>>57-58
自己保存本能=性欲を奪うべきじゃないとかいったら去勢はもちろん選択繁殖もできず自然交配に任せるしかなくなるね。
犬のためとかいうならそもそも品種作ること自体おかしいじゃんって。
そして品種保存は愛好家の価値観であって動物福祉とは関係ないどころか真逆の発想。

普通軽トラを使った運動というのは四隅から伸ばした棒に繋ぐなどして互いが接触できないよう配慮されてる。
一時的な接触、とくに思考がお互い(他犬)でなく別の欲求(運動)に向けられたような状況ならば、
口が届く距離にあっても気が逸らされるのかもしれないが、少なくとも常時同居させるようなことは不可能。
このまま闘争欲求が強化されていけばそういう例外的な合同運動もできなくなる。

群れというか檻で隔てられながらも本能的にある種の順位制を築くことはあるらしい。
曰く、古株ほど偉くて、運動させる順番を間違えると犬達から抗議されるとかなんとか。
だから彼らにもカニスルプスとしての仲間を欲しがる欲求は存在するんだけど、人に植え付けられた闘争欲求のせいでそれを満たせない。
健全なコミュニケーションとしてのケンカできず、諍いは即ち死闘になってしまうのだからな。
犬である限り一生このジレンマに苦しみ続けることになる。
闘犬種はその品種特性を持って生まれる限り不幸な存在でありつづける。
よって、犬自身のことを考えれば闘犬種など絶滅させるほかない。
絶滅しても犬自身は何も苦しまないのだから。

犬という動物がオオカミから捻じ曲げられた存在だから、健康を害すような極端な改造までしてもよいことにはならない。
なるだけ健全な姿に近づけようというのが現代の良識。
繰り返すが、品種にしろ闘犬にしろ、残さなければならないというのは愛好家の価値観にすぎない。なくなって困るのは連中だけ。
闘犬が血まみれになってきたから、ブルドッグが10年も生きない姿になったから、だから彼らは子孫を残せたのだ、なんて詭弁も甚だしい。
野生動物の種の保存なんかとは全然違う問題なんだよ。

土佐をプルドッグに改良しようが、ブアブールの運動性能を高めようが、たどり着くのは限りなく近い存在でしょう。
だったら生きてるだけで不幸な存在を使う必要はない。
あなたはブアブールを飼いましょう。まず飼える家を持ちましょう。