>>923
>上地完文が大陸で修行したとか道場開いたとか
>(゚ω゚)あれは全部ウソなんでしょう?
>それでもわたしが気になるのは完文が中国語ペラペラだった話、あれはなぜ??

マジレスすると、中国人あるいは中国人で生まれた沖縄人だったからだよ。
日本語が話せないから口下手だなんだって言って寡黙なフリをしていただけ。
宮城、許田、船越、摩文仁、本部などは当然沖縄で生まれたし唐手ばっかしてた訳でもないので
生活したり学校行ったり仕事したりなど、沖縄で記録が残ってる。例えば宮城はどこの中学校で
何の部活に入っていたとか、許田の名前が当時の新聞に掲載されてたりとか、摩文仁はどこの警察署で
いくらの給料もらってたとか、船越は何ていう教育組合いに入っていて月々いくらの会費を払っていた
(ちなみに東恩納寛淳も在籍)とか、そういう資料は知られてないだけで「当時の記録として探せば残ってる。
本部なんか血筋がハッキリしてるから怪しい家系図なんかではなく公的な記録がハッキリ残ってる。
ようするにみんな沖縄で生活してるから痕跡あるんだ。

でも、完文だけは探したけど若い頃に生活していた痕跡が無い。
出てくるのは1970年代後半と2000年以降になってから、上地側の
「関係者」が用意した完文は何々をしていて〜と言い出した後づけの昔話だけ。

松村や東恩納の時代から、唐手の歴史は中国拳法伝来だとか中国人に倣いましたとか
か言ってるけどウソだった。でも上地だけは例外で、沖縄唐手の歴史の中で唯一本当に
中国拳法が伝来してる。つっても、おそらく上地が修めていたのは拳法じゃなく武器術
だったんだろうけどな。その武器術も、どこまで修めていたのかはちょっと怪しい。

多分、密航か何かで沖縄にやってきて、しばらく生活してたけど戸籍など身元がヤバく
なったから身柄を乾かすために本土に渡ったんじゃない? そんで戸籍の都合がついたか
あるいは戦後のドサクサでうやむやになれたから沖縄に帰れたってところだろうね。