【WTC】グループA懐かしむスレ【JTC】
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外観はノーマルながら迫力ある走りでサーキットを熱くしたグループA。 連続する12ヶ月間に5000台の生産が義務付け。今の「市販車風プロト」のSGTと異なり、まさに我々が乗っているクルマが戦ってた、それがグループA。 1982年からETC(ヨーロッパツーリングカー選手権)で採用され、日本でも1985年からJTC(全日本ツーリングカー選手権)が開催される。 最終戦インターTECは遠来のワークス来日でおおいに盛り上がった。 1987年には世界選手権(WTC)に格上げ(1年で終了、残念)、WRCもグループA規定になりこちらは永く続き、セリカ、インプレッサ、ランエボが世界チャンピオンに。 WTC終了後もJTCは盛り上がり、R32GT−R登場でその人気は頂点に。 「羊の皮を被った狼」グループAについて語ろう! それだとホンダが出たとか、トヨタ自身もルマンやWRCには出たとかいう理由がまた…。 「西欧で行われるイベントに出ることにメリットが無い」ってことでもなかろうし。 むしろ単純にベンチで回してただけなのか、何らかの実車 (NA時代にはF3000マシンに積むのが定番だったけど、時期によってはF2だったり 出物に恵まれれば中堅チームの中古F1とか、ポルシェみたくGr.Cカーとか)に積んで 走行テストまでこぎつけたのか、なんてのは気になるな。 当時のF3000ならエンジンカウル無いのが普通だし一応カーボンモノコックだったから エンジンベイに積むのは特に問題無いし、当時の直4Gr.Cも米山二郎さんがトムスから買って DFL(後にDFZ)積んだりしてるから、F1級のV型積むのに物理的な問題は無さそう。 同じ1週間後でも、モーターランド2のJTCダイジェストの方が、今のスーパーGT+より楽しみだった。 テレビ局も放映時間も同じ。 ボルボ240ターボのホモロゲ用市販車ってあるの? 調べてもレースマシンしか出てこなくて いまいちわからん >>747 そういえば無いのかな? レースだとリアウイング付いているけどね。 モノコック・シャシーは市販車のホワイトボディを「酸のプール」に浸けて軽量化したっては聞いた事あるな… >>747 普通に2ドアボルボ240ターボって有ったと思ったが…。 確かフロントのサス周りが色々物議有ったのも記憶してる。 レースで羽が付いてるなら羽根つきの公道モデルが有るはずなんだけどね 中身が普通の240ターボと同じ仕様だとして 普通の240ターボそんなに潜在能力高いのか?っていう BMW635CSiのリアスポみたいなもんで純正オプションとして設定はされていた、 って種類のもんじゃないのかな。 240ターボは「ターボ外して売った説」もあったけど、それは仮にあったところで 多分売れ残り処分かなんかの話であって、 ターボ付きで欲しいお客さんとかエアロ付きで欲しいお客さんには 別にその仕様で普通に売ってくれたんじゃないのかと。 地元のライバルメーカーたるサーブが当時普通に、ほぼ全車種にターボ車設定してたんで (900登場後にビッグマイナーされて90と改められて以降の99には無かった記憶)、 ボルボだって上級の7x0系にしかターボを設定しちゃいけない事情もなかろうと。 https://en.wikipedia.org/wiki/Volvo_200_Series 英語版Wikipediaで見たらターボバージョンは ・GLT Turbo ・240T Group A FIA Homologated Turbo って2種類があって、前者は2ドア4ドア両方あり(ただし2ドアは84年までの製造)、 後者が500台エボリューション枠ということの模様。 どっちにしろ日本で知名度が極度に低いのは、2枚もターボモデルも日本に入ってこなかったからでは。 英語版の240T Group A FIA Homologated Turboの説明について慎重に読んだら、 何か「500台作れば売らなくても良いというレギュレーションの穴を利用して、 作った500台からエヴォリューションキットを取り外して(高容量のインタークーラーを保持するために?) サンルーフを付けてアメリカに出荷した」みたいなこと書いてあるな。 ただ、結局その後でアメリカ向けにもレトロフィットバージョンとしてエヴォリューションキットを 付け直したようなことも書いてあるのと、 ボンネットが「フラットノーズ」になっているタイプは欧州マーケット向けにしか出荷されておらず アメリカでは大変に珍重されるとか、「フルバージョンのエボリューションカーは一般には販売されていない」 みたいなことが書いてありますな。 レトロフィットアップデート付きの北米仕様ホモロゲーションターボに 欧州向けのフラットノーズボンネット&グリルセットを付けると機構的には一番近いもの (ただしサンルーフ付き)になる、見た目は欧州仕様のフラットノーズの方が近いけど 内部仕様が違う、ってなわけか。 アメリカ向け仕様にレトロフィットを設定する必要が出た理由ってのは何か FIAが生産車をランダムチェックしたら公認通りの車両がねーじゃねーかコラとかった、みたいな話もw で、ここでいうフラットノーズ&グリル云々ってのはあれかな、 当時はまだ北米は灯火規制絡みで規格形状のライト使わなきゃいけなかったんで それに合わせた仕様のフロント周りに換装してデリバリーしたからと。 今は法律変わったから多分右側通行仕様の異型ランプなら欧州仕様フェイスにしても良いんだろう。 どうせあの頃の強い車はグレーゾーンだらけだ。 でもボルボもジャガーもホールデンもローバーも好きだけどな。 フォードシエラもRSコスワースになる前にショートリリーフ的に走ってた ターボモデルの「XR-4Ti」っていう方は実はヨーロッパでは売ってないばかりか、 フォードバッジ付きで出回った分は無いし。 北米専用仕様としてマーキュリーのディーラーで売った「メルクール・XR4Ti」っていう車種なのだけど 欧州選手権ではシレッとフォード・シエラのバッジ付けて走ってたっていう。 しかしボルボにせよフォードにせよアメリカに輸出したがったのは やっぱり当時市場として一番デカくて捌きやすかったからってことかね。 なお日本には普通のXR4iの方と5ドアのV6だけ来てて案の定大して売れなかったけど、 XR4TiやRSコスワースなんて持って来たら売れたんじゃないかと思った記憶。 ボルボ240ターボだって持ってくれば売れたろうと思うんだけど 当時正規輸入車でガチのホットモデルがなかなか入ってこない傾向にあったのは 日本車同様に運輸省からあれこれあったのかと勘繰りたくもなる。 ちなみにローヴァーSD1の「ヴィテス」は元々普通にあったスポーツバージョンで (ちなみに車自体は当時の英国病絡みで品質的には微妙だったものの、 5ドアボディは好評だったようで、後継の初代レジェンドベースのローバー800シリーズでも レジェンドにはない5ドア仕様と、このヴィテスグレードが1回目のマイナーチェンジで追加される)、 ホールデンのコモドールSSも、オーストラリア人はアメリカ人と並んでV8大好き民族なので 普通にスポーツバージョンとして設定してあったやつの模様。 言ってみれば各々、日本でいえばセドリックのV30ターボブロアムVIP(もしくはHCルーチェのロータリーターボ)と スカイラインの鉄仮面RSターボC(4枚の方)みたいなイメージで捉えて頂ければ的なやつって事です。 だから数捌くのはそれほど難しいこっちゃないと。 「実はその仕様売ってねーじゃん」ネタで思い出したネタもうひとつ。 主な活動時期はFIA-STの時代になるけど、「2リッター/4ドア規定」初期のBTCCは ベース車のGr.A公認を必要としていたので(なので実はXEDOS6≒EN500とか 323F≒アスティナとかもGr.A公認取ってる)、カリーナE≒コロナも同様。 ただ、日本仕様のコロナと欧州仕様のカリーナEは実は微妙に形が違ってて 欧州仕様はカルディナみたいな顔してる。 だからよく見ると日本のJTCCで走ってたコロナってバンパーだけカルディナのやつが付いてる 市販車だと実在しない仕様になってるでしょ。しかも冷静に考えるとあれ、 フロントウィンカーが無いんじゃ?w ピットインとかトラブルの時とかぐらいしか使うことは無いし、後ろだけ付いてりゃ良いのかもしれないけど もしかしたら本来車幅灯である部分が光るように配列を改造してたんだろうか。 記憶はそこそこあっても頭はそんな良くないぞw ローバーは赤池レーシングがTWRから1台購入してシエラに入れ替えるまで使ってて ホールデンも木本正広さんのエルマノスレーシングが、86年のインターTECで ホールデンディーラーチームが使用した車両そのもの(最後に前輪外れたやつではなくて 途中でエンジントラブルで止まったモービルカラーの方)を購入して87年から使った。 なんかホールデンのGr.Aバージョンはデフ無しが標準らしくて(CG誌87年1月号に紹介&試乗記がある)、 だからBOB JANE T-MARTSカラーの方のマシンが前輪外れて片方ゴリゴリ擦ってる状態でも、 荷重の抜けた対角線側の後輪から駆動抜けちゃったりしないで割と普通に走ってこれちゃったわけだ。 聞かれてもないウンチクはどうでも良いから要点だけを簡潔に書いてくれ 頭悪いな って言われてんだよ気付けよ それを言うと便所の落書きだから好きに書かせろと逆ギレして来たんだよなあ 658 カベ|▼▼)つ ◆Fx.QEpOTGw (ワッチョイ c6c1-bmQX) sage 2018/05/04(金) 16:31:26.33 ID:e3MoztXI0 そーいや水彩風に割とガチで描いちゃった絵で キャラミのホームストレートに消火器を持って駆け出す青年を描いたのを見た記憶が…。 まあサスアームが少しずれた角度で跳ねてれば最悪の事態を避けられたのかもしれないけど、 それでも良いとこバリチェロくらい、悪いとハッキネンかヴェンドリンガーくらいの怪我にはなるよ。 この当時のF3000のサイドポンツーンルールは、まー格好良いとは言えないけど 意味はあった訳だなと思った。F3も確か似たようなルールになって 80年代によくあった左右で全然高さが違う形状は認められなくなったんだったと記憶。 しかし、今思うとあのラジエーター入ってない側がカマボコ板みたいに低いあの形状は 空力的には問題なかったのかと非常に疑問ではあった…。 レイナード923/933の何も入ってないのにそびえ立つ壁みたいなやつもどうかとは思ったがw グレース王妃はローバー3500で事故起こしたと聞いていたので、年代からいって SD1のヴァンプラ(エンジンはヴィテスと同じやつ。ただし豪華志向のトップグレードなので装備面が違う) 一つ前の世代のP6系の3500(これもV8)だったと聞いて驚愕した件。 実質的に同一エンジンみたいなもん。 イギリス人は必要にして十分なら延々と使い続ける。 ジャガーのDOHC2弁直6は第二次大戦中に直4DOHCの開発をスタートして6気筒市販バージョンの発売開始が1949年、それを1992年までしれっと売ってた。 V8だとベントレーのも長寿だったと記憶してる。 ローバーのV8も1960-2006だったから、バランスのいいエンジンは半世紀近く生き残るのがイギリスでは普通と言えば普通。 正直、6万と発表された86年雨のインターTECは3分の1が実数だと思う。 インターTECが人気レースになったの88年以降じゃないか? それは88年のワークス全数GTS-R効果を盛り過ぎでないかい? むしろ車種や選手のバラエティからいえばよほど86-87年辺りの方が充実してたんだから そのくらいの観客動員があっておかしいこっちゃないと思う。 86年だって日本勢は各ワークスのエースに国さん(この時は三菱)とか長谷見さん(日産)とかが居て、 海外勢が質量ともに大挙押し寄せて、となってたし 87年は今度迎え撃つ国内ワークス勢にMA70スープラ(まだターボAではない。でもアラン・ジョーンズとジェフ・リース)とか 1台だけ間に合ったスカイラインGTS-R(星野/オロフソン組の初代リコーカー)に加えて 実績のあるR30スカイラインとか国内勢のシエラとかが並んでるところに ワークスの黒いシエラとかシュニッツァーのBMW(世界選手権が掛かってたから当然)とか来たんだから。 その点では最低限WECinJAPANと同等くらいには客を呼べるイベントだったんじゃない? >>769 質問ですみませんが、その頃の日本モータースポーツはどのような状況だったのでしょうか? これから盛り上がる状況でしたか? この前、半袖を出そうと、タンスをさばいてたら、土屋と高橋のTシャツが出てきた。 確か雨が降った鈴鹿で買ったはず。 赤と黒のGTRはアドバンだったか、タイサンだったか。懐かしいな。 >>770 1987年が「モタスポメジャー化元年」と言われた。F1やル・マンの中継開始で。 86年は言わばプレ元年。ホンダエンジンがチャンピオンになったり、日産がル・マンに初出場したり。 国内メジャーシリーズが4になり(F2、GC、耐久、JTC)、徐々に盛り上がってきた。 インターTECは盛り上がってきたグループA、当時飛ぶ取り落とす勢いだったフジテレビ主催と言うことで画期的なイベントだった。 ただ86年は雨で寒く客の入りは悪かったな。 >>771 GT-Rだったら基本的にはエントリー名義が「TAISAN RACING」になった後じゃない? Gr.Cの初期の頃に「アドバン・アルファ・ポルシェ」って言ってた時の「アルファ」ってのも タイサンの製品として販売されてたダイビング用品のブランド名だったそうなので 単にブランド戦略絡みで会社の名前の方を全面に出すことにしたってことだと思うけど。 R30スカイラインの時にもアドバンカラーのがあった覚えはあるけど、 これのチームオーナーとかレースオペレーションとかは記憶にない。 >>773 レスさんくす! そっか、タイサンだったかな。 レースの中盤以降に結構な雨の中で、土屋がカットレインで走っていて、最初は良い順位に居たのに結構滑っていて、ずるずると下がっていき『タイヤ換えろよ〜』って見てたよ。 >>772 貴重な話、ありがとうございます。 盛り上がりは80年代後半からだったのですね。 その頃を生で観たかったです。 >>771 アドバンカラーのR32は、91年が高橋健二/土屋、92,93年が高橋国光/土屋。91年がチームタイサン、 92,93年がチーム国光の名義でエントリー。91年はタイサン自社メンテ、92,93年が事実上ニスモにタイサンがスポンサードする形の体制。 アドバンカラーのR30は87年。和田/健二。アドバンスポーツ東名から。前年のチャンピオンカー(ニスモ車)。 スカイラインGT‐Rは実質メンテはHKS以外はニスモ E/Gや4駆のマネジメントのCPUが門外不出なので HKSだけが自社開発 FETも実は最初自社チューンだったが、ダメだと言うことでニスモに。 FETは豊田系だったから冷遇されてた話を聞いた覚えが…。 結局勝てなかったのFETだけだからね。 92年以降 インパル 7勝 ハセミ 3勝 ニスモ 3勝 オブジェクトT 2勝 チーム国光 1勝 HKS 1勝 >>781 グループA GT-Rは 俺と星野さんの対決だった と大ボラを吹く 詐欺師の土屋圭市 それじゃ結局FETは大枚はたいてGT-Rに買い替えるんじゃなく シエラ使い続けてた方がまだマシだったんじゃないかって話に…。 Gr.A用としての本格的な開発は終息状態にあったとはいうもののDTMとか英国・豪州選手権とか ユーザーの多いレース向けに必要な開発はまだ続けられていたというので GT-Rが苦手とする、例えば初年度にリーボックがリタイヤした筑波とか、 カスタマー勢が熱対策に苦しんだ夏場のレースや海外遠征組のシエラが好走したインターTEC(というか長丁場レース) に特化していけば、排気量換算値ゆえの軽さとか元々の構造の単純さ、信頼性の高さを生かす戦い方は出来たかと。 運用コストの安さ(そもそも車両取得コストの時点でニスモコンプリート仕様R32Gr.Aの約半額で上がる) を逆手に取って、浮いた分をまるまる開発コストに回そうというならまたそれも可能だろうし。 公認縛りのある部分以外を片っ端から手直しして、例えばカスタマーシビックと出光シビックくらい違うものにするくらいやっても 5500万円+年間保守費用のカスタマーGT-Rに比べれば、約2500万円スタートのシエラRS500は 動き出す時点で3千万円投資してもイーブンだと思えば余裕で軽合金削り出しとカーボンと超補強ロールケージの塊からスタートできると。 長坂氏が当時のFETはBSの二番目のチームで勝つためには 自社でエンジンをやれば勝てると思って色々やったけど 壊れまくって駄目だったと後悔していたね MA70を引き継ぐ…JZA70をトヨタに公認だけ取ってもらって走らせる… どっちにしろダメか。 GT-R以外だったらシエラのまんま継続以外の線が無いな。 魔改造シエラでも筑波スペシャル位が関の山かねぇ…。 DTMで撤退したAudiのV8辺り持ち込めたら話題にはなったかしら? 30年も前の話だからね。オレは大好きだったよ。 今のGT500は「市販車風のガワ被ったプロト」でしかないから思い入れわかないね。 やっぱGT3かGTEで選手権やってほしいよ、この時代のように。 「オレのクルマが戦ってる」って思えるじゃん。別にラップタイムがLMP1並になる必要無いんだし。 確かにね。 自分はグループAだけが好きというわけではないけど、「ガワ」が市販車とほぼ変わらないというのは、ユーザーの思い入れも違うよね。 GT3よりも「原形」に近いしね。 GTではなく「ツーリングカー」だし。 しかしFIAスーパーツーリングは日本ではまったくもって盛り上がらなかった件。 今だと「S耐のGT3抜き」をやった方が分かりやすいってなるかね。 ベース車の性能向上分込みでいうとスピード的には昔のGr.Aに近くなってんだろうし。 >>791 あれ好きなんだが、できればCカー版とグループA版なんてあればね。 F1も好き。 >>790 おれはスーパーツーリング好きだったよ。盛り上がったじゃん。 ぱーっと盛り上がってぱーっと散ったな。 そろそろチューニングショップでも当時のグループAくらいの信頼性のマシン作れそうな気がする HKSとかCuscoが音頭とってチューニングカー版Gr.Aやってみてくれないかな >>792 自分も好きで、F1のグランプリカーズは欠かさず買ってある。 ラリーカーズはグループBを中心に。 グループCが出ていなくて、レーシングオンで特集される位なんだよね。 グループAに限らずツーリングカーベースのレーシングカーのを出して、海外のクルマを紹介して欲しい。 何の本に載ってたか思い出せないけど、ボルボのリアウィングについてウォーキンショウが語ってた。 F1の雑誌だと思う。 たしか空力の話の流れで 記者 「そういや貴方の所の車のボルボのリアウイングって効果あったの?」 ウォーキンショウ 「空力的にはあんまり意味無いけど、あのリアウイング馬鹿みたいに売れてウチは儲かったよHAHAHA」 みたいな感じ。 WTCRとGr.Aってどっちのほうが空力強いんだろうか あとGr.Aはラリーのほうがいいなあ Gr.A時代のボルボはエッゲンバーガー→RASモータースポーツだったと記憶してて (エッゲンバーガーは87年にシエラが投入されるとフォード陣営に移っちゃう)、 当時TWRはブリティッシュ・レイランドのジャガーやローバーの方を担当してたんで、 「TWRのボルボ」ってと850ワゴン/セダンでやってたスーパーツーリング時代の方では。 ワゴンの時は純正エアロパッケージ付きのT-5R相当の仕様しか使えなかったと思うけど、 セダン用のあのFIA公認エアロキット用のウィングって市販品があったのかw ムンクラがアコード用のレプリカエアロキット売ってたの思い出した。 近年に1台だけ真っ白いアコードに付けてた(市販品はリアウィングに「MOONCRAFT」ロゴがある) のを見かけて、すげーカッコえぇと思った。白ってのもなんかテストカーみたいで渋いし。 今は亡きステラもBMW318i用の「JTCC風」(BMWモータースポーツ製の本物とは形状は違うオリジナルデザイン) を売ってたことがあるけど、これは中古屋でリアウィング1個単体で見たことしかない。 まあE36系BMW用だったらカスタマー用ってことで普通に買えたんじゃないかとも思うがw エクシヴ用でも買えたりして。 ハチロクはトヨタ系プライベーターには広く普及して長らく重宝してたねぇ。 スパ24時間辺りに至っては凄い長いこと使われてたけど、 アレはAW11なんかも出てたんで公認規則とか有効期限とかが何か違ったのかと。 ただドライバーの慣れという面では扱いやすいのかもしれないけど、 絶対的な速さという面ではサテライト/プライベーターまで含めたシビックに一歩譲る感があったんで、 ワークスや一部有力チームがFXに替えたのは、マーケティング戦略とか人気とかは別として (クルマ自体のセールスやスポーツイメージではやっぱりハチロクの方に分があるし)、 戦闘力からいうとやむなし、というところだったのかしらと。 多分、既出だけど、 インターテックに来ていたボルボ240ターボはTWRで、重いベース車両を軽くする為に「酸」のプールに浸けて「全体」を軽くしたってのを前にレース雑誌の記事で読んだと思う。 ドライバーにもトム・ウォーキンショー入っていたんじゃなかったかな。 850TやRとかは、ベース車両自体がTWR製(チューン)ではなかったかな? AE86は92(レビトレ)との混合の雨の仙台ハイランドでぶっちぎりで86が勝ったの見た事あるから、86より、82や92が速いかは分からない。 確かにグループAの車両クラス的にはFFが適しているみたいだけどね。 >「酸」のプールに浸けて「全体」を軽くした これ、凄いですねw どれくらいの軽量化が出来たのでしょうか? >確かにグループAの車両クラス的にはFFが適しているみたいだけどね。 普通に考えると雨はFFの方が有利ですが、FRで勝ったのは軽さですかね? 酸のプールはパイプフレームになる前の ストックカーでもやった気がする S30系Zの432Rは販売時点で既にその処理がしてあった説が。 おぉ、知らなかった事が続々と…博識さん達、乙です。 パイプフレームつーと917のマグネシウムチューブラーフレームw どうやって溶接したんだろうなあ… (バイクだけどNR500のピストンもマグネシウム総削り出しで加工中によく燃えたとかw) ハチロクの長所ってのは結局のところ、古くから後輪駆動に慣れてる ドライバーにとっての扱いやすさの問題と、 あとは前輪駆動だとどうしても、サスペンションストロークだけでなく操舵によるストレスも受ける ドライブシャフトの負担が大きいということに対して、 「独立サスですらない旧式なリジッド式後輪駆動」のハチロクの場合は 駆動力しか掛からないということで圧倒的に駆動系の信頼性が高いというのに尽きるんじゃないかと。 ここはボルボ240(スウェーデンでは色々積んだりトレーラー類を牽くことも多いので かなり後年までリアサスがリジッドなのは普通。珍しい例では前輪駆動のサーブ9000も 「ティーポ4プロジェクト」のメーカー跨いだ姉妹車で唯一リアサスがリジッド)とか、 スウェーデンと同じ理由で長くリジッドだったホールデン・コモドールとかが 長丁場のレースで高い戦闘力を発揮した理由とも同じ。 86年のインターテックでコモドールの1台が前輪外れたまんま1周してこれたのは あれ、Gr.A仕様はリアデフ無しの直結アクスル仕様が標準だったせいもある。 そうでもなければ猛烈にフロントヘビーな車だから、対角線側の後輪から駆動が抜ける方向にいって デフのリミスリ機構が壊れちゃう。 >>809 脱線するけどスンマセン。 マグネシウム関係だと、昔、ホンダS800のマグネシウムホイールを大事にガレージに保管して別のホイール履いていたけど、 ある日青年がやって来て、そのホイールを譲って下さいと言われたので、要らないモノだと思った父親は言い値で売ってあげた。 本人が帰って来たので、「あの要らないホイールを売ってやって儲かったぞ」とお金を渡されたとか… その売られたマグネシウムホイールの持ち主はあの「違いが分かる男」… しばらく立ち直れなかったっていうアレw 族車みたいなドレスアップをしたクラウンバンを崖から落としたのと並ぶ痛恨事だったと。 マグネシウムは多分酸素に触れなければ良いので チタンとかと一緒で不活性ガス(窒素とか)が充満してる中で加工するんじゃなかったかと。 F-14戦闘機の可変翼のヒンジがチタン製なんで加工に大変な手間が掛かるって話。 第5回 生配信 V-OPT ライブ NISMOから「GT-R」大特集 ttps://www.youtube.com/watch?v=cgX5agsB-pU グループAの話も結構出てた HEY GUYS マグネシュームは酸化し易いので長期保存は難しい。 HONDAのRA-302のモノコックに軽量化の為に多用されていたが 保存が難しいのでコレクションルームに残っているRA-302は アルミのモノコックで作り代えていると聞いた。 COMING SOON。 >>813 むかしの山田英二って まともなレーシングドライバーだったよなww 1985年レースドニッポン PP星野/近藤 R30スカイライン 優勝長坂/茂木 BMW635 BMW635CSiが、この時点ではもう設計古かったはずなのに総合チャンピオンまで獲得したのは 結局んとこ熟成され尽くして信頼性の面で非常に安定していたため、というところですかね。 そういえばオートビューレックが主力をM3に切り替えた後の87年にも 中古売却したのか、依然として最高峰クラス用として運用してたのかは分からないものの まだ走ってた記憶はある。 あと、確か割と近年に現存してるのを目撃した覚えがあるけど、まだ日本にあるんかね。 あの635CSi。 願わくば、日本でのBMWとメルセデスのワークス対決を見てみたかった… よくBMWワークスが出てきたよな 勝って当たり前、負けたら恥なのに >>818 > BMW635CSiが、この時点ではもう設計古かったはずなのに総合チャンピオンまで獲得したのは > 結局んとこ熟成され尽くして信頼性の面で非常に安定していたため、というところですかね。 知らん > そういえばオートビューレックが主力をM3に切り替えた後の87年にも > 中古売却したのか、依然として最高峰クラス用として運用してたのかは分からないものの > まだ走ってた記憶はある。 あっそ > あと、確か割と近年に現存してるのを目撃した覚えがあるけど、まだ日本にあるんかね。 > あの635CSi。 知らん グループAとして最初に公認取った車ってどの車なんだろう… Gr.Bの初期のやつがGr.4からの編入車が多かったっていうのと同じで それまでのGr.3以下とか、生産台数でクリア出来てるGr.4の車種からの 編入組が多かったんでないかな。 BMWの635CSiとかアルファのアルフェッタGTVとかジャガーXJ-S、ローバーSD1ヴィテスみたいに Gr.Aカテゴリが出来る前から存在してて、旧体系のレースに出てた車も少なくないし。 >>747 ボルボ240ターボのホモロゲ用市販車ってあるの? 亀レスですが、FISAの査察を受けた後にホモロゲ部品を取り外して 北米仕様車として売却したとカーマガジンに特集組んで書いてあったよ >>824 つまりホモロゲパーツ付いてる車は一般人は買えなかったってことかな? >>825 本が見当たらないので、断言できませんが販売したとは 書いてはなかったですよ 英語版Wikipediaによれば普通の240GLTターボは2ドアが1981-84年、 4ドアとワゴンは85年初期まで設定があって、 大容量のインタークーラー等を装備した500台のエボリューションモデル 「グループAホモロゲーションターボ」の方が、 北米仕様のボンネットとグリル周りに変更した上でアメリカ向けに出荷されて、 1台だけ向こうで販売した他は全部一旦ボルボ本社に送り返して エボリューションキットを取り外した、みたいなことは書いてあるね。 ただし後にFIAのランダム車両チェックが入ったことで、「仕様通りのエボ」の生産車が 実は1台も無い(一番それに近い仕様で売られたものも北米仕様顔)というのがバレて、 「3週間以内に対応しろ」ってなって、結局慌てて残りの499台も元通りエボリューション仕様に戻して アメリカへ再出荷したとある。 この再出荷の時はもうアメリカでも異型ヘッドライトが認められていた時期のようで、 80年代前半仕様の北米仕様のフロント周り(規格式ヘッドライト義務のため 角型4灯ヘッドライトとデカいグリルの組み合わせ、それに合わせた背の高いボンネットの 『コフィン・ノーズ』」ではなくて、欧州仕様同様の異型ライトと面一グリルで販売されてるとのことで 最初の1台がめちゃくちゃレアな仕様になるわ。 https://en.wikipedia.org/wiki/Volvo_200_Series それにしても再上陸分は「3週間でやれ」と指示された結果、 細かいエボリューションキットはトランクに放り込んだまま アメリカに送って向こうで組み付けた、みたいなことまで書いてあるのを見るに 「こんな仕様売れるわけ無いだろう」って思ったという感じじゃなくて ライバルに対応させる時間をなくして出し抜くための周到な仕込み感も。 760ターボ用のインタークーラーに加えて諸々仕込んだ超スペックの240ターボなんていったら 数だけいえば500台くらいアメリカはもちろん83年(ってとエアロ解禁直後)の 日本に押しつけたって余裕だろう。 ああ、一旦は「生産」はしたんだから「生産車」はあるんだ。 「仕様通りのエボとして出荷ないしは市販された車両」が無い。 後年のFIA-GTの「ロードカーが○台あれば良いルール」なら問題にならなかったり Gr.Sなんかも実際の運用が始まったら出荷や市販を義務付けたかどうかだけど、 Gr.Bの場合をして例えばシトロエンBX 4TCや日産240RSの場合にしても 一応は規定の台数を生産してプライスタグ掲げてそれなりの期間は待ったのに (BX 4TCにしても、そんなに早々にスクラップになった訳ではなくて 事実上Gr.Bカテゴリが終わった後結構経ってもまだ残ってたとする説もある)、 引き合いの無かった分を不良在庫として潰したという方が実際に近いようだし。 「自社のモータースポーツ活動に使う予定の分まで総生産数に含める」は容認されたとして、 流石に例えばアマチュア競技者向けのベース車として(このパターンがメトロ6R4の標準車や240RS) すら一般向け出荷は行いませんって形で200や500っていうんだと 下手するとホモロゲ有効期限中のワークス&サテライトチーム使用分とスペアパーツを 1ロット打っただけっていうんで終わっちゃう。 そうなったらR32GT-RはN1仕様ですらDTMカー並みかそれ以上、 Gr.A仕様だとGr.CかNASCARくらいの性能になっちゃって、 「Gr.Aサーキットレース界のフォードRS200かランチア037」として負の意味で後世に語り継がれるだろうな。 そういうのも考えると、イタリア勢の毎度のお約束の「すみません間に合いませんでした」は まあ仕方ない猶予はやるから最終的に規定の台数を作って出せば許してやるで済んでも、 「実はお客さんが欲しいと言ってもその状態の市販車自体が1台もありません」とか 「一旦作って量産査察を頂いて公認手続きは取ったけど、発表も発売もする前からバラしました」ってのは、 「それは仮にも量産ツーリング/GTとして設定してる系統のカテゴリの意味が無くなるから駄目だ」 てなったんじゃ。 レース車輌と普通の240ターボ2ドアしか画像見たことないんだよね これが500台のエボモデル販売モデルですみたいな画像を そりゃFIAに怒られたあとフルバージョンに仕立て直して送り返したとされる分ですら 499台しか無くて、それが全部アメリカにあったら相当レアだよなと思って画像探してみた。 https://www.touringcartimes.com/2009/03/22/road-cars-of-touring-car-racing-volvo-240-turbo/ ここのサイトで写ってるロードカーは本物なのかレプリカなのか。 「ボルボは500台の2ドアエボリューションモデルを製造したと言っている。だが、その車は厳密には顧客には 前述した大容量のターボや水噴射システムのようなもの(前述:その他にインタークーラーやリアスポイラー)を付けて 販売されなかった」とあるね。 で、その500台の他に23台の検査用車両が「本物のエボリューションスペック」で作られて FISAの検査を受けて公認を取得した後、欧州に送り返されてレーシングカーに仕立て直されたんですと。 そして逃げ切れたと思ったらFISAから「85年の9月から今までに残りの500台は誰に売ったか教えろ」 って照会が来て、最終的にスウェーデン内の23台の所有者しか答えられなかったんでエボの公認BANされた、 とかいうオチまでは書いてあるw そういうことだと「そもそも2ドアの240ターボのロードカー自体が500台しか無くて、 だからターボで2ドアだった時点で「ホモロゲーションターボ」に該当するとも読めるな。 ただ、このサイトの記述の流れだと、85年9月以降にバレて公認取消だと 「87年目前のワークス撤退で示しを付けることで遡っての失格処分は勘弁してもらった」 とかそういう話じゃ済まないくらいの厳罰になると思うと、やっぱり何らか 500台の生産・出荷義務を満たしたと言えるだけの解決策を示す必要はあるけどね。 するとやっぱアメリカのディーラーに部品一式送るかなんかして、 「付けるかどうかはお客様のお好みですがお渡しします」とかにしたのかと。 980 音速の名無しさん (ワッチョイ 6f12-2qZe [39.111.238.74]) sage 2018/10/07(日) 17:26:43.57 ID:DfsbHHMk0 >>977 おぅ、出来るんならやってみ。ネット弁慶卒業すんのか。 「ラリーカーズ」のパルサーGTI-R買いました。 出た当時スカイラインの成功でパルサーの成功も保証されてるものと思ってました。まさかの展開。 87年からWRCもグループAになって日本の時代になると思ってました。 量産ターボ4WDなんて作るメーカーと買う国民なんてバブルニッポンにしかいないでしょうから。 でもドライバーで3年、メイクスで6年ランチアの天下でしたね。デルタHFがほんとに5千台も作られて売られたのか未だにダウトなんですが。 バブリーニッポンでさえ正規輸入無かったですよね? 1985年 ファミリア4WD発売 1987年よりWRC参戦 1986年 セリカGT−FOUR発売 1988年よりWRC参戦 1987年 ギャランVR−4発売 1988年よりWRC参戦 U12ブルーバードアテーサ発売 WRC参戦せず 1989年 レガシイ発売 1990年よりWRC参戦 1990年 パルサーGTI-R参戦 1991年よりWRC参戦 >>832 多分長文さんが張り切って書くかもしれんけどデルタは オートザムと伊太利屋の2ヂィーラーで悪夢を売りさばいていたよ ガレ伊太とオートザムの二社体制になった頃はもうスーパーデルタだから ありゃ2500台に緩和されてて、欧州と日本で捌くのはたやすい状況じゃなかった? 一番最初の8Vがまだ5千台だったから怪しいっちゃー怪しいけど 16V以降は日本でも結構人気出てたし、欧州のお金持ち購入分 (フォード・シエラRSコスワースは2週間だかそこらで5千台売り切れたなんていわれてるし)に ガレ伊太扱い分が加われば何の問題もなかったと。 GTI‐Rは何が失敗したか? 発売当初に思ったのは、 インタークーラーがエンジンの上で(ラジエターやインタークーラーだけで無く)エンジンルームのクーリング大丈夫なのか? だったなあ。 バンパー・グリル・ボンネットのエアインテークに対してアウトレットが少なすぎるなあ… その辺も本に書いてあんのかな? あれスペース無いんならインタークーラーもオイルクーラーも全部ごっそり水冷式 (汎用品としては航空機用の熱交換器があるけど別に専用品作っても良い)にして その分だけラジエーター大容量化すりゃー済んだんじゃないのかと。 舗装路なら上手くやりゃー下から引き抜けるんだけどラリーカーはアンダーガードで塞いじゃいますからね。 GTI-Rは好きだったが、SSS-Rの方が好きだったなw スレチすまん。 取り敢えず、本を読んだけどどこの誰が ダンロップタイヤを日本側の誰が押し付けたか書かれてなかったね 色々政治的な面がありそうなのだろうが知りたかった そーいやスーパーデルタは(市販状態ではダミーだけど) フロントフェンダーサイドにエアアウトレットが付いてる。 競技ではインナーフェンダーとか樹脂蓋の類は外す事が出来るので (モノコックの骨格に追加穴付けて良いかは不明。追加公認取れば可能?) あの手の下準備を周到にやっておけば後で凄く効く。 結局んとこ日産はあの種の競技車両の経験が浅いのに、しっかり研究しないまま 要求仕様だけあれこれ盛り込み過ぎて気が付いたらマンションにトイレが無かったっていう 典型的な日本的設計をやっちゃったパターンなんでは。 流体力学的にいうと…あれ現行ボンゴでケツが猛烈に熱くなるってのと理由が同じでしょw ※ボンゴはバンパー下から吸ってラジエーター水平配置とかいう超レーシーな構造だが 空気の抜け道がねーんだ、アレw 1990年のバブル全盛期には日産はグループC(JSPC、WSPC、ル・マン)、グループA、WRCの3カテゴリーやる余裕があったが、 (実はこれ+この年からNPTIも設立でIMSAワークス参戦)、 この後のバブル崩壊で耐久シフトでWRCは、とある。JSPCとグループAチャンプ取れたからいいじゃんと言う空気も社内に。 ただ本には無いが、91年ル・マン潰したの社内のWRC派の気がする。ラリーは追浜、耐久はプリンスと言う流れで。 でもまあプリンス系のパルサーがラリーカーに選ばれたと言う話はインタビューにあった。 パルサー開発してた野口さんはCカーの開発もやってたが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.4.7 2024/03/31 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる