じいちゃんが写植屋だった。
幼い頃から事務所に出入りし、もくもくと写植を打ち込むじいちゃんを見ていた。
「おまえもやってみるか」と言われ教えられた通り打ってみた。暫くたって自分が打った文字が本の表紙になっているのを見せられ感動した。
「僕も大きくなったら写植屋になる」と言うとじいちゃんは目を細めてうなずいていた。

中学生になるとそんなことはもう忘れていた。むしろ地味な下請け自営を、産業の底辺だと思い込み嫌悪するようになり
じいちゃんの薄暗い事務所を訪ねることももう無くなった。
勉強はそこそこ出来たほうなのでそれなりの大学に進み、公務員試験にさほど苦労もなく合格。世間的には順風満帆の人生だろう。

実家をでて地方公務員として平凡な毎日を過ごしていたある日、親から電話があった。「じいちゃんが死んだ…」
写植の仕事はもう何年も前にリタイヤして闘病生活だったという。

葬儀の準備ためじいちゃんの家へ行く。自宅敷地内のあの懐かしい事務所も外から見るとずいぶん鄙びていた。
ドアを開けると驚いた。外観とは裏腹に室内はすぐにでも仕事ができそうなほど整頓されていた。写植機も磨き上げられたかのように輝いている。
室内にばあちゃんがひっそりと座っていた。
「じいちゃんはね、あんたに写植の仕事やらしてあげるんだってね、仕事やめてもいつもここをキレイにしてたんだよ。あれを見んしゃい」
そういって壁にかかっている額を指さした。ある文字が打たれた印画紙が飾られてあった。これは、そう、
私がじいちゃんに教わりながら打って、本の表紙になったあの時の印画紙だった。自宅からそう遠くないのに会いに行かなくなった自分を悔み、泣いた。

今、私はある決心を込めこのスレを立てる。公務員をやめて写植屋になるのだ。
時代遅れの商売であることは承知である。だからこそ求められるニーズもあるはずと考える。
公務員は誰でも成り手があるが、時代遅れの写植屋は私がやらねば灯火を絶つのではないかという使命感を感じた。
多少生活レベルが下がろうとも私はじいちゃんの遺志を継ぎたい。