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是銀(これぎん)こと是川銀蔵は、明治30年貧乏な家庭に生まれ、小学校を卒業すると奉公に出されました。
相場や事業で何度も成功しますが、そのたびに昭和恐慌や戦争で無一文となる波乱万丈の人生をおくります。
大阪中ノ島図書館に3年間通いつめ、独自の相場哲学を完成させます。
晩年、株式投機に専念し、日本セメントや同和鉱業の仕手筋として活躍しました。
全国的に有名になったのは、住友金属鉱山の菱刈金山の発見(世界一高品位の金山で精錬コストが安価)を材料にした大相場。この儲けで一躍、長者番付日本一に踊りでて「最後の相場師」として話題を呼びます。
この年に数百億円を稼いだといわれましたが、当時の株のキャピタルゲイン課税は累進課税で手取りは少なかったようです。その後相場にも失敗し、1992年に95歳で亡くなったとき約24億円の株の借金があり、遺族は相続放棄を行いました。
最期は、財産を残しませんでしたが、同氏が設立した是川財団は、奨学金を支給する慈善事業を行っています。