昔の水上駅前の東武バスの写真を見ると、前後ドアなのに、後ろドアを使用しないで、前のり前降りにしていた理由はあったのだろうか?
他の群馬県内の営業所は後ろのり前降り、関越交通に移管したら後ろのり前降りになったし。
水上地区だけ、トップドアの路線バスが集中配置していた名残で、埼玉の営業所から移籍した前後ドア車もトップドア車に合わせたとか。
日光もたしかトップドアの路線車と観光バス格下げ車に合わせるために、前後ドア車も前ドアのみだったような気がします。