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同一八年一月、第二回統合を実施し、東部の二社=周桑自動車(バス一〇台・壬生川〜松山線など)と
宇摩自動車(二台・川之江〜誓松線)=を一七万六、二一四円で買収し、本格的に陸上輸送に転換、
本社を尾道より今治に移転し、現社名に改称した。
同年六月、第三回統合を実施し新居浜地区の二社=東新自動車交通組合(バス一三台・山根、中萩線など)
と新居自動車交通組合(八台・西条市役所〜元塚線)=を四三万六、六四〇円で買収統合、
東予地区のバス運行を統括した。

 路線の拡大
 市内線六、朝倉線など郊外線七、合計五九q余のキロ数の営業開始は昭和一八年九月二八日である。
次いで同一九年三月には湯谷口など一〇の郊外線が開業し、統合で吸収合併した会社の旧路線も相次いで開業した。
中でも二一年一一月には今治〜新居浜線、同月伊予鉄バスと松山線(桜三里経由)の相互乗り入れ協定を締結し、
中予地区への路線網を拡大し、翌年、小松及び壬生川〜松山間が実現した。
さらに三四年には今治〜松山の海岸線の直行便も開業・運行を開始した。
また、同年一二月、国鉄バスとの相互乗り入れ協定により新居浜〜阿波池田間六六q、三往復運行が始まり定期路線が初めて県外まで拡大した。
それに先がけて二九年には四国霊場巡拝バス第一号が出発し貸切部門も順調に成長・発展、
三六年一二月、新居浜市営バスとの運輸協定を締結し、四〇年一〇月同バスを買収統合し現在に至っている。