実際に中国拳法を習うことは出来なくても、琉球の船乗りが貿易で中国に行ったときに
練習の様子くらいは見学できたんじゃないかと思う。あるいは中国の船乗りが琉球に来たとき
同じく「こんな感じだよ」と套路の表演くらいは出来たんじゃないかと思う。

もしくは中国拳法をまったくやったこと無い中国人でも、中国の武術は舞踊のように
武器や素手で1人で戦闘を模した動作を繋げた練習をするよ、程度の知識はあってそれを
琉球の人間に世間話で伝えることくらいは出来たんじゃないかと思う。これは日本人が剣術を
やったことがなくても、剣術はこんな感じで構えて、こうやって振り下ろして切ったりするよとか
相撲は柱に掌打を連打したり、円の中で押し合いするよ、とか習って無くても説明できるのと一緒。

そういう断片的な情報を元に、琉球の唐手家が中国拳法の套路を意識して作ったのが「型」の正体だと思ってる

これが型の名前一覧なんだけど、見れば分かるけど近年作られた型は別にして
昔の型はすべて中国語っぽい名前の型になってる

http://www.odks.jp/karate/model/

これは武器術の型↓

http://www.odks.jp/kobudou/model/

型の数と同じくらい数があるし、また同じ歴史を歩んできたのに中国語っぽい名前の型は一切ない。

こういう不自然な「偏り」ってどうして生まれると思う?
武器術を伝えたどの時代のどの門派の中国人みんなが、たまたま武器術の型の名前は教えなかったのかな。
あるいは、武器術の型は沖縄人の創作で、中国の武器術は一切学ぼうとしなかったのかな? 型で使ってる武器は中国のものもあるけど。

ここら辺も感想を聞きたい。ちなみに俺は本来武器術が琉球にあって、それに対抗して素手の型を作る潮流が生まれたけど
すでにある武器術の権威や歴史に対抗するため、中国伝来って吹かしてナイハンチとかパッサイとか作って、あとはそのまま
みんな右に習えでウンスーだのクーシャンクーだの中国語っぽい名前で作るのが慣習になったと思ってる。