結局のところ、給付制や無利子奨学金に「見苦しいほど、拘る人」は、どちらかというと貧困層に近い中流層で、
国立はまだしも、私立となれば文系でも家庭の資力が不安視される層といえる。
ならば、一度社会に出て「金を貯めてから進学する」という「当たり前の常識すら」
「企業が新卒としては雇ってくれない」などと ありえない妄想を並び立てて拒否しようとする。

この発想は「卑しすぎる」のではないのかな、そもそも初等中等教育(義務教育、高校)とは異なり、
「高等教育」は自身の立身目的の側面が強い、それが証拠にここでも「やれ、就職が不利になる」等々の良い訳しか出てきて居ない。

生涯学習を例に挙げるまでもなく、この国では資格に直結する一部の大学以外は「基本的には有資格者には入学の門戸を開いている」。
よく、定年後の大学あるいは大学院の門を叩く人はいる。この人たちは「自身の栄華や就職のこと」を考えているといえるのだろうか?

結局、将来的に「学費が上がり、親の資産だけではもはや大学進学が難しくなる」ような、
しかも「大学や自治体などが支給する無償や給付制の奨学手段に該当しない」ようなレベル(高レベルなら当然、こちらの制度を使える)
の人間が、それでも「大学行って、ホワイトカラーとして大企業や官庁に就職したい」という

己の栄華を果たすためだけ に言っているにすぎない。
そんな、自分勝手な人間の欲求を満たすだけのためなら、給付制や無利子の奨学制度は必要ないな