出来るんならやってみ。ネット弁慶卒業すんのか。 中嶋車の防犯カメラかぁ。取り外せばもう少し速く走れたのは確実なんだろうけど、でも87年のレース毎の車載画像の記録が残ってるのはありがたいな、4バールターボのF-1はやっぱ迫力があるわ。 ↓久々ニヤリとしたわw
980 音速の名無しさん (ワッチョイ 6f12-2qZe [39.111.238.74]) sage 2018/10/07(日) 17:26:43.57 ID:DfsbHHMk0
>>977
おぅ、出来るんならやってみ。ネット弁慶卒業すんのか。 >>354
うわ
一日中こんな感じなんだろな
こわー >>351
おぅ、長キチ弁慶以外のキャラも出来るんやで。
一回卒業したろか。 ベルガーとマッサがチームメートならどっちが勝つかな?
ベルガーとアレジはどっちが勝ったのかすらよくんからんけど、、 この前アレジとマッサが仲良く並んで映ってたけどアレジの顔のデカさにビビった
高橋英樹も真っ青って感じ >>353
重量だけの問題だったら多分中嶋シニアは当時のドライバーの中では最軽量クラスで、
マンセルとかベルガーとの体重差を考えればほぼチャラだったとは思うけど、
例えばショックユニットがモノコック上面水平置きになった時代にその上を覆ってたパネルが
TV画像で見たら分からない程度、雑誌写真で見るとほんのちょっと浮いてるってくらいでも
リアウィングへの流れが乱れて修正不可能なくらいのオーバーステアになる、とかいうんだから
空力的にもあのデカくて四角いユニットのせいで滅茶苦茶になってたんでは。
風洞とかCFDとかでチェックしたら物凄い後ろまで乱流がたなびいてそう。
扶桑社のイヤーブックでは「87年は雨の決勝レースが無かった」ということなので、
雨の中を走る中嶋車をカメラのある側から捉えた画像とかも無いのかな。
あれば水しぶきの出方で推測できそうだけど。 当時のカメラの搭載義務ってどんな感じだったの?
レース毎に持ち回りじゃなくて固定のドライバーのみ?
>>363
ロータスが勝手に個別契約だったかな?
中嶋さんもホンダも契約後に知って唖然としたという。
ピーター・ウォーがニヤニヤしながら伝えてきたらしいね。 >>363
1987年の中嶋は全戦?車載カメラを搭載していたかな?
でもセナの車には搭載されていなかったような。 88年はデトロイトだかでグージュルミンが積んでたと思ったがあれはなんだったんだ? >>364
なるほど。中嶋さんはタダでさえ不利なのに大変だったんだな。
>>369
多分、フリー走行の極一部だけ。
>>368
かなり不利だったとは思う。
とはいえ、それがなくても予選結果が大きく変わっていたかはわかりませんがw 1987年はNumber誌の記述では
「カメラ積むとFISA(当時)からギャランティが貰える」っていう年間契約パッケージがあって、
ロータスがその話に乗ってNo.2ドライバーの中嶋の車に付けることにしたって話だったと。
1986年終盤のダンフリーズの時も試験導入のカメラを搭載してたけど、
ロータスってJPSがスポンサーでルノーエンジンだったその当時から既にトップチーム的な基準でいえば
資金的に問題を抱えていたのかと突っ込みたくはなる。
決勝レース中のオンボードカメラ初採用例のフランソワ・エスノー(ルノー)の場合は
そもそもが型落ちマシンで、しかも通常は認められない3台目のマシンとしての出走だったから
もとより単なる「走るカメラマン」としての意味しか無くて、もし間違って入賞したとしても
ポイントの扱いがどうなったかすら疑わしいところだけど。
FISAの依頼であえて出してきたのならドライバーズは認めてもコンストラクターズは無かったことに、かなぁ。
これに関していえば事実上のカメラカー専用車でしかないものを走らせるにあたって、
ドライバー(エスノー)は無償か持ち込みでも乗ったとして、
1レース1台分のコストに見合う費用がFISAや当該レースのオーガナイザーから
支払われたかどうかだってどんなもんだと思うし。ルノーの看板代込みならペイ出来た? ちなみに「トップチームにしちゃ案外カツカツ」の例でいうと
実は1990年のベネトンもそれに属したのだと当時のカーグラの記事にある。
だからナニーニのあの不運な事故の時に、最初は「実績に加えてスポンサーもついてくる」
星野さんにオファーが行ったし、実はモレノが91年のNo.2というのも結構ギリギリの段階まで
保留案件になってた。
御承知の通りで鈴木亜久里にもオファーが行ったりと、「実績+持ち込み」の線を模索したものの
全部不調に終わった結果として91年も引き続きモレノが座れることになったんですと。
キャメルが付いて見栄えからいうとそれまでの芸術的な自社カラーより見劣りするようになったけど、
財政的には背に腹換えられない選択というか、エースがピケでチーフデザイナーがジョン・バーナードという
ある意味3強レベルの人件費(一時的にはロリー・バーンまで並べてチームに抱えてたし)では
そこまでやらないとホントに吹っ飛びかねない状況だったんだろうと。 >>372
1985年時点のレギュレーションを正確には覚えていないのだけど、当時はエントリー台数が26台未満であれば希望するチームは3台目をエントリーできたのでは。アレがルール上特例だったのは、すでに26台のエントリーがあったからのように思える。
特例を認める代わりに、エスノーが予選26位以内に入った場合は27台目の出走を認めることで他チームとの折り合いをつけた気がするがのう。
エスノーが6位以内でゴールしてもポイントは与えられない。理由は1987年のダルマスほかを思い出してくれたまえ。 チイサスギテヨメナーイ!って言ってる分には何だかいうルーペでも買ってくりゃ読めるんだが
長いと読めないのはどうしようもないやね。コバショーさんとかPF先生存命中で
クマさんが仕切っててジャビーがモータースポーツコラム書いてた頃のカーグラとか。
まーこないだのカーグラTVのPF先生追悼回(メモワール編)で
コバショーさんが言ってた話を聞いたらあの独特の持って回った言い回しの理由は
理解出来た気がしたw。基本がイギリス英語の翻訳調なんだなと。
マレー・ウォーカー実況を東北新社に日本語版台本作らせて中村正さんに吹き替えてもらったら
多分あんななるわw
で、その場合ジェイムス・ハントやDr.ジョナサン・パーマーを誰が吹き替えるんだって話にはなるが、
仮にどうせ生放送じゃなくて多少タイムラグのある放映になるんだったら
トップギアみたいなもんでBBC版を吹き替え(副音声:英語)で放映した方が人件費安いかもね。 >>375
そーいえばダルマスと84年のベルガーの件は、1台で登録してるのに
シーズン途中で何故か2台目が出てくるって何てユルい時代なんだって不思議に思ってましたw
予選通過枠に空きがあるとか、各チームの同意とか一定の条件を満たせばOKだったと。
CARTだと3台目はポイントも賞金も認められるけど(例:デビュー当初のポール・トレイシー)
本来ならチームに出走台数や成績割で認められる配分金や議決権が3台目以上は認められない、
という条件になってたというのを思い出しました。
最後のシーズンのエマーソン・フィッティパルディ(ホーガン・ペンスキー)とか
2002年のマイケル・アンドレッティ(チーム・グリーンと自身の共同運営扱い)が
見た目上だけでも別名義にしてたのはそういう理由かとw >>369
90年のも93年のも、予選も決勝もあるよ。
90年のは、コクピット下部からセナのヘルメット(とバイザーの向こうの瞳)を映しているカメラもあった。 横からだが99T限定の話じゃないか?
絶対にフリー走行以外ではセナが搭載を許す筈がないと断言できるロールバー上から撮ってる奴
97Tだか98Tでも同じアングルの車載映像を見たことある 長文キチガイ
ワッチョイ 6f12-2qZe [39.111.238.74] 長いから読めないんじゃなくて、本題と関係ないダラダラした蛇足を省けって言ってるんだけどな >>382
それもあるとして、主に重量が嵩むのはライブ送信用のシステムと
レースディスタンスをもたせる電源ユニットの部分だと思うんで
(あの「防犯カメラ」の部分だけで子供の体重くらいあったら流石に取り付け部分が壊れる)、
エスノー方式をもうちょっと進化させたような小型ビデオカメラ方式で、
「フリー走行程度、もしくはそれこそ1周2周でも採れれば良い程度」という尺だったら
当時でも片手で持てる程度のサイズと重量で可能だったかと。
で、その程度のもの(それこそ民生品でいうHi8とかS-VHSコンパクト的な)を
ロールバー内側に固定する程度なら空力的影響も中嶋車のアレよりは数段小さいし。
モーターランド2とか富士インターF3とかマカオとか、90年前後のF3レースの数少ないTV映像で
競技車両にオンボードカメラを搭載して撮影されたものでも
ロールケージ内側マウントが多いです。当時の車体レイアウト的には
ヘルメットの後流の範囲に収まっちゃうとか、「ロールバーそのものやヘッドレスト部で発生する乱流」
に隠れるので一番影響のない部分だったのではと。
それでもインターF3の時にペドロ・ラミーは「僕の車に付けるっていうならリデルのにも付けろ!」
って要求したそうです。短期間とはいえF1まで行くことが出来た精神力はそういうところかと。
インターF3終了後に、翌年の選択肢の一つとして全日本F3000も有り得るということで
チームルマンのレイナード92Dをテストすることになった時も、
あのロス・チーヴァーに鈴鹿の走り方を熱心に教わって、
130Rまで来た時に「今日はここまで。この先を教えるのは来年ホントに君がチームメイトになってから」
と言われて「その次の高速コーナーが大事なんです!」って必死になって、
ロスが笑ってはぐらかすのに逆に必死だったという逸話(出典:オートスポーツ)まで。
ロスからすれば「ここから先は本当のトップシークレット」ということだったのか
初めて走る鈴鹿で「130Rのホントの走り方」をいきなり試されたら大変な事になるという
彼なりの配慮だったのかは謎。
まあ、実際かのシューマッハ兄をしてF1鈴鹿デビュー戦ではあの高速セクションで吹っ飛んでますし。 >>387
セナのもあるよ
あのアングルのカメラは積んでる車を見るとエルフがらみかな? >>388
セナのモナコ車載あるね。
ジャッキースチュアートのティレルとかとも同じアングルだから、elfがらみってのは正しいかもな。
新品タイヤで流してるだけだから、決勝用に熱入れを済ませたタイヤを作る周限定みたいな感じに見える。 >>363
うろ覚えですが・・
87 中嶋だけ
88 無かったかも??
89、90 全チーム持ち回り
91〜 TOP4チームだけ >>363
ロータスは86年のダンフリーズ伯爵から搭載してるが この年代のF1ネタならば何でもOKだろう。
当時のブラジルやカナダはLive中継してくれたから、今では当たり前に観られる
レコノサンスラップやレース前のドライバーの動きが観られて面白かったわ。
それ以外で生中継してくれたのは、岡山の英田サーキットかな。 エスノーの車に付いてたやつは見るからにハンディカムなのでw、
リアルタイム送信する機能までは付いていなかったと思われるのだけど
(決勝は序盤でクラッチトラブルでリタイヤと記録されてるけど、コース上ではなくて
ピットインリタイヤだったら、実はテープ回収して生放送オンエア中に序盤をサマリーするために
後付けリタイヤ原因を付けただけってのも考えられるし)、
ダンフリーズの86年終盤のは、「翌年から導入しようと思ったライブ送信機能付きが出来上がったから
ピーター(ウォア)、相応のギャラは支払うから付けてくれないか」的な相談がバーニー側からあったか、
実は出来上がり次第先行搭載することまで契約のうちということで、
もう86年時点で「87年からはNo.2ドライバーの車にオンボードを付ける」はサインされてたという線は。
場合によっちゃエスノーのは、TV放映権料の比重が大きくなってきた時代の収益構造を睨んで
早くTV映像に乗せられる形でレース中の映像を、「まるでグランプリマシンに乗ってるようにして見せられる」
というためのシステムを構築したいという、最終的に生中継送信までを見据えた
先行実験の第一歩として「とにかくF1マシンに落っこちないように小型カメラを付けたとして、
それが走行中のGや衝撃に耐えられるのか」を試すためのものだったのかねとか。
この辺の話がホントに資料が無いんで分からない。 >>396
たまに恐ろしく細かい絵描くキチガイの人居るけどあの類
どうでもいい事への執着が異常
完全に病気だけど病院行く必要ない
治らないから 中嶋カメラ前史とかオンボードカメラ史とかがそんな「どうでもいい話」になる?
加えて持ち回りシステム+非装着チームはダミーカメラ装着義務ってなる前の
取り付けたチームの御手当の話とかの裏話系。
逆にいうとレース毎のバージボードの「形状」ならまだしも
セッション毎のパーツシリアルナンバーなんてのもこだわる人は出てくるし、
別に自分がその車買うわけでもなくたって、いつのレースのどのセッションで誰が乗った個体とかも
そりゃー知らなきゃ気の済まない人が出てくる。
鉄ヲタとか航空ヲタとかになるともう物凄いぞw
全編成リストやら、日本登録の民間機(JA登録)なら全部登録/抹消日まで確認出来るような年鑑があったり、
戦闘機のガイド本的なのに至っては、少なくとも全機退役済みの自衛隊機くらいなら
全部履歴と出版時点での現況まで載ってる本とか出てるw
しかし民間機の登録ナンバーリストなんて、それこそ過疎地の役場の原付登録リスト程度の情報量はあるけど
あんなん公開しちまって良いのかとは思うけどなw。
ウチにあるやつ(別にそこまで知りたかったんじゃなくて当時日本の航空会社が使ってる飛行機調べたかっただけ)だと
個人所有機は当たり前だけど「個人所有」だけで流石に名前までは書いてなかったけど、
法人所有機は全然どこの何やってんだか知らないようなところのやつまで書いてたからねw
別にどこぞの小さな会社の社有機なのか、もしくは社長の道楽だけど会社名義にしてるのか分からんようなのまで
会社名出さんでも、商業・事業航空会社の以外は「企業所有」とかで良いんじゃないかというくらいな。 ちなみにモータースポーツ関連でも
例えばちょっと前のカーグラのモタスポページのジャビーのメインコラムとか、
イネス・アイルランド/ロブ・ウォーカー(さらにイネス逝去後にスターリング・モス)の3人で
リレーコラムで回してた「大鏡」みたいな感じなやつとか、さらにはレーシングオンの
ナイジェル・ルーバックのコラムにしたって、
「最新のリザルトだとか主要ニュースなんてのは当該記事を見てもらえばわかる」とばかりに
はっきり言っちゃこういう話だったぞw
今回みたいなやつだったらそれこそ
「あんなチームメイトがセナを支援する役にも立たなくなるようなデカ物を取り付けるなんて
一体なんでピーター・ウォアは首を縦に振ったんだい!」
「そりゃー当たり前だろ?コレが動いたからさ。マクラーレンならまだしもロータスならそっちの方が先に必要さ!」
とかいうような話でコラムが1本書かれるわけよ。
そこから始まり、グランプリマシンなりコンペティションマシンにムービーカメラを付けた歴史なら
そっちの方に行くし、「興行上のメリットのために必要な役割を受け持たせる代償だ何だで金が動いた話」
の方に行けばそっちの方で、コラムというには多少長いくらいの分量になってた。
ま、それを読ませられるのが一流の物書きってもんだがw ムービーカメラ系の話題でいえば、いつだったかのルーバック・コラムは
映画「グラン・プリ」で、カメラカーだとか、前から役者さんの乗るプロップカーを牽引して撮るシーンで
牽引する側のマシンとかをドライブしてたドライバー(確か結構有名な人)が
ナイジェル・ルーバックに語った当時のこぼれ話で一本。
このスレの時代的な話題でいえば、ジャビーズコラムでやってたモータースポーツ逮捕者列伝みたいのあったわw
ハービー・ブラッシュがジャビーに言ったという「あの頃、パドックではもう1つレースが繰り広げられていたよ。
うち(ブラバム)とオニックスの、どっちのオーナーが牢屋にゴールインするかってね。勝ったのは我々だった」
だとか、ディディエ・カルメル→「自称カムストック」とラルースさん共同経営者選べよのやつ、
アンドレア・サセッティと。赤城さんについては「日本の皆さんの方が詳しいだろう」みたいな感じだった。
ああ、そういえば当時のチームロータスの結構偉いクラスの人も
なんかジョン・デロリアン繋がりの何かのトラブルでやっちまってたって話も確かそこにw で、まあw。
このコラムに触れられてた話題ではないけど、
当時は何もJPSがスポンサーから降りる降りないでチームロータスがカツカツだったって話ではなく
そもそもチャップマン最晩年頃からグループ全体の経営状態が左前で、
だからデロリアンとの技術協力で一発当てようとしたり
(で、そーいやデロリアンのエンジン自体がルノーアルピーヌV6系のリアエンジンユニットだ)、
量販クラスのクーペだった「エクセル」(元々あった2代目エリートのクーペ「エクラ」のビッグマイナー版)に
トヨタのパーツ供給してもらって品質向上や量販性を図ることで収益を確保しつつ
引き換えにトヨタへは高性能車の開発技術を供与して、なんてやってたものだ。
他にもポルシェ同様フリーランスの技術コンサルティング・ライセンス会社としての顔も持ってて
(これの窓口はロータス・エンジニアリング)、高級スポーツカー不況の時期を
何とか乗り切れた収益源はポルシェ共々それだと言われているのだけど、
そんな状況ならそりゃ2人目のドライバーをカメラマン役にして代金取れるなら欲しいわなw
ちなみに技術コンサルタント業としてのロータスの最大の収穫は実は
F1では十分な成功を収められなかったアクティブサスで、
そもそもがロータスが商標権関連を押さえてるんで
「ロータスがライセンス供与していないものはアクティブサスと呼べない」とまで当時は言われたもんだけど
今はどうなんだろうね。
あるいは87年通年採用を決めた理由のひとつに、「まるで鏡の上を走っているような映像が取れれば
そのアクティブサスの技術宣伝にもなる」って読みもあったか、というくらい。
そうであれば確かにアクティブ止めた88年は必ずしも無くても良いw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています