朝鮮人の諸活動の中で文化活動、そのうちの美術活動、つまり解放5年の在日朝鮮人の美術活動を整理すると。
朝鮮人当時の各文献とともに「在日朝鮮美術家画集」(1962年1月1日発行、編集者白玲、発行者金昌徳、発行所在日本朝鮮文学芸術家同盟美術部)、
「在日コリアン美術の軌跡」(李繻M朝鮮大学校教育学部美術科助教授)などを参考に現時点での所見を記してみる。
留学生が主体
解放後初めて出た「在日朝鮮美術家画集」(在日朝鮮人歴史研究所所蔵)
解放以前の在日朝鮮人の美術活動は、主に日本に留学に来て学んだ人たちが中心であったと思える。

帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)に多くの朝鮮人学生が学び、太平洋美術学校、川端画学校などで美術を学び研鑽したものも少なくなく、
43年の在東京美術協会第6回展の資料には会員が300人を超えたという。
彼らは帰国して、日本帝国主義に追随した画家活動あるいはプロレタリア文学活動を展開するか筆を折るか、
または日本で制作に励んだ。
解放直後、多くの在日同胞は帰国したが、朝鮮半島の複雑な状況を反映してそのまま南で活動するもの、
「北に行き活動するもの、そして日本に在留したものなどとなった。」

さて、朝鮮人の文化方針と日本にいた同胞画家たちの活動ぶりはどうであったか。
解放直後の強力な同胞組織であった朝聯は、文化活動方針をある程度明確に謳っている。
例えば、朝聯第4回全体大会決議では、日本帝国主義残滓の掃蕩、封建主義残滓の清算、国粋主義の排撃、民主主義民族文化の建設、朝鮮文化の国際文化との提携を明記し、
「在日朝鮮人文化運動もこの一翼を担当していると強調している。」

解放後初めて出た「在日朝鮮美術家画集」(在日朝鮮人歴史研究所所蔵)
その中身は、1、民主主義民族文化理論樹立のための活動。わが古文化、新古文献の収集、調査研究、発表普及、継承の活動を続けなければならない、(朝鮮文化が上)
2、文化大衆化のための活動、(日本文化の失墜、エログロゲイ化)
3、文化交流のための活動、(上記を広め)
4、生活文化のための活動、(一般民衆に広め)
5、文化人組織と文化団体に対する指導活動(組織的行動)(朝聯中央時報47年10月31日)である。