最近、離れた厩舎のシェットランドポニーを馬場に連れて行くのに、鞍ナシで無口で路上を乗っている。
馬がこのぐらい小さくなると、たとえば対向車を避けるのに横の土手に登ったり降りたりする時、
乗り手が相当に頑張って重心を移してやらないと怖がるし、よろけたりする。小格馬にも同じ傾向があるわけだ。

偉大なアンキーと、同じぐらい偉大なリズ・ハーテル(ハルテル、Liz Hartel)の姿勢を比べてみると興味深い。頭ひとつぶん、前後が違うよ。
リズ・ハーテルは、ポリオによる下肢麻痺があるにもかかわらず、1952/1956五輪の銀メダリスト、
よって初めての馬術における女性メダリストであり、障害者乗馬の始祖(のひとり)でもある。
この人までは古典的な乗り方なのが確認できる(馬は大きく長いタイプなので、遊佐&峰盛に似る)。
アンキーはむろん、15歳年下のクリムケもすで競技的だ。
古典をやっている人でも「ロングレーン調教」著者のフィリップ・カールは後傾が強い。
このあたりが、ソミュールとスペイン乗馬学校との、レベルの差(来日組を比較する限り、ソミュールの上手がスペインの一番下手ぐらい)をもたらしている原因かもしれないし、
平均的な馬格の差による結果なのかもしれない。
スペイン人は、リピッツァーナーを「なんだあの馬車馬」とけなしたりする。
リピッツァナーは色と馬格が揃うこと、落ち着きあり歩樣もよいけれど、
たしかにスペイン王立馬(アンダルシアンのもっと良い奴)に比べると平尻でトモのボリュームが足りないが、それを補うには古典的に乗る必要があるのかもしれない。

結論としては、
このどちらも、すぐれて「馬場馬術的」な座りであろう、よって、「馬場馬術的」の度合いを推し量るのに「座りだけ」重視するのはどうよ?
と思うのでありました。

だれかこんな長文読むか知らん?