かっチャン日誌
今日の弓は終了。
一本ずつ、全力で巻き藁から抜くわ。
今夜は、体配1級を目指して頑張ろう。 最近、横線・引き尺の広がりを感じている。
そして、頭持ちの具合が大事だ。
まさに天地左右にからだを伸ばした会相。
そうすると、力線は自然と矢筋に集約していく。
今年の春に的前デビューすると言いましたが、永遠に的前・大会デビューはしません。
中らない下手くそなのを、実は自分の奥底で気付いているからです。
巻藁と想定練習のみで十分に中飛貫久を検証出来るから、と言い訳をします。
的前から逃げ続け、巻藁と想定練習とネットという仮想の自分の思い通りになる世界の中で生きて死にます。
現実から逃げるために妄想し、自分の未熟さから逃避する手段が、私にとっての弓道です。
かっチャン、自分の力だけのブログや自分の掲示板では人が来ず書いたことを人に読んでもらえないので、普段バカにしている弓道総合板住民に寄生
かっチャン、的が怖くて数十年巻き藁しかできていない
かっチャン、巻き藁に当てて30射26中などと喜ぶ
かっチャン、的前では6割くらいの的中はできるだろうと発言
かっチャン、6割でカスなのに、これさえできるだろうという妄想なのだからおそろしい
かっチャン、パクりを指摘される
かっチャン、ブログを始め、コメントを要請するがコメントをもらえず閉鎖
かっチャン、デビ板でアク禁をくらう
かっチャン、某ブログでコメントを遠慮させられる
かっチャン、せったん和尚に説教される
かっチャン、日置に論破されたことを誤魔化そうとする
かっチャン、自作自演で自己擁護する
「かっちゃん帰ってきてアンタがいないと盛り上がらないよ」
「名無しとかっチャンで良スレにしていきましょう一射入魂魅せる射目指してみんなで頑張っていきましょう」
「この板を潰すなんてとんでもない弓道の神体を追求するかっチャンにこそこの板を治めてもらいたいのさな」等
かっチャン、自作自演中にイリシャムと白髪の言っていることが分からないと告白
かっチャン、自作自演がばれ逆ギレ
かっチャン、叩かれてデビ板に逃げるが、楽し郎であることを見抜かれ、削除
かっチャン、うんこマンの後発で掲示板を作るが誰一人書き込まず閉鎖
かっチャン、左右の握力115超を告白、室伏やボブサップを学生時代に超える
かっチャン、中学一年の友人が100m11秒の記録を出したと主張、これは現在の日本記録より速い、さすが
かっチャン、苦しい言い訳をするが虚言癖確定
かっチャン、京大出であると自称
かっチャン、現在はゴミ処理の仕事につく
かっチャン、ディズニーランドの地下で秘密のパーティーの思い出を話す
かっチャン、60歳で天皇杯優勝宣言、現在弐段
かっチャン、立証責任は検事にあると主張、しかし株を取られる形で論破される
かっチャン、2ちゃん卒業宣言、直後に戻って来ると予想される
かっチャン、予想通り帰ってくる
かっチャン、「誰もかっチャンの板に書かなかったこと誰の役にもたってない、立つ代物じゃないこと」「みじめに自分で板消しておいて出てくること」「卒業したって自分で言ったこと」に何一つ反論できず、逃げることすら予想される
かっチャン、他者批判は必ず自己紹介になる
「何故なら、権限の無いものが勝手で不当に他者の行動を規制する発言をする」
「お前らみたいなスレの内容に関係の無い荒らしが横行している。」
「消えるべきはお前らだ。」
「ルール違反のコピペや連投、怨念の粘着質で病気なのはお前らだよ。」
「俺は、悟りだから、大して気にはしないが、まともな他者には迷惑なことだろうよ。」
「まあ、手の施しようは無いから、ワロタ(巻き藁)で自分の人生誤魔化していれば好いさ。。。 」
かっチャン、名前を変えイリシャムに教えてチャン行為
かっチャン、アホなのですぐに本人だとバレる
かっチャン、叩かれて反論できないと関係ない独り言をブツブツつぶやいて叩かれたけど気にしてないアピールするという習性が明らかに
変更の必要がないコピペ。
今後も私かっチャンがこのコピペの内容を超えることはないだろう。
今年の春に的前デビューすると言いましたが、永遠に的前・大会デビューはしません。
中らない下手くそなのを、実は自分の奥底で気付いているからです。
巻藁と想定練習のみで十分に中飛貫久を検証出来るから、と言い訳をします。
的前から逃げ続け、巻藁と想定練習とネットという仮想の自分の思い通りになる世界の中で生きて死にます。
現実から逃げるために妄想し、自分の未熟さから逃避する手段が、私にとっての弓道です。
かっチャンはryuzoudouの加齢臭を嗅ぎながらホモセックスしている間も、
百夜や紫弓のことを考えている
ryuzoudouの尻穴は北王子かっチャンの精液で白くどろどろ
北王子かっチャンのちんぽはryuzoudouのうんこまみれ
かっチャンの巻藁ちんこリングで鍛えたカリはryuzoudouのうんこまみれ
ジュポジュポ
風切りの弦音が普通によく出るようになったら、
・・・奥義の射が出る様になったら、
声も好い響きで出る様になってきた。
呼吸法が声楽と弓道と似ているからだなぁ。。。
かっチャン、自分の力だけのブログや自分の掲示板では人が来ず書いたことを人に読んでもらえないので、普段バカにしている弓道総合板住民に寄生
かっチャン、的が怖くて数十年巻き藁しかできていない
かっチャン、巻き藁に当てて30射26中などと喜ぶ
かっチャン、的前では6割くらいの的中はできるだろうと発言
かっチャン、6割でカスなのに、これさえできるだろうという妄想なのだからおそろしい
かっチャン、パクりを指摘される
かっチャン、ブログを始め、コメントを要請するがコメントをもらえず閉鎖
かっチャン、デビ板でアク禁をくらう
かっチャン、某ブログでコメントを遠慮させられる
かっチャン、せったん和尚に説教される
かっチャン、日置に論破されたことを誤魔化そうとする
かっチャン、自作自演で自己擁護する
「かっちゃん帰ってきてアンタがいないと盛り上がらないよ」
「名無しとかっチャンで良スレにしていきましょう一射入魂魅せる射目指してみんなで頑張っていきましょう」
「この板を潰すなんてとんでもない弓道の神体を追求するかっチャンにこそこの板を治めてもらいたいのさな」等
かっチャン、自作自演中にイリシャムと白髪の言っていることが分からないと告白
かっチャン、自作自演がばれ逆ギレ
かっチャン、叩かれてデビ板に逃げるが、楽し郎であることを見抜かれ、削除
かっチャン、うんこマンの後発で掲示板を作るが誰一人書き込まず閉鎖
かっチャン、左右の握力115超を告白、室伏やボブサップを学生時代に超える
かっチャン、中学一年の友人が100m11秒の記録を出したと主張、これは現在の日本記録より速い、さすが
かっチャン、苦しい言い訳をするが虚言癖確定
かっチャン、京大出であると自称
かっチャン、現在はゴミ処理の仕事につく
かっチャン、ディズニーランドの地下で秘密のパーティーの思い出を話す
かっチャン、60歳で天皇杯優勝宣言、現在弐段
かっチャン、立証責任は検事にあると主張、しかし株を取られる形で論破される
かっチャン、2ちゃん卒業宣言、直後に戻って来ると予想される
かっチャン、予想通り帰ってくる
かっチャン、「誰もかっチャンの板に書かなかったこと誰の役にもたってない、立つ代物じゃないこと」「みじめに自分で板消しておいて出てくること」「卒業したって自分で言ったこと」に何一つ反論できず、逃げることすら予想される
かっチャン、他者批判は必ず自己紹介になる
「何故なら、権限の無いものが勝手で不当に他者の行動を規制する発言をする」
「お前らみたいなスレの内容に関係の無い荒らしが横行している。」
「消えるべきはお前らだ。」
「ルール違反のコピペや連投、怨念の粘着質で病気なのはお前らだよ。」
「俺は、悟りだから、大して気にはしないが、まともな他者には迷惑なことだろうよ。」
「まあ、手の施しようは無いから、ワロタ(巻き藁)で自分の人生誤魔化していれば好いさ。。。 」
かっチャン、名前を変えイリシャムに教えてチャン行為
かっチャン、アホなのですぐに本人だとバレる
かっチャン、叩かれて反論できないと関係ない独り言をブツブツつぶやいて叩かれたけど気にしてないアピールするという習性が明らかに
かっチャンはryuzoudouの加齢臭を嗅ぎながらホモセックスしている間も、
百夜や紫弓のことを考えている
ryuzoudouの尻穴は北王子かっチャンの精液で白くどろどろ
北王子かっチャンのちんぽはryuzoudouのうんこまみれ
かっチャンの巻藁ちんこリングで鍛えたカリはryuzoudouのうんこまみれ
うんこマンとかっチャンジュポジュポ
幻の射<奥義の射<大安の射だよ。。。
これからは、大安の射に励む。
体力、技術、気力を超えるもの、大安の射だ。
かっチャン、自分の力だけのブログや自分の掲示板では人が来ず書いたことを人に読んでもらえないので、普段バカにしている弓道総合板住民に寄生
かっチャン、的が怖くて数十年巻き藁しかできていない
かっチャン、巻き藁に当てて30射26中などと喜ぶ
かっチャン、的前では6割くらいの的中はできるだろうと発言
かっチャン、6割でカスなのに、これさえできるだろうという妄想なのだからおそろしい
かっチャン、パクりを指摘される
かっチャン、ブログを始め、コメントを要請するがコメントをもらえず閉鎖
かっチャン、デビ板でアク禁をくらう
かっチャン、某ブログでコメントを遠慮させられる
かっチャン、せったん和尚に説教される
かっチャン、日置に論破されたことを誤魔化そうとする
かっチャン、自作自演で自己擁護する
「かっちゃん帰ってきてアンタがいないと盛り上がらないよ」
「名無しとかっチャンで良スレにしていきましょう一射入魂魅せる射目指してみんなで頑張っていきましょう」
「この板を潰すなんてとんでもない弓道の神体を追求するかっチャンにこそこの板を治めてもらいたいのさな」等
かっチャン、自作自演中にイリシャムと白髪の言っていることが分からないと告白
かっチャン、自作自演がばれ逆ギレ
かっチャン、叩かれてデビ板に逃げるが、楽し郎であることを見抜かれ、削除
かっチャン、うんこマンの後発で掲示板を作るが誰一人書き込まず閉鎖
かっチャン、左右の握力115超を告白、室伏やボブサップを学生時代に超える
かっチャン、中学一年の友人が100m11秒の記録を出したと主張、これは現在の日本記録より速い、さすが
かっチャン、苦しい言い訳をするが虚言癖確定
かっチャン、京大出であると自称
かっチャン、現在はゴミ処理の仕事につく
かっチャン、ディズニーランドの地下で秘密のパーティーの思い出を話す
かっチャン、60歳で天皇杯優勝宣言、現在弐段
かっチャン、立証責任は検事にあると主張、しかし株を取られる形で論破される
かっチャン、2ちゃん卒業宣言、直後に戻って来ると予想される
かっチャン、予想通り帰ってくる
かっチャン、「誰もかっチャンの板に書かなかったこと誰の役にもたってない、立つ代物じゃないこと」「みじめに自分で板消しておいて出てくること」「卒業したって自分で言ったこと」に何一つ反論できず、逃げることすら予想される
かっチャン、他者批判は必ず自己紹介になる
「何故なら、権限の無いものが勝手で不当に他者の行動を規制する発言をする」
「お前らみたいなスレの内容に関係の無い荒らしが横行している。」
「消えるべきはお前らだ。」
「ルール違反のコピペや連投、怨念の粘着質で病気なのはお前らだよ。」
「俺は、悟りだから、大して気にはしないが、まともな他者には迷惑なことだろうよ。」
「まあ、手の施しようは無いから、ワロタ(巻き藁)で自分の人生誤魔化していれば好いさ。。。 」
かっチャン、名前を変えイリシャムに教えてチャン行為
かっチャン、アホなのですぐに本人だとバレる
かっチャン、叩かれて反論できないと関係ない独り言をブツブツつぶやいて叩かれたけど気にしてないアピールするという習性が明らかに
変更の必要がないコピペ。
今後も私かっチャンがこのコピペの内容を超えることはないだろう。
今年の春に的前デビューすると言いましたが、永遠に的前・大会デビューはしません。
中らない下手くそなのを、実は自分の奥底で気付いているからです。
巻藁と想定練習のみで十分に中飛貫久を検証出来るから、と言い訳をします。
的前から逃げ続け、巻藁と想定練習とネットという仮想の自分の思い通りになる世界の中で生きて死にます。
現実から逃げるために妄想し、自分の未熟さから逃避する手段が、私にとっての弓道です。
うんこマンはかっチャンのようなうんこをいじるのが大好き
うんこマンはかっチャンの加齢臭を嗅ぎながらホモセックスしたい
かっチャンの尻穴はうんこマンの精液で白くどろどろ
うんこマンのちんぽはかっチャンのうんこまみれ
かっチャンの巻藁ちんこリングで鍛えたカリはうんこマンのうんこまみれ
ジュポジュポ
幻の射<奥義の射<大安の射<<<<【越えられない壁】<<<<そこら辺の一般人の射≦ryuzoudou先生の射≦うんこマンの射 会相で最大引き尺を執る事は、弓力を最大にすることであり、
離れに於いて、その弓力を効率よく活かす、最終の方法である。
ただし、馬手肘での引き過ぎ、手先引きの意味ではない。 成り行き上、上押しの利かない射をしたら、矢先は上を向いて刺さるし、
関板を弦は打つし、風切りの弦音どころか、冴えない普通の弦音。
改めて、不動の押手の威力を思い知ったわ。 岡崎さんが自身のサイトで、動画を出した。
固定観念からの脱却だ。
その中で、射や修練の在り方などを力説している。
根本の認識不足。
具体的な問題発言がひとつ。
現状の問題点を容認する発言がひとつ。
弓界への影響は大きいだろうなぁ。
射の基底・・・射の三要素・・・射の土台の堅牢さ・最大弓力・軽い離れ
正射の基準・・・中・飛・貫
正射の検証法・・・中・・・狙いの付いた矢筋通りの射出
・・・矢色の無い矢羽による10回程度の回転
・・・速い矢飛び、巻き藁への矢の深い刺さり
こうした射の基底を認識することなく組み立てられた射法論は、単に試行錯誤を繰り返す。
俺はお前らの役には立たないよ。
レス33が出来れば、ほぼ奥義の射だが、
お前らには程遠いからな。。。 守破離を語る岡崎さんに、小離れの私の射を見せて、
大離れの射を論理的に批判したら、一発激怒しそうな気がするなぁ。 いやいや、鈴木会長は、去年の春に十段にお成りでした。
失礼致しました。 rの録画ライブを見たが、あの離れを繰り返していると、
下手が固まるだけだよ。
馬手先の力を抜き、静止した馬手から離れが出る様に練習しなければ、
中りも着いて来ない。
お金はかかるが、岡崎さんの無争がけが、問題解決の端緒になるかもしれない。
電話で岡崎さんに注文する時、不動の押手の相談をして、
こっそり教えてもらえそうな気がする。
そうすりゃ、弓手、馬手、両方の問題が解決する見通しが付くわ。
13万円くらいだね。 元々、情報や技術はコストのかかるものだよ。
本人にとってのコストパフォーマンスと金額が合えば、
買うさ。
岡崎さんもそれで暮らしてる。
そういうレス39は、何処でも売っているかけに数万かけて、
馬手離れだろう。
まあ、考えようでしょ。。。 書き忘れた。
馬手離れの他に、前離れもでしょ。。。 不言がけは、グローブと充分なリリーサーの役割を持った初めてのかけだ。
馬手の指の結びについて、指先に力を入れたり動かさなくても、
結びが解けるのは両方のかけに共通している。
しかし、帽子の腹を弦が摺らない完璧な弦の抜けや、
結びを解くのに必要な力の大きさが微小で、その動きも小さいという点で、
他に類を見ない。
不言流の考案、実施しているかけは、リリーサーとしての役割を充分に果たしている。
最近、弓の改良も行い、夏場の汗でも手の内の作用に狂いの出ない工夫を成功させた。
不言流では、ギリ粉も筆粉も不要。
体力は充分、弓理を解明、必要な技術はマスター、正射の概念と検証法を確立、
弓道具の改良、気力の充実、射法の確立。
後は、坐射が出来るように、大会や審査で実績を積む、
指導システムの開発、組織図の作成、中央道場の建設、
不言流の成立を図る。、 むしろ鶏頭となるも牛後となるなかれという事があるが,今日の弓道界ほどこの牛後に甘んじて居る射手の多いところはない。
修練の各段階を守破離ともいうが、伝統の基礎基本を身に付け、
そこへ独自の工夫を加えていき、やがては開眼して独自の道を拓くのである。
こうした射手の志が弓道を生きたものと為すのであり、伝統の中にのみ弓道を求めれば、弓道界は淀む水の如しであり、生気を失ってしまう。
本来、武道は小利口な小市民の為すものではなく、一見武骨に見えても誠の志を持つ者の道である。 牛の尻穴のryuzoudouと鶏のちんこのかっチャン
ずぽずぽ 心弓体が一体になって軽く離れた射は、弦音が実に好い。
ただ、百点の射は、5本に1本くらいの割合だ。
まあ、約2ヶ月の休み明けだからなぁ。
百点の奥義の射を増やしていくぞーーー。 もう、体感の伸び合いから搾り出すような離れではない。
ただ、気合だけで離れが出る。
不言がけと馬手先の脱力で、指の結びを維持するのに必要な最小限の力と
実際に指を結んでいる力との差が小さい。
その差が指の結びを保持する安心感に繋がる。
私の離れが軽いのは、その小さな差の中に、離れない確信を感覚としてつかまえているからだ。
大事なことは、指の結びに大きな力がかからないとりかけを工夫すること。
その結びに掛かる力が小さい程、より繊細な結びの力の増減を知覚できる。
これが感じられるようになれば、離れないか、離れるかの境界の力具合が身に付き、
必要最低限+αの結びを維持する力がだんだん小さくなっていく。
ただ、私も不言がけを使わなければ、このような繊細で軽い離れは難しい。
目指す射は、からだと道具、それらを結ぶ技術、そして心、つまり感覚が一つとなって、
初めて成り立つものだ。 自己完結というのは、ネ申だよ。
智慧、如来の在り様さ。
俺は弓で自己完結・智慧の修練をしているが、
そう簡単には、実現しないさな。
お前ら、自分で言っていることの意味さえ知らない。
自分でやっている弓の引き方も知らない。
まあ、それが普通というものだよ。 射法八節図の先生だが、大三は俺とほぼ同じ格好だ。
ただ、全体として頭持ちが頭半分前に出ているので、
その分肩線と矢筋の間隔が俺より広い。
残身の弓の角度は握りの辺りで15度ほど傾いていて、俺と同じだ。
奥義の射の様に上押しが利いていれば、会から残身まで弓の傾きは基本的に同じだ。
この図で、変なところは、4の打起しに有る。
左の脇正面から見た図では、弓手の手首が外へ反り、弓の左側木に真正面から手の内が添えられている。
ところが、右の下図を見ると、弓手の手首は外へ反らずに、前腕からの円相のままに弓に添えられている。
・・・一体、どっちやねん。。。・・・私は後者だ。・・・範士の多くは前者だ。 今の範士の多くは、弓構えの時に、手の内を弓の左側木に正面から当てている。
恐らく手の内の準備を重視してのことだろう。
その代わり、弓懐は円相ではなく長方形に近い。
これでは、引き分けが難しい。
肩は、上に上がってはいけないのだが、後ろに引けてもいけないのだ。
引き分けには肩の位置が重要で、円相が深く関わっている。
この射法八節図の記載に在るとおりにやると、不動押手は出来ない。
というより、それをやると出来なくなることが説明されている。
まあ、弓操作の基本変としては、好いか。 前者には、肩詰まりの会相が多いだろうな。
それが直れば、数センチ引き尺が伸びる。
鈴木会長があの馬手肘で引き尺が大きいのは、
肩が詰まってないからだよ。 rがやってる。
矢の並進運動がある射なら、角見が利くほど矢は前へ飛ぶよ。
矢の並進運動が無い射なら、角見が利くほど矢は後ろへ飛ぶ。
角見と云っても、矢離れする頃の弓の初期回転を起こす働きについてだ。
だから、ここで書いた狭義での角見や前離れ必要最低限に抑えるべき。
矢所が狂うよ。 うんこマン討ち取ったりw!
!Suiton http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1329178344/53
Suiton(修行中)
→ NinjaID[Dana1329211356948625(Lv4)]を破門した。
ホモ王子かっチャン、ryuzoudouの為に去勢までしたのかよ
本気だな 今日の初めの一手、キョの弦音で、勿論中り。
ただ、2本とも筈が右に1センチほど傾いていた。
弓の初期回転が弓手の振りに比べて僅かに大きい。
矯正は、基本的に大きい方を小さくする。
それが、誤差を小さくする鉄則だ。 回転指はそのままで、固定指を強化して、
7割かた、OK.
腕の振り幅が今日はやけに小さいわ。・・・よい状態。
つまり、弓手が体幹から好く突き出されている。・・・これは好い状態。
回転指の作用を小さくすれば好いようだが、弦返りの頭避け・胸弦の絡み避け、弓返り、夏場の手の内滑りには、
ある程度必要なので、固定指の強化で解決するのが妥当だろう。
中てるだけなら好いのだが、美しい中りは、難しい。 私の弓は入り木の程度が強いから、上下の弭にかける弦輪で、もっとも左側に設定して、
弦通りが右側木面になっている。
こういう時は、握り下のあんこで調整するのも手だ。
さて、これからやってみよう。
全てから逃げて、弓道にすらなっていない
巻藁しか引かない
自分が上手くなったと妄想して、そのまま何も成さずに死ぬ男の日誌
前を右寄せ、後ろも右寄せの握り下にすればいいじゃん。
牛革の既製品かベルトを削ったやつで。
ひっかかりが出来るぞ。
押し手がけもいいと思うけど。手の平全部覆うやつね。 かっチャン大好きうんこマン
うんこマンはうんこつんつんするのが好きなんだな
角見の一番大切な働きは、離れの弓力を受ける入り口として、
堅牢であること。
しかし、それも度が過ぎると、第2の働き・捻りが大きくなり、
弓の初期回転角を大きくし過ぎる。
夏場の手の内の滑りによる狂いを防ぎ、安定した弦返りと弓返りをとるとすれば、
この前の改良はやむを得ない。
そして、その変更の付けを、これから払うということだ。
ホモ王子ツバサかっチャンは、ryuzoudouのことを思って毎日股関の先から汗かいてるもんな
ホモ王子かっチャン
今日も弓道以下のお遊びを、シコシコシコシコ忙しいでえ
クソ以下の弓人生、自分を慰めるの楽しいですぅ
手の内の各部の働きと、連携し合う働き、こうしたものを明らかにしたから、
弓の握りに細工が出来る。
あんこじゃなく、削ったわ。・・・完成。
キョという好い弦音だった。
3射して、1本が百点の奥義の射。
一本は、的を外してしまった。
道具と人との接点、握りというのはあんこで調整をしていても、
基本的には工業製品的な直線や平面や同率で変化する曲面で作られている。
今回の削りで、より自然な曲面に整形できた様だ。
手の内にしっくり来て、優しい感じだ。
そして、しっかり機能した。
買ったばかりの時は、細めの角材でも握っている様な違和感があった。
今では慣れ親しんだ彼女の手を握る様な一体感を感じるわ。
そうだ、太さも微妙に減って、いい感じになったのだろう。
本当は、私が弓を始めた切っ掛けは、
刹那を感じ取ることだった。
それは、生きることの最小単位とも云える。
仏教では、一弾指に65刹那が有ると言っている。
今の私の中では、離れてから矢が巻き藁に着くまでの3/100・秒間に、
視覚や聴覚、触覚などによる連続した知覚が数十コマで感じられる。
まあ、あくまでも主観だ。
TVのアニメを3秒くらいも見たのと同様な感覚といったら、分かり易いかもしれない。
物理的な時間の流れはほぼ一定なのだが、人が時間を感じる感覚には大きな差異が有るようだ。
前述のぼんやり見ているアニメと弓の離れに神経を集中している時では、一定の時間に感じ取るコマ数に100倍の差が有る様だ。
俺の巻き藁前は2.8mの距離だが、その時にもよるが矢飛びの後半部分が見えたり、矢羽で90度回転する矢の凡そが見えたことがある。
これと似たようなものは、力の感覚にも有る。
馬手指を結ぶ力の大きさは、各自色々だと思うが、私はとりわけ小さい。
まあ、そういう工夫もしているからだが、そうしていると、小さな力の変化を感じ取れるようになってくる。
一般的に、差を知覚して分別できる最小の刺激量を閾値というのだが、
軽い離れもそうだし、弓道全般に小さな刺激量の変化を認識できる能力は重要なことだと思う。
物理的な時間で計れば、80歳の生涯であっても、その人は何コマの一生だったのかという観点で計れば、刹那を感じて生きた人の生涯は劫にも値するのではなかろうか。
余りに過敏になって生きることは、苦をもたらし苦を増幅することだ。
しかし、小さな楽しみや小さな美しさ、小さな美味しさや小さな愛しさなど、
そうしたものをセンシティブに感じられるようになり、コマ数の多い時間の流れを過ごしたなら、どれだけ濃厚で充実した人生になるだろうか。
まあ、一晩に百万も使って、クラブの若い娘たちと時を過ごすのも好いが、何気なく見える日常に歓喜を覚えることも出来るのだ。
客観的な事実と人の感性みたいなものは、また別物であることを弁えるのが、初老に達した私の思いだ。
かっチャン、自分の力だけのブログや自分の掲示板では人が来ず書いたことを人に読んでもらえないので、普段バカにしている弓道総合板住民に寄生
かっチャン、的が怖くて数十年巻き藁しかできていない
かっチャン、巻き藁に当てて30射26中などと喜ぶ
かっチャン、的前では6割くらいの的中はできるだろうと発言
かっチャン、6割でカスなのに、これさえできるだろうという妄想なのだからおそろしい
かっチャン、パクりを指摘される
かっチャン、ブログを始め、コメントを要請するがコメントをもらえず閉鎖
かっチャン、デビ板でアク禁をくらう
かっチャン、某ブログでコメントを遠慮させられる
かっチャン、せったん和尚に説教される
かっチャン、日置に論破されたことを誤魔化そうとする
かっチャン、自作自演で自己擁護する
「かっちゃん帰ってきてアンタがいないと盛り上がらないよ」
「名無しとかっチャンで良スレにしていきましょう一射入魂魅せる射目指してみんなで頑張っていきましょう」
「この板を潰すなんてとんでもない弓道の神体を追求するかっチャンにこそこの板を治めてもらいたいのさな」等
かっチャン、自作自演中にイリシャムと白髪の言っていることが分からないと告白
かっチャン、自作自演がばれ逆ギレ
かっチャン、叩かれてデビ板に逃げるが、楽し郎であることを見抜かれ、削除
かっチャン、うんこマンの後発で掲示板を作るが誰一人書き込まず閉鎖
かっチャン、左右の握力115超を告白、室伏やボブサップを学生時代に超える
かっチャン、中学一年の友人が100m11秒の記録を出したと主張、これは現在の日本記録より速い、さすが
かっチャン、苦しい言い訳をするが虚言癖確定
かっチャン、京大出であると自称
かっチャン、現在はゴミ処理の仕事につく
かっチャン、ディズニーランドの地下で秘密のパーティーの思い出を話す
かっチャン、60歳で天皇杯優勝宣言、現在弐段
かっチャン、立証責任は検事にあると主張、しかし株を取られる形で論破される
かっチャン、2ちゃん卒業宣言、直後に戻って来ると予想される
かっチャン、予想通り帰ってくる
かっチャン、「誰もかっチャンの板に書かなかったこと誰の役にもたってない、立つ代物じゃないこと」「みじめに自分で板消しておいて出てくること」「卒業したって自分で言ったこと」に何一つ反論できず、逃げることすら予想される
かっチャン、他者批判は必ず自己紹介になる
「何故なら、権限の無いものが勝手で不当に他者の行動を規制する発言をする」
「お前らみたいなスレの内容に関係の無い荒らしが横行している。」
「消えるべきはお前らだ。」
「ルール違反のコピペや連投、怨念の粘着質で病気なのはお前らだよ。」
「俺は、悟りだから、大して気にはしないが、まともな他者には迷惑なことだろうよ。」
「まあ、手の施しようは無いから、ワロタ(巻き藁)で自分の人生誤魔化していれば好いさ。。。 」
かっチャン、名前を変えイリシャムに教えてチャン行為
かっチャン、アホなのですぐに本人だとバレる
かっチャン、叩かれて反論できないと関係ない独り言をブツブツつぶやいて叩かれたけど気にしてないアピールするという習性が明らかに
今年の春に的前デビューすると言いましたが、永遠に的前・大会デビューはしません。
中らない下手くそなのを、実は自分の奥底で気付いているからです。
巻藁と想定練習のみで十分に中飛貫久を検証出来るから、と言い訳をします。
的前から逃げ続け、巻藁と想定練習とネットという仮想の自分の思い通りになる世界の中で生きて死にます。
現実から逃げるために妄想し、自分の未熟さから逃避する手段が、私にとっての弓道です。
!Suiton http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/bullseye/1329178344/121
Suiton(修行中)
→ NinjaID[Dakb1329521920539157(Lv3)]を破門した。
会で気が矢に乗り移ると、鉄砲魚の的付けが正確に出来ている。
そして、力線が気の通る矢筋に近接するように近付いて行き、離れが出る。
かっチャン、妄想書き込みオナニー楽しい?
すごいことをしているって思い込んで楽しい?
俺にとっての中り前も、
お前らからすれば、
凄いことなのか。
まあ、そうなんだろうな。
ネ申弓引き・かっチャン、アイドルしてまーす。
すごいことしてるって思い込む妄想オナニー弓道
やってるやつは沢山いるぞ
流派に入っただけですごいことしてると思い込む流派オナニー
突然禅や宇宙を語りだす妄想オナニー
他バリエーション多数
共通して当たらない下手弓
中るか、外れるかに気をとられるのは、
お祭りかイベントで弓を引かせてもらっている門外漢の家族連れだろう。
10年や20年も弓に慣れ親しむ者なら、美しい矢飛び、速い矢飛びに心惹かれるものだ。
十中八九の中りに磨きを掛けようとすれば、自然とそうしたものを求めるようになる。
射の狂いは矢飛びに現れるし、矢勢の有る射の方が好く中るのを知っているからだ。
他者に勝つ、負ける。
自分に勝つ、負ける。
人は、行動や思考を行わなければ、自分を知ることが出来ない。
勝負で集団の中の位置をしったり、自己評価と実力の差を認識できる。
つまり、勝負というのは、自分を認識する機会のひとつだ。
プロの様な賞金やシードが掛かっているのなら別だが、
弓道の場合は修練の達成度を測る目安で、勝負というより、やっぱり大会でしょ。
その結果で、人間に上下の評価が下されるわけでは無い。
その結果で、落ち込む者もおごる者も、共に愚かだ。
結果を冷静に受け止めることも大事だが、
自分がどのような事態でどのように行動や思考をしたのかを、
検証する方がもっと大事だ。
それこそが、自分というものだからだ。
人は、行動や思考をして、初めて自分が分かるものなのだ。
そこから、成長が生まれる。
そして、賢人は、大会や審査でもない平常の練習の時に、
常に自分の行動と思考を検証している。
或る事態に遭遇した時の自分の弱点を発見して、常日頃、その矯正を心掛けている。
こうした時に、勝ち負けや中り外れに心を囚われているような者は、
既に成長を放棄したようなものだ。
少なくとも、道を歩むものではないといえる。
この世には、神に近い者から悪魔に近い者までが居るのではなく、
ひとりの人間の中にそうした要素が共存している。
しかし、苦悶しながらも自己を抑制して、神に近い行動を執る者も居れば、
自己の醜い心に忠実に従って、悪魔に近い行動を執る者も居る。
天国と地獄が在るとすれば、神は善人を称えて天国に送り、
悪人を懲らしめて地獄に送ったのではない。
ネ申は、善人も悪人も、共に魂が安らぐように死後の世界を用意しただけだ。
天国には、自分の心には嘘をついても、他人を欺かないものが集められている。
地獄には、自分の心には嘘をつかないが、他人を欺くものが集められている。
彼らは、それぞれにそうした仲間同士の暮らしが安らぐのだ。
ここ2ちゃんねるは、娑婆の地獄のようなものだ。
ここに集う多くのものは、ここが地獄のようだから住み着いている。
ここが彼らには安らぐからだ。
もし、ここの各種の規制が有効に働き、良識あるコミュニケーションの場にでもなったら、彼らは消えうせてしまう。
ただ、人間は生死に関わらず、完全な天国の住人も完全な地獄の住人にも成り切れはしない。
自分がよりどちらの人間かは、自分の行動と思考を好く見て判断するしかない。
ここでも、普段の生活でも、自分の行動と思考が、身の回りに天国と地獄を撒き散らして生きているのだ。
はい、以上
巻藁と想定練習のみで十分に中飛貫久を検証出来るから、と言い訳をします。
の言い訳でした 変更の必要がないコピペ。
今後も私かっチャンがこのコピペの内容を超えることはないだろう。
今年の春に的前デビューすると言いましたが、永遠に的前・大会デビューはしません。
中らない下手くそなのを、実は自分の奥底で気付いているからです。
巻藁と想定練習のみで十分に中飛貫久を検証出来るから、と言い訳をします。
的前から逃げ続け、巻藁と想定練習とネットという仮想の自分の思い通りになる世界の中で生きて死にます。
現実から逃げるために妄想し、自分の未熟さから逃避する手段が、私にとっての弓道です。
お前ら、俺の作文読んで、
適当に納得してんじゃねぇーや。
言い訳こねこね作文弓道
うんここねこねと何が違うの?
鉄砲魚の的付けって何、純粋に興味があるだけなんだけどね。
体で狙ってるんだろうけど、どんな感じになるの? 子育てでもよくテーマにされる、操作するか、環境を整えるか、の問題。
これを弓手に適用させると、どうなるか。
別な言い方をすれば、力を働かせるか、形を維持するか、の問題になる。
方向性は既に決まっているから、明日から調整しよう。
かっチャン、自分の力だけのブログや自分の掲示板では人が来ず書いたことを人に読んでもらえないので、普段バカにしている弓道総合板住民に寄生
かっチャン、的が怖くて数十年巻き藁しかできていない
かっチャン、巻き藁に当てて30射26中などと喜ぶ
かっチャン、的前では6割くらいの的中はできるだろうと発言
かっチャン、6割でカスなのに、これさえできるだろうという妄想なのだからおそろしい
かっチャン、パクりを指摘される
かっチャン、ブログを始め、コメントを要請するがコメントをもらえず閉鎖
かっチャン、デビ板でアク禁をくらう
かっチャン、某ブログでコメントを遠慮させられる
かっチャン、せったん和尚に説教される
かっチャン、日置に論破されたことを誤魔化そうとする
かっチャン、自作自演で自己擁護する
「かっちゃん帰ってきてアンタがいないと盛り上がらないよ」
「名無しとかっチャンで良スレにしていきましょう一射入魂魅せる射目指してみんなで頑張っていきましょう」
「この板を潰すなんてとんでもない弓道の神体を追求するかっチャンにこそこの板を治めてもらいたいのさな」等
かっチャン、自作自演中にイリシャムと白髪の言っていることが分からないと告白
かっチャン、自作自演がばれ逆ギレ
かっチャン、叩かれてデビ板に逃げるが、楽し郎であることを見抜かれ、削除
かっチャン、うんこマンの後発で掲示板を作るが誰一人書き込まず閉鎖
かっチャン、左右の握力115超を告白、室伏やボブサップを学生時代に超える
かっチャン、中学一年の友人が100m11秒の記録を出したと主張、これは現在の日本記録より速い、さすが
かっチャン、苦しい言い訳をするが虚言癖確定
かっチャン、京大出であると自称
かっチャン、現在はゴミ処理の仕事につく
かっチャン、ディズニーランドの地下で秘密のパーティーの思い出を話す
かっチャン、60歳で天皇杯優勝宣言、現在弐段
かっチャン、立証責任は検事にあると主張、しかし株を取られる形で論破される
かっチャン、2ちゃん卒業宣言、直後に戻って来ると予想される
かっチャン、予想通り帰ってくる
かっチャン、「誰もかっチャンの板に書かなかったこと誰の役にもたってない、立つ代物じゃないこと」「みじめに自分で板消しておいて出てくること」「卒業したって自分で言ったこと」に何一つ反論できず、逃げることすら予想される
かっチャン、他者批判は必ず自己紹介になる
「何故なら、権限の無いものが勝手で不当に他者の行動を規制する発言をする」
「お前らみたいなスレの内容に関係の無い荒らしが横行している。」
「消えるべきはお前らだ。」
「ルール違反のコピペや連投、怨念の粘着質で病気なのはお前らだよ。」
「俺は、悟りだから、大して気にはしないが、まともな他者には迷惑なことだろうよ。」
「まあ、手の施しようは無いから、ワロタ(巻き藁)で自分の人生誤魔化していれば好いさ。。。 」
かっチャン、名前を変えイリシャムに教えてチャン行為
かっチャン、アホなのですぐに本人だとバレる
かっチャン、叩かれて反論できないと関係ない独り言をブツブツつぶやいて叩かれたけど気にしてないアピールするという習性が明らかに
俺の弓は16キロだが、離れて1mも飛べば、矢が見えることがある。
集中力が足りないと見えない。
矢筋が観えていて、矢筋に矢が飛ばないと見えない。
また、矢色の付いた矢は見えない。
矢筋、離れ直後から着点までの矢飛びをしっかりと見続ける。
それが、鉄砲魚の的付けを身に付ける秘訣だよ。
離れて2・3mも飛べば、矢飛びが悪くても見えるが、
何処に飛んでいくのか分からない矢には、狙いの付けようも無い。 今日の1射は百点で、止めて帰って来た。
その後、3回に分けて15射ほどやったが、
全然駄目だ。。。
変更の必要がないコピペ。
今後も私かっチャンがこのコピペの内容を超えることはないだろう。
今年の春に的前デビューすると言いましたが、永遠に的前・大会デビューはしません。
中らない下手くそなのを、実は自分の奥底で気付いているからです。
巻藁と想定練習のみで十分に中飛貫久を検証出来るから、と言い訳をします。
的前から逃げ続け、巻藁と想定練習とネットという仮想の自分の思い通りになる世界の中で生きて死にます。
現実から逃げるために妄想し、自分の未熟さから逃避する手段が、私にとっての弓道です。
危うきに身を置き、心に安らぎを受く。
身に安らぎを求めて、武の道は立たず。
すごいことしてるって思い込む妄想オナニー弓道
やってるやつは沢山いるぞ
流派に入っただけですごいことしてると思い込む流派オナニー
突然禅や宇宙を語りだす妄想オナニー
他バリエーション多数
共通して当たらない下手弓
全てから逃げて、弓道にすらなっていない
巻藁しか引かない
自分が上手くなったと妄想して、そのまま何も成さずに死ぬ男の日誌
妄想に身を置き、心に安らぎを受く。
高みを求めては、安らかなる妄想の道は立たず。 ここニ・三日、酒を楽しんでいた。
それが、手の内を変えていた。
射は微妙なものだ。 手の内へのアルコール効果を補正して、今日の狂いを乗り越えた。
ついでに、一つ新しいチェックが出来た。
もうけたわ。
ただでは、転ばぬしたたかさ。。。
かっチャンのユーモアセンスの格の違いを見せてください かっチャンお願いします
へそで茶を沸かさせてください かっチャンのユーモアセンスが冴え渡る、爆笑ギャグが聞きたいな!!! 自分で自分のことを面白いとかユーモアセンスあるとかそんな感じのこと書いてただろ!
抱腹絶倒ギャグが聞きたい!
早く! 即興で次から次へと面白いことが思い浮かんでくる、かっチャン、早く頼む! 何事もなかったかのように面白いことを書かずにスルーして書き始めるなんて、
そんな誰にでも予想出来るような安直なことはしないかっチャン、面白いギャグを頼む! 俺、今日、アゴ髭を輪ゴムで結んだので、
カッコ好くなったところ何処だ、って彼女に聞いたら、
笑うだけ。
これ以上、カッコ好くなる必要ないってか。
タイトル:現代の弓道 著者;根矢,鹿児 西暦年;1918
「巻き藁は幾年経っても、弓を手にしている以上は止めてはならない。
弓の修行は九分程は巻き藁ですべきものである。
世間で弓を修行する人で、其の割合に上達しないのは、
多く的で計り中てる気でやって、巻き藁の練習を抜きにするからである。」
どの時代にも、お前らのような弓引きが居たということだよ。
先人も大成しない射手をこのように観ているわさ。 まさか年5000射もしない人に引用されるとは著者も思わなかっただろう 今日は、弓手の掌が普段通りの様だ。
昨日見つけた事にも気を配り、お腹が落ち着いたら弓を引こう。
幻の射、気の入った力線が、矢筋に寄り添う様にして、
後は無心に。
変更の必要がないコピペ。
今後も私かっチャンがこのコピペの内容を超えることはないだろう。
今年の春に的前デビューすると言いましたが、永遠に的前・大会デビューはしません。
中らない下手くそなのを、実は自分の奥底で気付いているからです。
巻藁と想定練習のみで十分に中飛貫久を検証出来るから、と言い訳をします。
的前から逃げ続け、巻藁と想定練習とネットという仮想の自分の思い通りになる世界の中で生きて死にます。
現実から逃げるために妄想し、自分の未熟さから逃避する手段が、私にとっての弓道です。
今日は、また冷え込んできて、弦音が冴える。
キシャン、音に艶と高さと芯がある。
緩みの無い、かけからの弦抜けの好さ、引き尺の大きさ、
これらが揃って、出る音だ。 真なるものは、美しい。
しかし、弓はデリケートなものだ。
射歴の短い私には、時折狂いが顔を出し、
窮地に追いやられる。
新しいチェック項目が増えると、其の事で多少他の部分が変化をする。
それを調整して、身に付けるまで、苦労をする。
かと言って、まだ射を固める気も無い。
高校時代のことをふと思い出した。
中ろうが、外れようが、無心から我に戻るまで、残心が長かったように思う。
だから、3本中って、4本目が中るかどうかなど、一切考えたことが無い。
常に、今の射だけだった。
大会では、3本目まで中って、4本目が外れたことは無い。
4射射終えて、拍手が起こると、どうしたのだろうと思った。
あっ、そうか、俺が皆中だったのか。
大会で、そこまで無心でいたとは、若い頃の俺も中々だった。 全日本の映像を見ても、まともなザンシンは見当たらない。 明日、追い矢を射て、巻き藁矢を抜きましょう。
16キロの弓なら、弱弓の部類なんだがなぁ。。。 やっと、矢飛びが落ち着いてきた。
ガイド指の調整で、上手くいった。
あと、最近馬手先に力が入るので、その注意が必要。 弓は音楽で云うと、声楽に似ている。
ピアノなら、特別に好い音を出すには長い訓練を要するが、
普通に聴ける程度の音なら素人でも出る。
後は、指の動かし方を習えばよい。
ところが、声楽の場合は楽器である声を作ることから始まる。
ただ音程やリズムに言葉を乗せていっても、
聴き辛い声では音楽性が損なわれる。
弓道も声楽と同様に、矢筋通りに直ぐな矢が射出するように、
まず、射出装置を作り上げなければいけない。
しかし、弓界の実情はどうかといえば・・・
チャカで喩えれば、
引き金を引くのに銃身がブレ、
発射された銃弾がグニャグニャで、
しかも銃身通りには飛んで行かない。
多くの射手が持っている射出装置は、そんなのだ。
弓道衣を着て、マジガオでやっているけど、
その実情はまるでアニメみたいで、滑稽だ。
恐らく、弓界全体の的中率は、3割程度だと思う。
恐ろしく調律の狂ったピアノをドヤ顔で弾くのと、
中れば好いだけの奴が引く弓とは、同様な不快感がある。
まあ、感性の問題かなぁ。
不言流弓道の特徴の一つに馬手肘の事が有る。
馬手は弦を引くという意識を無くすこと。
大三からは、馬手肘から先の意識を無くす。
馬手に弦を引く意識があり、指の結びを固める、或いは緩める意識があり、
引き尺を執る意識があり、離す意識があるから、離れが濁る。
馬手は肘で、弓手と同様に押すものと心得ること。 これでやってれば、大離れにはならないわなぁ。
自然の離れもそうだが、99%以上の射手が
指先も手首も前腕も脱力が出来ないから、無理だわなぁ。
馬手拳の方だけど、手の内の形を作って脱力すると、
指の結びが維持できる。
馬手拳のひねりは、右の上腕からのひねりで掛けられる。
馬手肘から先は、無駄な力ではなく、完全な脱力だよ。
自然の離れは出来てる人多いよ。最近の動画見てそう思わないかい? 家の中の数箇所に張っている小さな霞的。
もう、4年位にはなるんじゃないかなぁ。
今では、その中心を自然と見つめられる。
的とからだをつなぐということは、的の中心に焦点が当たっていることだ。
私の一寸の小離れでも、離れの衝撃が体中を駆け巡る。
馬手拳の一寸の移動は、胸が開かれて右肩が背後に移動した結果だ。
勿論、弓手も同様に移動する。
本来、弓射は矢筋にのみ力線が加えられれば好いのだが、
射出装置の土台となるからだの中心に矢を置く事は出来ない。
だから、離れると背後への両肩・両腕の移動が起こるのだが、
無駄に大きく、またアンバランスな移動距離では狙いが崩れてしまう。
それを、制御するのに重要なのが、的とからだの気のつながり、
つまり、焦点の当たった的の中心を見つめ続けることだ。
弓の上手と下手を分けるとすれば、発が出れば後は野となれ山となれとするのが下手な射手だ。
こういうタイプは、発が出れば、頭の中が真っ白で、的などは意識に無い。
離れの衝撃のままに脱力したからだのだらしない残身になっている。
上手は、発が出てから残身に至るまで、守るべきものを放棄せず、
三重十文字、詰め合い・伸び合い、手の内などをしっかりと堅持している。
つまり、射が発で終わるのではなく、発を出すために何かをするのではなく、発の後に何かをするのでもない。
発が出たらそれを乗り越えて残身まで、守るべきものを堅持することが重要なのだ。
そのひとつに、的の中心に焦点を合わせ続けることが有る。
この目付け、離すまでは意識があっても、残身まで出来ている人は少ないと思うが、どうだろうか。
私の経験では、的中に大きく影響する。
レス152は、自然の離れを充分に味わったことのある人かい。
恐らく、君には経験が無いと思うけど、それじゃ分からないよ。
もし、分かるなら、誰の動画で、こういう理由でって書けるかい。
ryuちゃんのことだったら、大丈夫だと思うけど、
他の人かい。 他の人だよ。けっこういるよ。一般じゃないよ学生の方だよ。 伸びが途切れず離れになってる事。明らかに待つのと離すのは違う。
ゴム紐が切れたみたいに伸びる。離すと、ぶつってホントに切れてしまう。 別に中れば、何でもいいけど。今は待つのが主流みたいだね。見る限りでは。 それは、離れが軽い、弓手離れだよ。
しかも、弓手肩が縮んでいる射だよ。
君は、自然の離れの経験が無いね。
伸びるって書いてるけど、それは違う。
見るところが違うよ。 このからみは、うんこマンだろうな。
中れば好いレベルで、口挟むなよ。。。 離れが軽い、弓手離れじゃないよ。
そんな人はいないよ。
見るところは違うかもしれないけどw 自然の離れは、発にタイミングを合わせられないから、
離れに伴って弓手が伸びるということは出来ない。
つまり、縮んでいた左肩を伸ばすことを前提として離れたことになる。
これが、弓手離れだよ。 自然の離れも、雨露利の離れも、充分に経験して味わわなければ、
その成立要件やら体感など、分かりようも無いよ。
まあ、その上で、奥義の射さ。
百年くらい巻き藁やったら、分かるかも知れんわ。
かっチャン、自分の力だけのブログや自分の掲示板では人が来ず書いたことを人に読んでもらえないので、普段バカにしている弓道総合板住民に寄生
かっチャン、的が怖くて数十年巻き藁しかできていない
かっチャン、巻き藁に当てて30射26中などと喜ぶ
かっチャン、的前では6割くらいの的中はできるだろうと発言
かっチャン、6割でカスなのに、これさえできるだろうという妄想なのだからおそろしい
かっチャン、パクりを指摘される
かっチャン、ブログを始め、コメントを要請するがコメントをもらえず閉鎖
かっチャン、デビ板でアク禁をくらう
かっチャン、某ブログでコメントを遠慮させられる
かっチャン、せったん和尚に説教される
かっチャン、日置に論破されたことを誤魔化そうとする
かっチャン、自作自演で自己擁護する
「かっちゃん帰ってきてアンタがいないと盛り上がらないよ」
「名無しとかっチャンで良スレにしていきましょう一射入魂魅せる射目指してみんなで頑張っていきましょう」
「この板を潰すなんてとんでもない弓道の神体を追求するかっチャンにこそこの板を治めてもらいたいのさな」等
かっチャン、自作自演中にイリシャムと白髪の言っていることが分からないと告白
かっチャン、自作自演がばれ逆ギレ
かっチャン、叩かれてデビ板に逃げるが、楽し郎であることを見抜かれ、削除
かっチャン、うんこマンの後発で掲示板を作るが誰一人書き込まず閉鎖
かっチャン、左右の握力115超を告白、室伏やボブサップを学生時代に超える
かっチャン、中学一年の友人が100m11秒の記録を出したと主張、これは現在の日本記録より速い、さすが
かっチャン、苦しい言い訳をするが虚言癖確定
かっチャン、京大出であると自称
かっチャン、現在はゴミ処理の仕事につく
かっチャン、ディズニーランドの地下で秘密のパーティーの思い出を話す
かっチャン、60歳で天皇杯優勝宣言、現在弐段
かっチャン、立証責任は検事にあると主張、しかし株を取られる形で論破される
かっチャン、2ちゃん卒業宣言、直後に戻って来ると予想される
かっチャン、予想通り帰ってくる
かっチャン、「誰もかっチャンの板に書かなかったこと誰の役にもたってない、立つ代物じゃないこと」「みじめに自分で板消しておいて出てくること」「卒業したって自分で言ったこと」に何一つ反論できず、逃げることすら予想される
かっチャン、他者批判は必ず自己紹介になる
「何故なら、権限の無いものが勝手で不当に他者の行動を規制する発言をする」
「お前らみたいなスレの内容に関係の無い荒らしが横行している。」
「消えるべきはお前らだ。」
「ルール違反のコピペや連投、怨念の粘着質で病気なのはお前らだよ。」
「俺は、悟りだから、大して気にはしないが、まともな他者には迷惑なことだろうよ。」
「まあ、手の施しようは無いから、ワロタ(巻き藁)で自分の人生誤魔化していれば好いさ。。。 」
かっチャン、名前を変えイリシャムに教えてチャン行為
かっチャン、アホなのですぐに本人だとバレる
かっチャン、叩かれて反論できないと関係ない独り言をブツブツつぶやいて叩かれたけど気にしてないアピールするという習性が明らかに
変更の必要がないコピペ。
今後も私かっチャンがこのコピペの内容を超えることはないだろう。
今年の春に的前デビューすると言いましたが、永遠に的前・大会デビューはしません。
中らない下手くそなのを、実は自分の奥底で気付いているからです。
巻藁と想定練習のみで十分に中飛貫久を検証出来るから、と言い訳をします。
的前から逃げ続け、巻藁と想定練習とネットという仮想の自分の思い通りになる世界の中で生きて死にます。
現実から逃げるために妄想し、自分の未熟さから逃避する手段が、私にとっての弓道です。
最近、全日本のトップ陣に上押しの利く射手が多少出てきたが、
以前は、皆上鉾の戻りが酷かった。
で、五重十文字の弓と手の内ってどういうことだ。
弓は一般的に15度ほど末弭の方が的方向に傾いている。
会で弓手は肩から斜め上に押し出されている。
弓と手の内の十文字、無理有りすぎ。
弦とかけの親指垂直、会じゃ弦がかけの所でくの字に曲がっている。
弓と矢が十文字、五重十文字のばか。 弦と親指の十文字、
大体、会の状態では、かけの親指は的方向へ斜め下に弦が引くから、
それに釣りあわせる為に親指は裏的の在る方へ斜め上に引いている。
その力に素直になれば、親指先は少しだけ下向きになる。
但し、四つや諸がけの場合は下過ぎだよ。
そうだ、四つや諸がけ使う人は、弦と親指の十文字どうすれば好いんだ。
五重十文字、めちゃくちゃな決まりだよ。
大声で、ばかーーーーーーーーーー。
かっチャン、自分の力だけのブログや自分の掲示板では人が来ず書いたことを人に読んでもらえないので、普段バカにしている弓道総合板住民に寄生
かっチャン、的が怖くて数十年巻き藁しかできていない
かっチャン、巻き藁に当てて30射26中などと喜ぶ
かっチャン、的前では6割くらいの的中はできるだろうと発言
かっチャン、6割でカスなのに、これさえできるだろうという妄想なのだからおそろしい
かっチャン、パクりを指摘される
かっチャン、ブログを始め、コメントを要請するがコメントをもらえず閉鎖
かっチャン、デビ板でアク禁をくらう
かっチャン、某ブログでコメントを遠慮させられる
かっチャン、せったん和尚に説教される
かっチャン、日置に論破されたことを誤魔化そうとする
かっチャン、自作自演で自己擁護する
「かっちゃん帰ってきてアンタがいないと盛り上がらないよ」
「名無しとかっチャンで良スレにしていきましょう一射入魂魅せる射目指してみんなで頑張っていきましょう」
「この板を潰すなんてとんでもない弓道の神体を追求するかっチャンにこそこの板を治めてもらいたいのさな」等
かっチャン、自作自演中にイリシャムと白髪の言っていることが分からないと告白
かっチャン、自作自演がばれ逆ギレ
かっチャン、叩かれてデビ板に逃げるが、楽し郎であることを見抜かれ、削除
かっチャン、うんこマンの後発で掲示板を作るが誰一人書き込まず閉鎖
かっチャン、左右の握力115超を告白、室伏やボブサップを学生時代に超える
かっチャン、中学一年の友人が100m11秒の記録を出したと主張、これは現在の日本記録より速い、さすが
かっチャン、苦しい言い訳をするが虚言癖確定
かっチャン、京大出であると自称
かっチャン、現在はゴミ処理の仕事につく
かっチャン、ディズニーランドの地下で秘密のパーティーの思い出を話す
かっチャン、60歳で天皇杯優勝宣言、現在弐段
かっチャン、立証責任は検事にあると主張、しかし株を取られる形で論破される
かっチャン、2ちゃん卒業宣言、直後に戻って来ると予想される
かっチャン、予想通り帰ってくる
かっチャン、「誰もかっチャンの板に書かなかったこと誰の役にもたってない、立つ代物じゃないこと」「みじめに自分で板消しておいて出てくること」「卒業したって自分で言ったこと」に何一つ反論できず、逃げることすら予想される
かっチャン、他者批判は必ず自己紹介になる
「何故なら、権限の無いものが勝手で不当に他者の行動を規制する発言をする」
「お前らみたいなスレの内容に関係の無い荒らしが横行している。」
「消えるべきはお前らだ。」
「ルール違反のコピペや連投、怨念の粘着質で病気なのはお前らだよ。」
「俺は、悟りだから、大して気にはしないが、まともな他者には迷惑なことだろうよ。」
「まあ、手の施しようは無いから、ワロタ(巻き藁)で自分の人生誤魔化していれば好いさ。。。 」
かっチャン、名前を変えイリシャムに教えてチャン行為
かっチャン、アホなのですぐに本人だとバレる
かっチャン、叩かれて反論できないと関係ない独り言をブツブツつぶやいて叩かれたけど気にしてないアピールするという習性が明らかに
縮んでいた左肩を伸ばすことを前提として離れたことになるというのが変だと思うけど。 私が君の話は変だと思うけど、と話しても君にはそれを考える材料が無いだろう。
同じだよ。
何が、どう変なのか書かないと、唯の冷やかしでしかない。
子供じゃないんだから、意見に根拠等を添えた、まとまりのある作文をしないとね。
変更の必要がないコピペ。
今後も私かっチャンがこのコピペの内容を超えることはないだろう。
今年の春に的前デビューすると言いましたが、永遠に的前・大会デビューはしません。
中らない下手くそなのを、実は自分の奥底で気付いているからです。
巻藁と想定練習のみで十分に中飛貫久を検証出来るから、と言い訳をします。
的前から逃げ続け、巻藁と想定練習とネットという仮想の自分の思い通りになる世界の中で生きて死にます。
現実から逃げるために妄想し、自分の未熟さから逃避する手段が、私にとっての弓道です。
かっチャン→ryuzoudou
ryuzoudou→うんこマン
うんこマン→かっチャンス
ガチホモ三角関係
この順番で精液が循環しています
原稿書いたけど、勿体無いから止めた。
さて、また引いてくるか。 9寸的バージョン、雪の積もったせいで、
若干、打ち下ろしの矢筋だが、普通に中るわさ。
弓手の手の内は、的へ伸びる感覚だけ、
馬手の手の内は、殆ど意識が無い。
雨露利の離れで身に付けた大きな引き尺を
自然の離れで身に付けた詰め合い・伸び合いで、
離れるまで待つ。
という本格的な射の下地を今やっている。
有為なら今でも出来るが、折角秋に3段受けるなら、
無為でも出来るようにしておこう。
かっチャン、自分の力だけのブログや自分の掲示板では人が来ず書いたことを人に読んでもらえないので、普段バカにしている弓道総合板住民に寄生
かっチャン、的が怖くて数十年巻き藁しかできていない
かっチャン、巻き藁に当てて30射26中などと喜ぶ
かっチャン、的前では6割くらいの的中はできるだろうと発言
かっチャン、6割でカスなのに、これさえできるだろうという妄想なのだからおそろしい
かっチャン、パクりを指摘される
かっチャン、ブログを始め、コメントを要請するがコメントをもらえず閉鎖
かっチャン、デビ板でアク禁をくらう
かっチャン、某ブログでコメントを遠慮させられる
かっチャン、せったん和尚に説教される
かっチャン、日置に論破されたことを誤魔化そうとする
かっチャン、自作自演で自己擁護する
「かっちゃん帰ってきてアンタがいないと盛り上がらないよ」
「名無しとかっチャンで良スレにしていきましょう一射入魂魅せる射目指してみんなで頑張っていきましょう」
「この板を潰すなんてとんでもない弓道の神体を追求するかっチャンにこそこの板を治めてもらいたいのさな」等
かっチャン→ryuzoudou
ryuzoudou→うんこマン
うんこマン→かっチャンス
この順番で精液が循環しています
ガチホモ☆トライアングル
ryuzoudou♂かっチャン♂うんこマン
ガチホモ☆サンドイッチ
かっチャン、これが理想ですか?
>>190
はホモなんでしょ?何て名前にするの?
肛門君にしたいんだけどいいかな。肛門君★肛門君★肛門君★
鷹司に興奮しながら精液をかけるホモ北王子かっチャン
加齢臭ただようガチホモじじいプレイはキツ過ぎる
打ち起こし→大三までは、形はあまりこだわらない方がいい。
手の内の力は、弓がすとんって落ちない程度に支える程度、虎口の巻き込み具合で調節して、
最終的に、角見と掌根が当たり、虎口が自分が決めた程度に巻き込まれている。
この状態が理想。三指は考えない方が、受け渡しはうまくいく。
押しの肘も勝手肘もあまり動かさない方がうまくいくんではなかろうか。 手の内を自分でどうやっているのかを知らない奴もいる。
それに比べれば、好い訳だ。
しかし、もっと大事なのは、手の内にどのような働きをさせるかだ。
その為に、こうしているというのが、本来の書き方かなぁ。
射の在り方で、手の内の方を変えるべきものだと思っている。 いやいや、これは、肛門君へのメッセージだから。
受け渡しで悩んでるんでしょ。 正射を認識する為の修練。
正射を認識し、正射に向う修練。
正射を得て、正射に導く指導。
現在の指導者、称号をお持ちの先生方、
その大半は、明確な正射の認識が無く、
後進を指導していそうだ。
正射の認識無く、どこへ導こうというのだ。
かっチャンは発達したケツの筋肉で
数々のガチホモを虜にしてきたんですか?
あぁ負けたのか。悔しいなぁ。
負けたらお先真っ暗かと思ったら僕の人生明るいままだったから別にいっか。 そっちはいいなぁ勝ち組で。光り輝く人生うらやましす。
せっかくだから人生変わってあげるよ。
光り輝く人生について教えてください
聖書は人の心を神の言葉で満たしてくれる。
ステンドグラスは神の栄光を教会にに導き入れる。
でも、そんなの関係ない。
オ・ヤ・ジー。
ryuzoudouはかっチャンの尻を神の精液で満たしてくれる。
かっチャンのケツの筋肉はryuzoudou神の栄光のちんこをかっチャン教会にに導き入れる。
でも、そんなの関係ない。
オ・ヤ・ジー。
ryuzoudouはかっチャンの尻を神の精液で満たしてくれる。
かっチャンのケツの筋肉はryuzoudou神の栄光のちんこをかっチャン教会にに導き入れる。
男と男だ。
でも、そんなの関係ない。
オ♂ヤ♂ジー。
今日なんかは、的前8寸バージョンの的でやっていたが、
しっかり中てる為には、長銃身射法じゃないと、難しいわ。
2ヶ月ほどの休みの後だが、中りは常に着いて来る。
休み中に考えていたことも、更に射をワンランク・アップさせたかなぁ。 今や不動の押手が、自然な中押しの中で、普通に出来る。
出来ない人から観れば、物凄い上押しの力が働いているのだろうと、
思うかもしれない。
初めの頃は、確かにそうだった。
しかし、今は軽く、上鉾が戻らない。
この5年間、習得しようとしたことがすべからく短期間で身に付いてしまった。
つまり、からだを制御する頭の問題だからなぁ。 下が出なくなれば、矢勢は落ちる。
だから、下は押さえ込まないで、
上の戻りを抑えるのさ。
分かんねー奴だなぁ。
うんこか。
勉強不足。。。 おお、なるほど。勉強不足だ。どう違うのかがよく分からん。
下が出るのも、上が戻るのも同じじゃないの?
別々とか出来るの、一本の弓で。 質問をするんなら、態度を改めるべき。
その場限りではなく。
終生、俺の弟子として、大仁田が馬場さんのケツふきをやったように。
意見を言うなら、根拠を添えて、説明する。
一本の弓で・・・それでは何の証明にもならん。
理由は3つ有る。
1、不動の押手との関係。
2、合目的的要因。
3、制御のし易さ。
今日は、1射を2回した。
百点の射がでると、その感動を味わい、身に付けるために休みを入れる。
そして、気が付いたことは、記録していく。
8寸的バージョンと言っても巻き藁前では実に小さい。
そのほぼ中心に直径9ミリほどの矢を打ち込む。
会離寂静の心境を目指して離れる。 手の内から上も下も的方向にたわむと思ってるんじゃないのひょっとして。 奥義の射が出来ていない奴、
下鉾の出を押さえてでもやってみろ。
俺は、両方を経験している。 今の射は、今までで最高の馬手肘の押しだった。
ここまで押し合えていると、
離れの衝撃で体幹まで押し返されることは無い。
凄まじく美しく強い弦の風切り音・弦音だった。
馬手というのは、手先で引くほど肩が詰まるものだ。
未熟な内は横になり、やがて縦になり、ついには前後に出る離れなり。
かっチャン、自分の力だけのブログや自分の掲示板では人が来ず書いたことを人に読んでもらえないので、普段バカにしている弓道総合板住民に寄生
かっチャン、的が怖くて数十年巻き藁しかできていない
かっチャン、巻き藁に当てて30射26中などと喜ぶ
かっチャン、的前では6割くらいの的中はできるだろうと発言
かっチャン、6割でカスなのに、これさえできるだろうという妄想なのだからおそろしい
かっチャン、パクりを指摘される
かっチャン、ブログを始め、コメントを要請するがコメントをもらえず閉鎖
かっチャン、デビ板でアク禁をくらう
かっチャン、某ブログでコメントを遠慮させられる
かっチャン、せったん和尚に説教される
かっチャン、日置に論破されたことを誤魔化そうとする
かっチャン、自作自演で自己擁護する
「かっちゃん帰ってきてアンタがいないと盛り上がらないよ」
「名無しとかっチャンで良スレにしていきましょう一射入魂魅せる射目指してみんなで頑張っていきましょう」
「この板を潰すなんてとんでもない弓道の神体を追求するかっチャンにこそこの板を治めてもらいたいのさな」等
うんこマンが道端のうんこをいじる
道端のうんこは師匠気取り
いじられて棒の先で遊ばれてるだけなのに
人間以下のうんこなのに
仕事はデパートのゴミ捨て
弓は怖くて的前に立てない
俺は敗者じゃない
俺はすごいんだ
って呟きながら、妄想の中で死んでいく
かっチャン人生
カオルちゃんまで、乱入してきたぞ。
気持ちは分かるが、俺の妄想を越えてる表現。
仕事はデパートのゴミ捨て
弓は怖くて的前に立てない
俺は敗者じゃない
俺はすごいんだ
って呟きながら、妄想の中で死んでいく
かっチャン人生
底辺の職、弓道にならない弓モドキ、妄想の中で自分を自分で讃え、これからそのまま死んでいく、かっチャン
そんなかっチャンから一言ください
百夜は、勝ち目ナイト、逃げる。
どう見ても、公務員体質だなぁ。
俺の最も嫌いなタイプ。
それに比べりゃ、ここのバカたちは、可愛いもんだわさ。。。
1、底辺のデパートのゴミ捨てが仕事である
2、再開してから的前に立っていない
3、過大な自信が妄想ではない理由として他者からの評価がある
4、そのまま死ぬ
訂正出来るところがあるならしてみてください
都合の悪い質問であれは、答えなくていいですよ
察してあげます
百夜の質問者への回答を読むと、前よりは視野が開かれたようだ。
しかし、説明が地に着いていない。
つまり、能書きで、具体的な問題解決の方法論が無い。
また、考えの飛躍で、はあーだ。
急に、縦線の伸びだ。
まあ、依然俺に話を誘導されて、土下手を晒したから、
俺の話を大分勉強したようだ。
しかし、結局は実技が追い付かないと脳内は統合されず、
話が飛び飛びになる。
1、底辺のデパートのゴミ捨てが仕事である
2、再開してから的前に立っていない
3、過大な自信が妄想ではない理由として他者からの評価がある
4、そのまま死ぬ
訂正出来るところがあるならしてみてください
都合の悪い質問であれは、答えなくていいですよ
察してあげます
離れから残身への弓手に注目してみた。
去年の全日本の男子トップ陣でいうと、選手たちは一様に離れで
一度下へ落ちた弓手を上へ整え直す動作が見られる。
離れると上鉾が戻り、弓手の手首は上へ押し返されている。
それが、離れによる直接の残身の形なのだが、
弓返りの直後に会の状態の手の内と弓との関係を再構築するように、
上鉾を的方向に倒し、手首を伸ばすと同時に、
弓手拳が少々上方へ移動している。
つまり、一拍子の筈である動作が僅かな時間に二拍子になっている。
これに伴って、馬手にも同様の動きが見られた。
伸びの有る残身で在るべきなのだが、それは射の総決算としての
残身であって、粉飾決算で赤字を黒字で書き換えることではない。
こうした問題の直接の原因は、手の内や弓手首の緩みで、
上鉾が離れで戻ることにある。
また、その背景には、異常とも思える残身への固執がある様に思える。
まあ、相変わらず上から目線だが、彼らの射を他山の石として、今日も自己を磨くさ。
俺の方が粗悪な石の可能性もあるが、磨いてみなけりゃ分からないさな。
都合が悪い質問なんですね^^
察してあげます^^^^^
今日の最後の四矢は、半矢。。。
外れた2本は、的筒を8寸バージョンに止めている輪ゴムに、
刺さった。
離れの瞬間に視線が的から離れたのが原因。
反省だわ。
ゴミ職
弓モドキ
根拠は妄想
ゴミのまま自らを讃え、死んでいく、かっチャン
そんなかっチャンから一言ください
文章を読んだ感触では、カオルちゃん、大分上手くなってきているわ。
彼、巻き藁も力を入れてやっているから、大分掴んだのだろう。
猿腕は、彼なりに解決しているのだろう。
射法というのは、結局は単純なものだが、普通はそれが出来ない。
そこに気が付くまで、辿り着けるかが勝負だ。
そこから、奥義の射は、また一山も二山も越えなくちゃな。 ゴミ職
弓モドキ
根拠は妄想
ゴミのまま自らを讃え、死んでいく、かっチャン
書き込みで、自分を強いと妄想するのだけが救いなんだね(;;)ウッウッ
戦わなければ弱くて困ることもないし負けて悲しむことも無い 目指す射は、射のそのもの。
無駄も虚飾も無く、それでいて、真であり、美しい。
命と等価のもの、それが射だ。
一射を終えて、涙が浮かび、一射に臨んで嗚咽する。
情の人との批判を受けても、生きるとは、そうしたものだ。
有心から、無心に至り、無心を味わって、また有心に至る。
無明のままに目利きとなり、無心を味わって後、目明きとなる。
孫子の兵法や三略は、学んでおくべき物だよ。
俺的には、五輪の書は没だ。
レス241は、確かにそうだよ。珍しくまともだ。
弱くて、困って、負けて、悲しい
そんなかっチャンは、もう、妄想と逃げしかないもんね(;;)
かっチャン、すごいぞ(;;)
ゴミ職
弓モドキ
根拠は妄想
ゴミのまま自らを讃え、死んでいく、かっチャン
みんなでこの可哀想な老人を応援しましょう(;;)
がんばれ、かっチャン
すごいぞ、かっチャン(;;)
無意味に戦ってコストを費やすより、いざという時のために、勝てる準備をしておくべきだ。
実力も無いのに、むやみに戦うのは、屁臭い戦歴を残すだけだ。
それは、負け癖の始まりだよ。戦う相手に手の内を知られ、相手に脅威さえ与えられない。
実戦の多くは、自分が強いから勝ったのではなく、相手が崩れたから負けたのさ。
それは、歴史が多く語ってくれる。
屁臭い戦歴を残すのが怖いから、逃げるんだね、かっチャン
勝てる準備をすると言って、妄想してるんだね
勝てる準備ってのが、死ぬ前に出来るといいね(;;)
かっチャンなら千歳まで生きれても無理そうだね
無理しないで、逃げていいよ、かっチャン(;;)
それで、他人からはゴミ虫、自分ではすごいと評価して、そのまま死んでください
的に中らないと本当の実戦の舞台に立てないんだけど。そこからが勝負。
かっチャンにとっては、本当の実戦の舞台は妄想
だって、他の人と比べられたらうんこ以下だってバレちゃうもんね
1人妄想の中でないと、高い自己評価を保っていられないかっチャン(;;)
>>243
馬鹿にされてるのに気づかないなんて;;
実際たいしてそういうつもりで書いたわけでもないけども、そう受け取っても良かった話だった
俺から見たかっチャン
かっチャンはクレクレなんだけどもプライドが高いから素直にクレクレできない
自分が分かるまでを示すのが誠意だと思ってるけどプライドが高いから自分を大きく見せようとして暴論になる
暴論のツッコミ待ちでクレクレしてるんだけども間違いを認めるとプライドが傷つくからしない
もしくはミッフィーちゃんみたいなキャラなりきりで自己防衛 俺くらいの年なると、人の評価に右往左往しなくなるわさ。
お前らのレス付けは、俺の人生を飾るイルミネーションの様なものだ。
ただ、俺の後光の方が眩しそうだがなぁ。
あっ、うそぶいてしまったか。・・・失礼。。。 今日の射の反省
離れの時、的から視線を外さない。
馬手拳の肩側への引き付け不足。
この辺をしっかりやれば、8寸的バージョンも
ほぼ外さない。
ちなみに、巻き藁前の距離を計測し直したら、2.93mだった。
13センチ遠かったわ。 昨日の通りすがりが言うには、そんな射、見たことも聞いたことも無い、ってよ。
さすが、不言流奥義の射だ。
この一世に、やってるのかっチャン・クソオヤジ、ただ一人だからね。
札幌でゴミ処理してるかっチャン(;;)
かわいそう(;;)
的前にも立てない、弓モドキはかっチャンただ一人(;;)
見たことも聞いたこともない、クソ弓モドキだって自分で気付かなくていいんだよ(;;)
大丈夫、妄想ではかっチャンが最強だからね(;;)
不言流って、自分で考えた流派の名前かな?
大丈夫だよ、かっこいいね、かっチャン!
俺の射は見ても面白くもない。無心で半眼、逆丹田呼吸でうんともすんとも言わない。
無駄な動きも無いし派手な大離れも無い。ただ中るべくして、的に中るだけ。
それに比べりゃ、矢が大きく並進運動をしてグニャしながら飛んでいって、
それで中てるのは凄い。何しろ的に付いた狙いを変えて射て、中てるんだから
俺より難しいことをやり遂げているよ。
大丈夫、ゆっくり深呼吸して;;
大丈夫、大丈夫だからね;;
かっチャンは最強です;;
かっチャンをクソ弓モドキだって評価する人は、未熟だからだよ;;
そうだからね、大丈夫だからね、かっチャン;;
白夜の矢印にケチつけたのは完全にいらなかったな
重箱の隅すぎる >>246
それは与えられてないからだよ
何もないから何もしなくてもすんでるってことだよ 書いてる途中に消えたわ…
射の一番大事なところは全力を尽くすことだと思うんだよ
かっチャンは超越しているフリをして安全なところに逃げ込んで出てこないだけなんだよ 弓道を極めるとは、智慧を得る。
つまり、如来の境地に至ることだ。
自然は成る様に成るのだが、
弓射では為す様に成らねばならない。
まさに、人の為せる業ではない。
今日からは、研究の射ではなく、ただ弓を引く。
その初日、矢所は乱れた。
しかし、無心から始まる一拍子の動作、その後の間、
こうした行射で建て直し、好い一手皆中で終えた。
白髪のムスコ=yumax
戦績公開から逃げたまとめ
407 白髪のムスコ
なんで俺から公開しないといけないんだよぉ(*´∀`*)
お前みたいなクソの方がまず曝け出すのが順序で礼儀じゃないか(゜д゜)
406 名無しの与一
全日団体準優勝と個人7位
全関団体優勝個人7位と5位東西1回
408 名無しの与一
ムスコさんの戦歴をどうぞ
私は個人特定されるリスクを負いました
409 白髪のムスコ
>>408
いやあなたには聞いてないし^^;
一人で突っ走られてもねぇ。
413 名無しの与一
j0f5t2N+さんと同じことを書き込めばいいんですか?心情は彼と同じですよ
414 名無しの与一
ハッキリ言ってムスコさんが弓に卓越した方だとは到底思えません
他者を見下した発言を繰り返し問い詰められれば身内を引き合いに出して我が身を庇うその人間性、貴方の仰るバカと大して変わらないのでは?
妄想界ではなります
社会的に底辺でクソ弓モドキのかっチャンも、
妄想の世界では名人です
弓と弦からのベクトルは、時に感動をくれる。
心を通わせ合う二人の、
そうした人からのベクトルに、
勝るものはない。
んん、どこかで、
善なるものは美しいって、
言ってたっけ。
少し前に、また弓を引いてみた。
マジ引きすると、いつもより脱力が徹底されてしまう。
それに気が付いたのだ。
で、4本引いてみたら、バッチリ。
馬手なんて、特に力も意識も無くなるが、
どうせ軽いんだから、少しは力を入れる。・・・これだ。
かっチャンが調子に乗せるからカオルちゃんがデビ板で元気になったじゃないか
自分で蒔いた種はなんとかしやがってください 今日の一手。
一本目、12時に叩き・・・70点・・・矢筋への収束不足、矢勢不足。
二本目、ど真ん中・・・98点・・・僅かに矢勢不足。
両手の内の僅かな力の入れ具合、
これで、矢飛びの乱れは無くなった。
一本目の外した理由、横力線と矢筋との収束不足で、
鉄砲魚の的付けに狂いが出た。
この横力線こそ、私の意識であり、鉄砲魚の的付けの元になっている。 離れる前に既に中っているという幻の射は、
雑力が交じり合い混沌とした弓を押し引きする力が、
一筋の力線となって矢筋と重なり合い、
気の乗り移った矢が正鵠を打つことを確信したものである。
今日の2本目は、奥義の射であり、幻の射でもあった。
恐らく、お前らの弓手も馬手も離れは雑だ。
しかし、たまに幻の射を経験した時は、矢筋に伸びて矢筋に離れている。
こうしたときは、弓手の振りなども抑えられ、手の内の不備も緩和され、
馬手の弦抜けの悪さも軽減されて、矢飛びも特別に好くなっている。
それで、狙いの通りに中っていると思われる。
両手の内の力を抜くことは難しいことなのだが、
少し入れてた方が好いのなら、私には楽だ。
こうして、今までやってきたことが、どんどんと楽になってきた。
奥義の射の上押しも、特別な力を要しなくなり、楽に上鉾の戻りが抑えられる。
気掛かりが、どんどん無くなっていく。
後は、離れる前にいつも的中感を得られるように、奥義の射の詰め合いと伸び合いを強化していけば良い。
今までの小目標は、長くても3ヶ月も有れば身に付いたので、幻の射ももう半ばを過ぎたものと思われる。
幻の射こそ、大きく引き分けて、緩まず軽く離れる、という単純な射だ。
リラックスしたからだと心から、必要最低限の力で伸び合って、
何の気掛かりも無く、からだが空間に溶けて、まるで消えてしまう感覚だ。
何も引き摺らずに生きている人は、居ない。
しかし、弓では技術も気掛かりも、過去の総てを捨てて、
そうして、引いたときに訪れるのが幻の射といえる。
素の自分に戻って弓を引けば、幻の射は姿を現す。
それは、同時に技の消えた射でもある。 また、幻の射は、長銃身射法でもある。
銃身が長いほど、狙いは正確になるし、
銃身のブレ幅を小さく抑えられるから、
射出時の狂いを押さえ込み、的中精度が上がる。
道具類の研究と改良、弓理の研究と奥義の射の完成など、
これらを踏まえた上で、幻の射を完成させれば、
つまり、射の三要素を完成させた上で、もう一つの要素、
狙いが確定する。
しかし、この狙いは左右であり、的前の場合は、的が口割りより126センチ下に在るので、
上下の問題は多少残る。
何処まで行っても完全は無いが、高校時代の射の完成度に比べれば、
今の射は驚異的なものだ。
あれでも、そこそこの中りなのだから、そう簡単に外れるとは思われない。
まあ、慣れるのには少し掛かりそうだが。
この奥義の射と幻の射が合体した、
奥義の射の無技、中り確信バージョンの射を、
ネ申(ねもうす)の射と名付けよう。
さあ、また明日から、頑張る象さん。 そういえば、カオルちゃんが書いていたあの感覚は、幻の射だよ。
本人は、そのことに、明確に気付いていないようだ。
ということは、奥義の射は別としても、
うんこマンより先に、カオルちゃんの方が
俺の射に近付いたということだ。
カオルちゃん>>うんこマン
うんこマン、修行が足りないわ。。。 幻の射を普段にも出来るようにした射手は、中るわ。
きっと、阿波さんもそうだろうし、岡崎さんなんかも、そんな感じだ。
こうなると技術なんてものより、幻の射の状態そのものが、
中る条件をほぼ満たしてくれる。
だから、修練が浅いままにこれを体得すると、
その後の修練が滞ってしまう危惧がある。
私の場合は、幻の射を状態ではなく技術で追及し、
また、単に中るだけではなく奥義の射を得て、幻の射に近似させてきた。
だから、幻の射を経験をすると、その成り立ちがよく分かる。
まあ、よく分かるのといつでも出来るというのとは別な話なのが、
多少やっかいなところだ。
かつて、奥義の射が約200本に1本の割合でしか出現しなかったのを思い出す。
しかし、今では特別に失敗しなければ、奥義の射が普通に出るのだから、面白い。
こうしたことを可能にした最大の理由は、自己の射を自覚していたからだ。
まだ、雪が凄いから今日は10本くらいしか引かないのだろうけど、幻の射は2・3本は出そうだ。
かつての奥義の射よりは、成り立ちが単純だから、時間の問題だと思う。
ネ申(ねもうす)の射を普段のものにしたら、結構最強かも知れんわ。
お前らがバカやっている内に、
妄想かっチャンはどんどん進化していく。
まあ、進化が速いほど、種の絶滅も早いのだが、
俺は今日も生きているわさ。 さあて、もうここに来ることもあるまい。
地獄に柔らいさ喧騒を。 春なのにで検索したら出てきたwワロタw
http://www.youtube.com/watch?v=MCEy3SLfPoI&feature=related
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春なのに〜♪春なのに〜♪的前引きません〜♪ 会で、弓手と馬手が弓と弦から受ける力は、作用反作用だから、等しい大きさである。
しかし、離れが生ずると弓手には、会での力の数倍の力が働くと言われている。
確かに、離れで弓は一瞬に形状復元するから、その大きな力が弓手手の内にかかるのは実感される。
しかし、馬手の方は、離れの衝撃的な力を受けてはいない。
つまり、会と離れに於いて、左右均等に力の大きさが等しいのか、と言われれば、そう単純ではないと言うことだ。
会の状態では、離れの衝撃を受ける為に、弓手を肩甲骨から押し出すような意識で強固なものとしなければならない。
その反面、馬手は緩まず伸びる程度の力で、肩甲骨から右肘までを保てばよいことになる。
馬手離れは前離れを増大させるし、的中率を下げるので、意識としても左右均等ではなく、弓手重視である。
強固な弓手は、狙いを狂わせず、矢勢を上げることが出来る。
そして、このような考えの射では、自然と小離れになる。
弓手は、伸びのある残身になる。
この射を成立させるには胴造りの工夫が必要だ。
弓手が離れの衝撃に負けぬように、右の足裏での踏ん張りが必要になる。
既に、大三では胴造りを崩さぬように左足先に重心が掛かっているので、会では右足先と右足のかかとを付け加えた3点で、踏ん張ることになる。
弓道の矢は、発射されると基本的に高低差のある放物運動をする。
実際には、空気抵抗もあり、矢羽や矢の回転によるジャイロ効果など、複雑な要素を含むが、ここでは単純化したものを考え、一つの傾向として捉えることにする。
私の身長は180センチだが、口割と的の中心との高低差は125センチである。
矢尺は103センチ、引き尺は95センチで、矢先から的までの距離は27,15メートルである。
会では矢筋が水平で、その通りに射出されると仮定することにする。
この場合で計算すると、矢が的心をとらえるときの矢の初速度は、193.6km/時である。
また、12時方向で的中する限界の初速度は、209km/時で、6時方向で的中する限界の初速度は、181km/時である。
つまり、水平に発射される矢の初速度が、181km/時以上209km/時以下の時には、的中出来るという事である。
的中する初速度の下限を元にすると、その上限までには15パーセントの幅が在る。
同じ引き尺でも、自分の意思で離した凡射と自然の離れでの射では、果して初速度にどれ程の違いが有るのだろうか。
巻き藁前での体感では、両者の違いは明白である。
自然の離れになると、弦が耳の辺りを通過する時点でうなりを上げ、巻き藁への刺さりも正直で勢いがあるので、はっきり底を打つ音がする。
凡射か、或いは自然の離れか、その射の中で引き尺の長短を的中する初速度の範囲で行うことは、15パーセントも有れば可能だろう。
しかし、そういった通常の射の誤差に、凡射か自然の離れかという異質な誤差が加われば、恐らく的の鉛直方向の誤差(36cm)を超えてしまうのではないだろうか。
現在は、有為と無為の離れが入り混じった状態だが、これで的前に立てば、恐らく的の上下に矢は散るはずである。
自然の離れがコンスタントに出るようになれば、その矢勢で高さの狙いを微調整し、中る射が実現出来るようになると思う。
私の巻き藁前の場合、2.8m離れていますが、初速度193km/時で矢を水平に射出すると、計算上重力の影響で下に行く距離は7ミリ程度であることが分かりました。
また、弓ひと張りの距離の場合では、私の弓は4寸伸びですが、約4ミリしか下に行かないことが分かりました。
前離れをしない、弦が帽子の腹を摺らない、緩まない、そんな射をやっていると、矢羽は頬を摺るし、弓の籐も摺る。
特に、捻りもかけないから摺るのだが、羽が弓に当たっては、折角の精密な射が台無しになってしまう。
それで、摺らない程度に矢羽の高さを13ミリから7ミリくらいに変える。
猛禽類の尾羽は丈夫だから、珍重され、今では大変高価なものだ。
しかし、元々、矢っていうのは使い捨てのものだ。
飾っておいたり、矢羽の自慢、回収して何回も使うようになって、こうなったのかも知れない。
射から言えば、このような羽は空気抵抗が大きくて矢勢を落とす。
また、離れで弓に当たれば、硬い羽ほど、進路を変えて、的中精度を狂わせることになる。
私から言えば、安くて柔らかい羽を、自分の射に合わせて弓に接触しない羽の高さに調整するべきである。
私の場合は、角見の利きの関係で、羽の高さを7ミリにすれば、弓に接触しない。
つまり、離れに於いて、矢の方向性に狂いを生じさせないし、低い分、矢勢が上がる。
また、もう矢羽が痛まない。
弓の上手い人は羽が痛まない、なんていう人も居るが、そんな人は矢の並進運動をしていて、自分の前離れに気付いてもいないヘボ、間違いなし。 錬士あたりになると、離しと離れの区別がつくようになるらしい。
ただ、本当に離れているというより、離しに見えないような離しをしているのが、実情のようですね。
まあ、錬士でこのレベルだから、デビ板や2ちゃんねるで、話がかみ合わないのも当然だなぁ。
弓道の基本が出来ていないのが、大きい顔しているから、笑えるな。
弓道が上手くなるか、というのは勇気の問題が大きいなぁ。
頬付けを離れが出るまで、決して離さない。
これだけでも、怖さとの戦いだ。
しかし、顔を打ったって、極真空手に比べりゃ、蚊がとまったくらいのものだ。
また、馬手の手先から、力を抜いて、弦にかけをあずけるのも、暴発が心配かもしてない。
しかし、私のように3000本くらいの暴発をやると、顔向けの塩梅が分かってくる。
まあ、痛さが教えてくれる訳だ。
剣道で言えば、敵の刃を、皮一枚でかわす感じだ。
それでなければ、相手の骨は切れない。
いくら平和な時代の弓であっても、自分の身の安全を考え、安穏と弓を引いていたのでは、行き着けないところがある。
弓道にこうした側面があるから、敵とのやりとりは無くても、武道としての認知が有るのだろう。
熟達者になって、射品が有り優雅に弓を引いていても、そこには武道としてのせめぎあいを征してきた魂が見え隠れしているものだ。
離れで、矢筋を狂わせない為には、手先に意識が行かないこと。
しかし、その手先の働きを離れで働かせる為には、その手先の一歩手前の前腕の筋が張っていること大切。
その筋は、それぞれ親指と繋がっているもの。
わかんねえだろうなぁ。
弓をやっていると、ふと理由も分からず中る経験をすることがある。
おお、これで俺は弓の名人かもしれない、と思ってしまう。
外れる気がしない、矢飛びも良い。
射手としては、最高の気分である。
ところが、翌日になると、そんな感覚は微塵も無い。
私はこれを幻の射と呼ぶが、多くの射手に同様な経験があるようだ。
実は、この幻の射は偶然中っているのではなく、必然として中っている。
思うに、狙いは弓手に、中りは馬手にあり、と言われるが、正に馬手の状態が好いのである。
馬手の親指から肘までの力の連結が上手くいった時、肘で筈を引く感じになり、脇正面への並進運動も抑えられ、正直な矢飛びを発する状態になっている。
さて、会の状態で、馬手のどこの筋を張ると幻の射になるのか。
私に見つけられたのだから、他の人にもその可能性は有る。
そして、中る状態とその理由を把握していないと、また必然に中る射が幻になってしまうのだ。
自然な離れはかなり書き尽くしましたが、少し書きます。
まず、馬手先の力を抜くことです。ぎり粉は駄目です。
怖がりさんにはこれが出来ません。
そうすると、暴発する恐れがあります。
その暴発を沢山経験して、会まで暴発しない引分けを身に付けるんです。
また、その暴発のときに、的に矢が飛んでいかなければ胴造りが駄目です。
自分で離す凡射の射手は、会では胴造りが出来ておらず、離しのタイミングにあわせて、その瞬間だけ離れに備えています。
だから、暴発すると緩み、矢がまともに飛んでいきません。
ポイントは、弓手を肩甲骨から押し出していることです。
いつ離れるか分からないからといって、からだ全体を硬直させて備えてはいけません。
必要なところを必要な大きさの力で、離れに備えるということです。
また、暴発する時は頬付けのまま離れるので前離れにならず、矢の水平面の並進運動は抑えられます。
だから、顔向けが悪いと、弦が顔を打ちます。
これは、並進運動が抑えられている証拠ですね。
何回か痛い目に遭っている内に、正しい顔向けを身に付ければ、もう暴発も怖くはなくなります。
ここまでやっても、矢が的に飛ばないとしたら、手の内で弓を握っているからです。
自分で、離れのときに何もしなくても、角見が利いて矢の直進に道を開け、上押しが利き、弓返りがしっかりしなければなりません。
さて、発の問題ですが、色々有りますが、ポイントだけ。
逆丹田呼吸法を覚えましょう。
会の吐く息で、下腹を下に押し、その反作用でからだの前面が伸びで縦線を伸ばします。
この縦線の伸びで、横線・矢筋のテンションを増加させて、発を出すんです。
自分の引尺を目一杯にやったら、もう身動きが出来ません。
この時に出来るのは、息を吐くことだけです。
それしか無いので、それで離れへのテンションを高めるのです。
弓手でも、馬手でもない、離れでなければなりません。
他に、慣れない内は引分けの底で、弓力が急に強くなる弓・寺内系の方が、離れが出易いです。
いずれにしても、暴発するくらいの馬手拳でやらないと、自然な離れは習得できないでしょう。
弓にはその弓に固有の引き尺があり、また、各射手には射形を崩さぬ範囲での最大の引き尺がある。
この2つの引き尺が一致して、大きく引分けた状態が会である。
まあ、当たり前のことだが、射の出来不出来の基本の一つだなぁ。 私の巻き藁台は、可動式になっている。
今日は、後ろに動いた。
矢を抜くのに、後頭部と背中を巻き藁に押し付け、各100キロ以上の両の手の握力で、必死に引き抜いた。
そういうときには、矢飛びが見える。
つまり、並進運動・矢軸が波打っていない場合、直線の矢は見えるのだ。
そして、巻き藁に勢いよく刺さっても、何の身動きもしない。
自然な離れは、射によって悟りを得る事を見つけた時に、生まれたのかも知れない。
私は弓道を再開する前に、不言真如と知の統合という両対極の修得を手掛けていたので、会で一心に伸び合うことは容易に出来た。
それで、弓道を34年ぶりに再開し、3回目くらいの練習でそれを経験している。
それは、洗練された射ではないけれど、矢飛びも矢勢もすこぶる良いものであった。
こういった悟りの射は、技術云々ではなく、精神性の問題である。
つまり、三昧境に身を委ねることのみで実現することである。
その後は、不言真如で射を余す所なく感じ取り、知の統合をもって射を分析し積み上げて来たのである。
研究の結果、自然の離れにも3種が有る。
かつて禅の坊主が取り組んだ悟りの射は、純朴で技もない、精神性の自然な離れである。
これでは、佛道としての道はあるが、芸がない。
二つ目は、暴発を昇華してはいるが、離れの時機に満を持したものがない自然な離れである。
これでは、道も芸も半ばである。
三つ目は、満を持して出る自然な離れである。
この満の要素を具体的に書けば、3つになる。
一つは、離れの弓力に負けない詰め合い。
足踏み・胴造り・弓手・馬手など、微塵もためが在ってはいけない。
しかし、無駄に力んでもいけない。
二つ目は、身に即した最大弓力の伸び合い。
私の場合は、関板と弦の間隔は5ミリで、4寸伸びの弓で96センチの引き尺である。
三つ目は、一つ目の射の土台と二つ目のパワーを損なわない様にする馬手の指の解かれ方・弦の抜けの精密さである。
有為の離れであれば、前述の一つ目と二つ目が実現されて、自分で離せば良い。
しかし、自然な離れでは、一つ目を保ちながら二つ目に至って離れが出なければいけない。
このことは、ひとえに、三つ目の馬手指の結び微妙で、難しいことを表わしている。
しかし、離れの間際に馬手に意識がある内は、無駄な力が入って、自然に離れないものである。
これが武芸としての弓道の最上の離れで、雨露利の離れとも言われるものである。
射の真体、ここに在り、ということである。
しかし、離れが生ずると弓手には、会での力の数倍の力が働くと言われている。
確かに、離れで弓は一瞬に形状復元するから、その大きな力が弓手手の内にかかるのは実感される。
しかし、馬手の方は、離れの衝撃的な力を受けてはいない。
つまり、会と離れに於いて、左右均等に力の大きさが等しいのか、と言われれば、そう単純ではないと言うことだ。
会の状態では、離れの衝撃を受ける為に、弓手を肩甲骨から押し出すような意識で強固なものとしなければならない。
その反面、馬手は緩まず伸びる程度の力で、肩甲骨から右肘までを保てばよいことになる。
馬手離れは前離れを増大させるし、的中率を下げるので、意識としても左右均等ではなく、弓手重視である。
強固な弓手は、狙いを狂わせず、矢勢を上げることが出来る。
そして、このような考えの射では、自然と小離れになる。
弓手は、伸びのある残身になる。
この射を成立させるには胴造りの工夫が必要だ。
弓手が離れの衝撃に負けぬように、右の足裏での踏ん張りが必要になる。
既に、大三では胴造りを崩さぬように左足先に重心が掛かっているので、会では右足先と右足のかかとを付け加えた3点で、踏ん張ることになる。
自然な離れはかなり書き尽くしましたが、少し書きます。
まず、馬手先の力を抜くことです。ぎり粉は駄目です。
怖がりさんにはこれが出来ません。
そうすると、暴発する恐れがあります。
その暴発を沢山経験して、会まで暴発しない引分けを身に付けるんです。
また、その暴発のときに、的に矢が飛んでいかなければ胴造りが駄目です。
自分で離す凡射の射手は、会では胴造りが出来ておらず、離しのタイミングにあわせて、その瞬間だけ離れに備えています。
だから、暴発すると緩み、矢がまともに飛んでいきません。
ポイントは、弓手を肩甲骨から押し出していることです。
いつ離れるか分からないからといって、からだ全体を硬直させて備えてはいけません。
必要なところを必要な大きさの力で、離れに備えるということです。
また、暴発する時は頬付けのまま離れるので前離れにならず、矢の水平面の並進運動は抑えられます。
だから、顔向けが悪いと、弦が顔を打ちます。
これは、並進運動が抑えられている証拠ですね。
何回か痛い目に遭っている内に、正しい顔向けを身に付ければ、もう暴発も怖くはなくなります。
ここまでやっても、矢が的に飛ばないとしたら、手の内で弓を握っているからです。
自分で、離れのときに何もしなくても、角見が利いて矢の直進に道を開け、上押しが利き、弓返りがしっかりしなければなりません。
さて、発の問題ですが、色々有りますが、ポイントだけ。
逆丹田呼吸法を覚えましょう。
会の吐く息で、下腹を下に押し、その反作用でからだの前面が伸びで縦線を伸ばします。
この縦線の伸びで、横線・矢筋のテンションを増加させて、発を出すんです。
自分の引尺を目一杯にやったら、もう身動きが出来ません。
この時に出来るのは、息を吐くことだけです。
それしか無いので、それで離れへのテンションを高めるのです。
弓手でも、馬手でもない、離れでなければなりません。
他に、慣れない内は引分けの底で、弓力が急に強くなる弓・寺内系の方が、離れが出易いです。
いずれにしても、暴発するくらいの馬手拳でやらないと、自然な離れは習得できないでしょう。 >>547
おお、Backspace・上・下キーで戻れたのかっ
気づかなかったwこれでOKです 自然な離れは、射によって悟りを得る事を見つけた時に、生まれたのかも知れない。
私は弓道を再開する前に、不言真如と知の統合という両対極の修得を手掛けていたので、会で一心に伸び合うことは容易に出来た。
それで、弓道を34年ぶりに再開し、3回目くらいの練習でそれを経験している。
それは、洗練された射ではないけれど、矢飛びも矢勢もすこぶる良いものであった。
こういった悟りの射は、技術云々ではなく、精神性の問題である。
つまり、三昧境に身を委ねることのみで実現することである。
その後は、不言真如で射を余す所なく感じ取り、知の統合をもって射を分析し積み上げて来たのである。
研究の結果、自然の離れにも3種が有る。
かつて禅の坊主が取り組んだ悟りの射は、純朴で技もない、精神性の自然な離れである。
これでは、佛道としての道はあるが、芸がない。
二つ目は、暴発を昇華してはいるが、離れの時機に満を持したものがない自然な離れである。
これでは、道も芸も半ばである。
三つ目は、満を持して出る自然な離れである。
この満の要素を具体的に書けば、3つになる。
一つは、離れの弓力に負けない詰め合い。
足踏み・胴造り・弓手・馬手など、微塵もためが在ってはいけない。
しかし、無駄に力んでもいけない。
二つ目は、身に即した最大弓力の伸び合い。
私の場合は、関板と弦の間隔は5ミリで、4寸伸びの弓で96センチの引き尺である。
三つ目は、一つ目の射の土台と二つ目のパワーを損なわない様にする馬手の指の解かれ方・弦の抜けの精密さである。
有為の離れであれば、前述の一つ目と二つ目が実現されて、自分で離せば良い。
しかし、自然な離れでは、一つ目を保ちながら二つ目に至って離れが出なければいけない。
このことは、ひとえに、三つ目の馬手指の結び微妙で、難しいことを表わしている。
しかし、離れの間際に馬手に意識がある内は、無駄な力が入って、自然に離れないものである。
これが武芸としての弓道の最上の離れで、雨露利の離れとも言われるものである。
射の真体、ここに在り、ということである。 弓道の矢は、発射されると基本的に高低差のある放物運動をする。
実際には、空気抵抗もあり、矢羽や矢の回転によるジャイロ効果など、複雑な要素を含むが、ここでは単純化したものを考え、一つの傾向として捉えることにする。
私の身長は180センチだが、口割と的の中心との高低差は125センチである。
矢尺は103センチ、引き尺は95センチで、矢先から的までの距離は27,15メートルである。
会では矢筋が水平で、その通りに射出されると仮定することにする。
この場合で計算すると、矢が的心をとらえるときの矢の初速度は、193.6km/時である。
また、12時方向で的中する限界の初速度は、209km/時で、6時方向で的中する限界の初速度は、181km/時である。
つまり、水平に発射される矢の初速度が、181km/時以上209km/時以下の時には、的中出来るという事である。
的中する初速度の下限を元にすると、その上限までには15パーセントの幅が在る。
同じ引き尺でも、自分の意思で離した凡射と自然の離れでの射では、果して初速度にどれ程の違いが有るのだろうか。
巻き藁前での体感では、両者の違いは明白である。
自然の離れになると、弦が耳の辺りを通過する時点でうなりを上げ、巻き藁への刺さりも正直で勢いがあるので、はっきり底を打つ音がする。
凡射か、或いは自然の離れか、その射の中で引き尺の長短を的中する初速度の範囲で行うことは、15パーセントも有れば可能だろう。
しかし、そういった通常の射の誤差に、凡射か自然の離れかという異質な誤差が加われば、恐らく的の鉛直方向の誤差(36cm)を超えてしまうのではないだろうか。
現在は、有為と無為の離れが入り混じった状態だが、これで的前に立てば、恐らく的の上下に矢は散るはずである。
自然の離れがコンスタントに出るようになれば、その矢勢で高さの狙いを微調整し、中る射が実現出来るようになると思う。 やっぱり竹と木の合成弓でしょ。
それでなけりゃ、人がその弓に関われる領域が狭すぎる。
グラス弓やカーボン弓は、裏反りらしきものが無い。
恐らく、弦離れすると弦は矢を20センチ未満の区間加速して、そこでトップスピードに達してしまうのだろう。
だから、弦離れの初めの数センチ、ここの加速度が最も大きいのだが、そこで緩んだり、掛け帽子の腹に擦ったり、胸弦が引っ掛かったりすると、てきめんに矢勢が落ちて的の下に地を走る矢となる。
今日は久々に道場に行き、高校生の射を見てきた。
10名ほど居たが、全員黒塗りのグラスか、カーボン弓だった。
緩んだり、馬手の離れが汚いと、本当に矢勢なんてものが感じられない。
時たま、多少はまともな矢勢の矢が飛んでくるのだが、単に緩みが余り出なかったくらいの射だ。
こうしたグラスやカーボンの弓で、弓力の支えや上押しや弓の自捻などを出せれる筈が無い。
彼・彼女らがもし竹弓を使っていたら、上記の様なテクも射技の中に活かせて、もっと矢勢のある、奥行きの深い射を見せてくれただろうと、想像していた。 私が手繰り射法と記したのは、引く矢束の射であり、大離れ射法のことです。
会の右肘が肩より低く少し後ろに回っています。
肘から右前腕が3・40度立ち上がり、手首から折れて弦を矢筋に引いています。
会での円相という概念は無く、横の力線はブツブツ折れています。
ただ、馬手先で矢筋に引きつつ矢束を維持しようとしています。
この会では少なくても右肩か右肘のいづれかに詰め合いが無く、骨法も弓にからだが割り入って支えるでもなく、ただの力任せの会です。
なぜ、会はそれなりの引き尺で収まっているのですか。
伸び合いはどうしたのですか。
伸び合いというのは、伸びる余地が在れば延びるものなのです。
右肘が下なり、後ろなり、手繰ってもっと引くなど出来るはずです。
力加減の途中で馬手の引きが、支えなく浮かんでいるに過ぎません。
伸び合っても実の引き尺が伸びないのは、馬手の肘で伸び合っている場合です。
かけを弦の引きに任せて、右肘でいくら伸びても引き尺は増えません。
ただ、右肘の内側が強く詰め合うので、矢筋と横の力線との距離は狭まり、実質的に会が深まります。
手先で、引く矢束の会を大離れ射法と言い、詰め合い・伸び合いは駄目。
それでも、伸び合いは気力の充実で引き尺が増えるものではないなどと言う者の厚顔無恥。
鞭打ってやりたい。
俺の前で、ご鞭撻などと言う言葉を軽く使うと、怪我をするよ。・・・なんてね。 今日は、愛人兼恋人のパートナーさんがゆっくり眠っていたので、
私が炊き込みご飯を作ってしまいました。
マツタケが無かったので、エリンギとシイタケをメインに、
お肉や野菜、それにフノリも入れましたよ。
味付けは、マツタケのお吸い物とお醤油、みりんなどです。
おかづなんていらないくらい美味しいデース。
昨夜は、深夜まで1930年から1940年代のアメリカ映画を二人で観ていました。
アフリカの女王とか、オーケストラの少女とか、ビングクロスビーのGoing my wayでした。
好いね。
あの時代のは、やわらかな優しさがあって。
昨日は雨だったから、今日は弓も楽しもう。 本当は、私が弓を始めた切っ掛けは、
刹那を感じ取ることだった。
それは、生きることの最小単位とも云える。
仏教では、一弾指に65刹那が有ると言っている。
今の私の中では、離れてから矢が巻き藁に着くまでの3/100・秒間に、
視覚や聴覚、触覚などによる連続した知覚が数十コマで感じられる。
まあ、あくまでも主観だ。
TVのアニメを3秒くらいも見たのと同様な感覚といったら、分かり易いかもしれない。
物理的な時間の流れはほぼ一定なのだが、人が時間を感じる感覚には大きな差異が有るようだ。
前述のぼんやり見ているアニメと弓の離れに神経を集中している時では、一定の時間に感じ取るコマ数に100倍の差が有る様だ。
俺の巻き藁前は2.8mの距離だが、その時にもよるが矢飛びの後半部分が見えたり、矢羽で90度回転する矢の凡そが見えたことがある。
これと似たようなものは、力の感覚にも有る。
馬手指を結ぶ力の大きさは、各自色々だと思うが、私はとりわけ小さい。
まあ、そういう工夫もしているからだが、そうしていると、小さな力の変化を感じ取れるようになってくる。
一般的に、差を知覚して分別できる最小の刺激量を閾値というのだが、
軽い離れもそうだし、弓道全般に小さな刺激量の変化を認識できる能力は重要なことだと思う。
物理的な時間で計れば、80歳の生涯であっても、その人は何コマの一生だったのかという観点で計れば、刹那を感じて生きた人の生涯は劫にも値するのではなかろうか。
余りに過敏になって生きることは、苦をもたらし苦を増幅することだ。
しかし、小さな楽しみや小さな美しさ、小さな美味しさや小さな愛しさなど、
そうしたものをセンシティブに感じられるようになり、コマ数の多い時間の流れを過ごしたなら、どれだけ濃厚で充実した人生になるだろうか。
まあ、一晩に百万も使って、クラブの若い娘たちと時を過ごすのも好いが、何気なく見える日常に歓喜を覚えることも出来るのだ。
客観的な事実と人の感性みたいなものは、また別物であることを弁えるのが、初老に達した私の思いだ。 風切りの弦音が普通によく出るようになったら、
・・・奥義の射が出る様になったら、
声も好い響きで出る様になってきた。
呼吸法が声楽と弓道と似ているからだなぁ。。 いろいろと役に立つ稼ぐことができるホームページ
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