新陰流について語り合うスレ
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前スレ
柳生新陰流のような有名流派が本当に強いのか
ttps://itest.5ch.net/test/read.cgi/budou/1426175884/l50
後半にある提案に従って新陰流スレにした。
剣道の話題は基地外を呼び寄せるので厳禁。 前スレ終盤でそこそこ盛り上がった話題
本気の折甲を月影で本当に止められるか
上泉さんが柳生さんに教えたのに、新たに付け加えたのが柳生新陰流かと 上泉さんは愛洲さんから陰流を教わって、改良を加えたのが新陰流
何を足して何を引いたのか
影目録
燕飛
七太刀
三学
九箇
上記があるところ、ないところ 影目録が上泉伊勢守が伝えた新陰流技法を証明する一次史料として現状、唯一無二といえるくらい価値が高いのは事実だろう
言い換えれば、他の流派からも同じ史料価値のある伝書なりが出て来れば、比較検証する事も出来る 七太刀とそれから実は燕飛も外された型だな
今、尾張柳生に伝わってるものは、上泉孫四郎という伊勢守の孫だかひ孫だか って人から再度、学び直されたものが伝わっている
それは尾張柳生の伝書にも記録されている とりあえず立ててみた。
>>4まで前スレから適当に拾ってみた。 截相口伝書は上泉伊勢守からの口伝を石舟斎がまとめたものじゃなかったっけ?そしたらこれも一次資料だよ。
燕飛は学び直したのは事実だろうが、石舟斎の兵法目録には燕飛も書かれているから、上泉伊勢守が新陰流の燕飛を石舟斎に伝えたのは間違いないだろね。影目録では燕飛の巻はわざわざ作ってないんだろう。表太刀だから。 柳生新陰流は流儀名の俗称でしょう。柳生会のホームページにもさりげなく正式な名称は新陰流兵法だと書いてあったと記憶してるが、今探したら見つからなかった。柳生会は正式な流儀名を捨てて柳生新陰流ってことになったのかな。 とりあえずみんな
轉之書は読んだというか持ってるよね? >>1 スレ立て乙です。有難うございました。
>>6
>影目録では燕飛の巻はわざわざ作ってないんだろう。表太刀だから。
これは、燕飛ではなく三学の巻は表太刀だからわざわざ作ってない、、、でいいのかな?
三学は流派によっては内容が違う所もあるみたいだからね。 >>13
苗刀のコンビネーションは猿廻の形で終わるものがいくつもあって
陰流との関係を想像してしまう。 日本の剣術の最も精妙な技法は新陰流にあった
しかし柳生延春でその伝承は絶えた・・・
これが全て >>15
延春氏の弟子たちはダメなん?
厳長の弟子もいっぱいいたはずでは? >>2の話題に戻らないか?
技術論であったり
柳生一族は新陰流から何を加え何を引いたのか? とか >>17
>>2じゃないけど
柳生が一度燕飛を間引いて後に上泉の子孫に習い直したって本当なん? 間引いたねぇ・・・そう言われれば
三学もない流派やあっても内容が違ったりもするので
では、新陰流の本質とは何ぞや? ってことになるねぇ・・・
九箇は新陰流が出来るまでのルーツをまとめたものと見ることも出来るみたいだけど・・・? 習い直してるのが事実でも間引いていたとは限らんが、間引いてたとしたら兵庫助が間引いたのかな? 間引く理由がまったくわからん
燕飛と三学は必須中の必須じゃん
最近の一部の空手みたいに組手強けりゃいいじゃん型なんていらんわ状態になったとか.....あんまり想像できないな 間引いたんじゃなくて、隠したかったとか?
それとも工夫し過ぎて原点が失われるまで魔改造したとか? 隠す理由もよくわからん
古式が有効だった時代が終わり下からが生み出されるまで
扱いが適当だった...
ということもなさそうだよな 燕飛の分解として三学や截合を捉えるのなら、まあ分からんでもない まあそういう事でしょう 重複してる部分もあるからな
元々、七太刀や燕飛は神道流や陰流の型を持ってきてる色合いが濃い型だし
石舟斎が新陰流をさらに突き詰めて、整備していく過程で七太刀や燕飛は型としては発展的に解消されたのだろう
石舟斎はとにかく三学を最重要視してた人だしね それらの方が解消された上で新たな柳生新陰流が出来たの・・・か??? 進履橋には燕飛が載ってないんだよな
三学
九箇
天狗抄
奥義とは書いてないが同内容が6つ(高上がない
二十七截相 剣道の話題はNGだけど厳長の剣道八講の話はありだよな? >>27
>進履橋には燕飛が載ってないんだよな
でもずっとやってはいるんだよな
月之抄にも新秘抄に載ってるし >>28
それに書いてある剣道は現代剣道の事ではないから良いんじゃない? 取り敢えずこのスレでは柳生新陰流と言っている所は考察から遠慮願いたい所。
新陰流の理解には繋がらないから。 二十七截相と燕飛は被っている技が多いから、二十七截相やるのなら燕飛はやらなくても良いかも。
稽古としては燕飛は優れているけどね。 >>30
月之抄には確かに載ってはいるけど、 ただし、名前だけなんだよね・・
三学や九箇はその内容まで触れているのに、燕飛は型の名称しか載せていない しかも、その名前も間違って記されている
これはつまり、昔そういう型があったらしい事は知ってるけど、 実際に習った訳じゃないから詳しい内容までは判らない
って事なんだと思う。 江戸柳生は影目録持ってないから、 正確な型の名称を確認する事も出来なかったし >>32 33
そういう言い方するとまた伝系派閥の喧嘩を誘発するのでやめよう
今までのスレ、それでどれだけムダにしてきた?
純粋に技術の話しようぜ
逆に、燕飛をやる事で二十七を略せるだろうか?
一番簡単な結論は「両方やっとけ」なのだが、頭の体操として。
もしくは、燕尾に何を補足すれば二十七の要素を満たせるか? >>34
その仮説だと、柳生庄の新陰流の門人は燕飛をやってなかったという話にならないかい?
十兵衛は柳生庄に帰って、昔からの門人に聞いているのだし
江戸柳生が燕飛を知らず誤っていたのではなく、
敢えて改変したと解釈する方が無理がないのだけど
(燕飛も当て字ではなく敢えて遠飛、猿飛と書いた) 猿飛といえば獅子奮迅と山霞はどこに行ってしまったんだろう
柳生にも伝わってたはずなのに その二つは其々、二刀、二刀打物として 天狗抄に組み込まれたでしょ ね、だから柳生新陰流と言ってる所はテキトーな嘘吹くから…
27は廃れていないし、試合勢法には出てこないのもあるよ。
江戸柳生の伝書に出て来ない技は失伝しているのでは無くて、特に秘とされていたから敢えて書かれていないと、月之抄か柳生流新秘抄に書かれていなかったっけ? 獅子奮迅と山霞が天狗抄の奥なのは本伝の場合のみ。
本伝しか無い江戸柳生には普通に存在していたのではないかな。
尾張柳生独自の内伝の天狗抄だと奥でも獅子奮迅と山霞とは違うね。 >>41
>江戸柳生の伝書に出て来ない技は失伝しているのでは無くて、特に秘とされていたから敢えて書かれていないと、月之抄か柳生流新秘抄に書かれていなかったっけ?
今両方をざっと見返したけどそういうの見当たらなかったですね
浅学だし見落としかもだけど 新秘抄に燕飛がかなり詳細に書かれてるのは知ってる
ただ、あの書はかなり後代になって書かれたものだし、正直、内容の信頼性には少し疑問符がつくのではないかと思ってる
内容を見る限り、どうも尾張の燕飛とは内容があまり一致してないように見られるし ごめん。山霞って知らなかった。
どんなのですか?
勉強不足で申し訳ない。 >>44
まあそこは書いた当人が間違ってたら良くないから隠しときますって最後に注意書き入れて、
だから名前を秘抄にします、って言ってるしね…
復元江戸柳生だって言ってる荒木堂の燕飛をコレ読みながら見たら何かわかるかな
あと厳長師の「正伝」の伝書篇をざっと見返した
>>41 が言うようなことはそのものズバリそう書いてはいない
けど279頁に石舟斎と兵庫助の目録に燕飛はないが連也斎が載せるようにしたって書いてある
それで連也斎の業績の意義を念頭において、何で書かなかったのかなーなんて
脳味噌の中でコネコネしたらそういうアウトプットになるのもアリかなって思った 本伝の天狗抄内伝の天狗抄とか書いてる時点で転会臭が濃厚になったな
はい撤収 別にいいじゃん
それぞれどこに属するかなんて
入会する時にはみんなよくわかってないんだから
仲良くやろうよ 正伝には試合勢法の事は書かれていないよ。
「外伝」なんだし。柳生の宗家はプライド高い。 >>49
正伝云々、ってはのは燕飛が特に秘されてたって話に対してのところね
しかし正伝はプライドというか必死さが鼻について、読んでて辛くなるなあ
文章ですらこうなんだから、会話も推し量れる
延春師の道眼のフラットな文体読んでほっとするとかよっぽどだわ 転会の人を排除したら他に聞ける所無いじゃん(笑)。 道眼には厳長さんが残した原稿と延春さんが創った文章が混在しているから、厳長さんの元原稿持っていない人にとっては難解だよね。
両者の見解の違いは絶望的だ。 >>52
見解の違いって例えばどういうのがあるの? 山霞は天狗抄に組み込まれた時点で明らかに変わっているでしょ。
二十七箇条は試合勢法ができてからはあまりやらなくなってて、二十七箇条はやらずに終わった人が多いんじゃないか。そういう意味では廃れたと言えなくもない。試合勢法と被ると言えるのは極一部だけだと思う。 >>54は、本伝の時点で既に変わってるってことです。 >>47
そうとも限らんよ。転会を破門になった人の団体の人かもしれないし。 27箇条は江戸柳生では印可太刀だから大事は大事じゃない?
そこまで行かない人はやらないのかもね。 同意
うちが本家元祖正統
それでよそを貶してるのが楽しいって
これまでの過去ログ読んでたら醜悪だったし >>57
そうでしたね。江戸柳生では急之太刀が印可の太刀でしたね。
さっきは、試合勢法ができた尾張のことで書いてしまいました。 >53
例えるなら厳長さんが自分の山の山道に案内版を掲げていたとして…
厳長さんが亡くなってその案内版が倒れていたとして(あるいは意図的に誰かが倒したとして)、延春さんが方向がどっち向きに立っていたのか知らないけど、自分ちの山だから「こっちかな?そうだこっちに違い無い!」と立ててしまった感じ。
案内版の写真とかを持っている人が「違うじゃん…」と思うという…
間違っている事を指摘するのは重要だと思うよ。
他派批判とかマナーとかよりも嘘を通されるのは忍びない。
嘘ついている所が自重すれば見苦しい事も無いのだろうけど。 >>61
たしかに、貶めているのと、間違っていることを間違っていると言うのとは、違うと思います。間違いを指摘することは必要なことであるとも思います。
過去スレでも、個人的には、転会側らしき人の言い分の方が筋や事実関係が通っているように思えましたが、中には、ただ貶めているように見えるものもありました。
渡辺先生が言っていることと違うことを渡辺先生が言っていたと書いていたり。それを書いてるのは転会の人ではないのかもしれませんが。
貴方のご意見には同意できる面もありますが、ここでそれをやらなくてもよいのではないでしょうか。 ワケ分かんない例え話とかでケムに巻くのとか良いので
あなたは昨日からずっと訳知り顔で偉そうなこと言うけど結局何も説明できてませんよね
道場で手を取り足を取りなら阿吽の呼吸で分かるかもしれませんが
ここは言葉の場所ですよ
何がいけないのか説明できない印象論の人になってますよ >>62
すみません、渡辺先生が言っていたのではなく、渡辺先生が著書に書かれていることと違うことを渡辺先生が出元だとして書いていたことです。 >>65
いたね。自分にとっての基準が作家頼みってのがもう。 >>65
それは違うな
自分は向こうのスレには一度も津本陽のことを書いたことがない
向こうのスレをみるとわかるが、自分以外にも少なくとも二人は
津本陽ファンがいるようだ >>67
別に1人でも2人でも大勢に影響ありませんね
こちらが言いたいのは津本氏の延春師ageはもう耳タコだし話題の発展もないんで
新陰流スレでは結構ですよって事だけですんで
(もちろん延春師のこと自体は大歓迎ですよ) 新陰流から作ったボディワーク刀禅ってどういうのか
知っている人いますか? 稽古仲間と打太刀使太刀いれかわりで2時間ひたすら逆風やった
特に申し合わせしなかったのにずっとこれだけやり続けた。
こういう稽古もたまにはいいよな。 逆風って何をもって逆風なのかな…
っていつも思う。きっと「これかな」という部分は違うだろうなと考えているけど。 切り下ろして誘って逆から切り下ろして決めるから逆風
だと思ってた 誘い込んで出させた敵の剣筋とは
逆の剣筋で向かい斬って勝利するからでは? 九箇はそれぞれの技がどの流派から持ってきたものか
明らかになっているんだっけ 必勝は卜伝の得意技って聞いたことがあるんだけど、
むしろ卜伝が左太刀の相手に勝った話しか知らないので本当かどうかわからない。
あと九箇が他流そのままなのか上泉アレンジが入っているのか気になる。 必勝が卜伝流
逆風が陰流
十太刀が神当流 だったかと・・・?
和卜 は陰流?
捷径 は陰流か念流? 知らん
違ってたら知ってるヒト、訂正求む 一応九箇は全て陰流にあったモノらしい。
愛州氏が当時の様々な流儀の良いトコ採りしたんだって。 必勝は新当流の使い手 結城シンサイ が得意にしてたのを、これは使えると思ってパクったんじゃなかったっけ 愛洲移香斎が選んでたとしても陰流の技ってことではないでしょ。九箇は元はほとんどが神道流でしょ。 >>81
愛州では?
連也さんの伝書にユウキさんと上泉さんとでは遣い方が違うと書いてあるから。 上泉氏は両手で抜いてから斬るけど、ユウキ氏は片手だけ避けてダイレクトに斬りにいく。 某ブログより
正伝新陰流に下のことが載っている
必 勝
本云。是ハ左太刀也。上段右ノ肩ニカマヘ、左ノ足ヲサキヘナス。敵、懸(ケン)ニシテ身ニアラソフト時ハ、其ママ勝。又、調子ヲヌキ越テアラソフ時ハ、敵ノ右ノウラヨリ勝也。
厳云。打太刀カネノツモリノ構也、ユウキノシンサイハ、シュリ・シュリケントツカフ也。直(ジキ)ニ、打ツケ々勝也。伊勢守流ニハ、ヌケテ勝也。
『正傳新陰流』柳生連也自筆相伝書より 左太刀で下段セイガンで待っていると敵は右手を打ってくる。
それを外すんだけど、上泉氏は両手で柄を持ったまま上へ外すけど、ユウキ氏は右手だけを外し左手はそのまま攻撃に入るという事。 >>88 有り難う。
なんとなく総合的な印象として
陰流以前は柄を持つ片手を放し
陰流以後は手を放さずクネるようになったって事かな? >>88
いや、必勝ではクネッてないんだけどさ、なんとなく・・・。
それに、それ打太刀の話? いや、クネってはいないよね。
左太刀はウラ筋狙いなのだから、クネる必要は無いのでは? 言わんとしてる事はよく判るけどね
下段だし、拳外してそのまま攻撃に入るって事は、乱剣みたいに一度上げ外して上から打ってくという訳でもない
なれば十太刀みたいに下段からそのままクネってくイメージというのは 十太刀とは敵の刃筋と狙いが違うからクネらないのでは?体制キツいし。
必勝の勝ち口そのままで、単に上へ柄ごと一度上げるか柄の位置はそのまま右手だけ外して勝つかという話。 腕はくねらないが、そう言われてしまえば、剣先は結果的にくねっている様な気がしないでもない様な気もする様な……? ここでクネってる感じがまったくないのでイメージができん 敵の刃筋も狙いも歩法も勝ち口も違うが
十太刀に歩法を加えて狙いをずらせば必勝になるか?
と考えれば、ならなくはない、、、か、、、? 十太刀は間合いの詰め方と誘いの妙が重要だから、歩法とかはまた別の話になってしまうよ。
歩き方変えても必勝にはならないよ。 十太刀は間合いの詰め方よりも
機を読む方が重要で、
誘いに関しては九箇全部のテーマ
十太刀にだって歩法はあるしクネリだってある
歩方は技の全てと言っても過言ではない面があるので
補法を変えれば技の根幹も変わるし
技そのものだって変わる 九箇の太刀って、上泉伊勢守信綱から柳生一族にのみ伝えられたもので
他の新陰流には伝わってないっていうのは本当ですか? 新陰流には歩法という単語は出てこないけどな。
何処の人なんだろう。 >>101
上泉伊勢守から西一頓宛の目録には九箇が記載されているね。 逆風の打太刀の新当流タテ一文字の構えっていわゆる一之太刀って習ったけど、世間じゃ一之太刀は失伝したことになってるの?
失伝云々はネットレベルの知識 >>101 >>103
疋田の系統は三学からして名前も違うから解り難い
現状、九箇なんて残ってたかな? >>104
打太刀は使太刀に負ける訳で、君の理屈だと
逆風は陰流が鹿島新当流を破る技だという事になるが?
で、逆風の打太刀に、
塚原卜伝の生涯をかけて産み出された一子相伝の奥義にして
それにより鹿島新当流を創始されたとまでされる原理が内在されていると
君はそう主張する訳だね?
当方には、とてもじゃないが
逆風の打太刀にも使太刀にさえも
そこまでの最高峰の原理は読み取れないので
そこまで主張されるならば
もう少し詳しくその原理を語って下さらないだろうか? >>106
え、そんなこと言ってないけど...
こわっ...... 逆風の打太刀はヒトツノタチでは無いですよ。
上の人は新陰流の人では無い様なので、どうか忘れて下さい。
あと、新陰流の場合打太刀が負けると決まっている訳ではないですね。
技術の説明の為便宜上負けているだけで、使う技術は使太刀より遥かに上なんです。
新陰流ではヒトツノタチと呼ばれる技術の情報は持っていますが、それが本当か否かかは僕らは存じません。 >あと、新陰流の場合打太刀が負けると決まっている訳ではないですね。
>技術の説明の為便宜上負けているだけで、使う技術は使太刀より遥かに上なんです。
それは知らんかった
指導者が打太刀になって志立を指導するからじゃなくて?
正直、打太刀の技そのものに、そこまで秘められた何かを見たことはない。 >>108
下の3行は言い過ぎな気がします。
砕きとかの話をされているのなら解らないでもないですが、
例えば打太刀が勝つ技って何があります?
必勝で打太刀が使太刀より優れた技術を持ってる説明、できますか? 便宜上負けていると言っているのです。
敵が左太刀の場合、下げていて右手に行くならその右手が身体に近い場合にしか行かないです。
身体から右手を離して誘っている場合は、本来なら打ちに行かないですよ。怖いから。
対左太刀で勝とうとするなら無二剣という強力な技を遣うでしょうね、上位者は。
でも遣わない。必勝という技の説明の為に。 >>102
98です。歩法という言葉を最初に使って
歩法という言葉は新陰流では使わないのでは?
と指摘されました。
そう言えばうちの新陰流の師匠は歩法とは言ってませんでした。
自分が中国武術出身なもので、つい歩法という言葉が出てしまい失礼しました。
>>100さんは話を合わせてくれたのでしょう。
必勝にくねりがあるかどうかも、中国武術で言う「意念」の話であって(正確にはくねりではない)
意識の持ち方の問題ですから、完成された表太刀の必勝には形としては出てきません。
あくまで中国武術経験者が新陰流を学んだ時に得た、意識の置き方の共通項とでも言いましょうか
型の完成に至るまでの術理仮定の一解釈だったと受け取っていただければ幸いです。 いちのたちは諸説あって塚原卜伝のは何だかわかってないのでは かつてこれほどちゃんと技術議論をしている新陰流スレがあっただろうか 伊勢守が北畠具教との交流の中で教えてもらった、という説が確かあったような 卜伝流にしろ新陰流にしろトドのつまりはヤり合いだった訳ですから、互いにヤられない為に研究していた事は想像できますよね。
当時、敵はこういう構えからこういう打ちを〜みたいな想定で剣法を編んでいたと感じるよね。
他の流派にも「新陰流の人はこうしてくる」みたいなのが伝わっているなら、是非伺ってみたいモノ。
現代ならそういう情報交換は可能でしょうね。 一之太刀がそんなにレアで隠されたものなら斬り合いする可能性もほぼないので想定の必要もなかったかもね
使い手がほぼいない技なんてないも同然 知らなかった。
新陰流さんでは歩法って言わないんだ?
じゃ、なんて言うのです? >>117
>他の流派にも「新陰流の人はこうしてくる」みたいなのが伝わっているなら、是非伺ってみたいモノ。
有名なのはやっぱり示現流でしょうかね
タイ捨流を仮想敵として、タイ捨流の技も導入してますもの >>116
石舟斎も新陰流の前に新当流を学んでますしね >>118
そういう話じゃない
古流が古流でなかった時代には、技法を隠すの当たり前だけどな
>>120
色々とレスを読めよ 相手を思う通りに動かせずイライラしているのであれば
新陰流修行者として未熟 新陰流から分流したとされる流派でまったく新陰流の雰囲気というか技の片鱗を見ることができないのはなぜなんだろう。
創始者的に新陰流を見限ったのかもしれないけど、中には古い新陰流を残してるアピールをしているところもあるのでよくわからん 中国拳法から新陰流に転向ですか…?。
拳法より型が多過ぎて稽古不足になるが。
まともに働いていればね。
拳法で他人より上達しないから古武道に逃げたり転向しても同じことだ。 >>133
こういうのやめてくれ
普通に技術やそれにまつわる歴史や蘊蓄の話がしたいのだ。 >>133
武備志のカドで頭へこむまで自分の頭殴って来い 新陰流といっても上泉武蔵野守からわかれたのと尾張柳生とはかなり違うだろ すまん安価つけなかったからわかんなかったか>>131のレスのつもりだった 実態として上泉の新陰流と柳生の新陰流はどれくらい違うんだろう。
内伝外伝は柳生からのものだけど
本伝だけを見たときに上泉の新陰流とどれくらい違いがあるのか気になる。 新陰→無住心剣→加藤田新陰→松崎浪四郎とかどんな変化をしていったとか想像できない 現在の尾張に伝わっている新陰流の本伝は、江戸期に尾張藩士の長岡房成(新陰流皆伝)が柳生家に伝わる伝書と口伝を基に復元したモノなんだよね。
柳生の連也辺りは上泉家の人に燕飛を教わったりしている記録もあるので、結構本当に近いのではと観ているけど。 >>141
> 柳生の連也辺りは上泉家の人に燕飛を教わったりしている記録もあるので、結構本当に近いのではと観ているけど。
上の方でも質問があったけどいつ誰が残した記録? >>141
長岡伝というかこの話はよく聞くんだけど
当時の尾張の華法になった新陰流はどれくらい崩れていたのか気になる。
あと長岡の復元となると上泉伝と今の尾張系は別物と見るべきなんだろうか 長岡師の復元は柳生家の伝書や口伝を解析、研究していてその詳細も記録しているのですけど、それを読む限り逆に本伝と言っている上泉伊勢守の遣い方とその復元されたモノが違う要素が見つからないです。
別物と言い切れる人は具体的に何をもって違うのか例を挙げて欲しいです。
長岡師以降の新陰流宗家達も長岡師からの伝承を尾張の新陰流としていますし。
しっかり残っている可能性が高いと思われるので、他の新陰流の方も研究に値すると思われるますが。 よく言われる通り、尾張に入った柳生家で半身→向身と低い姿勢→高い姿勢みたいな変化はあったのでは? >>146
だから、長岡桃嶺なんだろ? っていうw 自分で参考してるものが長岡桃嶺になってるじゃんw いや、自分でも様々な新陰流の史料を研究していますが、長岡氏の伝書が一番詳しく具体的に書かれていると思うのです。
なので、別にそれ以上に良く理解出来る史料があるなら、是非教えて戴きたいです。 >>147
その件についても変化の過程や理由について詳しく書かれています。 江戸期に皆伝者が復元しているのと、現代の人が昔の絵(酷いとネット)から想像しているのでは、違うよね。 新陰流の全伝を受け、口伝を知っていて、その後も長年に渡り研鑽・研究した人が伝書や口伝を元に復元するのは、「復元」。
他流や現代剣道や居合はやっていても新陰流はやってなかった人や、やってはいてもそこまでの理解度もない人などが、伝書などを読んで作るのは、「捏造」。 >>146
そりゃ長岡さんはその当時残ってた柳生家の口伝や伝書を元に復元したんだから
現在残ってる口伝なり伝書で分かる範囲での矛盾はないんじゃないの
それ以外の部分でどれだけ再現できてるかの補償はないてだけで 実力
関>>>忍者オヤジ ポール>決して超えられないガチの壁>黒田>柔剣永野>藁斬り>沙人>信者以外の一般人にボコられる壁>甲野>日野>>とみ新蔵>平成の侍 ネットしか見ないエセ判定者はいらんよ
九箇の話は技術論的で良かったな
話題を戻してほしい 外伝試合勢法ってひとり稽古で手順通りのカタやったりする?
俺は相かけ、打留めとか主要な技を素振り的にやってる >>85と>>86の間につながりが見えなくて困る
>>156 それこそ独りで素振りは難しいんじゃないか? 練習としてはアリだけど >>157
あくまでひとりだけの時の練習でやってる範囲だよ >>158
袋しないでやっておいでです?それとも木刀? >>160
素振り調でやる時は木刀
サンドバッグやものを打つ時は袋しないです >>155
俺の中では九箇といえば和朴。
異様な程に難しくないですか? >>162
難しすぎるがおもしろい。
出稽古に行ったある稽古会は毎回稽古の仕上げに全員で和卜やってた。 素振り2000回で入門ってとこもあるみたいだから素振りには一時間以上かけてる >>162 >>163
加朴は2種類あるが、、、?
刀同士が触れ合わず一方的に斬る型と
仕太刀が打太刀の刀を横というか、左斜めに弾き落としながら斬る型
どっちの型かにもよるが、どっちの話よ? 新陰流のカボクは刀には当たらないよ。
討太刀目録にも刀に当てちゃダメと書いてあるじゃない… 和卜はなぁ。。。
当てて落とす所もあるにはあるが。。。
それをやってる所は
相手が持ってる刀ごと鎺(ハバキ)手前の峰部分を
打ち落とし手放させる技もある。
かつての御前試合で
活人剣としての流儀の圧倒的優位を示すのに
使われたやり方であったとかなかったとか。 ttps://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/archive/da/detail?data_id=011-557389-0
「剣術の秘伝書(新陰流)です。福井藩の剣術師範出淵文太郎盛務(柳生新陰流)が写した写本で、原本は別の師範横山家(新影松田方幕屋流)に伝わっていたようです。一見すると書きかけのように見えますが、これも秘伝なのでしょうか。」
長岡伝で昔からのものとは別物になっている説があるけど、
これを見る限りあまり変わらないような気がする。 >>168
それ、違う伝説だった様な気もするが
上泉伊勢守より石舟斎が賜った公案の答えが
その変化にあるという説(方便)もなかった?
誰か詳しい人、解説を頼む
>>169
書きかけには見えないが
素晴らしい! 参考になりました、有り難う!
>>169 カボクは刀には当てないですね。
カボクに限らず刀叩いて落とす様な事、尾張の新陰流ではしないですね。
刀に当てないから御前試合で相手は「指」を怪我したのだし。 >>172
一言で片付けたな
叩き落とす、って用語の厳密性に171のこだわりがあるかもしれんが >>172
尾張の一派に相手の刀に触れて外すカボクを併伝する流れが合ってだな 叩き落とすの解釈が違う気がする。
叩いて防ぐ逸らすか
文字通り相手の手から刀を飛ばして徒手にするか 何処かを叩くはアリだろうけど、刀を落とすのが目的では無いよね。
結果、刀が落ちる事はあるだろうけど。 >>171
そもそもこれが
刀が当たる当たらないの話から叩いて落とすになってるから
刀を当ててのる防ぐ逸らすの話だと思っていたんだけど、
はね飛ばす系の話になってないか? 和卜には
刀を当てないのもあれば
刀を当てて防ぐ逸らすもあれば
刀を叩き手から落とし戦闘不能にするのもあるってことでしょ カボクは…
刀は当てます。けれども、当てる場所と当たった後の体捌きが重要です。 そしてカボクの最終目的は絶命です。
戦闘不能にするのが目的では無いですね。 柳生では活人剣を言い、人を動かすから始まり不殺を含める人もいるけど
他の新陰流ではどうなんだろう? 刀の根元をを叩き相手を傷付けず手から落とさせて戦闘不能って
理想としては凄いけどさ、実際に出来るものなの?
相当に難度が高くないですか? 「相手を傷つけず」にという概念がそもそも新陰流には無いですね。 そりゃ軽くたたくだけなら落ちねーだろよ
鉄パイプや鉄柱を持って思いっきり
地面までえぐれる位では済まない程に
叩きつけたらどーだろな? そんな風に叩きつけるなんてのは和卜とは真逆に近いし、もはや新陰流の発想ではないな。 新陰流ではないが、
>>186の疑問に可能か不可能かで答えたら
全くの不可能ではなさそうかもな?って答えになるだろう
で、不可能でないのなら、他にやり方はないのか?
という風に思考を持って行く必要がある。でないと
答えなんて永遠に解らないままになるから
どう考えてもムリだろうとか、それは〜〜じゃないとか、
それは思考停止は出来ても
そこからの発展は一切ない停滞と破滅の思考だわ >>190
言ってる事は抽象的に言えば良いこと言ってる風だが
ラーメン屋に来てステーキ焼けって言ってるのと同じだってこと分かってる? カボクはそもそも9箇の中でのカタが勝口では無いのですよ。
柄を獲ったらその先が有ります。
よく知らない所が嘘を流布するから、誤解を招いている様ですね。
獲り方が上手いだけなら、すぐに弟子入り決める程感銘を受けないですよね。 >>191
では、和らげ要素を保たままでは不可能なのか?
>>192
>ラーメン屋に来てステーキ焼けって言ってるのと同じだってこと分かってる?
何処にもそんなことは書かれてない
思考停止するなと言われても思考停止したままの人達
大丈夫? 最近黒田スレとかでいよいよ相手されないからって
日本語の読めない変なのが帰ってきたか
ここんとこは静かで良かったんだがな >>194
そもそもラーメン食うって発想に固執しないのが新陰流
叩いて落とせないなら籠手を切ること狙おうってのが発想としては正解
君の「叩きつけたらどうだろな?」って意味不明な発想はラーメンに固執してるだけの停滞と破滅の思想 >>190 言いたいことは分かります
それは上の方に何日か前に書きましたが、自分は中国武術出身なので
様々な奇天烈な発想を生み出し組み合わせる土壌を受け入れやすいからかもしれません
因みに、中国武術には、武器同士の軽く柔らかい接触によって敵の武器を取り落とせる技が有ります。
自分が知っている和卜は打太刀の刀とは接触しませんが
和卜の解しとしてはその様なやり方もあるのかも知れません。
敵の武器を落とすやり方は知っていたのに発想として結びつきもしなかったので眼から鱗で勉強になりました。有難うございました。 和卜で打太刀の刀に触れるか触れないかって
単に打太刀の手首に付け乗るとこを練習では刀を抑える形式でやってるってだけの話じゃないかと 手首に行きたい時に木刀では危険で行けないから、袋竹刀が考案されたと新陰流では伝わっています。
折角直接手首に行く意味を稽古できるのに、わざわざ刀身に行く意味とは… 刃をいなすのか、手首を斬るのか
どっちをするかでやる事も変わるでしょそもそも >>200
最終的には一つの動作でそれら全部が出来る状態まで持って行けて初めて本物なのでは? >>201
??
間合いが違えば求められる技術も違うのになんで無理矢理一緒くたにしようとするの 新陰流を名乗る割には決め付けや思い込みの世界で
アタマ凝り固まって何かに執着してる奴が多い
正反対に新陰流をハミダシても構わないみたいな
スーパー柔らかアタマもチラホラ
そんな両極端な印象
この違いはいったい何だろな? >>203
はみ出してもかまわないのが柔らかい頭とは言わないよ。
使い方はいくつかあって当然だが、変幻自在なこととその技がどういうものかを分かってないことは違う。 和卜で柄中にってのは、初級者は腕力で叩いたりするから柄中でやったりすることもあっただけで、本来は柄中じゃないよね。
もし柄中で教えてる人がいるなら、それはその人が腕力で叩くような人だったり、ヘタすりゃ今でもそうだってことだ。それで和卜だ新陰流だと言ってても所詮は初級者と同等レベル。 新陰流のカボクは先ず柄中を獲りますね。
初心者でも、免許持ちでも。 和卜
取り揚げ
左拳又は柄中を上段位順勢で打ち乗る
下から
中段位に取り上げ越し左拳に打ち乗る
または下から左拳、柄中に付ける
古式
方ノ積ニテ拳際ニ付ケル 拳際が何処かによって解釈は変わりそうだね
方の積が何かにもよるけど
>>193 >>205
流派によって物凄く変わるからね
>>204
ここで「はみ出しても構わないような」と言われてるのは
本当にはみ出してしまうのとはまた違う意味かと
頭が固いって指摘されてるのは、たぶんそゆとこ カボクは上泉氏より古い技術だから、流派による違いは無いですね。
どこも同じとなっている方が信頼できると思いますが。 そもそも型なんだから一番難しい想定で稽古しないと意味がない
楽な事やってても盆踊りにしかならないだろう >>210 ならば色々な新陰流の動画を探してきなさい。どこも見事に似通っているようで違う。或いはまるで違う。 なんで映像出している所が全て正しい技術を持っている前提なの(笑)? 逆風を片手水平斬りでやる流派もあるらしいと聞いた事があるが? 真実はいつも一つと思う奴が、この手のスレをいつも荒らす 真実を語る人がいると困る人が荒らす様に見えますがね。
では、もう来るのはヤメにします。
皆さん、ご機嫌よう。 荒らさない
難癖をつけない
揚げ足を取らない
脊髄反射レスしない
相手の意図をよく考える
何か書かれてもいじけない
荒らしは即NGして忘れる
みんな仲良く議論 >古い技術だから、流派による違いは無いですね。
>どこも同じとなっている方が信頼できると思いますが。
この前提自体が限りなく怪しい、有り得ない話だからなぁ・・・。
まぁ、議論する気もなく自分の世界だけに引き篭もって
自分から出て行った人だから、忘れてまた元通りの平常運転で行きましょう。 ・自分だけが正しい
・他の所の技術は間違い
・自分だけが知る真実を語ると、困る人が荒らしてるに違いない
こういった感じの妄言を頑なに騙る人が出て来ると
会話自体が成立しませんね、でも
ひとりひとりが我を抑えて相手を思いやって気をつければ済むことです。
優しい気持ちでお願いします。 >>214 >逆風を片手水平斬りでやる流派もあるらしいと聞いたことが
とても気になります。 >>224
この流派というのが新陰流のことなのか別のところなのか... 変なこと言い出す奴がうまい具合に他のスレに散ったから良いんじゃない?
前のスレが終わった途端に黒田鉄山スレとかが妙な具合になってるし
荒れて進むくらいなら静かで良いよ 前に聞いて誰も答えてもらえなかったんだけど
ひとり稽古で素振りは何種類くらいを何回やってる? >>228
外伝でやってるって書いてる人がいたんだから全くってのは言い過ぎだろ >>230
カタがあるだけと言えば言い過ぎだけど
素振りに関しては稽古会によって違う
剣道みたいなのをやるところもあれば
カタのパーツを取り出して素振り化したり
場所によってはやっているけど素振りという言葉を禁じているところもある なるほどでは新陰流以前においては素振り稽古がなかった可能性もあるわけだな 前田氏が制定した十通りの太刀筋と呼んでいる素振り
第一、雷刀から中段への切り下げ
第二、青岸の構えからの切り
第三、斬釘
第四、猿廻第一
第五、猿廻第二
第六、和卜順勢
第七、和卜逆勢
第八、クネリ打ち
第九、横雷刀からの山陰切り
第十、横雷刀からの手引
コピペ元の人が小用氏が定めた基本刀法を書いていたと記憶するが見つけられなかった。 下川潮が剣道の発達で素振りについて
「腰に刀提げてるような時代の人間が剣術やるにあたって
素振りしてないわけないんだから、わざわざ教えるほどの
こともない当たり前だから言ってなかったんじゃないかな」(意訳)
みたいな事を書いてた気がする 直心影流や示現流みたいな素振りの様式が無いか知りたかったのかな 三学に猿廻、和卜、クネリ打ち、手引き
これぐらいで素振りやりたきゃ十分じゃね? 何か違和感があるな素振りは鍛錬だけど
あれか居合の様な一人型は有るのかって事? 黒田鉄山スレはシャトの信者が出てきてだめになった
変なファンがつく先生はかわいそう 素振りって言葉も、まあ奥が深いというか
人それぞれイメージが違いそうだね
立木打ちとか振り棒みたいなのもあれば
外伝の部分練習もあるし
新陰流の縁で言えば柳生心眼流の素振り二十一箇条は
同じ型で二人型にも独習型にも使える 柳生心眼流の素振り独り型の発想を持ち出すのならば
三学円の太刀と九箇の太刀は
素振りに持って来いだと思うけど >>243
むしろ黒田信者が暴れてるようにしかみえなかったが
こっち来なくていいよ >>245
三学、九箇は確かによくやる
素振りというか反復練習というか... 九箇の逆風邪、必勝、和卜、小詰、村雲、八重垣は素振りに向いてる気がする 新陰流系統は素振りがないのが基本なんだな。あるとこにはあるだろうけど。 そう言う意味のない書き込みするなよ。
間違ってるならちゃんと正せばよいだけ。 >>248
>>250
太刀の振り方として、廻し打ちや、くねり打ちでの切り上げ、切り下げを教える所もあるかと
逆風、十太刀、小詰大詰の独り使いはそうした素振り的な練習に向いてるかもですね
素振りの話で八重垣、叢雲が出てるのなら猿飛猿廻が出て来てもいいと思います 延春さんの逝去で終わったという意見が多い。
確かに、生前の延春さんのように多くの武道師範に新陰流について詳しく講義出来る人がいるかという問題がある。 書いてる途中で送信しました
八重垣、叢雲がわかりませんって言う話の流れを案外耳にしますがどうなんでしょうね?
これはどうも流派や道場によって違いがある様な気もするんですが?
以前話した人は、自分の流派とは全然違って一刀流や剣道の様に打太刀の太刀をはじいてスナップ利かせてましたが
十禁習を思い出しまして何も言えなかったのを思い出しました。
皆さんの所はどんな感じですか? ノブさんの講義は厳長先生の残した原稿丸読みだから、コーイチさんも同じにできるので良いんじゃない? >>257
それは若しかして
剣道に影響された道場の事情とかでは?
八重垣の話が出たのでいい機会だと思って。
ちょいと昔っからの疑問で何か誰にも聞けずにいたんだけど
Tさんという漫画家が、
八重垣は多人数相手の方法だと描き解説してたけど
本当?
九箇の八重垣って
複数の敵に囲まれた時の抜け方だったの? いや、言いたいことは分からんでもない
八重垣ってなんであんな動きというか形になってるのか
発想が説明できない ん? 尾張だと、輪の太刀や魔の太刀ってやつじゃないの? 尾張でも八重垣は輪之太刀遣うね。
あと、多人数相手では無いよ。 技を盗むために立てられたスレの様な気がしている。
具体的なことは書くな >>59
八重垣の打太刀が輪の太刀使うとか書いたくらいで盗まれることなんてなんもないだろ 尾張柳生の伝書に書かれている事だから、半ば公開されている様なモノだよ。 >>234
>第四、猿廻第一
>第五、猿廻第二
どんな動作ですかね? >>269
燕飛猿廻ひとつめとふたつめだよ
>>270
検索して普通に出てくることだし書籍にも書かれてる程度のことで
めくじら立てるなよ ホントに。
猿廻と言っても嘘動画ばかり出てるから、解らないと思うよ。 自分の所だけが正しいと思っていたら、 相手の方も同じように思ってるかもしれないから、 結局、同じなんじゃないの?
自分は真実を知ってるからいいんだ と思っていても、それもやっぱり相手も同じだしねw なかなか難しいねw でもさ、伝書が残っているからね。
自分の所はその伝書と合致しているのか気にならないのかな。
猿廻だって「どこが猿なん?」という所ばかり。
そういう所は伝書と違うと指摘されたら、柳生利方が嘘ついてるとか言うんかな。
やはり様々な方面から分析して正しい技術を得る方がいいよ。 >>271 どうも有り難う。
>>270
自分のとこではそう言う言い方しないから
分からなかっただけだよ。
あんたこそいい気にならないようにな。 >>270 お前の勘違いと病的な思い上がりが証明されたなw
今、どんな気持ち?
ねぇ、どんな気持ち?
∩__∩
/⌒ ⌒ヽ ♪
(●) (●)ヽ
ハッ |(_●_) |
ハッ ミ、|∪| 彡__
♪ / /ヽノ __/
\_)\ ヽ
(>――、 \ ヽ
/ つヽ. /⌒_)
:| ー:|: | へ |
>..::ミU(● (ノ U
:f .|:イ゚。
:|| :|:|:
:V :ヽ_):
:| : イキリは誤解部分だけ否定して後はスルーしておかんと
要らん恨みを買って荒らしに化けられるぞ
心法心法 >>276
気持ちは分かるが、辞めて差し上げなさい
そもそも自分だけが正しいとか技を盗まれるなどと騒いで
変な妄想に捕り憑かれてみんなの会話や議論を邪魔する程度の輩は
その程度では治らんだろうし反省も出来んだろうし
そこから学ぶなんて出来んだろうし変わるきっかけにもならんだろうから
そんな情けない奴に関わって、良い理由が何一つない
例えどんなにからかわれようと嘲笑われようと、そこから振り返り変わり、成長する気などないだろう
と、ここまで煽っても変わることなくムダかもしれない 何か知りたい人は蝉さんに聞けばよろしいのでは?
相当お詳しいようだから、色々教えてくれるんじゃないかね。
「柳生新陰流」の事をね。 猿廻に話を戻すけど
本や動画なんかでは本当の猿廻なんかないって
ネットでも何でも本当の技なんて度の人達も出来てないっていう
一連の主張をする奴がいるけど、、、
、、、それ本当? どうだろう…
新陰流から見ていると、柳生新陰流とかいう所の猿廻は違うと感じるけど。
柳生新陰流で「うちはこう習った」とか言うなら、柳生新陰流では本当なのではないか? 他所の伝系をけなすと話に発展性がないからいけない
なぜ違うのか、からの「奴らは邪道だからだ!」は
無邪気なまでに短絡的だ
動きが自流派と違うのはどんな意味を重視したから差異があるのか、って考えの方が
修行の利になるし、そういう見方は人生も豊かになる
と思う
>>220 と222を次スレテンプレに推薦します 会が別れた経緯があるから別派に対して思うところは有るだろうけど、ここではそれを除いてというのが望ましいよね。 新陰流を知りたいのなら、新陰流では無い所の情報は何の役にも立たないと思うよ。
色々な剣術の事を広く知りたいのなら、どの様な形の議論でも良いと思うけど。
ここのスレはどうなの? >>288
基本新陰流でしょ、他流派を経験した人は居ても。
問題は何を持って新陰流とするか、
誰が何を認めずに自分だけが正しいと言い張るか、だね
286さんの
>>220 と>>222を次スレテンプレに推薦します
には全面同意です 成る程、新陰流に限るのね。
では新陰流と名乗る新陰流では無い所の話を聞くのはどう?
そこは気をつけるべきだと思うけど。 >>290
その線引きは難しいと思う
やってる本人たちからすれば自分たちがやってるものが新陰流と信じているわけだから。
仮にそういうレスがあってもいわゆる新陰流技法から離れたものであると思ったらスルーすればいい。
ここは真贋論争をするスレじゃないと思う。
もし「これはちょっと」と思ったら攻撃したりすることなく静かにスルーすればよい。 >>290
新陰流と名乗る新陰流では無い所を誰がどうやって認定するんだ?
そしてその判断が正しいと誰が保証できるんだ?
そしてこういった話を何度ループすればお前は気が済むんだ? 剣道と伝書が元になっている捏造みたいなとこが多いからこうなるんだろうな。伝書に書かれていることを現代剣道の感覚で解釈したり。
それは新陰流の真似事であって、新陰流ではないでしょう。新陰流に限らずだが、伝書で伝えられてきたものではなく、まずは口伝で伝えられてきたものだから。もちろんカタもね。 まぁまぁ、そんなに怒りなさんな。
認定とか言うよりも、各々が判断すべきだと思う。
例えば…
ツイで見かけた剣術に詳しそうな人が、 添截乱截という技を尾張柳生系として披露している動画を挙げて紹介していた。
ところがその 添截乱截は柳生如流斎や柳生連也の伝書に書かれているのとは全く違うんだ。
誰もが確認できる史料と違うモノを「コレが正しい」と披露する…
そういう所もあり、また紹介する人もいる。
その辺を皆熟慮の上、スルーしたい人はスルーしよう。 江戸時代後半から平成にかけての伝系が確かなところ、ずっと新陰流をやっていたと言い切れる確証があるところならまだいいだろうな。
「新陰流」ではなく「◯◯新陰流」のような名前だったものを今は新陰流と名乗っていたり、途中でほぼ失伝していたにも関わらず、剣道をやっている人が伝書を見てやり始めたところなんかも多々あるだろうが。そういうとこは、一見すると伝書と一致しているように見えるかもしれないが、見る人が見たらすぐ分かるよ。 一番多いのは、今は柳生新陰流や新陰流と名乗っているところ。元々は何流だったのだろうね?
伝書を読んでカタだけ新陰流らしきことをやってても、和卜や猿廻とはどういうものなのかは、分からないでしょ。何も伝わっているものが無いのだから。 こういうものです って後付けしちゃえばいいじゃんw
いやいや、 向こうの方が間違ってるんですよ〜 彼等なにも知らないんですよ〜って 言ってw >>282 >>283はどストライクな疑問かと
猿廻こそが新陰流の核心と言う人もいるし
そこを考えるのは良い事かもね >>299
>>283の新陰流がどこの系統か分からないのでなんとも比較がしにくい
柳生新陰流を名乗っている団体も複数あるし.... >>283
>新陰流から見ていると、柳生新陰流とかいう所の猿廻は違うと感じるけど。
ん?
打太刀の袈裟切りに真向に割って入って、押し打ち乗って勝つタイプ?
それとも打太刀を受けた所から刀をくるっと小さく回し流して斬りに行くタイプ?
それとも片手で大きく回す輪の太刀のタイプ?
どのタイプの猿廻? “打太刀の袈裟切りに真向に割って入って、押し打ち乗って勝つタイプ?
それとも打太刀を受けた所から刀をくるっと小さく回し流して斬りに行くタイプ?
それとも片手で大きく回す輪の太刀のタイプ? ”
新陰流の猿廻はそれらのどれでも無いですね。
ここの連中にスルーされるよ(笑)… 猿廻とはなんぞやという時に教わったこと以外では
苗刀の動画を見ると時々勉強になるものがある。 >>302 各会派全否定。先ずは貴様こそ何者だ? って話からだなw
>>307 同意。 で、猿廻が片手の輪の太刀タイプだとか書いてる人はどこの会派なの? 片手でも猿廻できるけどさ、それって途中で両手にはなるよね。
猿廻ってさ、太刀遣いのことだけだと思ってるでしょ?
だいたい、新陰流の中で猿廻が強調され始めたのって、M会が言ってからだよね。結局はその影響を受けて真似事をやって、そこまでならまだいいのに、偽物を本物だとネットで言ってるだけでしょ 猿廻最強論は自分も好き。
だから、弱そうな猿廻はチョットね…
あ、でもそういうの、スルーするんだったっけ? >>312
良いんじゃないの
ヨソがよわよわとかそういうこと言いたい訳じゃないだろ? >>310
馬上だと片手のままでは?
自分以外は全部嘘というの辞めた方がいいよ 弱そうな猿廻って、どう弱そうなの?
片手の輪の太刀って、魔の太刀のことだよね?
馬上だろうと地上だろうと、魔の太刀と猿廻はだいぶ違うんじゃないか。
猿廻のことを言ったのはM会だよね。で、どういうものが猿廻なのかを分かっていない人たちがそれに乗ってあーだこーだ言ってるわけだ。 打太刀の袈裟切りに真向に割って入って、押し打ち乗って勝つタイプ?
それとも打太刀を受けた所から刀をくるっと小さく回し流して斬りに行くタイプ?
それとも片手で大きく回す輪の太刀のタイプ?
この1つ目と2つ目は何のことを言ってるのかだいたいわかる。猿廻がこういう分け方になるとは思わなかったし、両方とも解釈の仕方はそれをもって猿廻と呼ぶには微妙だけどな。
3つ目は、よくわからない。勢いをつけるだけ?? それが猿廻だと言えるかどうかは置いといて
メインだけを一つ簡単にそこだけ切り抜けば
そういう見方も出来なくはないかな?って感じ?
言いたいことは大体わからんではない
片手で回すというのについては、両手もあるだろうけど
多分これは大きな会派のあそこが
やってるのを切り抜いて描写してる様な気はする
輪の太刀魔の太刀は、
一応、新陰流の太刀筋はそこへ向かうと解釈すれば
そう変な話でもなさそう 猿廻は陰流もしくはそれ以前からある技なので、疋田系や肥後、柳生共に知っている筈だからこちらのスレには相応しい話題では?
自分らが習った猿廻は防御、制圧、次の攻撃への即応の3つが揃っていてそれは良く出来た技だという感想。
それらの条件を具備していない猿廻は、強くは見えないよね。
折角なのだから、皆、師範によく教わって正しい猿廻を学んで欲しい。
師範が知らないと言うなら、そこはスルーして(笑)… >>314
馬上猿廻ってちょっと前に動画が出てたやつ?
あれは実験的にやったものだと思ってたけど、昔からあったの? 一応、
打太刀の袈裟切りに真向に割って入って、押し打ち乗って勝つタイプ?
これは十文字勝ちの事かな。
それとも打太刀を受けた所から刀をくるっと小さく回し流して斬りに行くタイプ?
これは相掛流し打ちの事かな。しかも尾張柳生にしか無い。
それとも片手で大きく回す輪の太刀のタイプ?
これは輪之太刀そのままかな。
なので猿廻では無いと思いました。輪之太刀と猿廻は用途が違います。 >打太刀の袈裟切りに真向に割って入って、押し打ち乗って勝つタイプ?
>これは十文字勝ちの事かな
打ちの猿廻、それに近い気がする
打太刀も使達も同じ形同じ動きで
同じ様に斬りかかるが使太刀だけが斬れる
それを交互にやる 例えば…
互いに車で、片方が下から斬り上げようとするので、もう片方が背中から行こうと廻り斬り込もうとする所に行くのが猿廻なので、真向では無いですね。 車からは下から切り上げるとは限らないから
どんな太刀筋であれ、乗り勝った後に
最終的には真っ向と言われれば、、、そうかなぁと思えないでもない、、、かなぁ?
打太刀との線を斬らなければ
そういう太刀使いを後から色々加えることもある
それとは別にしても、背中を取る、取ろうとする意識は重要かと思われ >>322
>>323
車の構えから猿廻で二回打ち合う派なんだけど
一回目を打ち合うのと二回目に打ち合う時で
相手の太刀の方向や高さを気にするのは一回目で
背中を意識するのは二回目だと思うんですわ
で、輪の太刀とか背中に回り込むとかは月影や浦波の方ではないかと…? 2回打ち合うのはカタの上での便宜上。
元々猿廻は猿廻打ちという技術なので、文字通り打つ所迄。範疇はそれまで。
打った後の動きは他の技術だと思う。 >>325
新秘抄によると、江戸柳生は前半を月陰、後半を山陰って名前で分けているから
名前を当て直した事の是非はさておき、猿廻が二つの技の組み合わせと捉えてるのが分かる 月之抄にも柳生新秘抄にも猿廻は単独で記載されている様だけど…
そして、猿廻とは別に月陰(月之抄では月影)、山陰とあるみたいだから、江戸で猿廻が違うモノになっているとは思えないのだが、どうだろう。 >>327
新秘抄の文章そのものはご覧になった事はありませんか?
解説文で動作を書いてあるので、その所は疑いないかと
江戸柳生は燕飛六本を八本に区分変更して、それぞれの名前を置き換えています 江戸柳生の燕飛は来歴が怪しいからな あれは本当に正伝なのかと
三学や九箇が割かし正しく伝わってるのに対して、 燕飛は太刀名がゴチャゴチャだったり、原本には存在しない刀棒だとか丸橋だとかって
型が足されていたり、 扱い雑なのが疑わしいと思ってるよ 家に帰ったら本文を読み返してみます。
尾張では江戸でのエンピで足された二本、セッコウとトウボウは截合二十七箇条からで、尾張でのエンピ+その二本でエンピ自体は尾張と変らず(順番は違う)との認識です。
新秘抄には猿廻の解説も書いてあるのでしょうか?
新秘抄は宗冬の子の更にその弟子と随分三厳から離れているのであまり研究していません。
不勉強で申し訳ありません。 兵庫介が伝書に書かず、連也になって書くようになった辺り
燕飛を三学円や九箇より軽んじた扱いしてるのは
江戸に限らず尾張にも言えるのでは?と思ってます
技を覚えるための型ではなく、三学九箇で覚えた技を演練する為の型だからという説明ができるかもしれませんが
浅学者の思い付きです
あと江戸の燕飛は刀捧丸橋は型を足したんじゃなくて
六本の区分を八本に変えて、名前を新しく付けただけで
通しでやってる事は変わらないという理解です
燕飛→猿飛、燕廻
猿廻→月陰、山陰
整理前の名前を流用してるから混乱を招く >>331
間違えました、刀捧丸橋ではなく折甲刀捧です >>331
やっている事は猿廻だけども江戸では名称が違うという事なのでしょうか? 連也の辺りから記載が出て来るようになったのは、単純に上泉孫四郎から伝えられた20代半ばを境にして、それから書伝するようになったというだけだと思うのだけど >>331
>燕飛→猿飛、燕廻
>猿廻→月陰、山陰
元の燕飛が猿飛、燕廻という名前に変わって
今の猿廻が元々は月陰 山陰だというのであれば
今の月陰、山陰は元々なんだったの?
浦波と浮船は? ということになるよね
その他、昔の陰流には山霞とか省略された型遣いもあったみたいだし
それらはどうなのよ? と >>335
兵庫介が上泉孫四郎を招き、子に燕飛を教えてもらったという逸話ですね
やはり焦点になるのは、燕飛が伝書に載らずとも稽古されていたかどうかという
スレの初めの方の話題ですね >>336
>今の猿廻が元々は月陰 山陰だというのであれば
>今の月陰、山陰は元々なんだったの?
>浦波と浮船は? ということになるよね
読み間違えていませんか?
尾張の猿廻を江戸の解説書では月陰、山陰と分けて呼称して技法を説明していると書いたのですが >>338
柳生厳長「正伝・新陰流」の261ページ。
出典確認の為に読んだら、
燕飛六本は石舟斎から兵庫介に伝わり、利方厳包連也三兄弟は
孫四郎から燕飛を改めて習い、とありました >>339
>尾張の猿廻を江戸の解説書では月陰、山陰と分けて呼称して技法を説明していると書いたのですが
そんな風には読めないけれど
そう読み直すとしても
では尾張の月陰、山蔭やその他は? >>341
>>325へのレスから始めた一連の発言なので、部分だけ読んで
読めないと切り捨てられても困るのですが
燕飛の尾張と柳生の呼称対応は私から述べるとすれば今夜以降に。用事で外出したので
新秘抄はそのまま読めば分かるので、どなたか先に書き込んで頂いても文句ありません 輪の太刀とか片手とか、燕飛で出て来るのと猿飛をごっちゃにしてる人が案外多そうなのは、そこらへんの事情もあるのかな? あとまあ、奈良から江戸繋がりが本家で、尾張が分家ってどうしても頭にこびりついてるし、江戸本家は滅びてしまったというのもね。今の江戸柳生って伝承がどうなってるの? 新秘抄読んでみたけど…
率直にこれ信用できるのかな?
三学も九箇も天狗抄も全く違うぞ。少なくとも柳生三厳迄は尾張と同じで頷ける部分が多いのに。
オマケに新秘抄の最後には「30年も稽古しているのに本当の事を教えて貰えない。なので想像で語るけど、もし本来の新陰流と違っていたら皆に申し訳ないので、この書は見ないでね。」みたいな事書いてないか?
別に宗冬の部下が書いてる書には「既にエンピについては記録が無いが、宗冬公が手順を書いてくれた。しかし、宗冬公はエンピは稽古してはならんと言う」みたいな事も書いてあるし。
実際に江戸柳生は誰迄新陰流が伝わっていたのか検証が済む迄、この新秘抄の内容は参考には出来ないのではないかしら… こうしてみると、エンピひとつとっても相当に混乱してるのが分かりますね……。
>>325
>2回打ち合うのはカタの上での便宜上。
>元々猿廻は猿廻打ちという技術なので、文字通り打つ所迄。範疇はそれまで。
その二回とも、それぞれ意味が有ると思いますが
伝承を失ってるという感じですかね……?
>>345
>オマケに新秘抄の最後には「30年も稽古しているのに本当の事を教えて貰えない。
>なので想像で語るけど、もし本来の新陰流と違っていたら皆に申し訳ないので、
>この書は見ないでね。」みたいな事書いてないか?
ああ……。その時代で既に……。 この話題、自分で読んで考えただけじゃなくて誰か同じ話してたなと思い直して
加藤純一氏のレジュメでした
ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/budo1968/26/Supplement/26_12/_pdf
>『新秘抄』の「猿飛」「燕廻」は、『新陰流兵法口伝書外伝』の「燕飛」の使い方と対応し、
>同様に「月陰」「山陰」は「猿廻」と、「浦波」「浮舟」は「山陰」「月影」
>「浦波」の一部と、「折甲」 は 「浦波」の残りの部分と、「刀捧」は「浮舟」
>と、各々が対応している。つまり、『新秘抄』の8太刀は、上泉以来あった
>「燕飛」6太刀を8っに再区分したものであることがわかる。
>>345
新秘抄(1716年)の著者の佐野嘉内、確かに言われてみれば何者か良く分からん…
江戸柳生の遣い方の解説書としてまとまっていて、筑波大学系の本には入っているからといって
無頓着に受け入れてたのは反省しなければ
燕飛について記録がないって遺した宗冬の部下ってどなたでしょうか?
次代宗在の頃に稽古した後に分かれた系統(藤堂藩津田家)の目録に八本の方で明治まで残ってるので、
失伝してるのを目録に書くのだろうかと引っかかってて
>>347
>ああ……。その時代で既に……。
十兵衛の頃に既に柳生の里の古老に聞いて回ってまとめられるくらいバラバラだったと言えるのでは
あと、日本語が不自由で済まなかった。 >>348
重要な考察です。
最後の一行、とんでもないです。基調な論考をありがとうございます。 いや、貴重な情報や論考なのは認めるけど
当てにならなさそうってのは見逃せないだろ? >>345 新秘抄を全く当てにならないと切り捨てるのはどうかとは思うけどな…
>>345 は記述が全く違うとしたが、俺はそこまで変か?くらいの認識
そこはお互い道場の違いもあるから、まずはそういう事もあるよねと一旦保留して下さい
それで新秘抄の価値だけど、現状は代わる物が無いから一定の留保はあるけど信用しておこう、
しなければ話が進まない、そんな物と考えます
今村嘉男「柳生新陰流」の総説では、石舟斎が金春七郎に宛てた「新陰流兵法目録事」に
次いで古い技法解説書であると(出版当時は)認識していたものだし
事実、江戸柳生の解説書としては未だにこれに代わる物が見つからないから
武道学研究に投稿される論文などで今も参考文献として引っ張られる訳で…
江戸柳生の伝系の存続の検証が済むまで新秘抄の評価はできないと345は仰るけど
それこそ武道家とタッグ組んだ学者が何十年も探しての今の状況がこれだというのを
念頭に置くと、その評価を待つのは考察の範囲に大きな穴が開いちゃうから… 新秘抄を書いた人が江戸柳生の代表では無いと思う。
自身の系統の家系認識さえあやふやな門人が、想像で書いた書というモノは江戸柳生の技法の参考としては苦しくない?
月之抄や武蔵野に書かれている事と新秘抄で技について、その内容大きく違う理由がハッキリしないと難しいかと。
三厳の書に書かれている事は尾張と殆ど同じ認識なので余計にそう感じるけど。 >>352
いやごもっとも
佐野嘉内が代表ではないし、彼の師家の歴史認識があやふやなのも事実
江戸柳生の技法についても彼の私見である
それでも当時を知る参考資料として十分価値があるという認識です
金科玉条として捉えるのではなく、記述の信憑性の考察が必要な資料だけど
考察がそこまで困難な悪書ではない
こと今回の話題の発端の、猿飛八本の区分自体は
私見の挟まる余地は少ないですし、信用できると考えます
ご指摘の部分については、文書の性格と、技法に対する私見というものをどう捉えるかで
ある程度の擁護はできると思っています 新陰流に截合27箇条というのがあって、それは新陰流以前の剣技の辞典みたいなモノなのだけど、そこには月影斬りとか浦波斬りとかそのものズバリな技があって、何故月影斬りという名称なのかという所迄理解できるのね。
その解釈として、尾張の長岡房成の解説が江戸柳生(三厳まで)と合致するので、どうしてもそれから大きく逸脱した解釈には抵抗がある。尾張としては。
新秘抄の説明は全く違う流儀ではないかと思う位に違和感があるのは否めない事実なのよね。
失伝して時の代表が困って創ってしまったモノが、後年「これ以外に資料が無いからこれを参考にすべきだ」にされてしまうのが怖いね。
この件とは言わないけれども。 >截合27箇条
月影斬りとか浦波斬りとかそのものズバリな技があって、
何故月影斬りという名称なのか理解できる
それ、著作や動画など、どこかで確認できます? >>354
なるほど、あなたのご自身の伝系への愛情がよく分かりました。
お付き合いありがとうございました。 >>355
伝書見てみたけどやり方はさておき
名称の由来は書いてなかった....
俺の持ってないものに書いてあるのかな >>354
截合27箇条から技の名称とその理由が理解できるとのことですが、
猿廻斬り、山影斬り、月陰斬り、浦波斬りなのか、
その辺りを少し、それぞれ語っていただけないでしょうか? >>358
二十七箇条には、浦波切、月影切、浮舟切があるよ。
ところで、研究するのは良いことだと思うけども、ここに書き込みしてる人たちの言う伝系って、江戸時代初期か中期頃までで、それ以降の伝系は無いの??
直接の師匠は伝書??? 自分がトートロジーで喋ってる事とか
カーゴカルト現象に陥ってるとか
そういう自省ないんかこの人 直接の師匠いなきゃ変だよね?
いるのが当然じゃないか?
じゃなきゃ、どうやって伝わったものなの?
稽古をして口伝があって、そうやって新陰流を伝えてた人が実在したんだから。
それとも、昭和の途中で亡くなった、会ったこともない人が師匠か? >>361
そうですね、それぞれの伝系で先生から手取り足取り
口伝で教わりますよね。伝書も教科書的に使いますよね
先人からの教えが一言一句変わらず伝わっているとお考えですか?
変化する事はあって当然だと考えています
その変化による進歩と再整理の繰り返しが伝承だとも思います
その変化で、口伝よりは伝書の方が変化が緩やかで
どう変化したのかの履歴が読み取りやすいから
さまざまな伝系の人達が話し合うにあたって
お互いの差異が分かりやすく、共通認識も積み重ね易いから
伝書を基礎とするのが楽ですよね、って認識で
これまでやって来たつもりなのですけど
何が癇に障られたのですか? >>361
そういうのやめろよ
内情を隠しつつ書いてくれる人もいるだろうし
フルオープンできないやつにいちいち疑いかけてたら
せっかくの流れが台無しだろ 各伝系のしがらみもありますから、話題とする資料も公開されている
誰もがアクセス可能な物を使うというのも
こうした場の当然のマナーだと思うのですが、いかがでしょうか?
そして自分がこう思うこう考えるというなら、
なぜそう思うかの説明も必要だと思います。
何せ新陰流は幅広い流派ですから、共通認識だと思うことがそうでないとは
余程の基本を除き、言えないのではないでしょうか? >>359
あなたは>>354さんですか?
名称の理由、月陰斬りなら、何故そう呼ばれるのか解るという事でしたので
そこら辺りを説明して頂きかったのですが。
因みにウチの所は伝系は上泉伊勢守の弟子直系ですが
正直、伝書の類は見せてもらったことはないですね。
こういう事が書いてあったという話を聞くぐらいで。
しかも伝書の話は、大抵は食事か酒の席でしたが。
教えは直接に師匠から、所々のコツや口伝は普通に兄弟子からですが、
小さな所はどこもそうでは? >>362
一言一句変わってないなんて、これっぽっちも考えていませんよ。
その技がどういうものか、新陰流はどういう性質のものか、こういったことが全く異なるものになってしまっては、もう別物ではないですか?
遣い方は異なっても、変わらないことがなければ、流儀ではないですよね。
直接の師匠がいて、その師が混じり気なく新陰流を追求してそれなりの技量と理解度があるならば、その教えを元に研究できるはずですよね。 その師が、我が強かったり、自分の技量レベルでしか新陰流を考えられないようなら、もはや別の物になってるでしょう。
新陰流はそんなに幅広いですか?残っている伝書が多く、それらが今の時代では簡単に見ることができるだけでは?
江戸柳生系の一部の地方の流れと、尾張がちょっと。これ以外にちゃんと続いてたとこってありますか? >>367
ウチは柳生さんの所ではないですけれどちゃんと続いてますよ
名前を上げればご存知の方もおられるでしょうし
正直、伝承については部外の方に何かを言われる筋合いはない位には確かだと思っています。
どうしていきなり、唐突かつ感情的にそんなトートロジー的な話を始めたんですか? >>366
変わらない本質というものが流儀なのだとすれば、公開されている資料で
十分語り合えますよね
私は自分の先生が素晴らしい先生だと思って師事していますが、
その私の考えを誰もが受け入れられるというのは傲慢だとわかっています
よその伝系にも敬意を払うべきだと思っています
この場に私の知らない伝系の方が来て、貴重な話を聞かせてくれるかもしれない
その時に共通の会話のツールになるのは、公開されている資料しかありません
資料が残っていて、オープンアクセスできるということの
とんでもない価値を軽んじてはいけないと思います
それこそが新陰流の強みです
私自身は変わり続けることこそがこの流儀であり、その奥義だと考えていますので、
あなたの考えとは違うと思いますが、否定したくありません >>369
トートロジーとか言われてもわかりませんが、柳生系ではないということは、新陰流系統ではあっても、新陰流の名はつかない流派でしょうか? >>370
公開されている資料で遣い方の違いや変遷を論じ合うことはできても、変わらない本質を論じ合うことはできないと思いますよ。
変わり続けることと、変わらない部分を失うことは違うのでは?変わり続けるのには何かしらの理由があるのでしょうが、失っては意味がないですよね。別の流派になってしまいますよね。 >>372
どこまでを新陰流の枠内に含むのでしょうか?新陰流系統は全て? 人間個々の考えを尊重することと、流派の名を名乗った上でのこととは、同じ感覚で考えるべきではないと思いますよ。 >>373
あなたの危機感とお考えを否定するつもりはありません
ですがまあ、歴史を見ればなんだかんだで残り続けているのですから
その変わらない本質というのはとてもしぶといのでしょう
変わり続ける部分と変わらない部分という二分論に落とし込めるほど単純なものでもないのかもしれません >>376
なんだかんだで残り続けてきた時代と、現在のような情報社会で自由に流派名を名乗れてしまう時代との違いがありますよね?
変わり続ける部分と貴方が書いたことを尊重しましたが、新陰流は変わり続けるものだとは思っていませんし、変わり続けることが良いとも思ってません。
変化し加わることがあった時代はありましたが、それにはそれなりの理由があったのでしょう。今の時代では、本質を踏まえた上での研究は良いでしょうが、それを知らない人の伝書からの研究は、本質から遠ざかるものになっている方が多くありませんか? もっとさ逆風1000回連続でやったとか
そういう話も好きなんだぜ >>377
観念論はそろそろ切り上げましょう。もう場を荒らすだけですし
二十七箇条の浦波切り月影切り浮舟切りが口頭での指導で呼ばれているから
◯◯切りなのだというトートロジーではなく
伝書に載っている正式な名称なのかという元々の疑問になんらかのお答えを頂けると助かります >>379
観念というより、実際そうなってますよねって話なのだけどね。
二十七箇条については、私は元々書き込んではいむせんが、その3つがあると書いたのは私なのでお答えしますと、二十七箇条の各太刀の名称は、長岡桃嶺師の伝書ではその名称になってるよね。 >>380
私が持っている長岡房成の資料が兵法論しかないので確認できませんでした、すみません
(日本武道体系1)
話はまた燕飛に戻って恐縮なのですが
同じ本に宗矩の弟子の小代藩主の系統の「見観註解」に猿飛の動作の解説がありました
太刀区分のない続き動作で、三学との類似で説明する内容でした、順序は同じです
ひとまずご報告まで 長岡房成の各種伝書には、尾張の新陰流の技法について詳細に書かれている。
口伝は信じられぬという人には説得力のある史料だが、いかんせん手に入り辛い。
自分は過去にヤフオクで買ったのだけども、それは柳生厳長氏から書写を許されたと書かれていた。
持ち主は定期的に出品していた様だが、近頃は見ない。
オリジナルは柳生家にはあるだろうから、柳生会の人は尋ねてみては如何か。
尾張の人が自信を持って新陰流を語る背景には、長岡房成師の著書を忠実に守っているからに他ならない。 >>381
燕飛について参学との類似で説明されてるのはいたって自然なことで、成立順は、陰流の猿飛→新陰流の燕飛→参学。
参学5本のうち4本は燕飛と類似してて当然なのだが、その類似を分かりづらいものに変えてしまったのが尾張柳生でもある。 >>384
渡辺忠敏さんが書写した物のコピーを、昔転会にいて破門になってる人がヤフオクで何度も出品してたやつかな。 Amazonアンリミテッドで読める伝書のまとめはどこから出てきたものなんだろう。 >>367
ウチは柳生さんの所ではないですけれどちゃんと続いてますよ
名前を上げればご存知の方もおられるでしょうし
正直、伝承については部外の方に何かを言われる筋合いはない位には確かだと思っています。
どうしていきなり、唐突かつ感情的にそんなトートロジー的な話を始めたんですか? >>387
ヤフオクとそれは別の人ではありますが、どちらも、自分がトップになりたい!自分が一番すごい!自分が一番よく分かってる!といった自己主張をしたがる人でしょう。
だけど、できることは、それぐらいしかない。外部に出すようなものではない物を、ネットで売る行為。 >>385
三学円の内、どの4本が燕飛のどれと類似しているとお考えですか? >>391
それについては、書くわけにはいきません。あしからず。 >>392
資料の出どこは転会でしょう。あの本、誤植が多いですよね。 見観註解
猿飛
両方より右の足を指出し太刀をくらべ、打太刀より仕方の太刀にまくりかくる。
仕方太刀を我右の肩に上るやうにして左の足を込む。仕方打太刀の左の肘を勝、
両者右の足を引き打をろす。仕方右の足を込み打太刀の頭を切る、打太刀刀棒
にてうけ、仕方の太刀を左の手にて取る。仕方うちたちの手をもしき右の方に
角みかけて飛しさり、手をねち、太刀先を敵の順に構る。打太刀も右に同じ。
両方より右の足を入れ打合せ、両方より右の足を引き構ゆ、両方ともに一刀両段
の仕方の如し、両方ともに右の足を不入して打合せ、両方右の足を入れ、仕方
打太刀の右の手のはづれを勝。右の方に角みかけて飛しさり、手をねぢて構ゆ。
打太刀も同じ。
打太刀より右の足を込み仕方の肩を払、仕方右の足を入れ打太刀のこぶしを勝、
両方とも左の方え角みかけて飛しさり、両方の構え半開半向の如し。
(以下略) 新陰流スレ十禁習
自分だけが正しい
荒らし
難癖
揚げ足取り
マウントの取り合い
決めつけ
脊髄反射レス
他団体批判
人格批判
プライベートの詮索 >>398
それらに載ってないものがありますよね。
転会が外部に出してるのは、ほんの一部ですよね。 新陰流スレ十好習
疑問を投げかけることは良し
自分の考えを書くのも良し
しかし書き方はよく考える
相手の意図をよく考える
何か書かれてもいじけない
荒らしは即NGして忘れる
スルー力を身につける
煽られてもスルー
バカにされてもスルー
みんな仲良く議論 >>401
もうこの後に三学で説明してる部分無かったから省略した次第
出典は「日本武道大系第一巻(剣術(一)」(同朋舎)292頁
>>402
381で書いた通り太刀区分なしで一気にベタ書きしてる解説なので
ここまでで多分尾張でいう月影と浦波の繋ぎ >>395
どこからの引用ですか?
>>395さん、
明日でもそれ以降でもいいですよ
急がずゆっくりとお願いします >>395 >>403 それ、もしかして猿廻までじゃね? >>403が
尾張でいう月影と浦波を
一体どんなものだと思っているのかの方が
疑問な気がする >>403が
尾張でいう月影と浦波を
一体どんなものだと思っているのかの方が
疑問な気がする 構えについて、一刀両段の如しとか半開半向の如しと書かれてることはよくありますし、最後の部分の半開半向の如しは、書かれているように構えのことですね。
山陰と月影の部分がとても分かりづらいというか省略されてる部分もあるように読めますが、最後の部分は月影と浦波のつなぎの部分に見えますね。
続きを見ればもっとはっきりと分かるのではないでしょうか? 又は、ここまでが山陰か。
或いは、猿廻の後、山陰と月影は無く、浦波へ行くのかもしれませんね。これかな。 燕飛→猿廻→月影と浦波の繋ぎの部分。
こう読むとしっくり来る。 省略なんかしてないで
はっきりとした続きがないと何とも言えんわ おはようございます
見観註解の猿飛、自分が思っていたより皆さんご興味を示されたので驚きです
残りは今日中に書き写します、しばしお待ちください。
ところで、5chに画像なりPDFなりを貼ろうとするなら
今もどこかのアップローダーに上げてURLを書くのが一般的なやり方なんでしょうか?
また別の資料を上げたいと思うのですが
(画像まじりのスキャンしたPDFなのでそこそこ大サイズ)
ご存知の方、どうぞご教示下さい >>414
もし出典元が俺が持ってる武道大学の論文と同じだったらURL貼ればいいと思う 上段の相手の太刀を受けるかこちらの上段の太刀を受けられた時
円月殺法みたいに上から下へ大きく円を描いて引き摺り下ろした後
水平切りってなんていう技ですか? >>415
ご推察の通り国際武道大学の資料です、恐縮です
紀要じゃない研究所年報の方なので、ネット上にアップされてないかと 見観註解 猿飛の残り部分です。
打太刀右の足を込み仕方の太刀先にまくりかくる、仕方太刀をさし上げ右の足をうくる、
打太刀左の足を込み截甲にて入る。仕方打太刀の両こぶしを二つ勝、右の足を引、
打太刀も左の足を引き、両方太刀をくらぶる、打太刀左の足を込み、太刀を、
我が右の肩にかくるようにして入る。仕方右の足を込み、打太刀の手を押さえ、
右の足を引ざまに、切落す。打太刀も左の足を引く、打太刀、刀棒にて入、
仕方右の足を込み上より打つ。打太刀うけてより左の足を引、仕方付こみ足引きさまに
打太刀の太刀をまくり落しざまにぐわつす。打太刀も其侭下に居るべし。
但正面により仕留の足は替るべきなり。 伝書の類いはオープンにしてもいい時代だと思うわ
昔からの伝承伝統を守ることが大事なのはわかるが
結局指導者に教わって自主練を反復しなきゃ身につかないわけだし、
現代で文書類を隠しておく必要性はまったく感じないんだよなあ
ある程度オープンにしておかないとご新規さん増えないだろ あまりオープンにし過ぎたり、門戸をむやみに広げすぎると あまり良い事にはならない印象だな 香取みたいに 広がってる度合を見たら新陰流が一番広がってる印象なのだが >>418
前半部分は月影が書いてあるのかな。その後がよくわかりませんね。浦波なのかな。
最後は浮舟なのは分かりますね。
各太刀が続いてるのか別々なのか、前に書いてある部分のことを再度詳しく書いてるのか次に進んでるのかなど、なかなか難しいですね。 >>419
伝書をオープンにしたってご新規さんが増えるかどうかにはあまり関係ないんじゃない?
インチキ新陰流は増えると思う。 細かい動作は秘伝でいいけど各技法の概略が欲しい
(切り落としが撃ち落としと打ち下ろしを同時にやる技みたいな)
現代語の書籍とかないのかな 切落は新陰流じゃないけど、それで言うとほぼ同じ動作で撃ち落としがあるものと、すかして乗る技が同じ技として組み込まれたりしてるから単純に説明できない >>422
流派や伝承によって勢法や解釈は違うのかも知れないが、、、
截甲にて入る。と書かれると月陰かと思いがちだが
「仕方打太刀の両こぶしを二つ勝」ってのは月陰か?
猿飛の最後に
打太刀、刀棒にて入、仕方右の足を込み上より打つ。
と書かれる浮舟に思えてしまうが
「仕方付こみ足引きさまに打太刀の太刀をまくり落しざまにぐわつす」ってこれ
本当に浮舟かい? >>427
>「仕方付こみ足引きさまに打太刀の太刀をまくり落しざまにぐわつす」
>>416
>上段の相手の太刀を受けるかこちらの上段の太刀を受けられた時
円月殺法みたいに上から下へ大きく円を描いて引き摺り下ろした後
水平切りってなんていう技ですか?
似てるな、なんとなく。 >>427
月影か山陰か微妙ですが、その部分だけを読むとどちらかと言うと月影かなと。両こぶしを二つ勝も含めて、月影かなと。むしろそれで月影かなと思いました。
浮舟は、まず浮舟だと思いますよ。
今稽古されているものと、この伝書に書かれているものが全く同じだとは思いません。細かな違いは色々とあると思います。 >>429
それを言われた頃は、燕飛の方が九箇より先に教わっていましたけどね。 >>427
>>430の
>月影か山陰か微妙ですが
すみません、これは、
月影か浦波か微妙ですが
です。 >>427
「仕方打太刀の両こぶしを二つ勝」
「仕方付こみ足引きさまに打太刀の太刀をまくり落しざまにぐわつす」
この2箇所、私はむしろこの部分もあって、月影と浮舟だと思いました。 厳周と忠三の奉納演武の写真でも、 最後は払って終わってるしね
わざわざ、床板痛める事しなくてもいいじゃないの >>433
???
>>434
投げないトコは違う技なんでしょかね? >>428 >>433
「打太刀の太刀をまくり落しざまにぐわつす」
これをどう訳すかだな。 浮舟で打太刀は刀を...
打太刀目録...投げない
外伝口伝書...投げない
新陰流兵法太刀伝...投げない
柳生流兵法口伝聞書...投げない
二十七箇条浮舟切は書いていいのか知らんけど上記と同じ
投げる演武は見たことがあるけど個人的には投げないやり方しか
習ってない。投げるやり方の伝書ってあるの? >>438
浮舟で打太刀が投げる使い方
習ったし伝書にも記述があるよ。
別使いとしてね。
あなたが挙げた『柳生流兵法口伝聞書』にも。
私の(第三刷)と表記が違っていなければ。 過去の伝書を研究し尽くした長岡房成師の伝書では、浮舟の最後打太刀は使太刀の左膝を打つ事になってるね。投げてない。
投げてる所の根拠とは、厳長師の著書に「昔は投げていたと伝う」の記述と昔の絵だろうと想像。
当の厳長師は投げない方で教えていた。
詳しくカタを追うと、実際浮舟の打太刀は投げざるを経ない状況になるかも知れないので、どちらでも良いのではと自分は思う。
ただ、理由を理解しているなら上の方の言う通り、無駄に床を傷つける事も必要無いとも思うよ。 投げるとした場合
投げ方も気になるところ
演武で見るのはひょいっと放り投げてる感じで打たずに
体で受けても害がない感じだが
折り敷いてガッツリ受けないといけないような刀投げ?があるなら
稽古してみたい ただ、ちょっと嫌な言い方になってしまうけど、燕飛を木剣で演武する場合、実打はしないので浮舟の打太刀は投げざるを経ない事にはなりません。
その辺殺陣師は考証を正しくしないとイタいかな… 浮舟で打太刀が太刀を投げるのは間違いではないよ。普段は木刀だとやっていないとしても。
厳長先生だって投げる方もやってたよ。 >>441
自分ならぶん回して、太刀で叩き落せない様な投げ方するけどな
危ないから書けないけど >>398
転会の金儲け主義はえげつないからな〜
金で目録ホイホイあげるところだから >>440 >>442
>詳しくカタを追うと、実際浮舟の打太刀は投げざるを経ない状況になるかも知れない
ごめんね。どういう所がどんな理由で
そんな状況に追いつめられるのか
型の流れを読んでもちょっとわからないので
もうちょっと詳しい解説を頼みます
ムリならヒントでもいいですのでお願いします 近所の大学の図書館に行ってきて、国際武道大学の武道・スポーツ科学研究所の年報あさってきた
科研費が下りた新陰流の古文書研究を数年間プロジェクトでやってたのを、数年間連載形式で成果報告
面白かったのでここに紹介します
第18号(平成24年度)の報告が「陰流・新陰流勢法「燕飛」の研究」
尾張の柳生利方「新陰流討太刀目録」(1685年)、江戸の佐野嘉内「柳生流新秘抄」(1716年)、柳生俊豊「燕飛聞書」(1814年)
を三本柱に、新陰流の燕飛の本来の形はどのようなものか、という調査研究(陰流の猿飛に関しては断念)
補足資料として大蔵元敦「見解註解」、長岡房成「刀佱録・勢法編」なども加味
各文献に基づく動作を写真を交えて対比してるので読みやすい
結論は
・新陰流の燕飛は続け遣い
・尾張遣いと江戸遣いの動作順序は一緒(名前と区切りが違う)
・江戸使いの「新秘抄」と「燕飛聞書」は説明内容だいたい同じ
・今回取り上げた全ての資料で、浮舟の最後で太刀を投げない
当然、疑問点はある(主に研究基盤に対して)
この研究に限らず、近年の筑波大学系の新陰流研究における実務者部分は一つの伝系の道場に依存している
(柳生厳周−神戸金七−吉田重成−吉田鞆男)ので、本当にその解釈で大丈夫か?他の伝系にも聞くべきでは?という所、
(それにそもそも新陰流の系統で柳生以外を言及しないのは良くないだろうとか)
今回初出で重要な役割を為した「燕飛聞書」が写本(明治4年)で古本屋経由で入手された本である点(来歴の保証なし)
とはいえ、このスレでも当初から認識されてた「燕飛は目録に載らない事が多いけど大事だよね」が
江戸時代の先人も同じこと考えてて、柳生系統の中では比較的形を保って伝えられてたということが分かったのは収穫
(二十七箇条に関する報告(長岡房成によって復元されるまで忘れられてたようだという結論)よりは扱いが遥かにマシ) 正直、江戸系統の伝書で現存の有無の不明含めて公開されていない資料大杉
宗冬が家綱に献上した兵法伝授の一箱とか(1666年)
宗在が綱吉に献上した剣術秘伝の書とか(1682年)
内蔵助が綱吉に講じた新陰流兵法玉成秘書とか(1699年)
年表ぱっと見ただけでこれ残ってないのか!?とかギギギとなる
(俺が知らんだけかもしれんが) 新陰流の中身をたいして知らない学者がいくら伝書を読み比べても、深い部分は解りようがないだろうけどね。
昔は当たり前だけどそんな人いなかった。伝書を読めるのは極一部の人だけだからね。
どうやって伝わってきたものか考えれば、現代の学者さんの研究は、時に有害な面も生んでるよな。 >>450
あなたの言う「深い部分」は体得の領域の話なのだろうけど、それを言ってしまえば
そもそも伝書が何のためにあるのかという伝書に対する視点の話になってしまうのだけど、
結果論かもしれないが、少なくとも新陰流に関しては公開する方向に進んでいった歴史があるので
実務者と研究者の様々な視点から研究するというスタイルが採用し易い流派だと思うよ。
修行者が秘したまま伝えることもできず絶えた数多の流派のことを考えると、弊害だけを
指摘するのはもったいないと思う >>451
「深い部分」は、体得の領域だけとは限らんよ >>450
凄く同意するな。
ネットで見れる研究者達の論文の様なモノはよく見るけど、「こう史料に書かれている」との記述しか参考にならない。
その参考にされているのが自分が受けた伝位について、嘘をつく様な人達だと全く信用できない。
新陰流は伝位により伝えられる段階がある事さえ知らない人の研究…
尾張で長岡房成師により復元されたのは、古式の遣い方。内伝と呼ばれる尾張独自に改変された燕飛はそれまでも完全な形で伝えられていた。 >>452
抽象的で結構ですので、ご教示頂けると幸いです
大いに稽古の励みとなります >>453
論文にはどこにどの様な知識があるのかという道標を示すだけでも十分な意味があると思いますよ
無理ならば変に解釈を付けず、読む人に理解と取捨選択を任せるのもまた誠実な姿勢だと思います
そして書いてあるものを全て受け入れる読み手の姿勢もよろしくない
仮に書き手が不誠実であったとしても何かしらの得るべき情報を拾い出せるものであり
様々な知識からそれを汲み取るのが読み手の努力、
ただ書いてある内容を盲信するのは読み手の不誠実だと思います 浮舟での件だけど、詳しくは話せないけど長岡房成師の解説をその手順通りにしてみれば、氷解すると思う。
知っている所は未だ公開するにはその時期では無いと考えているのかも。
投げる状況も含めて厳長師は投げない方を教えていた。説明上、投げる事もあったかも知れないが。
投げる方がスタンダードなら、著書であの様な表現はしないのでは? >>454 横からだけど
体得というのなら、一刀両段とか和卜みたいになかなかできないけど
何年もかけて体得する感じなのだろうおけど、そういう深さもあるだろうけど
ここで言う深さってのは
ここはこうやるけどそれは、相手のこういう動作を誘ってるよね?
でも誘いに乗らなかった時はこういう保険もあって、その為にこうする
こういう意味合いの所長として、ここはこう叩くけど、これ、何を省略してるか分かるよね?
ここの運動としてのニュアンスは・・・、雰囲気としてこんな感じ・・・で
みたいな事では? >>456
厳長先生は、最初の頃は投げる方でやってたけど途中からは足を打つ方にしたのでしょ。 >>455
その通りだと思います。
努力をしない不誠実な読み手も多いから、有害な面も生まれるってことなのでは? >>457
深い部分って、カタの中に隠された部分のことなのかな?
それもあるのだろうけど、伝書でカタを知ったところで型保存会にしかならないし口伝もないよね。
「新陰流らしき型」と「新陰流」は違うんじゃないの? 型は手段であって目的ではないってやつな
外面に囚われる限り真の上達はないけど無害なら好きにしたらと思う無害なら >>439
その投げるやり方が書かれている伝書を是非教えて欲しい。
自分の持ってる柳生流兵法口伝聞書にも投げるとは書かれていない。
柳生流兵法口伝聞書は柳生厳長師の口伝まとめ本。厳長師が投げるなら投げると記載されている筈。
投げるという根拠は柳生家に伝わる術歌から。
あと、新陰流には「別使い」というワードは出て来ないのだが…
「別使いとして投げる場合がある」とは、どちらの伝書なのだろうか。 >>440 >>456
済みません。こういうの苦手なんですが
長岡房成師の解説は何を当たれば見れますか?
ちな、自分の処の浮舟は膝を当てないし
下から肘を切り上げられる所を後ろにさっと身を引きますが、
投げるまで追いつめられる感じじゃないなぁ
元々投げないんですけど、投げるとしたらここなのかなぁ? 厳長先生は桃嶺先生の伝書を元に書いて、厳長先生が書いた物が元になっているのが太刀伝や口伝聞書だよね。
書いてない=やってない。こうはならないと思いますよ。 >>463
追いつめられるってのは、その場面じゃなくて、その前があるから追いつめられてるってことでしょ。
投げるのは身を引いた後だよね。 尾張の新陰流では代々「浮舟の打太刀の最後は左脚を打つ」となっているだけだよ。事実として。
投げる事もあるのでは?とも言っている。それでいいじゃん。
まるで投げないと困るみたいに必死に投げる説を推してない(笑)?
普段当然の様に投げてるとか? 杖術流派の教本見ても仕方がない
正伝新陰流p267 >>466
代々と言いますが、伝書や本以外に、代々そうだと言い切れる理由は?
投げないと困ることなんてありませんが、厳長先生は投げるのはやってないと言うから、そんなことはないと書いたのですが。 柳生会が投げるのをやってたのも、厳長先生が最初の頃は投げてたからなんじゃない? >>468
代々の伝書にそう書かれているから、そう言い切れる。
逆にそれ以上の説得力のある証拠はあるかな?
そちらは厳長師から直接投げる様に教わったので? >>465
その前はですねぇ
車の構えから相手の左わきを切り上げるのですが
相手は上段から斬りかかって来るので
仕方なしにこちらの刀を両手にもってそれを受けます
で、相手は上段をもう一度斬って来るので
それを両手に持った刀で同じようにもう一度受けます。
これ、刀を投げなきゃいけない程に
追いつめられてますかねぇ? >>470
書かれていることだけが全て?
厳長先生がどうやっていたかを直接見たこともあり、ご尊父からお話を聞いて知っている方がご存命ですよね。ご尊父は厳周先生の頃からの門人なので、厳長先生が最初の頃は投げていたことも当然ご存知だったのでしょう。 >>471
なるほど。そこが車なのかは置いといて、そのような解釈になってしまっているのですね。浮舟は元々は投げるものだったので、その部分はその解釈だとおかしいですよね。 >>472
書かれている事が全てだよね。
厳周師、厳長師から直接教わった人も「左脚を打つ」と書いているし。
厳長師が一回も投げた事が無いとか誰か書いた? >>474
>>462に、厳長師が投げるなら投げると記載する筈と書かれてますね。
投げていたことがあっても、投げる方ではなく足を打つ方で書いててもおかしくないのでは?
後期は足を打つ方でやっていたようですし、伝書にもそれが書いてあるなら尚更そちらで書くでしょう。
書かれていることが全てなら、型保存会にしかなりませんね。 >>470
その状況なら投げる必要は無いよね。
普通に斬りに行けばいいよね。
投げる必要が無いのに投げちゃったら、負けちゃうよ(笑)。
ヒントは「そのケースでは投げずに済んだ。 >>475
伝書に書かれている事が全てだよ。
でなければ伝承は続かない。 >>473
>>476
自分の処では投げませんが
投げるとしたらそこはどういった状況になれば
投げる必要が出てきますか?
何かヒントでも戴けたらありがたいです >>477
書かれている事が「全て」なら、人に教わる必要はありませんね。それでは伝承は続きませんよね。 >>478
受け方がマズくて、「やっちまった…」に? >>478
元々は投げるものだった。投げるのには理由があった。その理由になる部分は変わってない。
しかし足を打つようになった。足を打つようになったのには別の理由があり、投げる理由に該当する部分が変わったわけではないのだから、その部分が投げる理由にならなかったらおかしいですよね? >>479
それはキミが神で読むだけで理解できるからだよ。
自分は凡人だから解説して貰わないと解らない。 >>482
伝書を読むだけではわからないと言ってるのは私ですが。
伝書の解説者だけいればいいのですね? >>481
その通りなんだけど、上の質問の彼の場合、その投げる理由が無いよね。 >>484
そうなのですが、使太刀が上から切りかかってくるので仕方なく刀を両手で持って受けるといった解釈なのでそうなるのでしょうね。 >>485
使太刀がテキトーに打って来たなら打太刀は投げる必要も無いので、それなりに対処すべき。
どうなったら投げる必要があるのかは、打太刀がカタの中で解説すべき。
一番ダメなのは理由も知らずにただ投げる事。 >>486
相手が切りかかってくるので仕方なく両手で刀を持って受けるといった解釈では、投げるのに繋がることはないでしょうね。 >>487
うーん…
尾張ではどちらかと言えばこの場合、打太刀が刀捧にて先制攻撃に出て来るのよね。 >>467
>>474
口伝聞書はどうなのか知りませんが、太刀伝は、厳長先生が書いた物をまとめた物ですよね。 皆さん、様々なご意見を有り難うございます。
けど、仕方なしに上段を受けるという解釈が間違ってたのかなぁ?
その後で、相手は刀を下段に構えて
肘を狙って切り上げて来るので身を引くんですが
身を引きつつ投げればいいのかな?
身を引けば良いだけなので投げる理由が見つからない・・・。
その後で片手で相手の首に向かって片手で刀を回して斬りかかり、
それを十文字に折り敷かれて、こちらも折り敷いて型は終わります。
ここが刀を投げる箇所に相当するかなぁ?
と思ってたんですけどねぇ
もう何年も前に仕事を理由に辞めたんで、記憶が怪しいと言えば怪しいのですが・・・。
引き続き、刀棒で上段を受けた後、投げる理由を考えて見ます。
では、お休みなさいませ。 >>453と>>477が同じ人なら、書いてることが矛盾していることに気づいてほしいですね。
伝位だって無くてもいいことになりますよね。現代では誰でも見ることができる伝書もたくさんあるので。 >>492
太刀伝も厳長先生の文をまとめた物ですから、各太刀について書いてある部分は厳長先生が書いたものですよ。 正伝新陰流は投げるのが書いてありますね。浮舟の最初の部分は省略してますね。
正伝新陰流に書いてあるから柳生会は投げるのでやってたのかな。
太刀伝と口伝聞書は足を打つ方で書かれてますね。 正伝新陰流では影目録の解説として書いてるから投げる方で書いてるのか。
外部に出すことを考慮して書いてる感じな部分が何ヵ所もあるね。 誰がまとめたのかだよね内容は変えることもできる
本人が書いたものより誰かがまとめた方が正なのはおかしいよね? >>496
べつにどっちが正だなんて思ってはいませんが。
正伝新陰流は影目録の解説なので投げるのを書くでしょうし、太刀伝に載っているものは厳長先生が桃嶺先生の伝書をもとにして書いたようなので、足を打つ方が書かれている。
何もおかしいことはないですよね?
厳長先生が足を打つ方で書いていたことに否定的なのだとしたら、その理由は何でしょうか?投げる方でしか教わったことがないから?? 新陰流スレ
十禁習
自分だけが正しい
荒らし
難癖
揚げ足取り
マウントの取り合い
決めつけ
脊髄反射レス
他団体批判
人格批判
プライベートの詮索
十好習
疑問を投げかけることは良し
自分の考えを書くのも良し
しかし書き方はよく考える
相手の意図をよく考える
何か書かれてもいじけない
荒らしは即NGして忘れる
スルー力を身につける
煽られてもスルー
バカにされてもスルー
みんな仲良く議論 みんみんが新陰以外の流派語ってる時は中途半端にかじった系統不明の新陰流と妄想を基準にあーだこーだ適当こいてるだけだから大真面目に他流解析したいならあいつの情報収集能力だけ間借りしといて見解の方は無視して自分の目でちゃんと見ろな。 >>500
やろうとしてることは間違いではないが
言い方が悪いしと相手にリスペクトがないな >>499
折り敷いて打たれた後に打太刀が木刀を取り落とした所とも取れるからなんとも
燕飛の絵巻物の絵がぱっと見どこの場面か誤解を招きやすいというのは
解説した柳生厳長も認めるところ 浮舟が元々は投げるものだったことまで否定する人いるの? 浮舟は山陰月影とほぼ同様の型だからな 山陰では双手打にしてるのを浮舟では転打してるだけで
元々の影目録では、何故か山陰の画が省略されていて、月影を(山陰月影)と二つに分けて描かれているんだよね
まあ、刀をもじったり、双手打にする画を描くのが単純に難しかったから画にするの諦めたのかもしれないがw
ただ、浮舟の手順を考えると、あるいは順番的には月影の方が先だった可能性もあるよね https://imgur.com/a/iB2qV2r
愛洲陰之流目録 第五浮舩
投げてない.....というかどうなってるのかよくわからない >>499の説明は>>490の説明に、最後の箇所がかなり近い気がするが?
>>508は下からの切り上げを中太刀を持って、これから巻き弾くんじゃないか? >>511
>>490の説明は基本的に納得。首という箇所を除いてね。
相手は下から切り上げようとしてるので、首はちょっとね。
ここで、足を打つか、投げるかですよね。 >>462
「別使い」は個人的な仮称です。失礼しました。
その書物の術歌のところにありますよ。「刀捧を双手手裏剣打ちに打つ」と。
あと長岡房成の著述にもあります。(諸事情により伝書名は明かせませんが。)
普通の使い方(片手打ち)の後に「或ハ手裏剣ニ投ゲル」と。 てかさ、投げる理由さえ分かっていれば、
元々は投げてた。足を打つようにもなった。そのどちらでもいい。床を傷つけたりもするので普段は投げる方はやってない。
これで済む話では? ちゃんと伝わっているなら、>>516で済むと思いますよ。 >>516
その通り。
そう言ってた人ばかりだったのにね。
投げないと困る人が参入すると面倒だね。 そうなのだけど、木刀での場合は投げる理由は無いという事は確認して置きたい。
浮舟を実戦で遣う場合は投げる事態になる様に、カタはできているけどね。
それを知っている所は木刀での場合、投げない。 513だけど、ちと疑問ね いつも横からごめんね?
>>512
>>>490の説明は基本的に納得。首という箇所を除いてね。
>相手は下から切り上げようとしてるので、首はちょっとね。
>ここで、足を打つか、投げるかですよね。
>>513 >それだと投げる理由がちょっと弱くね?
>>515 >投げる理由はこれの前だって
ここで足を打つか投げるかと書いた後に
投げる理由はこれの前と言われても、会話が通じてなくね?
普通、下から切り上げようとしてるのが理由と読まね?
でも、だから(足を打つか)投げると続いてるよね? >>520
投げる理由については、ちょっと前のレスを読んでほしいです。>>490に書かれてある部分の前の部分という意味です。
ここで足を打つか投げるとは、首を打つのではなく、足を打つか投げるかのどちらかってことです。 >>519
そういう理由で投げてないわけじゃないと思いますが。木刀では投げる理由やれないですよね。これは袋竹刀であっても、やってなかったりします。それでも袋竹刀でなら、投げることもやることはありますね。 >>519
木刀でやってる範囲での内容にとらわれ過ぎていませんか?
木刀でだって、投げたってべつにいいんですよ。
なぜそこまでして、やり方を一つに狭めるのでしょうか? >>518
何も知らずに、尾張では投げないみたいなこと言う人がいたからでは? 投げないで足を打つ方でやってる理由だって、床のことだけではないですよね。他にもいくつか理由ありますよね。いくつかの理由があって普段そのように稽古していることを(燕飛に限らずです)、それだけが全てだと思うのは、解っていない証拠ですよね。 まあでも、そのいくつかの理由ってのも本当に元々がそういう理由だったのか
長い年月の中で、いくつかの解釈が為されてきたのか、そこはよく判らない事だからな
昔の伝書なりに明確にこうだと書かれてる訳でもないしね >>508
これさ絵が変だけど、打ち太刀が左膝を切りに行ってるんじゃないの?
となると投げないやり方を絵にしたということになるのでは 尾張は投げない稽古をしている推奨派です。知らなくてスイマセン。
“その後で、相手は刀を下段に構えて
肘を狙って切り上げて来るので身を引くんですが
身を引きつつ投げればいいのかな?
身を引けば良いだけなので投げる理由が見つからない・・・。
その後で片手で相手の首に向かって片手で刀を回して斬りかかり、
それを十文字に折り敷かれて、こちらも折り敷いて型は終わります。
ここが刀を投げる箇所に相当するかなぁ? ”
相手とは、使太刀の方ですね?
尾張では…使太刀は逆車的な位置から打太刀を斬り上げようとしますが、斬り上げられたくない打太刀が先に刀捧で(そのすぐ前に刀捧だったので)攻撃をしようとしてしまいます。
先に仕掛けられたので使太刀は対応します。
この時、打太刀はある理由により刀を投げるのか、遠間から使太刀の左脚を狙うのかのニ通りが有ります。それは前段の攻防での結果で強制的に決まります。
尾張では、両方理解した上で投げない方を稽古しています。
それと…もしかして他の新陰流は、打太刀と使太刀の役割が逆なのかもとも少し思いますね。
もっと情報交換してみたいですね。 そういう詳しい解説は公開するのは難しいので、お察し願います。
知っている所に習いに行くしか無いです。身も蓋もありませんが。 >>526
つまり、そんなことまで伝書に書かれてないとダメなんだ。
いくつかの理由のうち、昔からのは1つか2つで、それ以外は、稽古する上でのことでしょ。
稽古だからそのようにやってるってのは、昔からあることでもあるよね。カタではこうなってるとかも。こういうの全部、何から何まで伝書に書かれてないとダメ? >>528
その内容って、正伝新陰流に書いてある内容と同じことですよね。前段の攻防とは、そこに書いてある部分のことですか?
尾張ではと何度も書かれていらっしゃいますが、尾張の伝書などを読んだだけではと言った方がよいのではないですか? 何でもかんでも書き記す文化じゃないですし、一部のものを除いては、書で伝わってきたものじゃないですよ。直接教えられて伝承されてきたものです。その時点では伝書は読めないですし。
伝書には様々な使い方が載ってますよね。同じ人が書いたものでも違うことが書いてあったり。それらは大事な研究材料ではあります。その中で、代々の師範がどのやり方で主に教えてきたかは、時代や人によって異なるでしょうね。
そういったことを無視して、書いてあることだけが全てとなったら、人から人へ伝えていくものではなくなりますよね。
ましてや、書いてある内容をどう解釈するかは、あまり解ってない人が読むのとよく解っている人が読むのとでは、解釈が異なる可能性はありますよね。実際に稽古されてきた内容も知らない、たいして解ってもいない人が、伝書を読んでこれが尾張の使い方だと言ってても、お話になりませんよね。 >>528
ここで大事なのって、首じゃおかしいってことかなと。投げるか足かは関係ない話で。
なぜ足を打ちにいくのか解っていれば、首を打ちにいくにはならないですよね。打太刀は負けにいくわけではないので。 >>528で引用されてる人は、>>471で
最初に使太刀の脇を下から斬りに行って上から斬り込んで来る使太刀を「仕方なし」に中太刀で受けてると書いてる
>>490では本人は間違ってるんじゃないかと悩んでそうだがこの「仕方なしに」がキーワードなんだろう
何故足を打ちに行くのかは首を斬りに行ったが「仕方なし」に足を打ちに行く羽目になってその末に刀を投げざるを得なくなったのでは? そもそも投げる理由とは何だ?
よっぽどの一大事でない限り自分が頼る武器など投げんだろうし
投げるとしてもそれで敵を仕留められるという絶対の確信がないとな
少なくとも演武で投げてるのを見る限りそこまでの一大事は見えない お…核心に迫ってきたぞ。
左脚に行くのは使太刀は左の脇腹付近を守っているから。
上から行くと相懸けられる。空いていて弱そうなのそうなのは左脚。
木刀での稽古で本来打つべき場所を実打しないのは、香取と一緒。 敵を仕留められるという絶対の確信は無いけど、投げざるを得ない。
そういう状況に使太刀に持っていかれるのよ。
浮舟は怖い技術だよ。 その状況に使太刀が持って行けなかった場合、隙を狙われて打ち込まれる。
持って行けなかったその状況こそ木刀での稽古。
なので、木刀での演武を何回見ても投げる理由を想像するのは難しい。
百聞は一見にしかずなのだけど… 厳長先生の投げる解説は伊勢守の影目録の事だよね?
本当の古式の解説なのだから、よろしいのでは?
尾張では連也師が結構変えているからね。現在の尾張は連也師のヤリ方なので、投げてないというだけで。 打太刀が刀を投げる理由は「万事休して」つまりそこまでの攻防でどうにもならなくなって投げるということになっている。
しかし稽古でよくやるカタは左膝を打つ。
万事休したからといって刀を投げるだろうか?ということについては前から疑問に思っていて、特に介者の時代にあんな投げ方をしてもほぼ意味がないように思われる。
俺は左足を打たれても刀を投げられても同じだと考えている。
打太刀が万事休しているという状況は変わらず選択肢として投げると足を打つが残されているが、どちらを選択しても、もっと言えば他の何かの打ち方をやったとしても
折敷ながらの股間に収める真っ直ぐの打ちが勝つということの表れではないかと思う。
打太刀が投げるか否かは重要度としてはさほどではなく使太刀の追い込みへの至る道と最後の真っ直ぐの強さが重要なのだと思う。 万事休するのは気持ち的では無くて、物理的に。
刀の投げ方とは二刀の人はご存知かと思うけど、受け難い投げ方があるよ。
ワンチャン狙いでもヤレる確率はそう低くは無いかも。
万事休した状況を考えれば、ベストな選択かと。 >>541
その物理的にを木刀ではやれないだけ。
投げる投げないはどっちでもいい。色々な事情などなど考えて普段どっちで練習するかとなると、木刀なら投げない方が良い。
これだけ。 >>540
たしかに、投げる投げないはさほど重要ではないですよね。投げるのは陰流からの流れで投げてたのを途中で足を打つようにもなったのですよね。 どっちでも良いというよりは、状況に応じる事が大切なのよね。
実戦の為の稽古だから、色々な可能性を稽古する必要はあるだろうね。
でないとそれこそ踊りの練習になってしまう。 >>544
状況に応じなければならないのはその通りですが、その前にまずそれぞれの状況を、正確に、精度を高く、使太刀打太刀とも体現できるかですよね。そのためにも、段階を考えると、木刀では投げない方がよいでしょうね。
書いてあることを自分の読んだままだけにやってても踊りですよね。本当の術理や一貫した理論がなきゃ。
木刀の場合、投げざるを得ない状況にはなりようがないので、この例においては、状況に応じることとは別の話だと思います。 なかなか質の高い指導者が集まってきてるね。
皆さんも是非良い指導者に巡り会える事を祈るぜ。 打太刀の違いが目立つから話題になりやすいけど
何が来ても真っ直ぐ切り収める使太刀の動きこそが重要 >>548
??投げてきたのに対して真っ直ぐ落としちゃダメってこと? そうなのよ。
二刀の方、詳しいと思うので解説お願いします。 二刀ね。
新陰流の他派、分派が色々あるけど
それ気にする派も多いね。
猿廻に当たる型でそれやる派もあるし。 >>543 >>544
投げる投げないは重要に決まってるだろ!
戦略も闘いの終結も何もかもが変わって来るわ
>>549
実際に幾つかのパターンを考えて投げてもらいなさい
真っ直ぐ切り落とすのが如何に危険か分かるから >>550
二刀の方ってここは新陰流の話だから新陰流以外の技法で語られても意味がないのでは 天狗抄の二刀打ち物でも、相手の投剣を撃ち落とさずに躱しているしね。
その場で撃ち落とすということは、一太刀無駄に振らされている上に居着いてしまうし、それだけで一手損…と言っていいのか、相手の続けての打ちに応じかねるしね。
そもそも簡単に撃ち落とせないのではなかと思う。 そりゃ投げてきたものは避けた方が効率いいし簡単だけど
型で学ぶのは自由攻防ではないんだけどな >>555
真っ直ぐに打ち落としてはいけない理由はそれだけじゃないんだが、、、
もっと戦略的な意味合いがある
それ以前の問題として、
刀を投げつけなきゃいけない状況とはいったいどんな状況で
一体どうやってそんな状況を作り出すかの方が問題なんだが
それをはっきりとさせないと、刀を投げた、投げられた後のこと考えても意味ないね ここに書いてる人たち、本当に新陰流やってる?
投げるといっても投げ方もあるし、それに対して真っ直ぐ落としてるんだが。どんな投げ方だろうとそうするわけではないが、カタではその投げ方に対する落とし方をやってる。
その投げ方を知らないか、投げる方や落とす方がヘタだからおかしなことになっちゃうのでは? >>555
躱してないし、それで居つくようならそれは実力不足でしょ。
自分の実力に合わせて技を変えちゃダメだよ。 >>558 >>559
尾張柳生全面否定か?
型に縛られたければお一人でどうぞ >>558->>560 砕き稽古しない道場なの? 使いこなせないままで終わるよ? 香取もそうだけど、尾張には口伝が多い。
カタと口伝でかなり充実している。
だからカタだけどこかで見て真似しても、永久に解らない。
浮舟の絵だけ見て刀投げてる所が好例。 思わせぶり、俺は本当のことを知っているけど書かないみたいなのも>>498の自分だけが正しいに当たらないか? やたらレス重ねてるけど、折ってるあるいは曲がっているって解釈すると聞いたけど >>563
悔しかったんだろうけど、それをここで蒸し返すのは無理があります笑 刀投げたと同時に走って向かってきたら撃ち落としてるどころでは無いとか思うけど、そこまでは普通やらないでしょう 投げる場合の打太刀は退いてるし、そもそも避けづらいように横向きに投げてるじゃない
投げ方については上記の理由で刺すようには投げられない、はず
詳しい部分が流派によって違うのか先輩筋の解釈なのか分からないけれども
縦回転で投げられたら確かに斬り下ろしては防ぎにくいか 尾張ってやたら言うけど、その尾張では手裏剣打ちに対して真っ直ぐで落としますよね。
砕きとは、カタでやってることを否定したり、できないから違うことやったりおかしくなってるのを砕きとは言わないよ。 じゃあ刀投げた後にすぐ脇差も投げて来られると厳しくなるかな 浮舟の投げる投げないで100レス以上使ってるなんて....
いいと思うぞ!
ただし他の人をバカにしたように受け取れる書き込みには気をつけような! 浮舟は、足を打つのでいいが厳長先生だって投げてたこともあったよというのと、普段投げるのでやってますは違うよね。
投げるのに対して、真っ直ぐ落とすのをやっちゃダメだと言ってる人がいた。投げるのがヘタだったり落とすのがヘタなら、そりゃ真っ直ぐ落とすのできないだろうね。
普段は足を打つ方でやってはいるが、尾張では足を打つから投げることはほとんどないとか投げてきた場合に真っ直ぐ落とすのはダメとかって、たいして知らない人が自分の知ってることだけを正しいと思い込んで書いてるだけだよね。
浮舟は投げてこようが足を打ってこようが、使太刀は変わらない。二刀打物も、投げてくるのをかわす技じゃない。ヘタだからできないものを砕きを理由にして変えちゃダメだよ。まずは型でやってることをちゃんと練習してみなよ。 型をちゃんと練習してれば、砕きの方が簡単。
浮舟は、某会のような投げる方での演武をすることはなくても、投げる方だって上級者はやることもある。某会みたいにどこに向かって投げてるのか不思議な投げ方だったり、飛んできた太刀を打ったら遠くへ飛んでいくような打ち方じゃダメだけどね。そういえば、その某会も最近は足を打つ方で演武したりしてるね。 投げられての対処は、どうゆう事になるのかは実際に試してみると良いね。
安全な軽さでは試せないから、実経験をした人は口伝を残したのだけど。
新陰流についてはこんな研究しやすい時代だから、色々見てるけど尾張の詳しい所が一番知っているみたいだけどな。
上で詳しく意見しているのもそこでしょ。
他に詳しく知っている所あるなら、ここ見て情報得る必要も無いしね。
あと、カタを型という漢字で表現するのはあまり新陰流を知らない人だと思うよ。 >>575
「型」と表現した方が良いレベルの話だから型と書いた。 それは思ったけど、妙に技法を明言しないのと一緒で隠してるのかと思った
勢法か、砕いて書いても形だよね? >>577
型と書いてる人がいたのでそれに合わせたってのもある。 今時カタの漢字表記なんて稽古会の内側以外でこだわる必要あるんか >>580
演武会、稽古会のホームページなどの発信物は正式に書くべきだと思うけど
こんな掲示板でそこに拘らないといけない理由って何?
むしろここに書く連中はもうそんなことはわかっているんだから
ただの揚げ足取りか難癖くらいにしか感じないぞ でも、そういう部分で参考になるか否かを判断する人もいるでしょう。 >>581
こんな掲示板でそこに拘ってるなら、正式に書いてるよ。
それは>>575に言ってくれ その様なご意見も含め、各々方参考にされるされないを自己責任に於いて判断を。 >>564
俺は当たると思うよ
話せないなら最初から黙ってろとは言わんが 詳しい人達に来るなと書けばもう来ないよ。
別に知ってる事話す義務など無いのだし。 投げてくるのを真っ直ぐ落とさない方が良いとか二刀打物はかわすものだと書いてて、それに反論されたら、カタに縛られてるだとか砕きだと言い出す人達が「詳しい人達」なの?? 答えを知ってる人なら珍回答はどれなのかは解るけど、知らないけどネットで近道して答えを知りたい人もいるでしょうね。
だから修行の前段階として、色々な正解の候補を知っておいた方が良いかもね。
その方が真実を理解した時にその満足度が高いと思うし、捏造している所への怒りも倍増するだろうし。 >>589
こういうとこだけでは正解を判断できないだろうと考えてくれてるってことでしょ >>587
二刀打ち物の書き込みしたのは自分だけど、その反論はまだ書いてない…
ご意見いただき、それもそうかと今は思案中。 新陰流の二刀モノは打太刀が二刀です。打太刀が投げてくる事も有ります。
想定しているのは戦国時代に二刀を遣っていた流派。そこの遣い方に忠実。
二刀の人はよく投げてくるという創始者の経験があったのでしょう。
なので、刀を投げたり投げられたりについては、経験が豊富です。 浮舟投刀問題に続くかも知れないので、二刀に話題を振ります? ちなみに上に出てる武道大学の論文では浮舟の絵は刀を打ち落としているだけで投げていなかっただろうと結論付けてたな
理由も書いてあるが納得するかはそれぞれかな >>573
>二刀打物も、投げてくるのをかわす技じゃない。
>ヘタだからできないものを砕きを理由にして変えちゃダメだよ。
>まずは型でやってることをちゃんと練習してみなよ。
型でも躱すよ。でないと当たるから。
あなた何を言ってるの? 敵が、こちらが躱せない様に投げて来たらどうするの?
相手も相当な手練れという想定なのです新陰流は。 どうやれば躱せない様に投げられるのか書いてごらんよ?
それを言い出せば、打太刀が避けられない様に
斬ってきたら?防げない様に斬ってきたら?
と何でも言えるけど? >どうやれば躱せない様に投げられるのか書いてごらんよ?
それは秘伝だとか、ここには書けないとか言って逃げるのでは? 秘伝もなにも使太刀が受ける形の場合、基本的に避けられないか避けない方がいい打ち
退く形の場合は受けられないか受けない方がいい打ち
特に燕飛は懸待表裏は一隅を守らずの攻防を表してるはず 新陰流の基本は、避けるのではなく、入っていく。相手が打ってくるところの小手をとらえる。 >>599 >>600
間違いじゃないんだけどさ、
実際にやってみれば分かるんだけど
その程度の認識だと、
格下相手じゃないと通じないんだわ
それならば入られないように打つとか
小手を打たれないように打つとか
言いたい放題で「一撃無双」に成れるじゃん? 新陰流のカタでの打太刀は別に「負け役」では無いので、勝っても良いと教わりました。
ので、使太刀の時に良く打たれましたね。 負け役ではないが理が通れば使太刀が勝つ
逆に言えば使太刀が未熟なら打太刀が勝つ
最初はゆっくりやって打太刀は打たせてあげるが、
だんだん厳密にやって打てなくなる
そこを理法で克てるようになるのが稽古 いつかやる氏は「新陰流」の動画を新たに作らないとならない位に違うね(笑)。 江戸時代にも、こうしたあの遣い方はどうこうといった論争はあったんだろうな。
カトリックとプロテスタントの争い見てるみたいで面白い >>605
そこで死海文書みたいに浮き上がってくる昔の伝書
目が潰れるのを覚悟で読むのです >>606
摩利支天像の封印を破った時はすげえ盛り上がったんだろうな >>601
そのような打ちの時に入っていったり小手をとらえる必要はないでしょう。そういったことはカタをちゃんとやっていれば、カタが教えてくれているはずですよね。 >>575
自流は新陰流ですが、普通に型とやってます
カタという表記には拘りませんが、何か特殊な意味があるのでしょうか?
>>595
自分もそう思います。あれは打太刀が右手の小太刀を投げた時に
体を左右を入れ替えざまに避けつつ、長刀を持つ前左手を打ち砕く技では?
>>573
他の方々の流派とは解釈が違ってたら申し訳ないのですが。
上の解釈が違うというのであれば、どのような解釈が正しいのでしょうか? >>602 >>603
自流では使太刀が打たれるような技の構造になってないのでちょっと分かりません
型を解いたり砕いたり、返し技の練習などの段階に入れば
打太刀が勝つこともありますが・・・
自流では割と厳密に打太刀と使太刀の役割は決まってたように思います
>>601
分かります。それは最も陥っちゃいけない精神状態ですよね
>>608
そういう意味ではないのでは?
「そのような打ちの時」が何を意味するか分かりませんが
流石に意味不明で、何かが噛み合ってないように思えます
しかし、こうして見れば、本当に色々なやり方や解釈がある物です 新陰流と言っても、柳生と疋田とはかなり違うのかもね。
柳生の方は昔から「〇〇と書いてカタと読む」みたいな感じだし。
二刀打モノだってまるで別の技術かという位に違う。
ところで疋田系や肥後系は、自信を持って古来の技術を継承していると言える人は存在しているの? >>610
別に上の人たちも使太刀が打たれる構造になってるとは言ってないべ
打太刀は勝つつもりで打って、使太刀が未熟で理屈通りに打てなかったら打太刀に負けるってだけのことでしょ >>611
まるで柳生がちゃんとしてて一切の疑いを許さんって感じの口振り、
青臭くてとても良いな >>610
精神的な話ではなく、どのような条件が揃えばカタ通りになるかです。
低い技量レベルやどのような打ちでもカタ通りになるわけではないですよね。だからといって、技を変えちゃいけませんよね。それは砕きだと言うならまだよいですが。
私は>>599ではないので意味を誤解していたら悪いですが、相手のその攻撃に対してそれしかできないなどは基本的には無く、色々できると思います。しかし、そのカタではその勝ち方をやってるわけで、別のカタでは別の勝ち方をやっていたり、あとは砕きはやれば色々できます。
これら全て、カタ通りにやるのは難しいでしょうが、それを練習しなきゃやる意味がないですよね。 疋田などがどのように伝わっているのかは知りませんが、柳生系では、二刀打物こそ、手裏剣打ちを落とす技ですよね。 >>618
半開半向が抜刀
浮舟は刀を投げているが使太刀は真っ直ぐ折敷 >>619
半開半向が抜刀ってすごいですね。
新陰流系統は伝書などは多く残っていますから、それらを見れば、各系統で色々と違いはあるのだと思います。ですが、伝書が残っているだけで、技が実際に伝わって残ってたものは少ないですよね。
それに、傍系が変えてしまったものの中には、本来の要素から外れすぎていて、参考にすべきではないものもあると思います。 >>618の絵は、半開半向が抜刀なのは不思議ではありますが、刀と刀を打ち合わせてやった場合にどう当たるかで技を現しているみたいですね。これを見ると、そんなに変な感じもしませんね。これは江戸柳生の系統ですよね。 太刀と太刀がどのように通るのかを現しているのかもしれませんね。燕飛以外は、だいぶ隠してる感じがありますね。天狗抄も抜刀の絵になってるのもあるし。 江戸柳生系の伝書も、色々なのを見ると、かなり共通してるもの多いですよね。たまに砕きの方が書いてあるのかなと思えるのもありますけどね。 これと同じように太刀と太刀の向きを書いたもので、打太刀の拳まで書かれているものもありましたよ。江戸柳生系の伝書で。
そちらでは、使太刀の太刀は打太刀の拳に触れていました。それを太刀と太刀の向きだけで書くとこの絵のようになるのでしょうね。
この絵の中に、二刀打物らしきものもありますね。 >>621
618
柳生ではなく松田織部之介の系統でしょう。伝書の伝系を見る限り。幕屋新陰流ともいわれるやつ。
松田は石舟斎と同じ大和での(伊勢守の)門人ですね。
最後の方の横山家は福井藩の剣術師家の一つのようです。 >>625
ありがとうございます。そうですね。
訂正ありがとうございます。 >>612 だからそういう風にはならない基本構造だって言われてんのよ >>627
>>612ではありませんが、もう少し具体的に書いてもらわないと、言おうとしてる事がどのような事なのか分からないです。 >>609
>あれは打太刀が右手の小太刀を投げた時に
>体を左右を入れ替えざまに避けつつ、長刀を持つ前左手を打ち砕く技では?
二刀打ち物は大きくはその解釈でいいと思うけどね?
敢えて付け加えるならば、投げた時にかどうかの問題はあると思うが、、、?
違うと言うお方はご意見どうぞ >>629
新陰流の二刀打物はそのような技ではないと思いますよ。
そのやり方ですと、おそらく、右足前に変わりながら大きめに転身して左手を打つのですよね?で、その後はどうするのですか?
それに、避けるのができないとは言いませんが、避けづらい距離で避けづらい投げ方で投げてはきますよね。二刀打物で飛んでくる小太刀に対する対処は、そのような場合のやり方をやっていますよね。 それに、敵(打太刀)からしたら、使太刀が避けるために大きく動いたら、その方が打太刀も対応できてしまいますよね。 自分も630氏と同じ認識。
避けられない様に、しかも撃ち落とされない様に投げて来られる事を想定している。
投げられた刀を捌いた後は、古い山霞と呼ばれていた時代ではほぼ活人刀と同じ勝口。
投げられた刀の捌き方は浮舟で投げられた場合と同じ。
違うという方はご意見どうぞ(笑)。 浮舟で投げる投げないどっちでも良いのは、ここで投げられた場合の対処を学ぶから。
重複する必要も無いね。 避けづらい距離で避けづらい投げ方で,,,はどの攻撃も同じだし
勝手に大きめに転身する話にすり替えたり
左手を打った後でその後はどうするのかと問うたり
夢見がちな人がズレた会話をしてる様にしかみえんのだが? 敵は右手で投げてるのだから、前に出ている右手を越して入って行くのだと、結構大きく転身する必要はあるよ。
あと、新陰流には敵を釣る為に、解りやすく避けやすい攻撃をする事もあるね。
新陰流の人ならご存知かとは思うけど。 左手を打った後に如何するのかという問いは、新陰流を理解しているのかどうかの為なので、よくよく熟慮の上反応した方が良いかもね(笑)。 >>636 ハッタリミットモナイ
熟練とは関係ないと思う
派や指導者によって細かくは変わるけど
およそパターンは決まっててみんな知ってるでしょ では、大きめに転身するかどうかは置いとくとしても、二刀打物は、その名の通り、敵が投げてくるのが大前提だよね。
まず、新陰流では、手裏剣打ちって名前は聞いたことはあるよね?投げ方の話しでそれは無視しないよね?
あと、右手の投げるのと左手の太刀は、同時な場合も時間差がある場合も考えられるよね。
同時な場合、右手が前に来るとは限らないよね。前に来てるのは手じゃなくて飛んできた小太刀だよ。
時間差の場合、飛んでくる小太刀を避けても、太刀が追ってこれる。
これらは、どうするの?
さらに言うと、少なくとも尾張の新陰流では、二刀打物は投げてくるのを避ける技とはなっていないよ。このことを無視して、二刀打物は投げてくるのを避けると言い切れる根拠は何? >>634
どの攻撃も同じですか?
そんなに敵に都合良いなら、活人剣なんてないよね。 敵が順に投げたり打ってるなら、左手の太刀の打ちと、右手の小太刀を投げるのとが同時な場合は、手前にあるのは左手だよ。
手前に右手が来てるとしたら、同時ではなく時間差がある場合。その場合に避けても、敵はまだ対応できるよ。 あ、手前にあるのが右手か左手かの話です。同時に投げてれば、もちろん一番手前にあるのは飛んできた小太刀。手で言うと右手か左手かって話。 あるいは、その前の二刀と同じという文章でも見て、全く同じだとでも思ったのかな?
二刀で打ってくるのと、片方の小太刀を投げてくるのとでは、全く同じではないよね。
使太刀のやろうとすることの目的が違う。 >>639
>時間差の場合、飛んでくる小太刀を避けても、太刀が追ってこれる。
>これらは、どうするの?
>>600と>>609の↓これを正座して1000回ずつ読み直せとしか……。
>あれは打太刀が右手の小太刀を投げた時に
>体を左右を入れ替えざまに避けつつ、長刀を持つ前左手を打ち砕く技では?
>新陰流の基本は、避けるのではなく、入っていく。相手が打ってくるところの小手をとらえる。
……、とはいえ、二刀打物もまた流派別によって遣い方が違って来るのかも知れないけどね。 山の天狗達が面白そうな宴会発見して降りて来てるが偽物の天狗もいる様で、それをニヤニヤしながら天狗さん達が弄んでいる感あるね。 その天狗が自分の事を天狗だと思っている精神異常者の可能性が否定できない >>644
>>600は私です。
避けるということは、その場にはいないのですよね。少なくとも手裏剣打ちを外す分は移動しなければならない。
てことは、相手の左手の太刀での打ちに対して、動き出すのが早すぎるのと同じになるのですよ。それでは、敵だって対応できてしまいますので、敵の左手をとらえることはできませんよね。 >>644
それとも、敵の右肩上に上がった左手でも打つつもりですか??
あと、尾張の新陰流では手裏剣打ちを避けるようなものではないのですが、それについては何かないのでしょうか? >>644
あ、失礼!
>とはいえ、二刀打物もまた流派別によって遣い方が違って来るのかも知れないけどね。
これですね。流派別とのことですので、新陰流ではないってことですね。 前右手と書いてる人と前左手と書いてる人がいるのですね。
同時か時間差かで異なると思いますが、前左手としてる場合は、打ってきた左手ということなのでしょうね。
それだと、同時の場合じゃないと避けつつはできませんよね。手裏剣打ちを避けるとなると大きめの転身は必要になりますよね。それで左手をとらえることはできるでしょうが、で、その後どうするの? 投げられた刀を避けるという案はどうなのかな。
尾張の打太刀で大小同時打ちだとすると、微妙な時間差でも刃筋は同じだから、避けられたらそこで打太刀は終了じゃない?
簡単で解り易い事はしてこないのではないかしら。打太刀も天狗なのだし。 >>652
時間差の方がいいよね。
避けられただけなら、まだ何かできるよね。避けながら何かやられたら、同時だととくにつらいだろうね。そう簡単には避けられないだろうけど。
それでも避けるより避けないで勝つ方が、相手にとっては嫌だよね。二刀打物はそれをやってるよね。 まぁ、陰流時代の山霞だと大小同軸ですら無いから、一発目投げられて避けられたとしてもあまり意味を持たぬ。 >>650 馬鹿だろ? オメー何にも知らないんダナ。新陰流は一つしかないとでも思い込んでるのだろうナ。 >>655
「新陰流」と「◯◯新陰流」は違うんじゃない? >>648−>>651
確かに武術としては投げ放つ手裏剣を
打ち落とさずに、避けずに処理する方法は幾つもあるし
もしもそれを二刀打物に見出したのなら
その見識の高さを称えたい程だと思ったし
正直、学ぶべきところもあるとさえ思ったものだが、
それを知ってる段階に居るとは思えない位に
酷く、低レベルな解釈と技量には驚き呆れさせられた
本当に新陰流を、いや、それ以前に剣術を学んだ事があるのか?
と疑われて然るべき程に酷過ぎる
もしもある程度以上の経験者が意地になっておかしな言動に走ったのなら落ち着け
武芸者がその様な事程度で揺さぶられてどうする?
そうでないなら、馬鹿な素人が妄想に憑かれて知った風な口を叩くな
どっちなんだ貴様は? >>657
何を言ってるのか分かりません。
二刀打物は避けるのではなく打ち落とすものだと言っているのです。
手裏剣をではなく、手裏剣打ちをです。
二刀打物が手裏剣打ちを打ち落とさずに避けるものだという根拠を言ってほしいものです。 >>655
流派別=別々の流派=流派名が違う=流派名が新陰流ではない。
流派別ってこういうことですよね? >>655
>>657
否定的な事を言われたら、それに対して、もっと具体的な内容で言い返せないのですか? 新陰流スレ
十禁習
自分だけが正しい
荒らし
難癖
揚げ足取り
マウントの取り合い
決めつけ
脊髄反射レス
他団体批判
人格批判
プライベートの詮索
十好習
疑問を投げかけることは良し
自分の考えを書くのも良し
しかし書き方はよく考える
相手の意図をよく考える
何か書かれてもいじけない
荒らしは即NGして忘れる
スルー力を身につける
煽られてもスルー
バカにされてもスルー
みんな仲良く議論 天狗抄は陰流時代からだから、疋田系も柳生系も根幹となる技術は同じでしょうに。
全く違うのならどちらか、もしくは両方がツクっちゃっているからでしょう。
江戸時代迄の継承者が改変したのならまだ価値あるけど、明治以降にツクられたモノはちょっとアレだよね。 自分が習った新陰流も二刀打モノは避けないのよね。
避けない所が何故避けないのかも説明しているよね。
他流の技術として避けるはあるかも知れないけど、ここでは皆新陰流の事を話したいのでは? そもそも太刀の働きによって勝つを良しとする新陰流で
避けるという発想が出てくること違和感があるんだよね
単純なる攻防のやり方として避けた方が確実で習得しやすいのはわかるけどそれは流儀性から離れてしまうと思う >>664
いや避けないっていうのも言い過ぎだろ…
ここの連中新陰流をやってる自分が好き過ぎて
自分と違えばまず上から目線で否定してかかって
反論されたらムキになって口滑らせて袋叩きに遭うって
これはアレか?5ちゃんで打太刀でも務めてくれてんのか? >>666
すまん、分かりやすく別々に投稿すべきだったな
貴方の書き方に傲慢は無いが 全く避けないかと言うなら、避ける事もあるよね。
ただ二刀打モノの時は、避けるよりも合理的に勝てる方を選んでいるというだけで。
避けるのは対槍の時に多いかも。 避けない事にムキになっているのではなくて、新陰流って避けるであろう位置へ伏線をはる事が多く、当然相手もそうしてくるかもと想像してしまうからだと思う。
なので、「投げられたら、避けるんです!」と教える所に違和感を感じるだけ。 >>670
ただ単に、二刀打物がどういうものかという話だと思うのですが >>663
>避けない所が何故避けないのかも説明しているよね。
何処にどんな説明がある?
>>670
>「投げられたら、避けるんです!」と教える所に違和感を感じるだけ。
避けないと当たるのも事実だし
避けるであろう位置へ伏線をはるのもはられるのも
それを踏まえたうえでしょ
それとも100パー打ち落とせるの? 「そうだ!全部合し撃ちで踏め込めばいいんだ!」
高度に発達した新陰流は一刀流切り落としと区別がつかない >>672
稽古と実戦は別ってことでしょうね。
稽古は要求を守るのが第一
実戦は身を守るのが第一
技が実戦で生きるかどうかは練度次第 >>672
稽古って、技の練習をしてるのだから、
>それとも100パー打ち落とせるの?
こんなこと言ってたら、一体何を練習するの??投げてきたのを打ち落とすのに限らず、こんなこと言ったら全部に当てはまるよね。
それとも、自分の実力に合わせてカタを変えるの?貴方は石舟斎ぐらいの実力者? >>674
身を守るだけなら、最初から戦わない方がいいですね。 上でもそれとなく指摘してる人いるけど
飛んできた刀を避ける場所に・・・な〜んて
言い出してる時点でアレではあるんだよね >>676
護身術の話してるわけじゃないのでそんなこと言われても..... >>628 相手が強ければ打つ手なしになるなら、武道は成立しないでしょ? そういう話よ
>>678 無刀の概念上では、それもありでは? >>675 武術を舐め過ぎ。平和な時代ならではのお花畑。 二刀で刀を投げる人は打ち落とされるのを前提に投げてるよ。
その為の二刀だし。
二刀の方だってかなりの手練れなんだ。
先ず打ち落とされるにしても出来るだけ投げた刀が働いてくれる様に投げ、その後の攻撃も当然ワンツーで来るね。
だから新陰流の方も次の攻撃に備えつつ打ち落とし、次の敵の攻撃を利用しながらの反撃に繋げる。
打ち落として終わりでは無いし、打ち落とすだけが目的でもない。
上手く打ち落とせないかもしれない。そしたら負けるだけ。
だから色々研究しているのだし、他流も負けない様に工夫するのではないかな。 >>676 逃げ場のないとこで襲われても同じ事言えるかな? お花畑って多いんだね 新陰流は基本、合戦場想定だからねぇ…
身を守る限定はキツいかもね。 >>678
武術である以上、実戦では身を守るのが第一とは言えないんじゃないかなぁと思いました。護身術ではないので。
>>679
>相手が強ければ打つ手なしになるなら、武道は成立しないでしょ?
この内容自体に異論はありませんが、その技がどういうものかと、この内容は別の話だと思いますよ。
>>680
貴方こそ舐めすぎでは?カタと実戦は違いますが、カタを稽古することの意味を分かっていない。実戦でなら当然何やったっていいですが、カタの中で実戦の真似事やってるだけでは?
貴方個人がどのように稽古したっていいとは思いますが、それを新陰流だと呼ぶのはやめた方がいいですよね。
>>682
無刀の概念上やその様なシチュエーションなら分かりますが、実戦のための武術とした場合は、身を守ることが第一とは言えないでしょうね。 >>672
>避けないと当たるのも事実だし
避けない=当たる。これしかないのですか?
この時点で、二刀打物の話ではなくなってますよね。おそらく、二刀打物を実際には知らないのでしょう。手裏剣打ちも。 >二刀の方だってかなりの手練れなんだ。
二刀に限らず、敵はそんじょそこらのヘボとはわけが違うってこと、とても大事ですよね。 型だからと言って盆踊りみたいな事繰り返してたら単なる自己満足で終わるって事かな >>688
それぞれのカタでやっていることを大切にしないで自分のレベルで武術遊びしてるのを自己満足と呼ぶのでしょうね。 何を身につけようとしてるのか。身についた気になりたいだけなのか本当に身につけようとしてるのか。自己満足なだけか修行か。
身につけようとして稽古してたら、自分のレベルでカタを判断しませんよ。 試合とか無いんだから稽古も工夫しないと意味ない
何のために稽古してるのか 二十七箇条とか早い段階で教えておいた方がいいんじゃないかと思うわ >>691
工夫するのは良いと思いますが、だからといって技を変えてしまってはダメでしょ。 >>691
工夫のつもりが、劣化や別のものへの変貌などにならないようご注意ください。 普通の兵法ってのは、打ち落とされる前提では投げない
最初からシビアな攻撃として仕留めに行って、
それが打ち落とされたり避けられた際の
それぞれの対処を先に用意しておくものであって、
罠として投げたものを打ち落としてきたことを利用して、、、というのは
決して間違ってはいないしそれも計算に入れてはいるが
結果論としてそうにも見えるってだけだ
そんなまだるっかしい事をしていては命のやり取りでは後れを取りかねない
最初に投げた刀や手裏剣の一撃で済ませられればそれに越したことはなく
実際にそうした目的に特化したやり方もある
また、本気で投げてきた手裏剣を打ち落とせると思い込んでる人もいるようだが
それは少し御目出度くないかな?
打ち落としてきた人を罠にかける方法があるかもしれない
と考えない時点で、何時かどこかで敗れる兵法でしかないのでは? >>696
打ち落とされる前提というか、目くらましでしょうね。
手裏剣を投げるのではなく、手裏剣打ちですし。
でね、カタの解釈についてのそういった精神論的なことに行くのではなくて、それの前段階としての具体的な事実に基づいた内容は無いの? >>696
罠というか、打ち落とされても負けないように打太刀は攻撃してきてるが、それに勝ってるのが、二刀打物の使太刀ですけど。。。 >>699は、
>打ち落としてきた人を罠にかける方法があるかもしれない
と考えない時点で、何時かどこかで敗れる兵法でしかないのでは?
この部分に対してです。
罠とか計算とかよりも、新陰流とはどういうものかが大事ですよね。
敵はおバカではありません。それどころか最強のようなものです。それに対して勝っている使太刀は、活人剣です。 ああ、手裏剣打ちが俗に言う所の忍者が打つ棒手裏剣と同じイメージを持つ人多いのね。
違うよ。 ここ20年ぐらい、ちょうどネット社会になってからかな、とっくに消失していた流派がいきなり現れたり、有名な流派が色々な所にいきなり現れたりが多いよね。
ずっと伝わっていたかのようなことをホームページなどには書いてますが、中には、伝書などの一部を見てるだけで、何も知らなかったりするのもいるんだろうな。 ネットは関係なく小説の主人公がやってる流派が復元とか怪しいので復活したりしてる。ネットが発達してからはパクリが横行し始めた。あの流派の型は毎年変わるねぇとかあれはどこそこからパクったとかそんな感じ。 燕飛みたいな続け太刀って他の流派にもあるの?
示現流の燕飛とかは知ってるけど.... >>697
カタの解釈が精神論的という時点で、お察しw
目くらましは解釈で精神論的じゃないの?
>>699
会話の流れを確認して100回読み直したらどうよ >>705
何が言いたいのか分かりません。
二刀打物が手裏剣打ちを打ち落とすものではないという理由を、自身の考えなどではなく、明確な具体的な理由で示せませんか?
貴方が作った二刀打物だと言うのなら、それも明確な理由だとは言えますが、新陰流だとは言えませんよね。 >>705
目くらましは解釈ではありませんよ。知ってれば分かることです。もちろん、精神論的でもありません。
手裏剣打ちと太刀での打ちという二刀での攻撃への対応が、二刀打物ですから。 >>705
一応言っときますと、精神論的と書いたので分かりづらかったかもしれませんね。観念的と言った方がよいでしょうか。
なにも、形だけのことを言ってるのではないのですよ。
ただ、貴方の書いている観念的な事の中には、二刀打物のカタすらない。まずはこれがあってそこから考えるのなら分かりますが、それもなくいきなり観念的な事が出てきてます。そして、術理もない、新陰流もない。
新陰流を何も知らない、剣術をやっているそこらへんの人が言いそうなことですよね。 >>707の
>手裏剣打ちと太刀での打ちという二刀での攻撃への対応が、二刀打物ですから。
この部分は、「対応」より、「勝ち口」と表現した方がよかったかもしれませんね。 >>704
鹿島神道流なんかそうですね
スターウォーズのビームサーベルに画像加工されて
動画サイトにアップされたりしてます 自分に反論した人は勝手にカタを変えた事に仕立て上げたり
カタの解釈は現実でなく精神論だと感情的に仕立て上げて自己正当化して
しかも人の解釈を捻じ曲げて違う内容にすり替えてケチ付けてる人
結局は自分だけが知っているという主張ですが
狭窄的でヤバくないですか? >>711
>自分に反論した人は勝手にカタを変えた事に仕立て上げたり
これはたとえばのことですよね。
>カタの解釈は現実でなく精神論だと感情的に仕立て上げて自己正当化して
カタの解釈を現実でなく精神論だなんて言ってませんよ。その前にもっと具体的なことを言ってくれと頼んでいたのです。
>しかも人の解釈を捻じ曲げて違う内容にすり替えてケチ付けてる人
どこの部分ですか?手裏剣打ちのこと??
>結局は自分だけが知っているという主張ですが
二刀打物について避けるのではないと言ってる人は私以外にも何人もいますよね。
避けるものだという根拠はいまだに出てきませんね。
昔から伝わっているものなら、何かしらの根拠はあるはずですよね。 大坪伝ワイ、低みの見物。
このスレ見てると自分とこが亜流中の亜流過ぎて草生える。 >>712
他には、二刀打物は打ち落とす派、
その他の方法で処理派がいるみたいだけど、あなたは何派? >>715
二刀打物で相手が投げてくるのをどうするかは、打ち落とすと避ける以外に何か出てきました? >>713
大坪伝は合気とか心眼とか併修してる人達だろうから
宗教の原理主義者の神学論争を眺めてる世俗派的な
感覚があるのかも知れんなあ >>718
まあM会からしたら柳生新陰流の一つとして敵視されてるから無関係ではいられないけどな 大坪さんは柳生厳周師の弟子なのだから、滅茶尾張だし(笑)。
尾張の同じ人からの系統は皆技術は同じでしょう。 >>713
大坪氏系統は尾張柳生なのだから、ワイさんが見ている自称厳周伝の人らの方がきっと亜流。
御心配無用。 >>719
>>721
言われてみると、大坪伝と自称厳周伝のとこは両方とも尾張系統なのは間違いないんだが、M会が大坪系を敵視してるようなこと書いてるのは見たことない気がする。
捏造したりしないからかな。 M会が敵視してるのは厳長の弟子たち以降と離れていった連中だろ >>723
自称厳周伝のとこも入るんじゃないの?本を読むとここは入ってると思う。
その他にも、新陰流だと言いながら変なことやってるようなとこなんかも。 ということはM会を離れて新陰流の稽古会を立ち上げた連中はノーカンなのか?
むしろそっちの方を嫌ってると思った >>726
ノーカンではないんじゃない?
破門になってる人もいるんだもん。
そこらへんだけではないんじゃないの?ってこと。 大坪伝って今は荒木堂が代表格だと思うんだが
荒木堂で新陰流始めた先代が同好の士に嫌われるようなことしなかったのと
今の人らが変なこと始めないからってのもあるのでは >>718 >>728
低みの見物してた者ですが、仰る通り荒木堂の門人でごぜえやす。
うちは心眼流體術に併伝する形でやってるんですが、なんと内容は三学円・燕飛・九箇・天狗抄・奥(他のとこで言う奥義)だけなんすよ。
試合勢法もなんだかお互い交互にパンパン切り返すやつだけで。
だからこのスレや他のちゃんとしたとこのホームページ見た時は衝撃が走りましたよ。
七太刀?二十七箇条截合?制剛流?十兵衛杖!?といった感じで。
大袈裟でなく別世界を覗いてる気分ですな。ていうかうちのとこ適当すぎワロスwww
極真空手で育った友人が、後になって自分の流派が異端中の異端だったって言ってた気持ちがよくわかる….orz >>729
たしか大坪さん系統は、大坪さんが江戸柳生の研究をしていたから、尾張だけにある外伝試合勢法はあまりやってなかったと聞いたことある。 >>717
そのどちらでもないのが>>657みたいね
分かる人だけがわかるって感じの玄人オンリー
分からない人は具体的にと催促して相手にされてませんねw >>732
二刀打物が避けるものだと言うから、そうじゃなくて打ち落とすものだとなったのですよね。
でね、玄人でもなんでもなくて、>>657は自分の思うところを書いてるだけだよね。
具体的には答えられないだけでしょ、根拠がないから。
こちらは「二刀打物」とはどういうものかという話をしてる。 >>729
それに、大坪さんは多分、制剛流はやってなかったのでしょうね。試合勢法はもちろんやってたはず。
それ以外の、二十七箇条とか十兵衛杖とかは、大坪さんはやってなくてもおかしくはない。むしろ、今それらをやってないのは正直な証拠だと思う。 >>730
心眼流と新陰流に技法的だったり歴史的だったりといった繋がりはないぞ。
単純に、荒木堂の先代の武藤先生が大坪先生と交流があって、その時に新陰流を教えてもらったからそのまま併伝してるってだけ。 >>735
>心眼流と新陰流に技法的だったり歴史的だったりといった繋がりはないぞ。
猛虎弁野郎嘘乙 >>736
!?!?!?
荒木堂で伝えられている心眼流體術の実質的な流祖は小山左門だし、法祖というか神様的な位置に願掛け的な意味で柳生十兵衛を置いてるだけで史実での関わりなんか一切ないよ。
百歩譲って東北伝の竹永隼人が宗矩から新陰流を学んだっていう方を言ってるならまだしも、どちらにせよ現在残ってる荒木堂の技法にも島津先生の技法にも新陰流の技術なんかなんも繋がりないし。まあ一応宗矩の門弟として竹永隼人が居たのは事実だから一切関わりないってのは言い過ぎか。 >>735
平直行がSNSで心眼流の稽古で共通する新陰流の奥義を習ったみたいなこと書いてた気がするんだが、そういうのはないのか >>738
平氏の発言は知らないけど、ある
俺は東北系統の心眼流を習ったけど、こっちの型でも新陰流を感じる部分はあって
荒木堂の動画や資料を見てもこれは確かに元はウチと同じなんだなと理解できるし
新陰流由来の所を見出せる
お前本当に荒木堂の門人か?
まあ島津に先生付けしてる時点でお里が知れるが すまない、739の最後の2行は猛虎弁野郎 >>737 へのレスだ >>739
えっ俺は荒木堂とはなんも関係ないし島津“先生”なんて書いたこともないが
そもそも心眼流はぜんぜん知らないから聞いただけだけど?? >>741
本当にすまない、740に書いた通りだ
少し頭に血が上っていた >>733 そりゃ、>>708みたいに、否定されては主張を変え自分を棚に上げ多方面にマウント繰り返すだけで根拠と中味のない観念的ハッタリちゃんはスル―するのが吉だろうよう >>743
否定されてると思ってませんし、主張を変えてなんていませんよ。>>708は言い方を変えただけですよね、その方が分かりやすいかなと思い。
棚に上げるような事柄もないし、マウントも取ってません。根拠を聞いているだけです。観念的なことも言ってません。
スルーしてるんじゃなくて、根拠を答えられないだけでしょ。二刀打物は避けるものだなどと言った以上、根拠を言うぐらいは、できるんだったらしないとね。
貴方のそのようなレスを、私がスルーしなきゃいけないのでしょうね。 >>743
もうちょっと事実関係を言っとくと、>>708の時点で、私は何か否定されていたわけでもないですよね。貴方が具体的なことを答えられないで、おかしなレスをしてただけ。
もうやめたら?みっともないから。 >>743
>>744に書いた、
>貴方のそのようなレス
とは、>>743のことです。その前にもいくつかありますが。
根拠をいまだに答えられない以上、もう似たようなレスをしてきても、スルーしますね。他の人たちにも悪いですし。 無知からおかしなものが混ざり出したり
願望からおかしなことを言い出したり
自分が知らないからを理由と根拠に
おかしな決め付けや言い掛かりが始まると
益々おかしくなって行くので
皆さん、一度、気をつけた方が良いですよ 心眼流調べていて感じたのだけど、結構新陰流の方でもらっている伝位詐称って多いね。
武術家として一番やってはいけない行為だと思うけど。 おおう、なんかすんごいカオスなことになってるから順に返信するぜ。
ちなみに自分は上の人が言う猛虎弁野郎の荒木堂の門人でござい。
>>738
柳生心眼流っていうのは、大きく分けて江戸伝(荒木堂)と東北伝(竹翁舎や柳生心眼流甲冑兵法)があるんですよ。
そんでもってこの江戸伝と東北伝、同じ柳生心眼流という名前ではあるけどやってる内容は全然違うんですわ。
東北伝の特徴を軽く挙げるとしたら
@流祖が竹永隼人で、宗矩公から新陰流を教わりその他諸流派を学んで柳生心眼流(東北伝)を開く
A名前の通り甲冑を使う技法が存在する
B当身がめちゃくちゃ多い
C陣笠だったり鎌だったり変わった武器を使う(これは島津先生のとこだけか?)
D受け身で宙返りする、あと一人用の中国拳法みたいな型がある そんで、自分とこの荒木堂って、上のどれにも当てはまらないんですよね。
型の名前はちょくちょく被るところもあるけど、うちはそもそも甲冑なんか着ないし、あんな激しい当身もないし、宙返り受け身もしなければ陣笠を使うなんて技法もないっす。
せいぜい残心がなんとなく似てるくらいかなぁ。肩衣で相手を担ぐのだって足腰の鍛錬のために始めたわけだし、本来はそのまま落とすしね。
武器術の方を見ればもっと顕著ですね。大体うちで剣術といったらちっさい丸太みたいなやつを使う大太刀術で、一にも二にも腹の力鍛えるための脳筋剣術だから、新陰流みたいな理合はありましぇん。
ほんで自分とこの荒木堂からすると、名前が同じってだけで特に同流意識もないんですよね。東北伝の方とは。距離感的には新陰流とタイ捨流みたいなもんかな?
まあホームページ見てもらえたら分かるんですけど、東北伝の開祖である竹永隼人の名前なんかどこにも出てきませんし、せいぜい小山左門っていう東北伝の人から分派したって程度です。
一応流祖開祖に柳生十兵衛やら荒木又右衛門っていう新陰流関係(又右衛門は置いといて)人たちを上げてますけど、あくまで願掛け的なモンであって史実だと信じてる門人なんかいませんわ。
で、自分はあのスレの流れで>>730の質問を受けたんで、「心眼流(江戸伝、つまり荒木堂)は新陰流と歴史的だったり技法的な繋がりは特にない」っていうつもりで言ったんすよ。
そんで多分上のキレてるおじさんは「心眼流(東北伝)の開祖は新陰流学んでるだろ嘘乙」ってニュアンスだと思うんですよね。
まあ荒木堂の開祖の小山左門が東北から来てる以上、技術は置いておいて歴史的に一切繋がりはないは言い過ぎましたね。さーせん。 そんで>>739の人に返しますけど、感じるとか見出せるじゃなくて具体的な例を挙げないと説得力ないと思うんすよね。
まあ挙げたとこで荒木堂と東北伝じゃ技法が全然違うんでまた噛み合わないと思いますが。
詳しくは知りませんけど、そっちの方って星貞吉って人の影響が大分でかいらしいっすね。多分そっちと合同稽古したとしても、内容違いすぎてこっちはついていけませんぜ。
つーか新陰流スレなのに心眼流でレス消費しすぎだろjk。
ということでお詫びというわけじゃないんですが自分から一つ新陰流の話題を。
前述の通り大坪伝ではせいぜい二つか三つくらいしか試合勢法はやらないもんで、轉之書だったりこのスレ見た時は数の多さにびっくりしやした。
そこで皆さんに質問なんですが、皆さんのとこはあれだけの量の内容を全部稽古してるもんなんですかね?それともメインにやるものを数本選んでって感じなんでしょうか? あ、>>738への返信で忘れてたけど、平直行さんが関係してる心眼流は東北伝(特に島津先生)のとこなんで、荒木堂とはなんも関係ないっす。 >>751
うちの場合は試合勢法はやる段階の人がやる感じで
全員一斉にやることは基本ないかな。
試合勢法は他のカタと違って慣れて覚えるなと言われた。
ひとりで練習するときもカタを反復せず、例えばあいかけ、打ち留めなどを素振り的に 昔は、外雷刀から先はほとんどの人はやってない。
外雷刀より先は、極一部の人がやってるだけで、それ以外の一部の人は書いてある物をもらう。
現在は、外雷刀までは多くの人がやってる。外雷刀より先は書いてある物をもらう。その中の一部の勢法はやってる人も多い。 外伝試合勢法だけ全部解れば剣としては相当強くなると思う。
新陰流とは言えないかも知れないけど、それなりに。
外伝と言うだけあって他流も混じっているけれど、参学や九箇等の本当の部分もバラ売りで入っているし。
現在あまりやらないのは、新陰流を深くやるので必要無いからだよね。
知らないからやらない所は問題外だけど。 >>755
基本的に同意です。
外伝だけでも新陰流だと言えなくはないと思います。
ただ、文章を書き下して現代語訳をつけただけでは、解っているとは言えません。
解っていることは大事だと思いますが、解っているだけでは強くはなれません。 外伝のとくに外雷刀より先のものの書は、門外は言うまでもなく、門内であってもその段階まで行ってない人には見せるものではないですよね。
下手な人ほどそういうことやりたがる。 >>757に付け足し。
>下手な人ほどそういうことやりたがる。
下手なだけではなく、解ってもいない人です。解ってる気にはなってるかもしれないけどね。 門外の人が書を見ても全く解らないですけどね。
この世界ほど「百聞は一見にしかず」が当て嵌まるのも珍しい。
だから公開しない所があるんだね。 >>759
そうですね。門外の人が見ても全く解らないでしょうね。
「これが新陰流だ!」とか言ってやり出す人は出てくるかもしれませんが。 >>753から以下の方々もありがとうございます。為になりやす。
ついでにお伺いしますが、みなさんのところでは七太刀はどういう扱いなんですかね?
うちはそもそも伝わってないもんで見たこともやったこともないんですが、普通に三学や九箇とかと同じ?それとも外伝みたいにちょっと特殊な立ち位置なんでしょーか? 七太刀は甲冑剣法の初心用のカタ。
その先甲冑剣法をやるのだったら、そこから入る。
殆ど新当流の技だし、新陰流の甲冑剣法の方が洗練されているので、レガシーとして学ぶけど普段あまり稽古はしないよ。 >>763
まあ疋田さんとこだし、「復元」って文言入れてるからいいんじゃないすか?
ずっと継承されてきましたとか言い出さない限り 天心流みたいに捏造、創作のくせに、伝統語るよりいいと思う。 >>763
話題戻して悪いけど、刀投げる理由が再現されてないね。 >>762
7本とも神道流が元になってるけど神道流そのままではないよね。 >>762 >>769
ん?これは誤字ですか?
神道流と新当流ではまたちょっと話が変わりそうですけども >>763
心身共に鍛えてれば、マスクなんかいらねぇよ。外せ。 それはともかく、弱者救済の剣と悪を斬る剣に違いはあるの?あるのですかね? >>772
人としての正しい行いをバカにする様な人には一生わからない
あなたは切られる方だ >>771
お前それ嫡男がああなった利厳の墓の前で言える? 暑い体育館でマスクして振ってると倒れるぞ?
病気で死んだ剣士なんて一杯いるよ プロ野球選手がコロナで倒れてるんだが、トップアスリート並みにフィジカル鍛える人おるの? >>739
>俺は東北系統の心眼流を習ったけど、こっちの型でも新陰流を感じる部分はあって
>荒木堂の動画や資料を見てもこれは確かに元はウチと同じなんだなと理解できるし
>新陰流由来の所を見出せる
例えば?
具体的な解説を頼むよ。 >>776
プロ野球選手はワクチン打っても倒れてるよ?
練習中に倒れて、心臓と脳が深刻な状態で
重篤だって >>652 >>653
ちゃんとした先生に就いて習えば分かるさ
>>768
逆に言えば刀を投げる理由を
明確にして演武して見せてる所なんてあるのか? >>776
新陰流じゃないけど、そういうやり方じゃないな。木刀が持てなくなるまで振るとか というか激しい運動した後なんて免疫力下がるんだし、アスリートなんて逆に感染に弱いと思うけども。 >>782
え?ってアスリートは風邪にかかりやすいの知らんの?
特に試合前は削り切ってるから選手はみんな風邪をひかないか注意してるぞ ヘルスUP 日経Gooday 30+
アスリートは風邪ひきやすい? スポーツ医が語る真実
ttps://style.nikkei.com/article/DGXMZO51542960Z21C19A0000000/
常識だと思ってて、ちゃんと資料に当たったことはなかったが
すぐ良い記事に行きあたった >>784
えええ
スポーツしてたら常識だぞ
たまには運動でもしろよ >>785
トンクス
風邪ひくから新陰流では体鍛えないんだ。 >>746
妄想患者が作り話ばかり。挙句の果てに被害者面。
恥ずかしくはないですか? 御立派御立派w それがあなたの本当の姿ですね。 他流派を簡単に経験しただけですが
新陰流に興味を持っていて、将来落ち着いたら入門も考えています
今は本などを読んで軽く勉強から始めていますが
雷刀というのがよく分からないです
あの上段斜めの構えのことですか?
それとも何か独特の斬り方の事なのでしょうか?
説明して下さっても良いという方がいらっしゃれば宜しくお願いします。 別に両手右上段から袈裟切りが雷刀って訳ではない、、、のでは、、、と? 上段が雷刀
打つ場所は決まってないというか、どこに落ちるか決まってないから雷刀と呼ばれてる 何故、打つ場所が決まってないのか?
どこに落ちるか決まってないとはどういう意味か?
そこからの説明が必要か、、、と、、、? 誰も袈裟斬りなんて言ってないのに一人芝居してるイカレ野郎いて草ァ! 新陰流の雷刀は現代剣道の上段の位置。
新陰流には上段という高さも別に有るけど、それは現代剣道のセイガンの高さです。 その人はあまり新陰流の事は知らないみたいですよね。 そんなに違いは無いと思いますがね。
ただ、捏造しておいて「これが伊勢守の云々」とか祭りで嘯いている団体がいる限り、永久にその二派が近い事は判明しないと思います。 前に出ていた猿廻や浮舟は、それぞれそういう名の「技術」の事だから、違うとか有り得ないですよね。
指導者によるカタの解釈の違いとかでは無いですよ。 合撃打ちや切落と、十文字勝ちの違いってなんだろう? 合っしは鍛錬法でそれ自体が勝ち口では無いですね。
十文字勝ちはそれ自体が勝ち口です。
こんな事言うと、合っしで勝とうとしてる人たちに怒られるかも知れませんが(笑)。
因みに古い伝書に出てくるグワッシと合っしは違います。
研究者の人に誰か教えてあげてね。 ところで、とりあえず叩き台として燕飛の主眼と思われるテーマをまとめてみた
燕飛 拍子を外す動き、色を付ける動き
猿廻 打ちに合わせて動き、打ち乗る動き
山陰 受け流すと見せて打つ動き(輪の太刀)
月影 入り身の攻めを中断させる動き
浦波 相手と中心線を合わせる動き、中心線を外す動き
浮舟 囲いや打ちの上から打つ勝つ動き あ、いや懸待表裏は一隅を守らずは前提として、六箇の太刀個々の主眼ね ちなみに浮舟の投げる動きは、囲いのところで指を切られたから片手で刀を持ち直している、だと思う 新陰流のカタは「完全な正解」を教えるモノで、「動き」とか雲を掴む様な抽象的なソレっぽい事言って、生徒を煙に巻くモノではありません。
そういうのはあまり解っていない偽の指導者が言う事では? 截合27に出てくる新陰流ではない古い剣法の浮舟斬りは最後に投げないのですよね。
本来の浮舟という技術は投げる事では無かったと考えるのが普通だと思います。 >>812
形の途中で勝口があるけど、演武上続けてる部分はどう解釈してる?
変化を内包しているから演武の形が完全な正解の動きだということ?
名称があるからには実際の動きと、動きの意図(テーマ)があると思うんだけど… 勝ち口ではなくて正解の技術の説明なのです。
燕飛にテーマはあるけれども、そこに羅列されたモノでは無いです。
技の名をイメージさせる為のカタなら、「浦波 相手と中心線を合わせる動き、中心線を外す動き」と有りますが、どの辺が浦波なのでしょうか?
そういうの、極めて現代人っぽい発想とは思いませんか? >>815
浦波なら寄せて→返す様子なのでは?
確かに現代的な解釈かもしれないけども
三拍子開くとか3歩詰めるとか肩を合わせるとか足を開いて歩み足で入り身するとか輪の太刀などの形の中の個々の技術習得が目的であって、勝口が目的の形ではないと言いたいのかな? スレちすぎるけど未だにすぽ新の四コマっていしいひさいちのパクリなんだな 燕飛はカタの中で攻防の様々な技術を学ぶよね。
勝口に拘っているのは九箇でしょ。
ウラナミの中心線のテーマとか「そこじゃない」感が大きいなぁ。
それ誰のアイディアなの? ウラナミもツキカゲも折甲での攻撃に対応する技術だから。 陰流の浮舟こそ投げてくるんじゃなかった?
二十七箇条は新陰流の足を打ってくるやり方に合わせてるんでしょ。 8月上旬現在
5800万人打って920人亡くなってると言うが
7月下旬は
3300万人打って776人亡くなってた筈。
比例する筈の死者の数字の推移がおかしくないか?
ちなみに5月下旬は
270万人打って86人亡くなってた。
参考までに今年の超過死亡者数
赤い線が今年らしい
h
ttps://i.img
ur.com/8V9SEbr.jpg 雷刀は振り下ろした本人さえ、どこに落ちるか分からない
みんな、そんな風に認識してる・・・
でおっけー? そんなスタンハンセンのラリアットみたいなことあるかよ 敵をロープに振って戻ってきたところに雷刀が落ちるとかかっこいいじゃん 雷刀は尾張柳生独自の技術だから、このスレには受け入れて貰えないのでは? >>792
>雷刀というのがよく分からないです
雷刀とは、疾雷不及掩耳、恐雷不及瞑目といヘるより名付たる事にて、雷の九天の上にて鳴て共形見るヘからす。
何とも察しはかられす。いつくヘ落るかしるヘからすして避られぬ所、落て物を打砕く勢ひは、疾き事耳をふさき、目をねむるの間もなきにたとへたり。
敵より吾方を見るに如此勢ひ万物をおもふて唯無形にして何の手段有とも見えす、何ともさつしはかられす、どこを打かしれすして、避る事も受る事もならさるよふに疾打ことをいふ也。
是を首上に取上たる太刀に名付れとも、其実は、中段・下段も皆雷刀に非すといふ事なし。 >現代剣道の上段の位置。
とだけ言ってしまうなら
打つ場所というか、
何処に落ちるかも決まってないコトの
説明ができない 試合勢法に出てくる雷刀うんぬんって本当に>>834と同じ? どこに落ちるかは決まっているよね。
剣道の上段も打つ所は決まっているよね。
予測不能なのは相手の方でしょ。 >>838
雷刀が知りたかったからここでああだこうだ聞くより三学九箇の取り上げと試合勢法を習ってくるのが早い トリアゲも試合勢法も石舟斎に伝わった時点では無かったしね。 示現流の蜻蛉の構は発相に近い感じだけど、戦国期の示現流があの位置なのは判るとして
薬丸の蜻蛉構えもかなり高い位置からの打ち落としを重視しているね
この辺りの違いが、新陰流の昔の発相と尾張の雷刀に少し繋がる部分があるのかなと思わないでもない >>840 知りたかったらじゃないよ。違うものじゃないの?って疑われてるんだけど? 蜻蛉は新陰流では霞。香取と同じ。
甲冑剣法だから昔は雷刀に出来なかっただけ。
尾張の新陰流では初期の段階で、基本を学ぶ為に雷刀を稽古する。中期以降は全く出てこない。
江戸柳生にも無い。
なので、新陰流を知りたいなら雷刀に拘らなくとも良いと思う。 >>844
疑ってるならなおさら実際にやって自分自身で確かめたら?
違うなら違うでハッキリするだろ 実際習えば雷刀の落とし所、タイミング、執拗な連打全部教えてくれるよ 雷刀からだってどこでも打てると思うよ。雷刀からだとこことそこしか打つ所が無いなんてことはないでしょう。 ここまで一気見した感想
各々が新陰流とは何か、自分が話しているのはどの系統のどこの発展段階のものかを明確に説明しないままスレが進行し
自分の新陰流こそ唯一無二と疑わない人の声が大きい、そんなスレだな
むしろ説明するのを疎んじ、避けたいがために狂信者のフリをしてるんじゃないかとさえ勘繰りたくなる
公開資料で学術的な話をしようという雰囲気もちょっと起こったが
稽古してない奴に発言権無しみたいな脳筋が沸いておじゃん
新陰流みたいに資料が公開されてて、かつては稽古してた人数も多く、そうした様々な資料をベースにオープンに議論できる流派なんてそうそう無いのにな
勿体ない >>849
雷刀がどういうものか知りたかったからひと通り初心者でも習えるカタを教わって間切り稽古とかをやれば伝書とかに書き残されたことと違和感ないってわかるっていうだけなんだが...
稽古してないやつに発言権なしなんて思っちゃいないが、文字だけで説明が尽くせるわけもないんだな
雷刀に関しては比較的初期に教われるから体験した方が早いってだけ
公開資料をもとに議論したいなら、
議題を出せばそれなりの意見が返ってくると思う
意にそぐわないやつが湧いたらそいつはスルーすればいい 雷刀からは振りかぶりが無いからどこに来るか読みにくいってだけのこと >>849
自分みたいに柳生関係以外の新陰流で、
稽古してたのも昔です、という立場からすれば同意します。
ちな、雷刀は習ったことないけれど霞はあるので
振りかぶり関係なく
>>834に書いてあることは解るような気もしないではないです。
勘違いでしたら申し訳ないですが。
まあ、尾張関係の方のみが入門、練習すれば分かると言われれば
尾張関係以外の部外者にはどうしようもないので
こういった議論の場ではもうちょっと門戸を開けていただければありがたいかな、
とは思います。 >>853
別に門戸閉じてるわけじゃないけど、
ざっくり書いたところ書かれたものと違うんじゃないのとか疑問があるってあったので、だったら体験したらってだけ
基本的には上から打つけど、
中段から振りかぶって打つわけじゃないし、間合いに入ってきたところにバンバン打つから見えにくく、打つ場所も決まってない(カタではもちろん決まってるけど)。入ってきた打てるところをバンバン打つ
と言葉で言ってもなかなかわかりにくいよね >>854
だからさ、それ本当に雷刀かい?って話されてなかった? >>834と>>854
確かに同じものとは思えないほど描写が違うなw
試合勢法やってる本人達は疑問に思わないのだろうか? >>857
そういう言われるとだから間切りまでやればわかるとしか言えんわな やればわかることをやってないやつに発言権ないのかとか言われると、ちょっとは自分でやってからこいよとしか言えんわな 議論としては十分成立してるとは思うよ。あおるだけのスレが台無しにしてると思う。 知識マウントとりたいだけのやつと違うとだけ書くやつはスルーでいいんじゃね
相手にする意味ないだろ 雷刀の事聞きたいなら「尾張柳生の新陰流」スレを立てれば?
疋田系や肥後や江戸系は興味無い話ではないかと。 議論は成立してるでしょ。
ただ、やってない奴が〜と、どうこう言いだすのがいると
議論は成立しなくなるし、
そもそもそれは、尾張以外の人には通じない論調。
そいつが黙れば済む話でしかない。 >>865
俺なりに言葉を尽くして書いたところ違う、わからんと言われたからなら体験してもらうしかないと書いたまでで、初めからやってないやつに発言権がないなんて言ってない
自分なりに誠意を込めたつもりだがバカにされるだけならもう書くのはやめる 俺は雷刀の話で言ってるんじゃないよ
850が勢い近視眼的に飛びついてきて驚いたが
知識マウントというか、手を動かしてる俺の感覚と理解マウントって感じ
個人修行者の観点で止まってる
将来後輩とかに教える時それで大丈夫か
修めた人間のみが到達できる次元での話、とやらをいきなりお出しして他人に分かれと?
(もう一度言う、俺は雷刀の話だけしてるんじゃない)
しかもそれは個人の感覚、良くて自分の道統の狭い話だ
やれば分かる、なんてのは説明の放棄に過ぎん
このスレが柳生流でも尾張でも疋田でもなく、新陰流のスレとして
立ったことの素晴らしさをスポイルしちゃいかんよ とは言え掲示板への書き込みで動きのすべてを書き表せるわけもなく、後輩に教えるときは手取り足取り?教えるから将来の心配は無用じゃね 秘伝を稽古もせず得ようなんて図々しいわ
それに文章に起こしたところで自分で気づく手順を踏まないと何の意味もないし理解もできない 新陰流系は嘘吐きが多いから、結局のところ何が信用できるのかわからない人にとっては皆でただ駄弁っているのと同じよね。 >>849
こんなとこで議論をしてどうするの?
それよりも、疋田、肥後、江戸柳生と名乗ってる所などの稽古してる内容がどれぐらい信用できるものなのかを知りたい。本当にちゃんと稽古した人によって伝わってきたものなのか。 あと、このスレは新陰流スレだが、それはどこまでを含むのか明確にした方がいいんじゃない?
◯◯新陰流や、直心影流やタイ捨流なども含むものなのか、「新陰流」とだけ名乗ってるものに限るのか。 >>874
主に江戸柳生の系統のこと。柳生新陰流のことではない。
個人的には、流派名に新陰流や新影流と入っていたとしても、流儀やカタの名前が「新陰流」と違うところは別の流派として扱うべきだと思う。
それらを全部含めるなら、新陰流系統スレにするべきかと。 武板では例えば形意拳スレがたったときは
○○派形意拳というじゃんるなら形意拳ってじゃんるで、元となったというか親戚のタイ氏心意とか心意六合とか派生の意拳は扱わない感じだから、流名変えてる場合は扱わないでいいんじゃないの? 以下が揃っていることが条件か
燕飛
三学
九箇
天狗 >>875をもっと正確に書きます。
狭川や松田や有地など、上泉伊勢守や柳生石舟斎の弟子筋で流派名が新陰流だけではなくて何かくっついてるとこや、江戸柳生系統で「◯◯藩伝」みたいなところ。
カタの名前を変えてるところは別流派として扱った方がいいと思うけど、どこまでを含むかによらず、流派名が明らかに違う流派や◯◯新陰流のことで書く場合は、その流派名を明記した上で書き込んでもらった方がいいんじゃないかな? >>870
じゃあ君はこのスレに何しにきているの?マウント取り?違うでしょ?
ここでのやり取りをただの駄弁りや、他所の巾着切りとかと捉えるのも受け止め方として分かるよ
だがそれは浅い、勿体ない捉え方だと思う
だってそう思うなら、そもそもこんなスレに構うことなく自分の稽古に専念すればいいだけじゃないか?
そういう懸念があったとしても、このスレで何か得られる物があるからここに来たいのだと思う
他系への中傷、マウンティングが目的なんて人は居ないと思いたい
伝系の正統性の確認だって、たとえそれが正しかろうとも(当人が正しいと思えば思うほど)
結局のところ中傷合戦になるわけだし
(例えば柳生流は極論すれば、脛に傷の無い所なんてどこにも無いだろう?だがそんな事を主の話題にするのは不毛だ)
絞り込みしたければ、その絞りの入ったスレタイにすればいいと思うよ
新陰流の強みは広く伝わった事、比較的オープンになってる資料が多い事
定義論争なんてのは…今まで、無駄だったじゃないか >>880
>>870ではありませんが、何か得られる物があるなんてこれっぽっちも思ってなくても見てる人はいると思いますよ。私もそうです。
中傷やマウンティングが目的でもないです。
新陰流系統は伝書は多いけど、それによって捏造団体が多いのも事実ですよね。 >>880
新陰流系統が広く伝わったことと、このスレではどこまでを含むのかは、別の話ではないですか?
流派名やカタの名前を変えてるってことは、別流派を興したってことだから、厳密には新陰流ではないですよね。
新陰流スレなのか、新陰流系統スレなのかで、だいぶ変わると思う。 直心、タイ捨、天心とかは話のメインにすることなく新陰流の話題の中で参考になる部分があれば触れればいいじゃなかろうか
傍流から見えるものがあるかも知れないし >>881
「ごちゃんでイキるな、肩の力抜け」って意味だと理解するよ
捏造してるって中傷されがちな道場も幾つか思いつくけど
その捏造の伝説自体はお商売的なものとして置いておくとして
(それが気に食わんという気持ちはよく分かるが、ひとまずスルーしてくれ)
その作ったモノ(カタ)自体はその系統が重視しているものは何かが表れるだろうから、読み取れる事物はあると思うんだ
そういう懐の広さがあると、新陰流スレは話が広がって楽しくなると思うんだよ
>>882
スレ立てで
>前スレ
>柳生新陰流のような有名流派が本当に強いのか
>後半にある提案に従って新陰流スレにした。
とあったから、ずっと「新陰流系統」だと思ってた
数が多いからどうしても柳生が話題に上がりやすいけど
>>498 のスレ十禁習・十好習が出た時、俺は嬉しかったよ うんこ流で流れがぴたっと止まったところを見ると
このスレは新陰流のスレでいい気がしてきた。
新陰流系統も可ぐらいでちょうどいい気がする。 >>885 >>886
どちらかといえば針ヶ谷夕雲の夕雲流や
小出切一雲や真里谷円四郎の無住心剣流の影響を強く受けているらしいけれども
雲弘硫三明剣と象水月は新陰流一刀両段にコンセプトも方法論も同種の技法で
雲弘流陰之車と新陰流猿廻は技術的にも似ています。
雲弘硫離心刀に至っては、新陰流一刀両段の進化系といっても過言ではないのでは?
白井亨が志した相抜けに至る道筋と言えるかも知れません。
雲弘流がコンパクトにしてる感じかと。 >>889
猿廻と一刀両段って同じじゃん
2回打つとかそういう話?
うんこう流見たことないからよくわからない >>888
いや…あの論文で運弘流についてどんなものか判断付けて何か語れっていうのは酷だろ…
あとお前の流名の呼び方はリスペクトのリの字もないな、正気か? >>891
初出のレスがうんこう流って書いてあるからそれに習っただけだが 運弘流なんて異なる字の伝系があったとしても
せいぜい運広流くらいなもんだから
最初からおかしいけどな
「じゃあ」とか因縁つける気満々 >>891
そもそも雲弘流を運弘流と書いてる人にリスペクトないとか言われても困るんだが.... 一刀両断の技法についてコンセプトとか方法論とか、笑ってしまう。
古流は現代の言葉では表現できないから、昔の表現を踏襲し口伝で内容を説明している。
匿名では難しいかも知れないが、偶に来ている天狗みたいなちゃんと知っている人に意見を求めた方が良い。 >>897
口伝は現代の言葉で説明してんだろ
適当だな 「猿廻」と聞いて、木刀の燕飛でやってる猿廻しか思い浮かばない人には分からないと思う。
これ以上は言う必要無い。
尾張系で一般的にやっている一刀両段は、猿廻とは言わない。 >>899
で、出たあ
思わせぶりおじさん
結果を言えないなら何も知らない知ったかぶりとおんなじやぞ >>900
何と言われようが、これ以上は言いません。 >>898
当時通り日本語で説明されているのだから良いのでは?
難解な古い単語を説明するのに、難解そのままなら教わる意味無いじゃん。 >>903
口伝授かる時
注釈とか教えてもらわんの? 柳生厳長さんが学生の頃父親の厳周さんに「剣道は絶対やっちゃダメ」と言われていて、学校ではやらなかったけど上級生の剣道部員にイジられてキレて滅茶苦茶にヤっちゃって、親が学校に呼び出されて叱られた話があるね。 >>900
出た〜〜w
自分の無知をごまかして
何とか知ってる人から情報を引き出そうとする
クズのいつもの手口www >>890
>猿廻と一刀両段って同じじゃん
本当?
>>897
>古流は現代の言葉では表現できないから、昔の表現を踏襲し口伝で内容を説明している。
現代語で説明したら間違い?
本当?
あなた方、、、、、大丈夫? >>911
はいはい
だったら説明して
説明できないならお帰りください 説明はいくらなんでも掲示板で求めるなや
習いに行け
それが嫌ならここに来るな 別に説明なんか期待してないが
知らんくせに思わせぶりなことを書いてマウント芸するやつは
来るなってことよ
わかったならホーム まず一刀両断がどういう技だと思っていて、猿廻との共通点を語ってある上でその論に疑問を挟むのはいいと思う
今回はどちらも端的すぎてよくわからない
個人的には一刀両断は入り身で色を付けて相手を動かす技、猿廻は相手と鏡写しに動きつつ自分だけ中心を取る応じ技だと思ってるけど >個人的には一刀両断は入り身で色を付けて相手を動かす技、個人的には一刀両断は入り身で色を付けて相手を動かす技、猿廻は相手と鏡写しに動きつつ自分だけ中心を取る応じ技だと思ってるけどは相手と鏡写しに動きつつ自分だけ中心を取る応じ技だと思ってるけど
え? どういった伝系の流れです?
尾張柳生系だと、猿廻は斬釘截鉄の太刀筋だと習いましたが? >>914
お前、上で長々としつこく荒らしてた二刀の長文野郎か?
勝手に知らない癖にと決めつけたり嘘や妄想を書いたりそっくりだが?
ここでは実際に知らないのはお前だけだろw
こういう掲示板では、
知ってる人間同士が多くを語らなくとも
ちょっとした言葉で分かり合うのが当たり前だ。
逆に誰でも見れる掲示板で、隠さねばならぬ知識を書くわけねーだろ。
それが分からないお前こそが邪魔でしかないから消えるべきなんだわ
迷惑だから知らない癖に作り話してまで相手を貶めるクレクレこ〇きは出てくるなよ。 たしかに、猿廻や一刀両段についての書き込みを見ていると、理解度が恐ろしいぐらいに低いことが分かる。たぶん、色々な団体の指導者たちがそうなんだろうね。
なんでそんな解釈になってしまっているのかもなんとなく想像はつく。
唯一、>>899だけは、解っている人だろうね。 >>917
私は>>914ではないが、二刀の時は、打ち落とすものだと言ってる人の方が書いてる内容はマトモだったよ。
多くの人は打ち落とすものだと言ってたし。知ってるからだろうね。
打ち落とすんじゃなくて避けるんだと言ってたのは極一部の人だけじゃない? 長岡桃嶺も柳生厳長も、二刀打物について、投げてきたものを打ち落とすと書いているのに、そうではなくて避けるものだなんて言われたら、知ってる人たちはみんな、「は?」ってなる。 >>917
だからお前の説明も解説も期待してないしできるわけもないってわかってるって上に書いてるだろ
文盲か? 技術の内容を書いて欲しいとは思わないけど
否定だけしてこれ以上書けませんで終わらせる人を見るとモヤる。
教えてほしいということではなく
結局自分は本当のことを知っている、または自分のところは本物と言いたいだけなのかなと思ってしまう。
技術の内容を書かなくても建設的につなげることはできると思うけどそういうものが見えなくて残念 >>922
俺もそう思うけど、不思議なのが人を乞食呼ばわりしつつ
ここにきて、分かってる人間なら分かり合えるからそういう人と話したいって言ってる人
結局不安なんだよな、自分の分かってると思ってることに
なのに自分は分かってるって自負があるから、他人がそれどういう事?もう一回説明して?となったら
なんで俺の言う正しいことが分からないんだ!
分かってるなら俺のいう少しの事から物事が分かるはずだ!
お前は分かってない!
って他人を攻撃するんだって理解せざるを得ない
人に分かってもらうつもりがないならスレに来なきゃ良いのに
分かってる者同士で同じ理解の上で話がしたいなら、同じ道場の人同士オフラインで話せば良いのに 流派の専門スレがどんどんなくなってくなかでこうして議論できるのはすばらしいことだと思うけどな 見てると皆どちらで習っているか本当に解るね。
知らない人が見ると議論している様に見えるかもだけど、どこかの嘘情報を本当を知っている人が訂正している様に見えるかな。
新陰流って呆れる程、嘘吐き連中が正統を名乗っているからね。
次は皆自分の系統を表示したらどう?(ノブ)とか(カン)とか(ヒキ)とかさ。
そうすれば色々と参考になるのかならないのか自ずと判断出来るから親切。
それさえ嘘つく人いそうだから、所属については異議ありもアリで。 正直、これは>>923が全面的に悪いでしょ、いけ図々しい >>927
ではまずご自分から系統を表示してどうぞ >>927
たぶん、もっと細かいのが色々いると思うよ。 また過去スレの通り、師匠気取りのネチネチ揚げ足取りに終始する十悪まみれに戻るのか。
図々しいとかお前らどこのモンじゃとかそういう事やりたいならそもそもオープンの掲示板向いてねえよ 剣道のほうが強いんだよ
カウンター狙いの新陰流は高鍋とかに絶対勝てない >>932
927に聞いてみたら恐らく剣道大嫌いな会の人だよ >>889
私見だけど、組方最後の型は一刀流や鹿島の流れを感じられますが如何でしょう? >>935
一刀両断と猿廻・・・
普通に考えれば違うかもだけど
ある意味同じかもね 悲喜交々このスレも終わりが近づいてきました。
他のスレでは950が次を立てるなどありますがここはまだスレルールも固まっていないので引き続き私が立てようかと思います。
途中で書いた十禁習を1に記載する予定です。 立てる時期はスレの流れを見ながら決めようかと思います。
引き続き仲良く議論してください。 一刀両断と猿廻は別と考える方が良い。
一刀両断で猿廻も遣う場合も有るが、敵の筋により転打ちになったりもするから。
「敵の攻撃による変化に対応して変えるべきだが、初心者には話してはいけない混乱するから。」と長岡師も書き残している。
一刀両断と猿廻は別に考える方が良い(ナベ)。 >>938 >>939
宜しくお願いします。
今までは新陰流関連のスレは流派同士の諍いや悪口の言い合いや
誰が正当だどこの団体が正当でないといった不毛な論争が多かったけれど
たぶん、このスレは最もそうした諍いや言い合いが起きず
純粋に、新陰流の話や、歴史や技の議論で最も盛り上がれたスレだったと思います。
問題は色々とあったとは思いますが、
全体としては今までで最も良かったスレのこの流れを途切れさせず
次へ繋げて行けたら有難いと思っています。 猿飛猿廻で打太刀使太刀が互いに猿廻打ちするのは柳生系だけと聞いたんだけど他はどうやってるの? バカがすぐ排除するからもう答えてくれないよ
あーあ >>943みたいな、礼節も守れず探るばかりの輩が消えるか
心や態度を改めれば、答えてくれる人も現れるんじゃないか? 元々、しかるべき師について学べばそこで完結できる事だし、 きちんと流儀を学びたいなら
しかるべき所に入門してそこで学んで知見を得るべきだし
ネットで知らない他人から根堀り葉掘り聞き出すという事は学び方として正しくはない事だからな >>942
尾張柳生の燕飛は連也辺りでも上泉家の人に指導を受けているね。
順逆をする猿廻も、尾張独自のやり方でも無い様な気がするよ(ナベ)。 タイ捨流の猿廻は、その名の通り猿廻しっぽいけどね? 陰と影でそんな重要な違いがあったの?
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E9%99%B0%E6%B5%81
新影流(しんかげりゅう)は、上泉信綱により1560年代に成立した剣術の流派。上泉信綱は新陰流とも新影流とも書いている[1]。ただし、上泉伊勢守信綱より直印可一代のみ新影流「影」を名乗ることが許される。
以降後代、分派は「陰」新陰流となる。
大和柳生氏本家である柳生石舟斎は上泉信綱より宗家を譲られているため、本家嫡流のみ後代宗家も新影流を許される。 素人でも知っている人が多い新陰流は無形文化財指定になっていないのが惜しい。
厳長さんが空襲で道場が焼けた後に土地を全部売ってしまった。
息子さんは日本で知られた人なのに自宅もなくて晩年になる前まで質素な県営住宅生活。
柳生家歴代の伝書が虫よけ整理保管もされずに無造作に県営住宅の階段、部屋に置かれていたという。 9日の最新の更新でいきなり加わった話か
浅学なので新影流の字義にこんな意味があるなんて知らなかった
厳長さんの本にでも書いてあったの読み飛ばしたかな? >>923
>>943
入門希望者や初心者であれば、
質問があるなら答えてくれる人も多いでしょう。
ですが、師に教えられてない段階に留まっている者に勝手に教えたり、
また、未熟者や門外の者、あるいはただの興味本位の素人に
伝承された技術の詳細を教える古流修行者はいません。
それは師や流派への裏切りになります。
ましてや、この様な誰でも見れるネット上で
許可なく技術を公開する者もいないでしょう。
更に、ある程度以上を修行していれば、
上級者同士で言葉少なに通じ合う事はあるし
何処で通じ合えないかも理解し合えるものです。
そうした段階に至っていないのであれば、おとなしく誠意をもって
修行に励むのみであるべきです。
知らない者が間違いや勝手な内容を喋れば、排除されても仕方ありませんし
また、古流が厳しく伝承を守ろうとするのなら、そうであるべきです。 >>949
車から横に打ってきたのを車から縦筋猿廻で止めてクルクル回って離れるやつ? >>953
それは確かに正論ですね
ですがその正論を通せば、そもそもここでやり取りする意味も必要もなくなる
むしろしない方が良いという話になる
ただ己の稽古を励めば良いという、スタート時点から何も変化がない
言葉で伝わらない物事への危惧は、伝わっているという錯覚への危惧と表裏一体でしょう
自分は上級者であり、その錯覚への危惧は当たらないいう自負は何処から?
そもそも上級者ならばそれなりにコミュニティが出来上がっていて、ここでやり取りしなくても求道の為の
交流は十分に確保できるのでは?
上級者の為のサロンを求めるのであれば…ごちゃんは不適当だと申し上げておきます >>953
思わせぶりなこと書いてこれ以上書きませんとか
嘘吐きがどうのとかみたいなクソマウントがなければそれでいいんじゃね >そもそもここでやり取りする意味も必要もなくなる
武道人口はそれなりに多いのに、 この板のスレが全体的に過疎ってるのは
まさにそういう事だからだよ >>956 >>957
お前がちゃんと師匠について真面目に練習して
実力を身に着ければ済むだけの話だ
反省の色なしでわがままで荒らし続けるのなら
まともで実力ある人間が逃げていなくなるから
その前にマジでお前が消えろよ >>952
ウィキのその記述は明らかに捏造じゃん。
誰か直した方がいいよ。 結局このスレは誤伝等の間違いを生む可能性があるので消えなければいけない
何でもオープンにしたいという考えは現代剣道を産んだので現代剣道研究した方が早いと思うよ 「シンカゲリュウ」が流派名に含まれる流派が近年たくさん出てきてるけど、ずっと伝わってた根拠なんて無いところが多い。昭和や平成の途中まではどこにも出てきてなかったりでしょ。
明らかにおかしなこと言ってたりもする。
そのような捏造流派って、自分たちが歴史の捏造や改竄をしてることや、文化を台無しにしてることに気づかないのかな。気づいてるとしたら、それを何とも思わないのか。 確かに知識や情報だけを漁ろう・探ろう・奪おう・奪おうとする連中が
遠慮なしにズカズカ入り込んで来るようであれば
もう何も書けなくなるからなぁ 落ち着けよお前ら
思わせぶりなこと書いた→悪に違いない
俺だけが知ってると書いてるようにしか読めない→何も知らない癖に
古流と伝統を謳う→長らく続いた証拠なんてないに違いない
と、何でも自分に都合良いように
脳内変換する幼稚な荒らしや簒奪者に構うな
せっかくギリギリで続いた良いスレが台無しになる >>964
シンカゲリュウが入った変な流派は江戸時代からちょいちょい出てきてたじゃん
江戸からという最近のもあるけど
前に盛り上がっていた二刀打物だが俺は打ち落とすやり方をを教わったけど、
最近神社見た他団体の演武で避けるやり方をやっていた。
俺の視点からはそれは正しいと思わないが、彼らからすればそれが正しいと信じて稽古してきたわけでそれにとやかくいうのは野暮だろう。
彼らに教えた師匠も先代から教わったことを一生懸命やってるだけかもしれないし。
だからここに自分の習ったものと違うこと違う考えが書かれたからといって非難するのは不毛だし無意味。 >>966
古流と伝統を謳う→長らく続いた証拠なんてないに違いない
長らく続いた証拠なんてないと言っている理由が、古流と伝統を謳ってることだなんて誰も言ってない。
このようにすり替えるやり方は、捏造と同じだ。 >>967
江戸時代にあったものと、江戸からという最近のを同じにしてはダメでしょ。
江戸時代にはシンカゲリュウが入った流派は色々あったし誰もそのことを否定はしていないでしょ。それらの流派は明治から平成の途中まではどうなっていたのでしょうか??
二刀打物のように、その人たちはそう教わったことをやってるだけでしょうが、避けると言っていた人は、打ち落とすのではないと言ってるのですよ。「新陰流の二刀打物」の名前で。 >>969
>避けると言っていた人は、打ち落とすのではないと言ってるのですよ。「新陰流の二刀打物」の名前で。
だからその人はそう習ってそう信じているんでしょう。
そこに違うだの嘘だと言っても不毛だと思う >>970
不毛だから言わないが、内心では捏造だと思ってるってこと? >>968
>長らく続いた証拠なんてないと言っている理由が、古流と伝統を謳ってることだなんて誰も言ってない。
そりゃ論点のすり替えではなくてお前の解釈無能だw
お前以外の誰も理由に言及してないw
>>969
>避けると言っていた人は、打ち落とすのではないと言ってるのですよ。「新陰流の二刀打物」の名前で。
これもまた同様に解釈無能のなせる業だなw
打ち落とせるかどうかも疑問だが
避けるということは必ずしも撃ち落さないとは限らない
お前らは単に馬鹿で読解力もないくせに
勝手に間違った解釈を始めては決めつけて作り話を始めるから
そうやってどんどんと間違っていくだけだw
そしてお決まりのセリフが「自分は正しい」「何も知らないくせに」
「自分だけが正しい知ってるというのが許せない」www
少しは自己矛盾に苦しむぐらいの誠実さは持ち合わせた方が人間らしいぞ 二刀打物
前半略
打太刀
水月前にて、二刀を一斉に斜打し、小刀を手裏剣に打ち、使太刀の胸を刺さむとす。
使太刀
車から一刀両段の位をとり、刀中に身勢を隠し小刀を打落すと一斉に左転して浅く打太刀の大刀を執る左拳に勝つ。 書いてある通り真似しても絶対にできない文章。
これを飛んできた小刀、手裏剣をただ打ち落とすとしか読めないと
齟齬を生じるだろうね。
核心はそこにはないと思うよ? 裏にある文意を読めないと。
師からのロイが必要と言うのはこういった処なのだろうと思う。
とはいえ、そうした読み方が出来れば、答えはそのまま書いてあるとも読める。
とはいえ、流派によって師によって人によって解釈は変わるだろうから
一つの解釈に捕らわれず、柔軟に読み込んでいくことも大切かと思うよ?
まあ、それも絶対だという話でもないので、
それは間違いだ、許せない、という方に対しては済まないと言っておく。 >>973
あなたのは揚げ足取りみたいなもんだよ。
しかも他の人が言ってたことも混ざってないか?
二刀打物の話の時に、避けると言ってた人は、打ち落とす行為を否定してましたよ。
>打ち落とせるかどうかも疑問だが
避けるということは必ずしも撃ち落さないとは限らない
こんなのは、単なる逃げでしょう。 >>975
打ち落とすだけだとは思ってませんよ。
使太刀のやることの中に打ち落とすのが有るか無いかの話になっていたので、打ち落とすことにばかり話が行ってしまってはいましたけども。 >>975
一応言っときますと、柔軟に読み込むのは良いとは思いますが、
>とはいえ、流派によって師によって人によって解釈は変わるだろうから
伝わっているのなら、大幅な差異は出ませんよね。
文章よりも前に、口伝で伝えられているはずですから。 >>975
連投すいません。
>師からのロイが必要と言うのはこういった処なのだろうと思う。
ロイって何ですか? >>976
逃げじゃなくて事実そのものだと思うが?
>977
むしろ、打ち落とすことばかりに話が行ったというのも
逃げにならないか?その理屈なら
どちらにしても
本気で手練れが投げた手裏剣を打ち落とせると信じてるなら
あんたは、それでいいんじゃないか?
読んでるとそんなものは
砕きの一つってのが大方の見方じゃないの? どうやら二刀の人がどういう風に刀を投げて来るのかご存知無い様でございますな。 >>980
>逃げにならないか?その理屈なら
なりませんよ。私は打ち落とすことが全てとは言ってませんから。それが事実。
一方、あなたの場合は、ここに来て、避けるとは打ち落とさないとは限らないと言っている。
>本気で手練れが投げた手裏剣を打ち落とせると信じてるなら あんたは、それでいいんじゃないか?
上の方にも書いてあったと思うけど、こんなこと言ったら、ほぼ全てのカタはこれに当てはまるよ。投げるんじゃなくてもね。
>読んでるとそんなものは 砕きの一つってのが大方の見方じゃないの?
誰かがそう言ってたわけでもないのに、大方の見方と決めつけてはダメでしょ。
それに、相手のその攻撃に対して何か他のことをやろうと思えば、そりゃできますよ。ただし、それがしっかりと勝ち口と言えるようなものでなければ、砕きとは言えません。
それこそ、敵が相当な手練れの場合でそのやり方で勝てるものでなければね。 >>980
そんでもって、
>>981さんの書いている通りです。
物理的に不可能なことをカタでやっているわけではないのです。使太刀が手練れならできることです。
それを、自分のレベルでできることに変えてしまうのは、それも砕きとは言えません。
上の方で、打ち落としてたらいつくと書いてた人がいましたが、それなどはまさしく己の技量不足でしかありませんよね。 > 上の方にも書いてあったと思うけど、こんなこと言ったら、ほぼ全てのカタはこれに当てはまるよ。投げるんじゃなくてもね。
>物理的に不可能なことをカタでやっているわけではないのです。
この2点は、必ずしも全てのカタに当てはまるわけじゃないですけどね。
上のは、精度を求めなければ外伝試合勢法にはなんとかなるものが多い。
下のは、極一部ですが、カタでやってるのと全く同じにはなりようがないものがある。 ただし、外伝試合勢法だって、なんとかなるものも多いとはいえ、敵が相当な手練れだった場合は、なんとかなったと思っても、そこで負けるでしょうね。
結局、カタって、双方が最強クラスの手練れである前提が基本ですよね。 スレストギリギリで何個にも分けて連投する奴って
俺今すごく良い事言ってるって万能感なのかな 取り合えず、手裏剣でも打ち落とせると本気で信じてる人はちょいアレだと思うw >>986
何個にも分かれてしまったのはすまん。
>>988
そういう解釈になってしまうレベルなんだよ、びっくりするでしょ。これだと、何を書いてもなんつーか会話は成り立ってないと思う。
手裏剣打ちを知ってる知らないは置いといて、やるの難しいのもあるのかもね。 >>987 >>989
二刀打物の長文ちゃんが最初に手裏剣って言い出してたw
とぼけて逃げたり相手のせいにするのがいつもの手口だけど
カキコが残ってるからとぼけても無駄w
ま、こうやって追い詰められたらまた逃げるのもいつもの手口w
小刀でも手裏剣でも、ちょいと工夫されて
本気で投げられたら無理に決まってるでしょwww >>990
何を言ってるのかわかりません。
>>987が誰なのか分かるのですか?
分かっているのは、手裏剣を投げるのと手裏剣打ちは違うこと、その区別ができていなそうな人がいること、上の方で避けると言ってた人は手裏剣打ちを知らなそうだったことです。
小刀を投げてくるのを打ち落としますよ。
もちろん、投げ方がどんな場合でも打ち落とすわけじゃないです。その投げ方を敵がしてくるのにも意味はあります。
戦国時代を生きた人たちが、無理なことをカタにしたりはしませんよ。 本当に自分が正しい伝承を受けて
真実を知っているというのであれば堂々としていればよい
正解としてカタがあると言いだす凝り固まった程度の者や
自分から言い出しといて手裏剣がその程度と言い出す卑怯者や
出来もしない打ち落としに拘る馬鹿者や
何を注意されても頭の中で勝手に作り話をしてすり替えて
嘘や妄想を話し出す会話不能な手に負えない無敵の輩や
伝書も深く読み込めない、本当に習ったのか?と疑わしい
もしくは本当に習っていたとしても深奥を理解できてないであろう癖に
口だけは達者だが中身のない未熟な輩が
自分だけが正しいとヒステリーを起こしても深く関わる必要もないので無視するとして、 上泉伊勢守信綱からは真実の人にしか伝えてはならないと厳命された天狗抄や
柳生十兵衛以前は不立文字であったとされた二刀以降のカタが
そんなに単純で薄っぺらいものであったのかどうか?
もう少し真摯に追求すべき内容だとは思うがな?
まあ、高級な秘儀秘伝を掲示板なんかで明かせる理由もなく
そんなのは知らない癖に思わせぶりな!と喚き散らす餓鬼を相手にする必要もなく
正しく師伝に依りなさいとしか言えんな
後は、それだけの修行と努力を長年月重ねた
解る者同士特有の以心伝心で通じ合うのが古流の本来の姿
それが出来ない者は出来る様になるまで努力しなさい
努力するのが嫌で掠め盗ろうとする輩は擦り寄って来たり絡んで来たりせず消えなさい
それが当然の常識 真摯に追求するのは大事だけど、真実の人にしか教えられなかった系統で教わる事はそれが正解だと思う。
現代の研究者が独自に追求したいのも理解出来るけど、この世界は「百聞は一見にしかず」だと強く感じる。
だって全然違うもの。
近代の捏造はもっての外。 ____
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/ ⌒ ⌒ \ 何言ってんだこいつ
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 ̄ \__、("二) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l二二l二二 _|_|__|_ >口だけは達者だが中身のない未熟な輩が
>自分だけが正しいとヒステリーを起こしても深く関わる必要もないので無視するとして、
真っ先に自分を無視してくれとは献身的なやつだな
最初から息の根を止めとけばいいのに 他人に消えろとかいうのがスレからいなくなるだけで、雰囲気はよくなると思うのだが 消えろと言われる人は
それだけの事をしでかしてるのだから仕方ないのでは?
反省もなく人のせいにして、逃げてばかりいるから
その程度のことしか書けない。
後は出鱈目ばかり書いてる人達。
小太刀でも手裏剣でもいいけど打ち落とせるとしか言えない
壊れたロボットみたいな人は、
打ち落ちせずに傷を負った柳生十兵衛に謝まるべきでは? 他人に消えろは誰にもそれをいう権利はないと思っています。
違うと思えばスルーNGしてください。
テンプレにも追加します。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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