>>694
「浄化」なんて宗教的なエゴイズムであって、
そんな考えがあれば精神的な葛藤しか起こさない。

浄化は、キチガイの素である。

「浄化」するものなんて一切ないのだ。
「浄化」なんてこという人は、まったく不正直な人であり、偽善者なのである。

もし欲深いのなら「必要ではないこと」をいつまでも繰り返しやっていることに気づくことであり、
正直な人は、ごくごく自然に、「必要ではない行為」を求めなくなる。

修行もなければ浄化するものもない、
そうやって、他のことに曲げないことである。修行だの浄化だのそれこそが不正直な行為なのである。

「浄化」するものがあるというその考えがまったくないことが
宗教的問題の解決だ。

「正直さ」だけが必要なのである。