「合戦や修羅場の経験が詰まっているから武術は実戦的」という理屈らしい。
だけど合戦や修羅場もその時々の技術や文化、美学、服装、兵器なんかにも規定される。
戦国時代末では実戦的だった合戦様式は、幕末の戦争ではまるで通用しなかった。
「古流骨法は使えないので現代にアジャストさせた」という堀辺骨法は、理屈の上では正しい。
何が「実戦的」かなんて、その時々で違う。
合戦や修羅場(中略)だから実戦的」だなんてただの思考停止でしかない。