あと、サンチン・セイサン・サンダイルイが昔からあったというその昔の定義が曖昧で
10年ひと昔というから、まあ10年前にすでにサンチンやサンダイルイがあったといわれれば
そりゃあっただろうねえwって話になるけど。

その3つの型のうち、一番古いのは三戦か十三だね。その三戦に関しても東恩納よりも前に
三戦を遡るのは難しい。十三はちょっとグレーで、おそらく泊の十三を参考に那覇手の十三を
改変したんだろうけど、もしかしたら那覇の十三を泊がパクった可能性もあるからここはグレー。
どっちにしろ首里のセーシャンは泊や那覇のあとに出来たわけだけど、三戦より十三の方が多くの
場所で行われているところを見ると、多分十三の方が古いんだろうな。

サンダイルに関しては、同名異種の型が広まるどころこあ、沖縄で上地1人しか習得してなくて突然世に現れました、とか
許田1人しか習得してなくて突然世に現れました、とか・・・ねえw
まあ秘密裏に私1人だけ伝承された、といえば夢のある話ですなあ。

糸州は首里手よりも那覇手の技術色が強かった、みたいな話もあるけど
その糸州が那覇手の三戦や十三や三十六について全然痕跡を残していない。
首里手の唐手家なんだから当然だろって声もあるかもしれんが、別に当時は流派の概念なんか無く
首里手だから那覇手の型を教えちゃいけないなんて話はないし、事実糸州は首里手の型と泊手の型を
併用して教えてる。首里手と那覇手はまったく逆の思想だから同時に習っちゃいけないというのなら
それこそ首里手と那覇手を習得した糸州の存在自体が矛盾する。船越も首里手の唐手家だけど、三戦や
スーパーリンペーを本土の大学で教えてるしね。船越の時代にはすでに「あった」から教えられたんだろうなあ。

糸州が習得していたハズの那覇手の三戦や十三やあまつさへ三十六wを教えずスルーしてるってのは
まあ糸州が那覇手を修行していた若い頃の時代には無かったと考えるのが妥当かなと。だから東恩納が
教えていた十三は泊の十三を道場を開くときにパクって改変して教えたんじゃないかと思う。
まあ、十三自体教えず、三戦とペッチューリンと部位鍛錬のみだったて可能性もあるけどね。三十六以外に十三も彼が作ったとかさ。