俺は文芸部の副部長をやっているんだが、その顧問の先生が親戚っていうのもあって、親しくさせてもらってる。
その顧問の先生の友達に、まぁ金持ちというか、高級住宅に住んでる人がいて、
その人が随分な考古学好きで、色んな資料を蒐集してるらしくて、同じく考古学が好きな顧問も会ってみないかっていうらしい
うちの顧問は早稲田の文学部で考古学コースを取っていたらしいので、話が合う人を紹介しようとしてくれたらしかった。
そのついでに、社会科見学紛いな感じで俺も連れてってくれた。
その時に見た地蔵について話そうと思う
奈良時代。聖武天皇が、国中に寺を立てて、大仏作りを奨励したっていうのは、学校で習ったかと思うんだが
当時の大仏の作り方って結構過酷で、作る過程で死んだ人なんかも出たらしい。
例えば、大仏の材料の銅とかを溶かす溶鉱炉に落ちて····。とか。
ドロドロに溶けた銅や鉄の中に落ちて、体が溶かされる。
そうやって死んだ人が何人か出てたらしいんだけど。
まさか死体が入った材料で大仏を作る訳にも行かないし、かといって死体の部分を取り除いた鉄塊をそのまま捨てたりするのも罰当たりだから
そう言った鉄や銅の塊は、寺や坊さんに頼んで、然るべき対処をした後に供養するのが当時の風習だったらしい。
とはいえ、鉄塊に埋もれたままっていうのも死者にとっては浮かばれないだろうし····。っていうので、ある時から、その死体の含まれた銅や鉄で〝地蔵〟を作るっていうのがあったらしい。
その地蔵は昔、「尺骨奉地蔵」と呼ばれていたらしい。
見た目は普通の鉄製や銅製の地蔵と変わらないんだが、普通のお地蔵さんと違って、背中に正方形の箱を背負ってる。
0022本当にあった怖い名無し2023/04/16(日) 23:14:17.63ID:tMhBKGmC0
いうてあんだけの民族を長年
形だけでも纏めあげてるんだから優秀だろ
侵犯してても戦争しとらんし
アメカスブリカス露助わーくにより余程良い