備中伝の事実暴露をまとめてるほうは具体的かつ証拠も提示しているから読み手側への説得力が違うのは明らか

備中伝が竹内流の名で独自に勝手に行ってる流祖祭の式次第の証拠
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宗家と備中伝の流祖祭の違い
【宗家の祭神】           
愛宕神、御矢司武大神、御矢司大明神、流祖竹内久盛

【備中伝の祭佛】
『如来』 大日如来、薬師如来、釈迦如来、弥陀如来、弥勒如来(弥勒菩薩ではなく如来)
『明王』 不動明王
『天部』 摩利支天
『修験』 役行者、天狗
『流祖』 竹内久盛
『弟子』 白○人○(亡くなった弟子)

備中伝はまず山の一番上の社からお参りしますがここには竹内流に全く関係ない小野篁が祀られています。
そして社を降りて山の舞台の前で整列して上記祭佛の真言を唱えますが備中伝の祭神に愛宕神がありません。
仏教式で祀るにしても愛宕神の本地である勝軍地蔵の真言も唱えません。
久盛の戒名と亡くなった弟子の戒名を唱えますが、先代の戒名は唱えません。

しかもこの独自の流祖祭で摩利支天の真言を唱えたくせに、
演武後摩利支天の使いであるイノシシをバーベキューにしてしまう始末。
摩利支天を祀った後に、その使いのイノシシを血祭りにするのはあり得ません。
つまり備中伝の真言は現代人や外国人に古流っぽさを演出してるだけに過ぎません。
本当に摩利支天を信仰してるなら、自分たちが聖地と設定した神聖な元愛宕の山で
イノシシを血祭りバーベキューにして精進落としだなんて蓮酒飲んでどんちゃん騒ぎなんかできません。

しかもこのイノシシは山の上の小野篁を祀ってる社を壊したから罠を仕掛けて捕えたという。
摩利支天の使いが小野篁の社を壊した事に何の意味も感じず逆に血祭りバーベキューですから。