0002名無しが氏んでも代わりはいるもの2021/06/25(金) 23:20:01.28ID:dgmGHe1r
乙
0004名無しが氏んでも代わりはいるもの2021/06/26(土) 01:10:14.16ID:JR4Gz47a
あげ
自分とファンとの関係性までも「コントロール」しようとする映画作家など映画100年の歴史の中でも庵野秀明ただ一人だろう。
近代的イメージの天才たち。ギフテッド、無から有を作り出す者たち。庵野はそうした天才では明らかにない。しかし彼は高度資本主義消費社会に特化した才能を得た。
それがコピーの才能であり(自身にとって快楽的な映像をコピーし、ろ過した上でペーストしてファンに提供できる才能)
ビジネスマンとしてのコスト意識であり(予算規模と自身の能力とを的確に計算し、〈出来ること/出来ないこと〉の線引きが明確なことーモルモット吉田)
組織を理解し組織を信じ組織を最大限活用することであり
製作だけでなく、宣伝や版権管理までも手がけることであり
映画作家で世界で唯一といっていいファンとの関係性をコントロールすることに意識的であることである。
この中で最も重要なのはファンとの関係性をコントロールする高度資本主義消費社会に特化した才能だろう。すなわちファンとの関係性を生産し、ファンとの関係性を消費するという才能。ここからなぜ庵野作品はエヴァにしてもシン・ゴジラにしてもあれほどの熱狂と議論と考察が渦巻くのかが理解されるだろう。
庵野秀明は従来の映画作家たちでは到底ありえない能力、組織と商売を理解する能力。関係性を生産し消費するという構造自体を生み出す高度資本主義消費社会に特化した才能を得たのである。
そしてなにより恐ろしいのは映画制作と製作、音響、宣伝、版権管理、経営。そしてファンとの関係まで自分に関わる物事のすべてをコントールしなければ気がすまないコントロールマニアックなところであろう。
彼は近代的な意味での天才ではなく、近代以後の資本主義社会が生み出した複合的な意味での天才といっていい。
庵野秀明の特殊性はそうした複合的な才能を活かし、差異と意味と関係性の生産と消費のウロボロス構造を自らの中に作り上げた点にある。それを「天才」といってしまうと逆に矮小化することになるかもしれない。
0012名無しが氏んでも代わりはいるもの2021/07/07(水) 01:05:50.34ID:/lHAjBhr
面白スレ本スレ
0013名無しが氏んでも代わりはいるもの2021/07/09(金) 17:41:21.02ID:X45iBUAL
いや、面白い映画だとは思う
長いのに何度も見たくなるし、その割に飽きないし
ただ同時に、すごく出来の粗い作品だとも思っている
申し訳ないけど良いか悪いかで言ったら間違いない悪いです
自分はもう切り替えてる
ストーリーの補完なり、過去の未リメイクエピソードなりを中心にした一本で終わる映画を作ってほしい
14年間の話でも、過去の別ループでもなんでもいいが、
綾波エンドとアスカエンドをそれぞれ作ってくれればみんな幸せになれるだろう
庵野はもうスペシャルバイザーにしておこう
エヴァは終わりだって言ってんだろ
声優も高齢化してるし無理
旧劇を砂糖で煮詰めて100倍に薄めたような映画でした