金沢って本来は藝術とはおよそ掛け離れた地域なんだけどねえ。
実は長い藩政期の間、賀前田家にとって金沢の民衆というのは奴隷そのものだったんだよね。
奴隷だから祭や民謡みたいな人間らしい営為は必要無ということで、禁止されてたわけ。
神様に祈ったり収穫に感謝したり、日々の想いを歌に託したりすることができなかったわけ。
藝術的な行為の源泉というのは、こういった部分にあると思うんだよね。
悲しいかな金沢にはこれが欠落してんのよ。
冷静に金沢の人を観察すれば判るけど彼らには物事の美醜や、
さらには善悪を判断する物差しが完全に欠けているんだよ。
異常に思えるだろうけど、これが金沢の真実です。