いやまあマツダの下請けとはいえムンクラってGr.Cジュニア用の車設計して
ルマンプロジェクトでは結構な成果上がってんですけどね。

モノポスト時代のGCでは事実上のワンメイクというほどの成果を挙げてて、
セルモやR&Dは勝負を挑んだものの、童夢はここで勝負を挑もうともしなかったじゃないですか。

せっかくだからF101改良したところにフルオリジナルのカウル載せて捲土重来というのはあったんでは?

由良さんが久々の完全新設計でMC060EL作ってプレシーズンテストだけで引っ込めた時は
「この時点で他より2秒速ければ続けようと思ったけど、そこまでは行かなかったから止めた」
っていうんで、結局は費用対効果の値踏みとして
「幾ら注ぎ込んででも力技で進めていくっていうんじゃ会社吹っ飛ばしかねない」という大人の判断が先に来たんで
タイムとしては結構良いとこ出てたはずですよ。

で、確かに一見丸っこくて不格好には見えたけど、あの空力パッケージ自体は
例のローラT92&T93-50用のアップデートエアロキットにフィードバックされて
ギルバート・スコットや星野さんの好走に貢献するわけだから顧客満足度とか商業面でいえば
あの判断で成功ですよ。

童夢のF3000は確かF102がイギリスF3000の顧客に1台売れただけ
(ただし目立ったリザルトが残せたとは聞いてない)ですが。
ヒーローズが買ったか借りたかは知らないものの、「無限+ダンロップの組み合わせ以外では
まともに走らない」っていうのを証明しただけで、スイートスポット狭すぎは最後まで解消してないですよね。
他のシャーシは大抵松浦DFV+ブリジストンの方が速いもんだったんですが。

レイナードだってチーヴァーのチート級に速いやつの次くらいに安定して速かったのは
関谷さんが93年にトムスで走らせてた松浦DFV+ブリジストンのじゃなかったです?

あの時期にあのスーパーセットで合わせて全く使い物にならなかったの童夢だけですって。