新陰系の定義する基礎的な正中線は
構えた前足先
膝先
肩先を結ぶ鉛直線なのだけど
本質はそうでなく
詳細は新陰系の奥伝だし
言葉を濁すとして
いわゆる斜中正でもない。

簡単にいうと例えば
片足で立つと誰でも物理的に傾くでしょ。それでも立つ巧緻がある。

これは巧い人は脚の
身体の奥で立つから。一旦そこで立てると片足でもそこで立てる。真っすぐではない。斜めでもどこで立つか常に捕らえているから。

これが直曲と別居した正中線の原理だね。ただそれをつかむには本質的な位置どりをつかむことが入り用になる。

この本質的な位置どりは従来の人や動物にないものだけに脳が認識できないのだよね。

昭和の時代にはまだO先生(翁先生でないよ)のように隠剣(≠剣を隠す)構えのとれる先生が存在されていた。

黒田氏の構えや正郡氏の佇まいをみるにまだそこまでの正中線には至っていない感じかな。黒田氏はおそらく体育年齢から本式の稽古を始めた身体にみえないし致し方なし。

ぴたりと構えに沿って立たれると正中線(剣)に隠れられてしまう
気配が消える
などがピント来ない人は試しに人と待ち合わせたさい黒目をゆっくり回しながら瞬きせずに立っていてごらん。

瞬きしないのは人や動物の通来の姿と相反するから結構な確度で発見されるのに時間がかかる。これが大大大枠の正中線だね。