さあ、サリマンについてだ。


堕落、堕天、闇落ちってなんなのか。

それは道の途中で歩みを止めてしまうってことじゃないかな。

サリマンは車椅子に座っている。ずっと座りっぱなしだ。
温室から出てこないこと、ヒンが道案内の能力を持つことから、

サリマンは自分の足、というか 足が象徴する力 を自分から切り離してしまっている。

それは、先へ進んでいく力、前へ前へと歩いていく力 を失っているってことだ。



たとえば
自分はこのスレで神秘について語っているけど、
それはハウルの動く城の読み解きの体裁をとっていること、
誰でもタダで見られるネットで、匿名で無償だから、セーフだ。
自分にとってもありがたい、重要な勉強になっている。

ただ、もし誉められて調子にのって、実名で本を出したり、人を集めたり、
そんな話で名誉やお金を得ようとかするとアウトだ。

道を歩いていくペースは人それぞれでいい。
休憩も寄り道も、必要なことがある。

ただ・・・、人より優位に立てる知見を得たからといって、
それを使って他人と関係性を築いてはいけない。
それは深刻な依存と精神の汚染の温床だ。

スピリチュアルを求めるジプシー達にぶら下がられて
堕落するマスターを見たことがある。自分の師と言える人だった。
とても素晴らしい人だったのに、一時はまるでカルトの教祖だった。
ジプシーたちは救いを求めて彼の一言一句に注意を注ぐ、
彼は注目される気持ちよさに溺れて、次々に神秘を語る。
だんだんと依存と、彼のエゴの噴出がはじまって、
始めは素晴らしかったスパイラルが汚染されて、
まさに、堕落だと思った。
この件は自分にとっても何年も続くトラウマになった。

他者に道を説くことが課題のマスターもいるだろうが、
そういう人は、人に説くことの何倍でも、
自分自身も道を進んでいなくてはならないと思う。

自分は覚ったとか、解脱したとか、
自分こそ師だからついてこい、という人を
あなたの師に選んではいけない。それは支配者だ。

できればモノを作っている人とか、
音楽や武道など、なにか身体的な技術を追求している人を師として、
そのメソッドを通じながら、道を歩んでいくといい。
(作ってるフリ、できるフリの人もいるから、そこはよくよく見極めてほしい)

言葉足りないから、解らないポイントは聞いてほしい。
とりまここまで。