アルさんの考え方でいくと、
支配することも支配されることも全部ふくめて知らないことを知るって素晴らしい、
となると思う。確かにそうだ、ちょっと考えなおしてみた。

支配者といっても、それには色んなレベルがある、色んなタイプがいる。

恐らく誰もが、何かの支配者であると言っていい。

幽白の最終巻にこんなセリフがある。
玄海があまりに強くなった幽助にかける名言の前半だ。

「人は自分の気分次第で壊せるものをそれぞれ持ってる
おもちゃだったりペットだったり恋人だったり家庭だったり国だったりする」

たとえば自分はペットを飼っているが、
確かに自分はペットの支配者だ。

手術で生殖能力を奪って、
同族との交流や、移動を制限している。
そう書くとひどいことをしているな、と思う。

もちろんエサをあげて環境を整えて、
愛情をかけて、とても仲良しのつもりではあるが、
それはそれ、これはこれだ。

責任を引き受ける、ということと支配者になる、
ということはかなり重なる部分があるように思う。

自分は両親のいる子供の立場だが、
親というのは子どもにとって多くの場合支配者だ。

子どもに逆らわれたときの親の常套句は例えば
「誰のおかげで大きくなったと思っている」
「親を敬うのは当然だ、嫌なら出ていけ」

あー思い出すだけでwww でも
それは子どもサイドにも支配を受け入れる
ガラクタの思考パターンがあるから成立する脅しだ。
「守られ、愛され、認められていたい」とか
「返さなくてはならない恩や、借りがある」とかそういうものだ。

自分が支配するものであることも、
自分が支配されるものであることも、

どちらも、認め、許し、手放すことで越えていける。

まずは心を変える、すると行動が変わる、だんだん関係性が変わっていく。

身近で小さな環を完全性へ近づけていくことで、
大きな環にもそれは伝わっていく。

それが次元が上昇していくってことなんじゃないでしょうか。