>>500
太田駅〜太田駅入口〜南一番街〜バイパス入口〜西小泉駅〜赤岩統合中学
をわすれていました。
熊谷駅ゆきと桐生天神町ゆきは日中2〜3本ありました。
他の路線は朝夕の運転の館林駅ゆき、尾島三菱ゆき、西小泉駅ゆきは、西小泉駅発着の熊谷駅ゆきの送り込みもかねてなのか1日数えるほど。
宝団地ゆきは一時間に一本、東毛病院ゆきは二時間に一本、足利両毛駅行きの二つの経由は1日朝夕中心で1日10本もなかった。
青年の家ゆきは途中の太田呑竜への参拝客を日中1日4本くらい。
まだ、太田の本町通り(昔の名前で言うと、県道前橋古河線、今は国道に格上げされています。)は工事中で伊勢崎方向へ一方通行。
太田駅行きは太田6丁目から一本北側の北裏通り経由。
1983年から太田営業所の変化は6月から鉄道の東武熊谷線の代替急行バス、熊谷駅〜バイパス〜妻沼の運行開始で、国道407号で妻沼に向かう回送バスを多く見ました。(逆も)
反面11月、植木野経由の足利両毛駅行きの廃止にしたのをきっかけに、太田駅発のローカル線は毎年廃止の嵐でした。
長文失礼。