「五男である宗矩が徳川二代将軍秀忠の兵法師範となり、出世していくのは喜ばしいことでしたが、
老齢の石舟斎の心はすっきり晴れたわけではありません。
「子孫のうちで最も優れた一人を選び、一子相伝したい」
その思いが満たされていなかったからです。」

もちろん耕一本にもこんな感じで宗矩が石舟斎から全てを相伝されていないことや
子孫のうちのもっとも優れた者ではないということはちゃんと書いてあるけれども