先代の直弟子が、次世代の当主に再度弟子入りしてこその流儀存続だよな。

京都の師範が岡山の若先生に頭を下げたか?
京都の弟子筋である、東京や外国の複数の教場の師範はどうだ?
おそらく、建部や、倉敷にすら行ったことがない。

備中のみなさんの初祖である菊池某が、竹内某に改姓して弟子入りをしたところまでは想像がつくが、
だが、自分が師範だと宣言した時点で分流宣言だろう。
もしくは、本流との強い絆があって、師範の出入り、弟子の出入り、起請文、免状等が証明の元となる。
それでやっと竹内流の祭事の下座に伺候できる。
それでも掟が発動するので師範代止まりなのだ。
同じことばかり書いているようだで、まだ流儀と師弟関係の意味が分かってないようだ。

竹内流にはそれを克服する便利な仕掛けがある。
代々の師範が同一のイミナを受け継いで行くのだ。

「私は藤一郎先生の弟子だ」
「私も藤一郎先生の弟子だ」
「お互い仲良くしよう」

備中伝にはこの仕掛けは、ない。