昔の東武バスを語ろうよ!3
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>>734
>>735
ありがとうございます。探してみます。 >>728
草加駅−浦和駅
国立公文書館 デジタルアーカイブで見たところ、上記路線の免許申請書類が閲覧できた。
昭和26年頃の申請で、相互乗入(西武・東武)の内容だった。
西武が浦和−鳩ヶ谷、東武が鳩ヶ谷−草加を既存運転していたところから、
浦和−草加直通運転が目的で相互乗入の申請をしたらしい。
申請内容から当時全線40円、西武・東武それぞれ1日3回。
これが昭和40年代まで続いたと思われる。 >>734
>拠点としての池袋を死守していれば今頃は。。。
いや・・・
もし城北乗合を国際興業ではなく東武が引き継いだとしたら
熊野町循環や日大病院を持っていた訳で意味はあるが
川越街道を遠路はるばる行った先での池袋だから撤退はやむを得ない。
ここら辺が東急が渋谷を持っているのとはちょっと違う訳。
それに東武が撤退した結果川越街道を独占した国際興業も直進する路線は儲かってるようには見えない。
同じような時期に東武は浅草からも手を引いている。浅草も千住方面からの行きつく先だったからね。 >>738
確かに有楽町線が池袋から営団成増まで延伸したときは、
国際興業は大打撃喰らいましたからね。
更に2年後埼京線開通でも大打撃を受ける。
ただ、綾瀬駅−六ッ木都住・八潮駅だけが朝日へ移管している理由がわからない。
東武バスエリアなのに、この路線だけ朝日なのか? 池袋にオレンジ色のだるまポール一本残しとけば…って話なんだけどね。
こういう所で東武の社風が激しく出ていると思う。「辞める時は綺麗さっぱり」池袋といえどもね。
で、だるまポールが大化けして、池袋を拠点に東武の高速バスが!となりそうな時代が来たのだけれど、ここでまた社風が出た。
「コケるつもりでやっては見るよ?」
「やっては見たが本当にコケた」
新宿日光鬼怒川線なんかがそうだね。
必死にバス部門を店仕舞いしようとしているのに、下手に高速に活路を見出されては巧くなかったのだろう。 >>740
はるかぜ(コミバス)路線になっていたのかぁ。
はるかぜは平成12年位から運行開始だったはず。
当時やってた東武が、綾瀬駅−六ッ木都住線が対象になって、東武が名乗り出なかったのね。
わざわざ、越谷から来るのも面倒だろうな。朝日も。 >>741
池袋にポールを残しておけば、池袋〜群馬方面の高速バスは東武単独で
運行できたんだよな。
ポールがなくても、東武の敷地内にバス停作る分には文句なかったんだろうけど
誰がどう考えたって、デパートの店舗にして化粧品でも売っていた方が
もうかるわけだし 東武の群馬エリアでは伊香保経由で四万くらいじゃないかな、高速出して客乗りそうなのは。
本当なら沼田辺りは都市間需要があってしかるべきだけど前橋ですら・・・ 単純に関越が都心まで直接繋がってないから、時間が掛かりすぎて需要が見込めないだけでは
でも不思議なのは前橋も宇都宮も高速バスは微妙なのに、水戸だけは本数多いよね >>746
免許維持的路線を残してポールを維持していた西武が、
関越と首都高が外環挟んで直結する前から
新潟などあちこちに高速バスをだしているわけだが。
前橋・宇都宮に比べて水戸方面の高速バスが多いのは、新幹線がないからかも。
在来線特急相手だったら高速バスは所要時間でもそこそこ対抗できるけど
新幹線だと所要時間は太刀打ち出来ない。 高速バスに乗る客層っていうのは国鉄時代急行列車に乗るべき客が殆ど。
それなりの設備とほどほどの料金、フリーケンシーな本数と需要。
対都市間需要では急行あかぎ≦なすの<<<ときわ<アルプス
という感じ。
その次に>>747が指摘する新幹線の存在が出てくる。
ただ新幹線料金を払うとなると急行より割高になってちょくちょく乗れないので
本当にかぶるかどうかは未知数だと思う。
あと宇都宮や高崎・前橋は割合普通列車も充実していたので時間かかってもいい客は普通列車で移動していた。 >>747
免許維持的路線と言っても昔は宿20もまともな本数あったからなあ
そう言えば東武単独群馬路線だと下落合とか練馬駅とかには停まれないんだな
こりゃ不便だ 路線バスを維持しているから高速バスを運行できるとするなら西武の場合宿20もだが
練45の貢献が大きいと思われる。
ただ東武の場合その理屈では関越道に直接つながる目白通りに路線域を持てないので
川越街道を北上し成増に停めたと仮定して和光陸橋から環八に出て谷原に出るか、
外環の側道あるいは笹目通りから東上線近くの道を整備してもらった上で和光から乗るか。
ただ関越交通がやっているように下落合駅は無理としても練馬区役所なら止められるはず。
バスベイを区で整備した公共物とするなら構内権や排他的な占有権が発生する訳じゃないですし。
そもそも東武は箱根山戦争の時代でも西武とは直接対立していない。
野心のなさが上手い逃げ道を作ったようなもの。
もし西武がエリアガーって言う事があったとしたら西武と友好的だった上信電鉄を巻き込めば解決。
まぁ全部俺の妄想だけどね(笑)。 >>750
>バスベイを区で整備した公共物とするなら構内権や排他的な占有権が発生する訳じゃないですし
路線権とすれば生じるんだよ
そもそも路上の停留所なら私道でない限り国や地方公共団体が整備したものだろ?
公有地に乗り入れたり私有地確保すればそこに停留所作って自由に運行できるなら端から一般路線の存在関係ないわけだしな
>もし西武がエリアガーって言う事があったとしたら西武と友好的だった上信電鉄を巻き込めば解決
おいおい単独でって話なんだぜ
組むなら西武そのものでいいだろうよ 都心〜群馬方面の高速バスといえば、
新宿・練馬→関越道→本庄・伊勢崎
がJRバスがやってるけど、新宿じゃなく池袋起点なら、
東武がやっててもいい感じがする。 >>752日本中央バスが新宿〜高崎・前橋を運行していたような気がする。
板橋区にも営業所があるし。 >>738-739
国際興業さんに限らず、都市の路線バスは新規の鉄道路線開業で衰退する運命に
あるんだよね。国際興業さんは平成なってからも埼玉高速鉄道開業で路線再編
してるし、東武さんでもニューシャトルや最近ではつくばエクスプレスの開業
時に路線再編してるしさ。ニューシャトルが未開通なら、今頃、上尾駅〜
伊奈役場線は今の朝日さんの久喜菖蒲線並の本数が設定されてたりして。
また、伊奈地区も東武バスで継続だったのかも。 >>754
最後はどうかな
菖蒲の移管は森林公園同様に東武バスの分社化決定後だけらな
この2つは最初から運転手の希望退職数が多ければ移管するという予定だったし 尾久に昔の東武バスの写真がかなり上がってますね
柏営業所
千2い1178
千2こ・・43
千2こ・・70
千2こ・・81
千2こ・・82
千2こ・112
千2こ・114
千2こ・115
習志野22を・・35
習志野22を・113
習志野22を・115
習志野22を・129
習志野22を・489
千2こナンバーは1968〜1970年しか使ってないからこの間の新車か 野田営業所
習志野2え・・13
習志野22を・114
習志野22を・119
習志野22を・192
習志野22を・210
習志野22を・296 社番2932
習志野22を・492
習志野22を・522
茨22あ1050 中禅寺営業所
栃2い1894 社番5062
栃2い2030 社番5160
栃2い2235
栃2い2237 社番5394 川越営業所
埼2い3190 社番5512
埼2い3191
埼2い3192
埼22い・・32
埼22い・・33
埼22い・・34 社番5511 沼田営業所
群2い3194
群2い3225
群2い3737 社番5097
群2い4214
群22あ・219
群22あ・368
中之条
群馬22あ・・77 社番5075 今年で34になる俺だが、子どもの頃、菖蒲に住んでよ。当時、父・母と列車乗ってどこか
行くときは白岡までバスだったが、前扉の窓が4枚のバスが来ると嬉しかったな。もう少し
新しい型だと、前扉の窓が連続だったっけ? このスレのみんなも昔、前扉の窓が4枚の
バスに当たると嬉しかったかな? 東武鉄道は昔からの組合が強くて、バスも直営だった。
北関東から撤退したあと、残る地区を分社化して東武バスにすることも反対していた。
組合が言うことを聞かなかったので、埼玉の北部を朝日、川越観光、国際十王に移管しはじめて、最終的に全部移管すると会社が組合に言ったら、子会社の東武バスになる条件を飲んだとか。
もし、バスが日光を含めて、子会社に移管されていたら「東武バス」は過去のものになっていた。 正確には会社が東武バスが無くすつもりだと名言したわけではなく、組合が会社の意図に「気付いた」から
会社が名言してていたらとんでもないストライキが起きていた可能性がある 東武が北関東も東武バスにやらせていたら、東武バス群馬、東武バス栃木、東武バス茨城、あるいは一社で東武バス北関東になっていたかもしれないな。 一般家庭に自家用車が普及するのがあと30年遅かったら。とかかなり無理な前提を設定すれば東武北関東2(3?)県分社はあったかもな。
つーか、東武って地域愛に根ざすものが皆無に近いよな。偶々ビジネスやってんのが北関東ってだけで。 そもそも地域愛があれば北関東からそもそも撤退しないだろうが… 東武に地域愛あるとしたら日光だけだと思うよ
北関東で唯一東武バスが残ってるのが日光だし
群馬なんかはもう鉄道もイヤイヤやってるようなもんでしょ >>769 群馬から東武バスが完全撤退することが決定したあとも、自社の路線バスと鉄道の東武伊勢崎線が接続しないバスのダイヤでやっていたから、地域愛はないな。
足利市駅で改札を出て、東武バスで両毛線の足利駅に行こうとしたら、ロータリーから出て行くバスの後ろ姿。
あと五分発車を遅らせれば、一時間に一本の準急Aの上りと下りからのお客が乗れた。
本社に苦情を入れたら、バスの発車を3分送らせた。
桐生天神町〜東足利の末期ですでに、足利東武駅〜東足利の運転で1日数えるほどしかバスがなかった。
足利東武駅〜桐生天神町も日中一時間に2本はあったかも知れない時代。 首都圏から離れて久しいんだが、昔池袋西口って東武の路線バスが走ってたよな?
今池袋西口の東武路線バス(高速とか深夜バスじゃなく)って無くなっちゃったの? >>773
池袋に東武バスが来てたって、40年前にはすでに無くなってたんじゃないか?
あっさり撤退しちゃったから、後に高速バスが流行りだした時に
池袋発着の東武の高速バスを設定できず、日光・鬼怒川方面の高速バスが
新宿発で要町までしか近付けなかった。
東武線の特急列車がJR新宿駅まで直通するようになって、そのバスも廃止になったけどな。
池袋までのバス路線の免許を維持していたら、池袋〜群馬方面の高速バスを
東武単独で運行できたのにね。 そうだっけかな。東上線がクリーム色してて、JRが発足して山手線がステンレス車に変わる頃、昭和60年前後だったと思う
駅を降りると青の東武、緑の国際興業、その中間くらいの色の西武バスが走ってたよ
自分は国際興業バスに乗ってたので池袋駅発の東武バスに乗った事は無かったが… 戦後東武で池袋発着路線は元々、池袋駅東口−川越(市)駅、池袋駅南口−志木立教学院、池袋駅東口−竹間沢、池袋駅東口−成増駅と池袋駅−グラントハイツ(光が丘のあたりのアメリカ空軍の家族宿舎)
くらいじゃなかったかな。
末期は池袋駅−グラントハイツが分割され、
池41東武百貨店−練馬車庫
池42練馬車庫−グラントハイツ
実質池41が池袋発着の最後の東武バスではないかと。
昭和48年位に系統番号付いて数年でこの路線も消滅。
池袋から撤退したと思われる。
練馬車庫(出張所)は昭和53年8月31日廃止。(国際興業の練馬車庫あたり) >>774
関東バスと共同運行なのに池袋に入れなかったってのがよく分からんのよね
国際興業が拒否する理由もないし
富士急が東京の業者として新宿から長野県内へ高速バス走らせてるんだから
東武が池袋から高速バス出しても何も問題ないと思うんだがなあ
曲がりなりにも隣の区までは路線バスが来てるんだし
>>775
完全な思い違い
西武バスが西口に乗り入れたことないから >>777
関東バスの池袋乗り入れは国際と相互だし関東の一存で東武を乗り入れさせるのは難しかったんじゃね?と言っておく。
東武がヤル気があればその位のハードルは何とかすると思うが、そもそも北関東撤退は既定路線と思われ今更対群馬の高速路線を作る気は無かっただろう。 >>777
当時幼稚園児だったし、思い違いかな?
ただ池袋で東武、西武、国際興業の3色の路線バスが同じ視界に入ってた記憶は明瞭なんだよなぁ http://www.city.misato.lg.jp/6259.htm
ページの真ん中辺りにある東武バス。
これはBU?形式名がわかりませぬ。
非常口が真ん中にあるのね。 >>780-781
大昔の都営バスが白地に青帯だったから
それと勘違いしてたのかもよ。
濃い青色の東武に比べて、都営バスの青は物凄く淡い水色って感じだけど >>781
青白の時代だったよ
Wikipediaの「1970年代の塗色」とか紹介されている奴だけど1970年代に自分は生まれていない
水色ではなかったし、池袋が地元の母親が東武バスだと言っていたので都バスの間違いではないと思う >>784
むかし東武バス豊島出張所があって川越街道を走っていた。
当時、池袋にも乗り入れていましたよ。
1974年頃出張所が閉所になり撤退しました。 >>784
でも駅を降りると青の東武、緑の国際興業、その中間くらいの色の西武バスが走ってたというのは有り得ないんだよ
路線車の貸切でもない限り そしたらバス停があったわけじゃなくて通りがかったバスだったのかな
降りた駅は池袋で間違いないけど西口じゃなかったとか 池袋西口に西武バスは入ってこない
東武が東口に乗り入れていた記録はあるが青白塗装のずっと前の話
東武が練馬営業所を撤退する時には縞々塗装の大半が青白に塗り替えられていたはずだが
その頃には西口(南口)発着だけが残っていたので西武を含めた3社が顔をそろえることはなかった 東武バスの池袋東口ー立教学院バスは実際に見てます。 今のBIC本店からYAMADAアウトレット館
までの一画に映画館数並んでいた頃で、BIC本店隣のビル(地下に土風炉)の前から出ていました。
アウトレットの前からは国際興業の千川行が出ていて。
池袋西口に西武バス というのはン十年生きてますが確かに見たことがありません。
ところで、東武バスの桐生ー東京駅路線のルートをご存知の方居ませんか? >>792
大さっぱに言えば東京駅八重洲口〜日本橋〜後楽園〜巣鴨〜浦和〜大宮〜熊谷〜太田〜桐生〜桐生天神町
こまかい経由地や停留所、休憩場所などは自分もわかりません >>793
>>794
有難うございました。 リンク先のページ、凄いINFOばかりですね! この東京駅・桐生線のルート、
東武博物館まで出かけて直接確認してみようか とも考えていたので非常に助かりました。 >>794のリンク先のデータだけど国道17号戸田橋〜県庁裏〜桜木町〜宮原一丁目は戦後まもなくには開通しているので
浦33と被るのは確かに宮原一丁目以北になるんだけど
昭和37年に現在の17号、宮原一丁目〜吉野町インター〜上尾市役所〜現在の鴻巣警察〜の間が完成している
その時点で鴻巣までは旧中仙道は経由しなくなったので浦33や大51との重複はないはずなんだがその後も鴻巣ではわざわざ駅入口に寄っていたのだろうか?
熊谷の休憩場所は駅横の操車場なのか?それとも妻沼方面の乗り場に着けた状態で開放していたのか? >>792
池袋駅南口−志木立教学院は国際興業もあったような。
共管路線だったのかな?
あと長距離急行バスは東京−野田・下妻・境方面は昭和42年3月20日廃止
東京−桐生は昭和47年7月26日廃止(46年8月9日から休止状態)
>>795
東武博物館の図書室って友の会会員じゃないと入れないのではなかったっけ?
東武の社史見ると昭和40年5月1日 池袋発着便を東口から西口に変更
と記載有。(西口変更=東武百貨店になったのかな) >>797
志木立教行ですが、私の記憶では東武だけだったです(1961−66くらい)ただ、発車待ちをしている
バスを早朝目撃しただけですから、他の時間帯に国際興業バスが動いていた可能性は否定できませんね。
乗車場にある時刻表を一度見たことが有って、一日あたりの本数がやたらと少ないことに子供ながら驚いた
記憶があります。
それと東武バスの池袋発着・東口から西口変更の件、東武デパートも変更理由かとは思われますが、
池袋ショッピングパーク(ISP)が完成したことによって、それまで東武バスが使用していた島式発着場が
消失したことも大きいのではないかと。 大昔現在のヤマダ日本総本店の正面前に3本の島式発着場
(この呼称で正しいでしょうか)が存在しており、都バス・東武バスが使っていました。 現在、ISPの
地下駐車場に向かう入り口の辺りです) >>798
その頃は都電も走っていましたからね。
「よみがえる東京」という書籍に白黒ですが、その頃の池袋駅前(東口)の写真が載ってます。
「昭和40年代バス浪漫時代」という書籍に、カラー写真で昭和41年池袋駅西口での
東武バス写真が載っています。(前面表示幕が池袋駅南口東武百貨店)
昭和39年に発行された、「全国バス路線便覧(昭和38年3月31日現在)」という書籍があるのですが、
そこには、池袋駅東口−志木立教学院は東武バスが運行回数が1日10回、
池袋駅南口−志木立教学院が国際興業バスが運行回数が1日10回と掲載されています。
東武が東口で国際が南口(西口)のようです。
ただ、国際は池袋駅−志木駅も当時あったようですが、志木駅行きは池袋駅東口発だったようです。
その書籍上の東武バス池袋駅発着路線は川越・志木立教学院・成増・グラントハイツ(光が丘あたり)
の4路線が掲載されてました。
その後、西口起終点変更されたようですね。 >>799
そう、都電も動いていた時代です。 お教えいただいた2冊、早速チェックしてみることにします。 「池袋駅南口」という表示、
と言いますか、南口というのは大昔に目白駅側に存在した高架道の出口付近を指しているんですよね 今は余り使われなくなって
しまった呼称、懐かしいです。 その南口から国際の志木立教行が出ていたとなれば、私が見かけなかったのも当然ということにw
ひとつ分からないのは、その「南口」のどのポイントがバスの発着点だったのか?と。 現在だとみずほ銀行からESOLAに通じている
車道のどこか、ということになるのでしょうか? 昭和39年であれば、既にバラック街は撤去されており、現在と概ね同じ街・道の
造作だったと記憶しています。 今の芸術劇場・池袋西口公園は一面の野原で、大きなバッタが取れたりしましたw >>800
youtubeに
昭和29年「池袋」 駅前、ヤミ市、映画館、ガード、商店
という動画がありました。
静止画を連続させた動画ですが、
池袋駅東口のバス乗り場の雰囲気は伝わりました。 >>801
そうです。画像にも残されてますね。西武側は西武百貨店の確か2Fに改札が有りました。
この昭和38年の方の画像、今のBICカメラ本店の前辺りの車道に白くて長いバスが2台、
そのちょっと先にも2台見えているようです。私が>>797で触れた島式発着場が在った
エリアはISPを作るための工事中であることが見て取れます。
>>802
凄いものがw 0:54辺りで観れる映像(左上にシルヴァーナ・マンガーノと書かれた
看板)、これが今のBICカメラ本店前付近となります。中央の電信柱(産婦人科)の
右側に白くて丸いものが〜これがバスの発着場のポールです。1:06で観れる映像も
大体同じ箇所ですね グリーン系のバスは国際? 3:28の左下に見えているのが島式
発着場です。 >>803
グリーン系のバスは国際?
→ボンネットの都バスじゃないですかね?
(その横の黄色オレンジ系のバスと手前の木に半分隠れた軍用バスっぽいのも気になる)
薄緑系と灰系のツートンで細めのオレンジラインが2本入っていて、
2本のライン間に「東京都」と書かれてると思います。
また、昭和末期の東武東上線みたいなセイジクリーム塗装の都バスもあったようです。
「昭和30年代バス黄金時代」という写真集(書籍)を参考に。
東武バスもグラントハイツ行きのバス写真が載ってます。
池袋のこの時代だと都電もそうですが、トロリーバスもいたと思います。 >>804
都営無軌条電車池袋駅 - 千駄ヶ谷四丁目間開業は翌年の6月だよ
実際には昭和29年だけじゃないような気もするが >>804
確かにボンネットバスですね キャプチュアして拡大してみたところ、確かに
東京都と読めるような。バスの車体カラーリングの件になると、未だ勉強中
ですので何とも・・ ところで拡大して気づきましたが、池袋東急という
ロードショー館の入り口上に上映中の映画の看板が有り、そこに「巨像の道」
とあります。この映画、日本公開が1954年8月らしいので、画像の撮影日も
1954年の夏〜 ということになりますか。 >>800
池袋東武百貨店は後に隣接する東横百貨店を買収し増床するのはご存知と思いますが
増床前の東武百貨店は現在の南半分と別館として現在も東武百貨店から空中通路でつながっているみずほ銀行のあるビル
(現在も東武百貨店の所有で事務所棟として使用)になります。
東武バスの指す南口は東口の西武バスがそうであったように百貨店行という表現になり実質西口です。
国際興業が北口から出て行ったのと分ける為のようですが・・・。 >>807
>東武の社史見ると昭和40年5月1日 池袋発着便を東口から西口に変更
で、池袋東横が東武に譲渡されたのは1964年6月1日
>池袋東武百貨店は後に隣接する東横百貨店を買収し増床する
は間違い
誤 増床前の東武百貨店は現在の南半分と
正 増床前の東武百貨店は現在の本館の南半分と
誤 現在も東武百貨店の所有で事務所棟として使用
正 現在も東武鉄道の所有で事務所棟として使用 >>798
今、バス浪漫時代を見ております。国際の2枚の次ページに東武バス登場w
確かに行く先表示が「池袋駅南口東武百貨店」とありますね 車内の乗客が
見て取れますから、駅前ロータリーを回って降車させるポイントへ向かう
ところを撮影したものでしょうね となると、今のビックカメラ西口店前辺り
とか、またはその裏手とかに発着ポイントが存在したのかもしれません。
この時代確かにこの辺りを歩いているのですが、どうもバス発着点ポイント
が曖昧なんです。
>>807
東横から東武へ という切り替わりなのですが、大昔に祖母・父から聞いた話
では、そもそも西口には東横しかない というのが了解で、それが東武百貨店
というのが建設される と聞いて皆びっくりした と。東横はどうなるんだ?と
いうわけですw その話に絡むかどうか、PCに残しておいた池袋駅西口の画像へ
のリンクを。当時在った店舗やらが確認できます。これ、どこから入手したのか
記憶がないのですが、オリジナルは、恐らく1962年以前に作成されたものか?と。
右端上部に「東武バス営業所」がありますね
https://imgur.com/a/DXfcwb8 >>809
1078-1と書いてあるのが東武事務館だけどその近くに最近まであった一品香があるなあw
あとはのとやくらいしか分からん >>796さんのレスで「浦33」が出ていますが、この系統、懐かしいです。最盛期は
大宮〜鴻巣の系統もあったぐらいなのに、現在、高崎線沿いを行くバス路線は
コミュニティバスを除けば、大51しか残ってないですね。「浦33」は減便を
繰り返して、10年以上前、ついに廃止になってしまいましたね。それにしても、
さいたま新都心駅〜中山道〜大宮駅間だけが形を変えてとは言え、再び増便し
たときには驚きました。 >>811
旧大宮市の統計資料で「統計季報」に載っていた情報ですが、
戦後だと、大宮−熊谷・大宮−行田があったようです。
浦和発着便は一時上尾車庫より北上し桶川まで行ってたのですが、上尾車庫まで戻る。
大宮発着便も行田から北本まで短縮され、廃止。
埼玉県内に系統番号が付き始めた頃(昭和48年?)、熊谷駅−鴻巣駅入口・上尾車庫(熊08系統)
というのもあったようでですが、その後新島車庫−熊谷駅−鴻巣駅になり、
最後は朝日に移管され、4年前に廃止された桶川駅−鴻巣駅(免許センター)
廃止前は朝と夜の2便だけだった記憶があります。 今は免許維持路線と化した王30
昭和の終わり頃は都営バスと1時間に3〜4本は運行していたな。
定時運行がダメだったと聞いたけど、定時運行できないのは環七から亀有駅に行く曲がり角と
北区神谷町から環七に合流するところで渋滞に巻き込まれるからだよね。
西新井駅と北綾瀬駅の間は徒歩で50分。存続に向けて足立区ともう少し協議してほしかった。 分社化の際に退職者が多くて菖蒲・森林は朝日に移管されたわけだけど、
1年分社化が遅れてたらどこが移管されたんだろう。吉川とか坂戸あたりかな
でもあのまま労組が折れなかったら足立や西柏、川越含め全て朝日化してたのかね? 今も東武バスで残っている路線はほとんどが住宅・団地路線になっちったね。
その中で今でも都市間路線が多いのは川越。上尾は今も東武バスのエリアだけど、
東松山・桶川・鴻巣なんて周りは朝日カラーのバスばっかり。昔は全部東武バスだったのにな >>814
噂では森林公園の次は西上尾が川観に移管される予定だったという噂を聞いたことがある
上尾駅東口の路線を朝日に移管したり前兆はあった >>816 上尾が川越観光になってたら北本.桶川の路線もそっちに移ってたんだろうな
それにしても毎日森林公園から20キロ近く何台も回送してるのは滑稽だね
川観は鶴ヶ島の西武文理にしても小川町の循環にしてもエリア広すぎだわ 川観は東武バスの移管予定がなくなったもんだから、上尾市内循環とか和光市内循環を東武バスウエストに押し付けてきたからなw >>818 和光市についてはもともと東武鉄道で受け持ってて、川越観光に移管したと思ったら
また東武バスに戻ったもんな。
まあ今も川観だったら森林公園から40キロくらい回送するんかもなw 和光市内循環は元々川越観光の川越営業所管轄
森林公園移管以降は川越営業所はなくなったんで東武バス新座営業所に車両を泊めてた
上尾市内循環も西上尾に停泊してた 訂正
上尾市内循環は東松山営業所管轄→森林公園移管以降は西上尾停泊 >>820 その場合運転士も現地出退勤なのかな?
西上尾なんて今でも敷地が広いんだから桶川・北本路線の車置いとけば良いのにな
地域が違うけど朝日越谷の足立区はるかぜも八潮車庫に車置いておくんだってね 法律で出勤退勤の点呼は運行管理者の元でとらないとならないので、森林公園から車で行ってたみたいですよ
上尾駅はともかく、北本駅なんかは西上尾からでも10kmぐらいあるので
森林公園から車で向かう手間を考えると森林公園から持って行った方が良いのだと思います
森林公園〜北本なら30分程度ですが、森林公園〜西上尾は1時間近くかかりますからね 川越観光自動車と言っていながら、川越営業所を廃止にして森林公園にまとめてしまったから、回送距離が伸びる。
川越観光のエリアを考えたら、桶川か鴻巣に営業所か出張所あるいは夜間停泊の車庫があればよいのに。
あとは、朝日自動車と同居の営業所か。 20kmぐらいは回送距離としては長いものではないですよ
鳩山町の東京電機大はロイヤル観光が受け持ってますがこの会社も車庫は鴻巣で20kmぐらいありますし
飯能付近を走ってるイーグルバスも川越から回送してきてます
森林公園営業所自体も元は東武が回送距離が長くなってもまとめた方がコスト削減になるから作ったものですからね
朝日でも行田方面の路線は行田出張所移管時に加須営業所にまとめられて加須から回送してきてます 和光市循環バスがお試し運行の頃は北村ボディの観光車を充当していた。 回送距離が長くても誰も困ってないだろ?
回送のぶんだけ走行距離や人件費が増えるから
その分運賃が高いとか
回送距離が長いせいでバスが遅れがちとか
そういうのがあれば
>川越観光のエリアを考えたら、桶川か鴻巣に営業所か出張所あるいは夜間停泊の車庫があればよいのに
と思うのも分からんではないが
そういう問題は起きてないんだから社外の人間がとやかく言う話ではないよな >>827
> 回送距離が長くても誰も困ってないだろ?
> 回送のぶんだけ走行距離や人件費が増えるから
> その分運賃が高いとか
> 回送距離が長いせいでバスが遅れがちとか
> そういうのがあれば
今後は人手不足でそうなると思うよ。
そんな遠くない将来に。 >>828
営業所には運行管理者を置かないとならないわけで、これは例え1台でも置かなくてはならない
運行管理者は要資格なので運転手以上に人が見つからない 上からの圧力と運転手からの圧力、双方の板挟みに耐えられないで辞める人多いから不足してるしね 回送距離の話題で盛り上がっていらっしゃいますが、上尾の東口も朝日さんに移管に
なって、営業所のある菖蒲からわざわざ回送していますね。上尾の東口だけ朝日さんに
移管したのは、>>816さんの言う通り、西口側を川観さんに移管する予定があったから
てすかね? もし、菖蒲が朝日さんに移管される予定が無ければ、上尾の東口の路線は
引き続き、ウエストさんの上尾営業所管轄・菖蒲もウエストさん管轄でしたかね? 基本的に高崎線の西側は川観、東側は朝日って感じにしてた模様
北本駅〜富士重工線だけ例外で高崎線の東側なのに川観が持ってるけど
当時は朝日の車庫は、茨城県の境営業所しかなかったから仕方ないのかも >>833
吉野町を朝日とすると、さいたま市内の路線もうまく東西に分けられるのね
吉野町管轄で西側の路線は少ないし、あってもみんな大宮駅から北西に向かう路線で西上尾からで自然な感じ >>832 たまに東武の吉野町車庫に朝日菖蒲の車が休憩しに来るみたいだね。
他には越谷の車が吉川車庫に休憩とか。あそこは早朝5時台に吉川車庫→越谷行きが2本あるから、
もしかしたら夜間滞泊するダイヤがあるのかも。 中山道を行く東武バスって随分減っちゃったんだね。
昔は浦33 浦和県庁〜大宮駅〜上尾車庫とか大52 大宮駅〜鴻巣駅入口、鴻巣駅入口〜新島車庫
とかあったけど、今は大51 大宮〜宮原〜上尾が高頻度運行されてる以外は、ずっと北の熊谷駅〜籠原〜深谷駅(現国際バス)だけに。
少し前までは朝日に移管された桶川〜北本〜鴻巣免許センターがあったけど、最後は2往復だけになって消えましたね 昔は、埼玉の深谷市にも東武バスの深谷営業所があって、深谷駅発着の路線がいくつもあったみたいですね。
国際十王交通に移管された深谷駅〜熊谷駅以外に利根川を越えて、東武伊勢崎線の堺町駅や伊勢崎駅に行く路線があったとか。
深谷駅〜境町駅は1982年当時は朝夕の運行で1983年には廃止になったと、通学に使っていた大学の先輩から聞いた。
バスと上り浅草行電車の接続も悪いと言っていた。
どちらも一時間に一本で接続が悪いのは東武クオリティか。 >>837 昔は新上武橋を渡ってく系統があったんですね。今じゃ深谷駅〜籠原間も1日数往復しかない
それにしても東武バスで境町というとどうしても茨城県の方を思い浮かべるw 深谷出張所は1980年代の大整理で消滅しましたね
今は武蔵観光が深谷駅〜寄居車庫で運行してる路線だけが名残りですかね
ちなみに「出張所」という名称は法令の改正で付けられなくなってしまったので
東武バスの場合は自社での格付け(常務が何人居るとか)で分けていたせいもあって
分社化の際には旧出張所クラスを営業所、旧営業所クラスを営業事務所としましたが
法律上はどちらも同じ扱いです(笑)
出張所も東武の都合で社内では2種類存在してまして
営業所に依存してる小さい所と、営業所とは検査部門などを除いて独立してる大きい出張所がありました >>836
北鴻巣、北上尾、さいたま副都心と新駅が出来たのも響いてるな >>839 寄居車庫は武蔵観光に移管されて尚東武時代のまま建物・敷地が残ってるね
あと寄居〜本庄.深谷線共に東武のダルマポールの円盤だけ取り替えてそのまま使ってる
>>営業所に依存してる小さい所... 坂戸・吉川・花畑
>>営業所とは検査部門などを除いて独立してる大きい出張所... 森林・西上尾
って感じですかね >>838 国際十王交通になった当初、熊谷駅〜深谷駅は東武バスと同じ本数だったような。
ダイヤ改正で籠原駅止まりが出来て本数が増えたとおもったのは、籠原駅〜深谷駅の減便だったとは。 先日車が使えなくて電車で鴻巣から羽生まで行ったけど遠回りでもどかしかった
羽生へ行く路線が残ってたらなあ >>844
普通鴻巣から羽生なら
バスで加須まで行かないか?
>羽生へ行く路線が残ってたらなあ
でも普段は乗らないんだろ? 客が少なくて廃止になったような路線を嘆いても仕方ないことだろう
当時少なかったのなら、今あったとしても少ないだろうから・・・
だいたい鴻巣〜加須〜羽生と比べても高崎線と秩父鉄道経由の方が若干早いからなぁ
残ってたとしても本数少なかっただろうから、間違いなく電車の方が早い >>844 朝日自動車に移管された鴻巣駅〜新落合橋線ていうのが昔の羽生行きの名残だね
その新落合橋行きも3本だけ先の「真名板十字路」ていう羽生・行田・加須3市の境まで行く便がある。
でも日中で使えるのは平日の1往復だけだし、羽生駅まではまだ4キロくらいある >>847
真名板十字路のバス停の少し先に羽生市のあい・あいバスの停留所あるけどね
日中の便からしか乗り継げないしそれも一時間弱待つから歩いた方が速いけど >>848 「小子松」ていうバス停がすぐ先にあるんだね。しらんかった
それはそうとイオン羽生って真名板の割と近くだね。
新落合橋を全部イオン行きへ振り返れば... 客増えないねw >>812さん
>>836さん
昭和50年代頃は、高崎線沿いを行く東武バス路線が豊富にありましたね。私は鴻巣市の
箕田地区に住んでいますが、「熊08」など、もろ近所ですよ! この系統は箕田団地の
近くも通っていたのですかね? それにしても、「大51」だけが今も高頻度で生き残ってるのは沿線人口が多いからですかね?
>>840さん
もし、上越新幹線が無かったら、高崎線の普通列車の
本数が制限され、宅地開発が現状通りにされなかったため、ご指摘の「北鴻巣」だの
「北上尾」だのいう駅は今もなかったのかも知れませんね。 高崎線沿線沿いだと上尾駅〜鴻巣駅〜免許センターが朝日に移管後も残りましたが
既に本数も減っていた頃だったので朝日移管から桶川駅始発に短縮されて廃止されてしまいましたね >>850
>それにしても、「大51」だけが今も高頻度で生き残ってるのは沿線人口が多いからですかね?
大宮に出る時の利便性の問題じゃね?
あのくらいの距離ならバスで大宮行く方が便利だからじゃね? >>847-849
真名板十字路って、何気、すごいとこじゃない? 行田・羽生・加須と3市の境界付近に
あって、しかもそれなりの規模の十字路もそんなにないんじゃないか? 4つの自治体にまた
がっている十字路は全国になかなかないのでは?
もっとも、この辺りは車ないと生活に不便だよね。高校生なんかは今や、学校の行き帰りは自転車か親御さんの送り迎えに頼るしか無さそうだ…
スレに関係ないカキコなので、sage >>850 上越新幹線と北陸新幹線がなかったら。
高崎線に長野、新潟方面の特急と高崎線の快速と普通のパターン。
国道17号線経由の
@上尾車庫〜熊谷駅〜新島車庫
A熊谷駅〜籠原駅〜深谷駅鉄道平行路線も特急街道化した高崎線の普通列車のカバーで最低でも日中毎時二本は運転されていたと思います。 >>854
クルマの普及率が現実ほどに上がってなければこうなるだろうね
現実のクルマの普及率になっていれば現状並みだろうね 昔の東武といえば都内.埼玉.北関東問わず灯油ヒーター完備
今寒冷地は朝日グループに移管したけど向こうは灯油のままかな?
日光の世界遺産巡りは灯油に改造されてるように見えた 平成3年頃、前橋駅〜城東町2丁目〜群大病院行きの路線は東武パスが運行していて
平日の日中は10分間隔だった。
何で城東町2丁目と書いたかと言うと、中央郵便局に用があってバスに乗ったから。
その後、群馬から東武が撤退した後に、中央郵便局に行くのにバスに乗ろうとしたら
東武ではない会社が運行する前橋駅から群大病院行きのバスの運行経路が変わってて
城東町2丁目を通らなくなってた。 >>858
前橋中央郵便局だったら城東町二丁目じゃなくて一丁目じゃね?
今だったらマイバスが目の前に停まる >>859
でも、そのバスも1時間に1本位しかないんじゃないの?
東武の時代は、待たずに乗れたから。 >>858 東武バスでも、群大病院経由の南橘団地行きではないですね。
中央前橋駅、城東一丁目、県民会館前を通る路線ですか?
前橋市内から撤退した群馬バスも中央前橋駅経由の群大病院行きを運行していました。
今、群大病院を通るのは群馬県内の東武バスの路線を引き継いだ、関越交通だと思います。
広瀬団地行きは日本中央バスが引き継いで、当初は東武バス並みの本数を維持していましたが、今は一時間に一本と大幅減便になった見たいです。
国道50号を走っていた、前橋駅〜二の宮は永井バスが引き継いでいます。
二の宮〜伊勢崎駅は東武バスが路線を廃止して、そのままになってしまったようです。
元々は前橋駅〜二の宮〜伊勢崎駅の路線だったのを二の宮で分割してしまいました。これもワンマン化による組合の労働時間交渉の影響です。
かたや、群馬中央バスの前橋駅〜駒形〜伊勢崎駅や路線バスをやめた上毛電鉄の群馬県庁前〜中央前橋駅〜赤坂〜伊勢崎駅はワンマン化しても、ある程度の時期まで運転されていましたね。
長文失礼。 >>860
>でも、そのバスも1時間に1本位しかないんじゃないの?
そのくらい確認しろよ 東武バス前橋営業所時代は群大病院経由南橘団地行きの方が本数が多い。
中央前橋駅や県民会館前を通るのは群馬バスの小坂子や石井ゆきのイメージ。
東武バスだと赤城山大洞行きだったような?
北前橋に東武バスの前橋営業所があったので、北前橋発着の広瀬ゆきや玉村ゆきもあった。
前橋駅〜渋川新町は渋川営業所と共同管理だった。 そう言えば、昔、「尾09」いう、上尾駅西口から大石方面に大回りして、高崎線を
渡ってから上尾車庫に帰る路線があったようだけど、これはいつ頃まであったのかな?
また、この路線はどのぐらいの本数で走っていたのかな? >>864
平成元年くらいまではあった
1〜2時間に1本、畔吉よりは少なかった
西上尾車庫の前乗り車が来る場合上尾車庫で折り返し上尾駅西口へ
上尾車庫の後乗り車が来る場合上尾駅西口から別の路線(清河寺経由大宮か平方方面)
に入る為の送り込みだった >>865
レスサンクス。
この系統、上尾周辺の高崎線西側路線の旧・上尾営業所担当便の送り込みの
性格があったんだね。それに、「北上尾」駅ができる前は、大石地区の方々が
この系統で上尾駅に向かう需要もあったようで。しかし、ここができると
大石地区の方々はこぞって「北上尾」を利用するようになり、この系統も
廃止されちゃったんだね。そして、平方発着の路線が旧・西上尾出張所の
管轄になったのもこの煽りかな? >>865 大宮地区の3ドア車前のり運賃先払い申告制。磁気式のバスカードが導入される前まででしたっけ?
大宮地区の3ドア車が前橋営業所に移籍して、中ドアを締め切りにして、前後ドア車にあわせて、後ろのり前降り運賃後払い整理券方式でした。
上信電鉄が東京の関東バスのUDの中古を入れた時も、3ドア車なので中ドアを締め切りにして使っていました。 3扉はタマ自体が少なかったせいか転出してもあまり見かけなかったが
都内の前中扉の転出は北部地区のあちこちで見かけたな
昭和末期の熊谷とか非冷房車の置き換えで前後扉より多いんじゃないかってぐらい繁殖してた >>866
大宮(商工会館→駅西口)〜平方方面は元は大宮営業所の管轄。指扇方面も大宮の管轄。
但し西上尾車庫・西上尾第一団地・第二団地の系統は当初から西上尾の管轄。
上尾駅西口〜川越駅間は川越の担当。但し上尾〜平方折り返しは大宮の管轄、
これも整理券対応が広く可能になった西上尾で一本化。
尚、廃止された日産ディーゼル止まりと日産回り第二団地は西上尾管轄で前乗路線。
西上尾車庫・団地〜大宮間だけを受け持っていた時代は群馬の方からと思われる前後扉車がいた。
その後指扇移管か秀明高校スクール運行開始時に上尾の古参とどこからかバス窓の前後扉がやってきたが
3扉の整理券車が定着した時点で消えた。
3扉登場時は整理券装置も後扉側の方向幕もなかった(大宮も大多数はなかった)。
後に改造されてほとんどの車両が整理券対応になったが3扉車が出る直前に僅かに前中扉があって
これは大宮や上尾にいた時には整理券改造はされず運用は固定されていた。
後に本庄に転出した車両があると聞いたのでそれは改造されていただろう。
西上尾には他にポンコツの中では比較的新しい7100代の車両が整理券対応になってた。
上尾の予備車にも活用されていた。
>>867
バス共通カード導入時で後乗化、但し朝の上りの西上尾団地発は前乗先払い継続だったような気がするが
その前に上尾から転居しているのでどうなったかは分からない。 今から9年前、那覇バスの元東武3扉車見かけたけど
那覇空港とレンタカー営業所間の庸車だった。
再後部ドアは締切りだったような。 元東武の3扉車、関越交通にも移籍していた見たいですね。
東武バス同様に中ドアを締め切りにして使っているはず。 >>871
そここそが、今の「平方」バス停なんだよね。昔の「平方」バス停はその「平方神社前」の
次のバス停で、平方行きのバスはここにあった折返場で折り返してたよ。
てか、今、平方行きのバスはどこで折り返してるのだろうか? フェニックスの駐車場じゃなかったかな?
違ってたらすまん >>873-875
平方の終点は指扇系統だけフェニックスゴルフ場の前。
大宮系統は平方神社(橘神社)から橘高校を抜けた先、丸山公園南側に折返場がある。
昔はフェニックスに入る角を左折、行き止まりになっている先に旧開平橋があって、
対向車、場合によってはバス同士が出合い頭になる為東武の誘導員が配置された。
平方のターミナル跡地は今も更地状態で残っていて土地の形状も当時のまま。
但し私有地なので立ち入りは出来ない。
旧ターミナルを中心にした平方の街並みは今もそんなに変わっていない。数軒家が建て替わった程度。
当時の雰囲気はそのまま残っているので『平方神社前』から降りて散策するのもいい。 >>877
昔の橋はどこもそんなもんよ
昭和40年ぐらいまでは国道でもこんな橋がゴロゴロしてた
江戸時代から変わらないんじゃないかというような木造の橋に砂利を敷いて車を通らせていたりね・・・w 東武バスに「昔の地図とかありませんか?」と問い合わせたら
「無い」って。見たかったのに残念。 >>879
そういうのはほとんど残ってないんじゃないかな
営業所の人で昔の路線図を保管してたりっていうのはあるかもしれないけど
会社単位で把握なんてほとんどしてないと思う
しかも保管されていても引っ越し、閉所、移管になった営業所は事務作業で大部分は破棄されてるだろうし
自分で国会図書館なりで路線免許関連の調べるしかないと思う 地図で昔の路線を辿るのは愉しいよな
とっくの昔に廃止されてるのに地図では修正されてなかったりしてさ だからオークションでバス路線記載ありと地図を高く出す人がいてる。 古い地図(昭和40年頃)で確認したのだが、
大宮駅東口を出て、裏参道から右折して、大宮公園を抜ける路線があったようだけど、行先はどこだったのだろう?
裏参道ー土手宿ー赤鳥居ー大宮公園ースポーツセンター前ー大宮公園駅ー盆栽西ー盆栽東ー盆栽入口
という経路。それとも市内循環線的な路線かな? >>883
大宮公園循環じゃないかな
大宮公園内の道路も付け替えで今と変わってる
あと産業道路の旧道を本郷町方面に抜けていた路線があったみたい >>884
「大宮公園循環」という路線があったのですね。
盆栽入口の後は寿能住宅の方へ産業道路を南下して、
大宮駅に戻る路線だったのかも知れないですね。 日光鬼怒川方面のバス
「東武」しか表示してなくて
どこ行きなのか瞬時に分かりづらいというか 西武観光バスと伊豆箱根バスによるバス苗場ホワイトスノーシャトルは
三国峠越えの路線はそれこそ東武鉄道での運行以来だよね? >>887
猿ヶ京に停まるのは初めて。関越と通過に関する協定結んだのか。
元々わざわざ三国越えしなくても苗場なら湯沢側から入ればいいのに。
かぐらみつまた捨ててまで猿ヶ京に停まるメリットが見当たらない。 まさか路線バスが逆走とは しかも“常態化”?
4/8(月) 17:58配信
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20190408-00000058-ann-soci
All Nippon NewsNetwork(ANN)
[ 前の映像 | 次の映像 ]
東京・足立区の竹ノ塚駅近くで路線バスが立て続けに2台逆走する様子をカメラが捉えていた。大事故につながりかねないこの危険な運転、他にも複数の運転手が「逆走した」と話していることが分かった。
目を疑う光景は5日に東京・足立区で起きた。片側1車線ずつの道路。青信号の交差点に近付いていく。そこにはこちらを向いたバスが。逆走か…。しかし、本当に目を疑ったのはこの後。映像の投稿者が道を譲り、バスが右折を始めると、そこにはまたバスが。なぜ、こんなことが…。
現場は東武伊勢崎線竹ノ塚駅から西に50メートルほどの地点。バスはこのT字路を右折し、迂回してバス停に向かう。映像によれば、このT字路は当時、渋滞していた。バスは渋滞を避けるために反対車線を逆走したとみられる。
住民によれば、こうした状況は今回が初めてではないという。異常事態の背景には竹ノ塚特有の事情がありそうだ。それは、開かずの踏切。ただ、今回の2台は運行に遅れはなかったという。また、他の運転手も何人かが逆走したことがあると話しているという。交通の専門家によれば、運転手らの間で悪い習慣がはびこっていた可能性も考えられる。
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ろくなところじゃねーな本当に。 >>888
東京から苗場プリンスホテルに行くのに、
関越で新潟県まで入ってから苗場に行くってこと?
それって余計時間がかからないか?
群馬県側で観閲を降りて一般道に入ったほうが早いと思うけど。
ただ、関越と違って一般道だけに除雪が完璧ではないから、雪がひどい場合には関東の運転士だと不慣れで立ち往生する可能性はあるけど。 対向車線に...また1台 路線バス 相次ぎ逆走
4/8(月) 20:07配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190408-00010018-houdoukvq-soci
FNN.jpプライムオンライン
東京・足立区で、路線バスが相次いで逆走。
車の前方を右折していくバス。
バスが走っているのは、対向車線。
さらに、もう1台のバスが後ろから続いてくるが、赤信号のため停車し、対向車線を塞いでいる。
動画撮影した男性は「怖かったですよ。突っ込んでこられると思いました」と話した。
この映像は4月5日、東京の東武鉄道・竹ノ塚駅前で撮影されたもので、東武バスによると、運転手の1人は、「次のバス停の時刻に間に合わないと思い、逆走した」と話しているという。
警視庁は道交法違反の疑いで捜査している。
.
FNN
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FNN.jpプライムオンライン 関越道の関越トンネルが開通する前は、猿が京経由で新潟県入りだったからな。
1984年1985年のどちらか、大学の先輩が苗場プリンスホテルでの松任谷由美のコンサートに行くときに、三国峠が雪で通行止に。
上越新幹線で上毛高原駅で降りたら、東武バスの苗場プリンスホテル行きの臨時バスに乗車したら、ユーミンのコンサートスタッフもの乗っていたとか。
三国峠まで行き、通行止が解除になって、東武バスを先頭に東京からのユーミンのコンサートのツアーバスが後に続いたとか。地元の道を熟知したドライバーが先頭なんだと。
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