新文科相・柴山 「教育勅語は、アレンジして道徳教育に使える」
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1538518333/


初入閣の柴山文科相、教育勅語“普遍性持つ部分ある” TBS NEWS
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3488405.html

初入閣した柴山昌彦文部科学大臣は就任会見で、戦前の教育で使われた教育勅語について、
「アレンジした形で、今の道徳などに使える分野があり、普遍性を持っている部分がある」
などと述べました。
「(教育勅語を)アレンジをした形で、今の例えば道徳等に使うことができる分野は、
私は十分にあるという意味では、普遍性を持っている部分が見て取れる」(柴山昌彦文科相)
柴山大臣はさらに、「同胞を大事にするなどの基本的な内容について現代的にアレンジして
教えていこうという動きがあり、検討に値する」とも話しました。

教育勅語については、政府が去年、教材として使うことを否定しない内容の答弁書を閣議決定し、
野党や研究者らが「戦前回帰だ」などと批判していました。


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★教育勅語とは―――「お前ら一般国民は天皇と上級国民のために死ね」

教育勅語はどこがダメか - 読む・考える・書く
http://vergil.hateblo.jp/entry/20140507/1399469208
だが、教育勅語においては、これらの「まっとうな」徳目は、例えてみれば毒薬を包む糖衣のようなものでしかない。
教育勅語が何としても「臣民」の頭に植え付けたかったのは、これらの徳目の最後に置かれた
「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」なのだ。
お上がいったん戦争を始めたら、それがどのような戦争であれ、
天皇(を頂点に頂く支配階級)の利益のために命を投げ出して戦え、ということだ。
これに先立つ11項目は、これを「まっとうなこと」と錯覚させるために置かれていると言ってもいい。
もちろん、自民党をはじめとする極右勢力が教育勅語を復活させたがるのも、
この最後の「徳目」があればこそのことだ。