昭和37年2月6日、ロバート・ケネディ法務長官の講演会が大隈講堂で行われた。しかし演説が始まると、
反対派学生たちが暴徒と化し、凄まじい怒号や野次でケネディ氏の声がかき消されてしまった。おまけに
原因不明の停電まで起きる始末で講堂内は大混乱。電気がついてもなお収集がつかず、ケネディ氏もな
す術なく立往生。事態は最悪であった。

そのとき、学生席にいた応援部旗手・長沢慎治は思っていた。「こんな状態のままケネディさんを帰しては
いけない…」。

そして、壇上に上がるチャンスを得ると、学生に向かって大声を張り上げた。「早稲田ーッ、大学ーッ、校歌ー!」。

両手を広げた長沢の指揮に大多数の学生は「待ってました」とばかりに大合唱で応えた。一部学生の心な
い振舞いに対する溜めこんでいた怒りが、一気に爆発したのだ。左翼学生も次第にこれに同調。3番まで
歌い終わるころには、野次は一つもなくなっていた。そして、万雷の拍手が大隈講堂を包み、騒動は一件
落着したのである。

その後の移動の飛行機では、「早稲田、早稲田…」のフレーズを上機嫌で口ずさむケネディ氏の姿があったという。