実際に殴れというわけではないのよ。
気概、気迫、覚悟、迫力etcを発することによって、そもそも馬に舐められずにすむから、
懲戒少なく、愛撫や褒めコトバ、ニンジン主体で扱えるようになる、ということ。

最初から愛撫や褒めコトバ、ニンジン主体でと考えると、そういう良い行動の出現頻度が低くなり、
褒めるわけにはいかない、でも言うこと聞かないし・・・で、
ついつい、「弱い懲戒を日常的に」使うようになりがち。これは体罰に鈍感にする手続なのね。
また、馬と人の強弱が安定しないから、いつまでも改善しない。
馬に乗る人は動物好きで優しい人が多く、全般に気迫不足に思える。「何々ちゃん、乗せてね」みたいな。
でも、馬は「強い支配者を愛する」動物なんでね。

「言うこと聞くか、肉か、どっちだ、選べ」という迫力、責任感(ど初心者を卒業したら「騎乗即調教」の意識を持ちたい)、
「簡単に肉はさせないぞ、殴ってでもいい馬にするんだ」という覚悟があれば、
無用で半端な懲戒をしないですむ。
武道の達人は実際にはそれを使わずに済むみたいなもの。
技だけでなく、いざとなったら人を殺す覚悟 「も」 要るでしょ。

乗っている時以外含めて、人をわざと試すひそかな抵抗に敏感になること、最初は小さい抵抗にも強い懲戒を与えて反抗心の根本を打破すること、
同時に、対立行動分化強化(拮抗条件付けとか、両立不可行動強化とかとも)やら、
望ましい行動の頻度を上げる前提作り(張っているなら作業前にフリーで走らせるとか、餌の調整とか、下馬で草食わせに散歩して親和の確保とか)
といった個別の要素技術はあるんだけど、大前提たる迫力がないとダメなの。