どうも沖縄では空手はいまだ伝統芸能以上のものになっていないようだ。

伝統舞踊の稽古を仕事もせず、毎日やるようなやつはいない。

せいぜい月に一回、皆の衆が集まって適当に稽古するだけなのだ。

つまり、沖縄では、スポーツとか武道の観念が根付かず、

空手も芸事、習い事のひとつにすぎないのだ。

百姓が月一回集まってやる趣味の詩吟と同じレベルだ。

つまり、沖縄では空手は武道になることがなかった。

ケセラセラの沖縄人は、いまだ日本人足りえていないのである。

これが空手が沖縄では、簡易護身術以上のものになりえなかった根本的理由である。

空手以外に職業をもたなかった長順はこれを嘆いたのであろう。

沖縄には期待できないと。

剛柔流が武道となり、流派となるには本土移植を待たなければならなかった。