>>488
このように昭和初期には今治地方のバス事業は各種運輸業者による乱立状態となり、国鉄開通時期とは異なった形で、
業者間の競争が新しい路線の運行となって展開された。
これらバス事業と共にこの時期にはタクシー会社の設立が相次ぎ、バス・タクシー・鉄道間で激しい客の奪い合いとなった。
しかし、日中戦争(昭和一二年)以来資材の窮乏と国家の要請に従い、
一五年には今治・昭和・文化・常盤の各自動車会社と富士・朝日・日之出・城南・港の各タクシー会社の計九社が合同して今治合同タクシーを設立した。
さらに一七年には鉄道省および県当局の統合指令により今治地区のバス事業五社を瀬戸内商船が買収する形で統合を進めた。
一八年一月には第二回統合により周桑自動車・宇摩自動車を吸収し、
同年六月の第三回統合で新居浜地区の東新自動車と新居自動車を買収し、東予地方のバス事業は瀬戸内運輸に統合されていった。
なお、一八年一月に会社商号を瀬戸内運輸鰍ニ改称し、同年四月に本社を尾道市から今治市に移転した。
統合当時の路線は二〇で、バス五三台を保有していた。