■日本の古流武術スレ■pt4
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格闘道を志す菊野克紀「敬天愛人第1回アマチュア大会」が開催。
日時:2019年6月16日(日)9時〜16時 場所:浜町総合スポーツセンター 柔道場
格闘道「敬天愛人」とは武道、武術、格闘技を愛する者たちの研鑽と交流の場であり、「親が子どもに見せたい格闘道」を体現する場です。
第1試合 菊野出場!
団体戦
第2試合 日本拳法 対 空手!
9時20分開場!開会式で忍者の演武!10時から試合開始です!
第3試合 数見空手VSパラエストラ柔術。
第4試合 唯一のキッズマッチ!
第5試合 柔道vs非公開!
第6試合 ニャンニャン拳法VSジークンドー
第7試合 テコンドーVS日本拳法
第8試合 空手対空手
上段突き寸止め&実戦ルール。下段突き(パウンド)寸止めと組み技寝技も入りより実戦的な闘いに。
第9試合 自衛隊格闘VS空手
第10試合 日本拳法VS空手 巌流島ファイター同士の対決!
組み技ルール 打撃は当然のこと、噛みつきや金的なども想定した組み技。
第11試合 キャッチ・アズ・キャッチ・キャンVSブラジリアン柔術
第12試合 オープニングの先取勝負に続き組み技でも菊野VS長塚、二戦目!!
沖縄拳法空手&MMA vs.ブラジリアン柔術&MMA
第13試合 組み技ルール CACC VS ブラジリアン柔術
短刀勝負ルール
第14試合 柔術家 対 非公開。 攻め方も守り方も楽しみ!
第15試合 詠春拳 VS ボディガード
第16試合 合気道 VS 空手
第17試合 テコンドー VS非公開
第18試合 蟷螂拳 VS 空手
第19試合 近代空手 VS古流空手
第20試合 自衛隊格闘VS柔術・MMA 短刀勝負
第21試合 空手対空手 菊野克紀三戦目はKENGO選手
そしてついに3対3の集団戦!!! ジャッキーチェンのように状況を利用し立ち回れるか!
第22試合 チーム日本拳法 VS チームThis is 数見空手
第23試合 The Incomparable fighters 禅元胤 VS チーム徳川の猿
最後の種目は上段突き有り&実戦ルール!
第24試合 集団戦
第25試合 空手 VS 大東流合気柔術
第26試合 詠春拳 VS 総合格闘技
第27試合 形意拳 VS 蟷螂拳
第28試合 護身術VS ジークンドー&シラット
上段突き有り&実戦ルール※上段突きも上段蹴りも寸止めです。
第29試合 芸人 VS 非公開 「俺はゴミじゃない」こと荒川選手
第30試合 空手 VS 空手
第31試合 合気道 VS 空手
第32試合 CACC VS 躰道
第33試合 日本拳法 VS 空手&キックボクシング
第34試合 空手 VS ブラジリアン柔術
第35試合 日本拳法 VS 非公開
第36試合 空手 VS 空手 つまらない興行だね
子供に見せたり、応援禁止、よく分からない
寝技の攻防にもならないしね 竹内流とかの古流柔術って、蹴りっていうか足技があるの? >>523
あるの?動画とか見ても足技使ってるようには見えなかったけど 竹内流は蹴りますよ。動画の技が竹内流の全てではないです。
拳法12箇条とか一度も公開してない技も多々あります。
あの流派は、凄く技の数が多いです。
公開されてるのだと、小具足25本で受身取りながら踵で頭蹴ったり、両側から引き立てられた時に飛び上がって顎蹴ったりするのがあったようです。
高橋先生の解説に出てました。 神伝捕手の技にも膝の上に落とすのがありますが、膝で当身と解説していました。
棒術とかでも蹴り入れてるの見たことあります。 私が学んだ流派だと、前蹴をよく使いました。
あとは踵で蹴る、踏み込む様に蹴る、倒して踏みつけ、膝蹴り、関節を踏み折るなどがありました。
後ろから抱きついてきたのを外すのに、踵で金を蹴り上げるのもありました。
基本的に急所に当てますが、関節に当てる技も少しありました。 ウチの流派は、蹴り込んで引き倒して固めるとか
投げられながら蹴り込んで反撃とか
投げた後のトドメに踏み蹴りとか、色々あるが
正直、そんな技は何処の流派にでもあると思われ ,,-―--、
|:::::::::::::;;;ノ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|::::::::::( 」 < 大日本帝国の戦争は正しい戦争、大東亜聖戦!!
ノノノ ヽ_l \ 東南アジアを解放したから、日本は感謝されてる!!!
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/ ヽ| | バ | '、/\ / /
/ `./| | カ | |\ /
\ ヽ| lゝ | | \__/
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インドネシア「欧米に変わって支配しようとして失敗しただけだろ。日本に支配されたことはインドネシア史最大の汚点」
マレーシア「過去のことをとやかく言うつもりはないが、マレー人を虐殺しておいて何が解放だよ」
ミャンマー「ファシストジャパンはビルマでレイプや強制連行を行った。都合のいい見方をするな」
タイ「うち、日本のせいでやりたくもない戦争に巻き込まれたんだけど……」
フィリピン「うちなんて独立決まってたのに侵略されたんだけど……日本人の言う解放ってアジアを植民地にすること?」
ブルネイ「今の日本は尊敬してるけど解放したなんて言い分は受け入れられないよ」
東ティモール「もうしねよ」 どこの流儀にもあたりまえに有るものだよ
逆に言えば、日本の武術には高度な蹴りは無い。
蹴りがやりたければムエタイとかでばしばしやったほうがいい。 ムエタイは身体能力を上げて蹴る技しかないなあ
よくもまあしったかぶれるね 竹内流の話題が出てるので、前から武板で偽物と言われている備中伝について警鐘を鳴らします。
『備中伝のホームページの説明文』
>四代 竹内清太夫正次 (備中竹内流)
>久吉門弟、竹内流印可、【備中生坂藩指南役】、竹内姓を賜る。備中竹内流の祖。
『決定版知れば知るほど面白い! 江戸三百藩の226ページより』
「生坂藩
岡山藩の完全なる支藩
寛文12年(1672年)岡山藩主池田光政の3男輝録によって立藩された。
とはいえ独立した領地は一切持たず、歴代の領主は岡山城内で暮らした。
政務も岡山藩が実質的に担い、石高も本藩の石高に含まれていた。
岡山藩池田宗家の跡継ぎがいなくなりお家断絶になることを防ぐための
スペアの家系であり典型的な藩内支藩といっていい。
明治3年になって、倉敷市内に陣屋を新設し生坂藩を名乗った。」
つまり【生坂藩は独立した領地は持たず】【歴代領主は岡山城内に住み】
【政務も岡山藩が実質担い】【明治3年(1870年)に生坂藩を名乗った】
『相伝家のホームページより』
>竹内加賀介久吉は慶長8年〜寛文11年(1603〜1671)
明治3年までは府庁のない岡山新田の藩内支藩にすぎなかった生坂に武術指南役はなく
四代 竹内(菊地)清太夫正次が生坂藩指南役であるなら明治3年(1870年)以降の事になるので
竹内加賀介久吉が250歳くらいの時に印可を受けたことになってしまう。
備中伝は創作したオリジナルの四半棒を竹内流の神髄だの、現代人の発想で愛宕神を否定した
宗家の流祖神話を真向から否定する解釈を【神伝】青葉の秘伝などと、創作と捏造を竹内流だと
外国人を通して誤った竹内流を世界中に広めている事で叩かれているが、伝系についても歴史的にあり得ない事が発覚した。 大東流合気柔術って、なんで古流ということになってるんですか?
研究者には否定されており、教えてる人たちも、一応こう伝わっているけど、と教えているようです。
創始者も明らかになっているようだし、なんででしょうか? 君は流儀が続いている年数だけを有難がっていればいいよ。 >>533
それもまあ、ただの一節だからな
俺個人は大東流は浅山一伝流などの
他の数流派の合成だと見ているので
古流ではあると思う。
ただ、大東流という一流派の歴史が浅いだけで
古流の技は継承されている。
個人が勝手に作ったものでは有り得ない。 >>534
年数だけですか。
大東流は明治以前のモノがなく、明治30年くらいに形になった武道のようですが、
創始者は一手いくらで教えていたり、元々は体系だったものが存在しなかった武道のようなのですが、
それでも古流なんですね?不思議です。 >>535
ありがとうございます。
調べていたもので、明治15年くらいに編集された即席の武術があり、
それを活用したのではないかと思ってました。
大東流の伝承は酷い嘘が多いのですが、生まれ故郷のものではないようです。 備中伝は竹内流の亜流どころか別物。創作と捏造にまみれて
先代中山師範のと今の世代ですら技が全然変わってるからな。
備中伝ネタは荒れるので以降は備中伝スレでやってくれ。 最新の研究だと、そうかくの隣の家に住んでた武士、佐藤金右衛門から学んだらしいね。これも何流かよく分かってないらしいが。
浅山一伝流が元になったという説は、長沼系の人や柴田さん辺りがよく言ってるが、大倉の浅山一伝流自体歴史が謎なので何とも。
幕末辺り浅山に限らず、逆手主体はあったしね。 大倉の浅山一伝流は、よくできてるけど明治より前の伝系が全く不明。
いつか解明される日はくるのだろうか… 大東流みたいな技術はどこにでもありますよ、大倉伝に限ったことではない。 現存のだと、逆で倒して複雑に固めるという点では石黒流とかも似た発想。
三神荒木とかも逆手主体だよな。 >>537
>明治15年くらいに編集された即席の武術
なにそれ? 詳しくたのむよ、おい(´・ω・`) >>533
古流つうか伝統武術のククリじゃない?
武術界の不文律として、近代流派でも柔道起流前後でビンテージが分かれるイメージ
それこそ兼相流とか伝統武術
無刀流は古流、みたいな 幕末までを古流、明治以降は近代武術として創立の年で分けるなら、兼相、無刀、神道六合、大東流辺りは、明治以降の近代武術。
古流の要素は色濃く出てるけど。
江戸時代の人が作った
のが古流なら、無刀流は古流かな 幕末までを古流、明治以降は近代武術として創立の年で分けるなら、兼相、無刀、神道六合、大東流辺りは、明治以降の近代武術。
古流の要素は色濃く出てるけど。
江戸時代の人が作った
のが古流なら、無刀流は古流かな 大東流は江戸人の起流かも
でもイメージは古流ならぬ伝統武術かな
近代武術とククルと広くなっちゃうね古いのから新しめのまで
近代武道から連想して新しいイメージもまとう
夢想神伝流は伝統武術でよさそう
天心古流は古流じゃないし伝統武術でもないよね一応近代発祥だけど
近代って戦後ちょっとまでだっけ
そうすると近代の起流でも時代順に古流、伝統武術、近代武術に分かれる感じか >>545
>幕末までを古流、明治以降は近代武術として創立の年で分けるなら、兼相、無刀、神道六合、大東流辺りは、明治以降の近代武術。
>
>古流の要素は色濃く出てるけど。
>
>
>江戸時代の人が作った
>のが古流なら、無刀流は古流かな
その理論で行くのなら、柔道は古武道になるが。 >>548
ああ、そうか。
嘉納は江戸時代生まれだったねw
では却下w
江戸時代成立を古流とするのが一番分かりやすくて一般的かな。 警視流は古流じゃないしな〜
妙道流は微妙かな
志限流は別の意味で微妙かなw
やっぱ無刀流は古流ぽいな 柔道はなんというか、伝統武術ですらないと思う
伝統を廃したイメージの方が強いし
近代スポーツ感が強い
古流の技や理屈をそのまま受け継がず
改変と省略で別物にしたから 佐藤金衛門が武田に教えたのは会津藩殿中護身術御式内らしい 柳生志限は微妙だなw
明治35年に作ったと、島津さんの記事に証拠の直筆文書が出てしまったし。 >>552
たぶん御式内の元になった流派というがあるはずなんだよな。
目録がどこかにあればいいのだがね。 >>551
当時の古流柔術家の柔道の評価
https://www.zendo.jp/archives/1547
「だけど、それも講道館の柔道に慣れるまでで、みんな動きをつかむと、負けないようになっていた。
とにかく、講道館の技はよく動いて崩してから投げるという展開だった。今までの柔術の秘伝とされていた
技や術を全面的に公開するような稽古だったな。
講道館創始者、嘉納治五郎先生は今までの先生と違って、技を考え、研究するタイプだった。
先生も講道館を作るまでは、他の柔術を学んでいて、それらの全ての技を実際に応用できるように考えていた。」 >>555
>今までの柔術の秘伝とされていた
>技や術を全面的に公開するような稽古だったな。
柔道はそれまでの柔術の秘伝を分かり易く公開したと言うのは嘘
全く関係ない
伝統江戸前寿司と回転ずしが、姿、形は似ていても
中身が全く関係ない別物と同じ
中華そばとインスタントラーメン程に違う
武器前提の古流柔術は柔道みたいな取り組みを先ずしない
あんな掴み合いは相手が刃物を持ってたら出来ない
柔道は独自審判が必要な、現実的ではないルールの中で
力と技を競い合う体重制のスポーツ 柔道は、柔術諸派と試合やって好成績おさめてるよ
それに、対武器や武器使用、当身もある
勝つために工夫された総合技
今みたいになったのは、嘉納治五郎が教育者でもあったゆえと、時代の流れのため
大東流の武田惣角すら、柔道相手に負けて締め落とされ
以後、武器を持ち歩くという逆行状態になるほど(技を鍛えるとかでは、柔道に対抗できないってことかね) また柔道の話題かよw
この話題になると過疎になるw
柔道に関しては過小評価と過大評価でややこしいからな。 >>557
>大東流の武田惣角すら、柔道相手に負けて締め落とされ
>以後、武器を持ち歩くという逆行状態になるほど(技を鍛えるとかでは、柔道に対抗できないってことかね)
こういう嘘とバレてるのを平気で吐くから嫌われる
柔道の話題はもういいよ、消えてくれ >>559
都合の悪い事は嘘
そんなことやってるから、古流は芸能レベルに落ちてるんじゃないかね
柔道に負けるのは、技の質の上下より、練習量の圧倒的違いだろう 村井顕八は歴代柔道家の中でも並外れて強い人物だった上に
武田惣角は、後に自分で反省してるように完全に相手の舐めて油断してたからな
そりゃ負ける
関係団体で、この勝敗を否定してるところはゼロ >>556
けど柔道が無ければ、どの技も「こんなん実戦で使えるわけねーよw」と言われて幻扱いされた技とか沢山あるぞ。
背負投げなんて、柔道家が当たり前のように使ってくれてるからファンタジー技じゃないけど、古流武術家が今の稽古量だけの練習しかやってなければ、恐らく再現不可能のトンデモ技扱いされてると思うよ。 >>562
お前、メチャクチャに頭が悪いだろwww
いいからこのスレから出てけや >>564
お前、メチャクチャに頭が悪いだろwww
いいからこのスレから出てけや >>551
そら伝統武術じゃないでしょ
つうか現代武道でしょ
型をどう扱うかだけど
型をほんとに追究してる人にとっちゃ伝統武術といっていいかも
軍刀術は近代発
無刀流よか古いけどあれは古流なのか
意見の分かれ目 襟背負いって古流にあったんかね
裏背負いなら知ってるけど >>562
講道館の有段者名簿に載ってないとされてきた仮想の人物を持ち出して
ありもしなかったともされる勝負を脳内で作り出し、妄想勝利宣言した上で
古流をファンタジー扱いして馬鹿にする手口って
小説の姿三四郎以来、柔道家が使い古した手口だよな
ハッキリとしない話だ
架空であろう人物が、絞め技が強かった、あれが強かった、だから? >>571
>>>562
>講道館の有段者名簿に載ってないとされてきた仮想の人物を持ち出して
>ありもしなかったともされる勝負を脳内で作り出し、妄想勝利宣言した上で
>古流をファンタジー扱いして馬鹿にする手口って
>小説の姿三四郎以来、柔道家が使い古した手口だよな
>
>ハッキリとしない話だ
>
>架空であろう人物が、絞め技が強かった、あれが強かった、だから?
顔真っ赤にして書き込んでるみたいだけどさ、誰と勘違いしてんの?
違う人に対するレスを俺宛に書き殴られても、なんて返して欲しいんだよ。少しは落ち着いたら? 武術は時代の要請によって、技を加えたりそぎ落としたり、不断に変化していった
が、技や哲学の保存がメインになると、どうしても時代遅れになるが
ぶっちゃけ、伝統芸能化したほうがあちこちから安定してお金がもらえるからなぁ >>572 ただのリンク間違いにそこまで顔真っ赤になってやるなやw
顔真っ赤にすんな!言ってる奴が顔を真っ赤にしてる姿はおもろ過ぎるwww やはり昔の古流スレのようにはいかないね。
盛り上がらないし
ネタが無いというか、語れるほど詳しい奴もいないし、すぐ柔道の話題になるし
背負い投げ(柔道でいう一本背負い)関しては村落とかの相撲とかでも使われてるし、柔道が出てくる前の乱捕でも使ってる。他国の格闘技でも似たような技があるし、柔道家が使う以前から普通に使われてるので、最初からファンタジー技ではないきが・・・ いや、
う〜む。
572562の
顔真っ赤振りと
ただのリンク間違いに対して
数レス遡れば誰に当てたか解るのに
誰に当てたのか知らないけど、とぼけてる。。
そんな様子にある種の疑念を抱きたくはなってくる。。。 柔道は乱捕では優れているし、
古い柔術では江戸期の生活様式や文化で見れば優れている。
室町から江戸初期の小具足は、殺伐とした時代を考えれば優れているといえる。
捕手や縄は、人を捕縛するという観点から見れば優れている。
柔道、柔術、捕り手、小具足はそれぞれ時代や想定、考え方がその他色々が違うので一概に何が優れているとかは言えないですね。 武田惣角を締めた(文字通り)人って
結局、柔道やめて八光流柔術にいったんでしょ
八光流も、かなりうさんくさいが…
心的作用? だっけ。あれを利用すれば短時間で達人になれるよー、と高い金とってたな(今は知らないが) ま、スレタイ的にもスレ歴史的にも
禁じられた同じ話題を持ち出して
しかも狂った内容を並べる足りない奴が
同時期に二人も現れるなんて確率的に低いから
疑われてると言うよりは
見抜かれてると言った方が適切かもね? なんちゃって草不可避 古流を一番伝えてるのって、皮肉なことに先進的な世相に付き合わないといけない警察だよねー
西南戦争の結果、武術の価値が再確認されて
特に警察では、警視流が作られさらに「犯人をなるべく傷つけず捕える」という目的から
いくつかの古流の技を組み合わせた捕縛術になって
それは現在でも、警察官が日々実際に使ってる 古流と柔道のどちらが優れているか、という話ではなく、単純に古流やってる人の練習量が少ないから、技が幻化するって話だと思うけど。
現実問題として、乱取りレベルで技を使いこなせてるのは柔道以外他にあるか、と言われたら、なかなか見当たらないよね。
ただこれは、古流の人口の少なさや、環境が整ってないなどの問題があるから、どうやって今後盛り上げていくかが古流全体のテーマだね。 古流の背負い投げを見たことがあるけど
あれ、相手に受身とらせないように頭から落とすんだよな…
あんなもん、危なくて練習できないだろう
身につけたとしても、ヤバイ人生でも送らない限り、使いどころないし…
そりゃ衰退しますわ >>578
>武田惣角を締めた(文字通り)人って
>結局、柔道やめて八光流柔術にいったんでしょ
>八光流も、かなりうさんくさいが…
>心的作用? だっけ。あれを利用すれば短時間で達人になれるよー、と高い金とってたな(今は知らないが)
通信制でビデオ送れば段が取れるとか、色々やってたもんね。
技を切り売りして稼ぐ集金システムに対して、段で稼ぐ集金システムを作ろうとしたのが八光流、というイメージ。
今はどうか知らないけどね。? >>582
>古流の背負い投げを見たことがあるけど
>あれ、相手に受身とらせないように頭から落とすんだよな…
>あんなもん、危なくて練習できないだろう
>身につけたとしても、ヤバイ人生でも送らない限り、使いどころないし…
>そりゃ衰退しますわ
俺が思うに、技の危険度よりも、技を掛ける為のトレーニング法が古流には無いのが問題なんだと思う。
例えば、どの流派も多分技をサラッと指導員が見せて「これは頭から落ちるから危ない技だよ」と話して
教わる側は「怖い、凄い」と言いながらちょこちょこ掛け合いして終わり、というところばかりでしょ。
実際動いている相手を投げる為の練習、というよりも技の入り方の紹介レベルで終わってしまっている。 技が幻化するというので背負とか投げ技を例にするのはよく分からないけど、当身の殺活は幻化してるような気がする。
今、急所に当身入れて綺麗に落とせる奴そんなにいないと思う。
某流二、三代前の師範で当て身したら相手が白目向いて失神するというのがあったが、今その流派は全然当身重視してないw
昔の映像と見比べても、その差は歴然。 実際動いている相手を投げる為の練習は乱れ稽古でやったけど、空手のおっちゃんに首極められたまま畳に叩きつけられて酷い目にあった >>586
>>>584
>君のところは、どうなの?
正直なところ、うちもそう。
だからこそ危機感を抱いてるんだけど、打開策が思いつかん。 >>585
>技が幻化するというので背負とか投げ技を例にするのはよく分からないけど、当身の殺活は幻化してるような気がする。
>
>今、急所に当身入れて綺麗に落とせる奴そんなにいないと思う。
>
>某流二、三代前の師範で当て身したら相手が白目向いて失神するというのがあったが、今その流派は全然当身重視してないw
>
>昔の映像と見比べても、その差は歴然。
幻化って俺が言い出した訳じゃないけど、技は使えるレベルまで鍛えておかないとすぐに使えなくなる。
使えなくなるとすぐに姿を消す、という意味ではない? >>588
・効きが悪いと返し技かける
・受けの攻撃を自由にして捌く稽古
・本物の刃物を使った入り身稽古
・演武の際、何の型するか打ち合わせなく、受けの攻撃に対して自由に技をかける。(乱れ稽古を演武でするかんじ)
・四つ手の鍛練で相撲とったり
とかかな。昭和頃、私のところでやってた。
最後のは先々代がよくやってたらしい。
一人受身に失敗して、舞台の外まで吹っ飛んで足だか腕だかすごい外れ方して更に失神でやらなくなってしまったw 防具を導入すれば、当身はできるんじゃないの
…と、いうか昔は防具普通につけてたところばっかだったような
なぜ廃れたのか。近代的で性能のいい防具をなぜ導入しなかったのか
謎だ >>591
当身は軽視する風潮でしょうかね。
昔の人は結構当て身やってたんですけど、柔術は逆投絞という風潮で重視しなくなってしまったんでしょう。
幕末辺りから乱捕ばかりのところも増えたしね。今は仮当てというよく分からない言葉も広まってるし。
本当は投逆絞当どれも効かせないといけないんですけどね。 軽く当てたいくらいなら剣道の小手で出来ると思うんだけど、なぜかやらないんだよね。 サンドバッグに当てるのもいいですよ
昔の柔術道場で革でサンドバッグ風のものを作って当て身稽古やってた話があったけど、知ってる古老に作り方聞いたらサンドバッグやミット使えって言われた。 >>590
もしかして渋川流?
まぁ古流柔術の稽古法はどこも共通してるけど
防具使った短刀取りの乱捕りなら高木流でやってたはずだけど今でもやってるのかな 合気道(古武術っていっていいのかわからんが)だと
短刀を防ぐ型ってのがあるけど
あれ、地稽古じゃなくて短刀持つ側の動きって、凄い制限されてる非現実的なものなんだよな
初心者の練習ならともかく、段持ちクラスがその程度だし…
そらボクシングのパンチを防げないけどどうしたらいいんでしょ?
と、有名道場の内弟子が、取材にきた記者に相談する始末になるわ 合気道はどっからどうみても古武術じゃないでしょ
それと得物を受けるには大きく受けないといけないけど素手だと逆に小さく受けないといない
ボクシングのパンチと短刀は並列して語れるものじゃないと思うよ 武器術(新陰流とか円明流とか)やってるところは
さすがに防具ありでばしばし打ち合ってるみたいだわ
たまに受け損ねて怪我する奴等もでてる
琉球唐手は、日本古武術じゃないけど
技術としての汎用性が高いからか、あちこちの武術に影響与えてるね
ホントかどうかは不明だが、江戸時代から唐手学んでたっていってる柔術流派があったはず そもそも明治時代以前に唐手の存在を裏付ける史料ってないでしょう
逆に「薩遊紀行」「阿嘉直識遺言書」などなど江戸時代にすでに琉球王国で柔術が学ばれていたという記述はあるけどね
「薩遊紀行」では柔術の中でも突き手を格別重視していてこれが後に中国武術の影響をうけて空手になったとか
「阿嘉直識遺言書」にでてくる「からむとう」が琉球古武術だとか唐手になったのではないかとか言われるけどいずれも希望的な推測 >>599
中国の使節を歓迎する行事の中に、「唐手」の披露がある
無論、明治維新前のずっと前の話
あと、唐手は琉球士族がやってたが、漢文等と同じ扱いだったらしく
唐手に熱中しすぎるのはよくない、と注意された人の記録がある >>599
私の意見も同じですね。そもそも空手自体、江戸時代あまり一般的じゃないです。
一般的なら江戸期の記録ももっと残っているはずですからね 大島筆記の公相君の組合術や江戸期の空手事情に関しては研究者も頭を悩ませていますね。
未だよく分からない。そして昭和の伝承者の捏造や仮託で錯綜したり色々ややこしいです。
伝書とかがあればいいのですが。 関口新心流の開祖は、長崎で唐人某から拳法を学んだ、と伝えられているが
事実はどうなのかね
唐人〜から秘伝を貰ったよ! というのは薬を行商する連中も宣伝文句にしてた、当時のテンプレだからな >>601
唐手が日本に普及するようになったのは、かなり後なので当然かと
琉球仕置後に普及につとめるため、祀る神様を鹿島大明神とかの、おなじみのものに変えたり
相手をひっつかむ技をなくして、柔術柔道と差別化を図ったりしたのもその頃
日本側の関心も、それほどでもない時期が長かったからね
大日本武徳会でも、独立した武道と認められなかったり >>575
再レスだけど、襟背負いはあったんかね
外国はどうだったんだろ
古流独特の襟背負いならあるけど
襟を巻く柔道式の背負いって知らないんよね個人てきには
>>582
裏背負い? >>603
流祖は、色々研究したけど師匠無しって書いてあったはず。
陳やら長崎言い出したのは、その後の関口家のひとたちだと思う。権威付けっすねw >>600
それ「島袋全発著作集」にあるやつだと思うんだけどあれ具体的な年代はわからない
いずれにしても慶応元年頃に来琉した冊封使をもてなしたものなので遡って精々明治初年前後
でこれは面白い話なんだが棒術をはじめとする琉球古武術は「中山世鑑」や「琉陽」などにも記述がある一方で唐手の記述は一切でてこない
そしてその琉球古武術の型名は「佐久川の棍」とかすべてが個人の名前を冠したものばかりでナイハンチとかワンカンとか空手みたいな似非中国語風の型名が一切ない
また船越義珍の「錬胆護身唐手術」では当時あった空手の型名が列挙されるけど現在より大分少ないんだよな
これは今見る空手の形のほとんどがつい最近できたことを良く物語ってると思う
>>601
掴む技をなくした?
糸東流や松濤館流でしょっぱなから学ぶピンアンや平安の形に思いっきり出てきますけど
でも大塚や小西らの証言だと当初空手には定まった組手技法がなくてあれこれと柔術から寄木して作ったようだけどね でもっと遡ると薩摩侵攻直前に琉球を訪れた明人の夏子陽の記録である「使琉球録」下巻の国俗の項には
「教武芸、師皆倭人」とあって琉球王国の武芸師範は全て倭人であったという
いつまで日本本土から武芸師範を招く習慣が続いたかは分からないけど「阿嘉直識遺言書」を見る限りでは
かなり後代まで日本本土とさした変わらんかった可能性がある >>605
柔道の一本背負いではない背負いの方は、稽古着の変化で一般化したと思います。
当時は半袖主流なのでまた少し投げ方が違っていた気がします。大正期の柔術の乱捕本に背負腰という技がありましたね。形にも似た技がある流派がありまし。
たしか柔道でも背負い投げは「一本背負い」を指してたはずです。(投げの形でも一本背負いが背負い投げと言われています)
襟を巻く柔道式の背負に関しては、少し違うけど左手で腕、右手で襟掴んで柔道と同じように投げる技が私の知ってる流派に何手かあります。
柔道の背負いは長袖になって投げやすくなって一般化したと思います。
本来背負い投げだった技を「一本背負い」に改称して入れたもので、技が一般化したのは最近でしょうね。 関口流は、良い流派ですが陳やら長崎などが本当の歴史を歪めている気がします。
風呂詰とか竹内流っぽいし、「固」は制剛流に近い技が多いです。その辺研究しないと >>609
ども
>たしか柔道でも背負い投げは「一本背負い」を指してたはずです。(投げの形でも一本背負いが背負い投げと言われています)
あっそうなの?!
知らなんだ…
知らずにあれこれ騙って恥かくとこだったし
襟巻く背負い
ある流派があったんだ
学んだ流派の中じゃ同じほうの襟袖交差で持って襟のほうに投げる手があったけど >>611
有名どころだと戸塚派にある。
膝つくけど襟を持ってるよ。
一、向山影
敵、衣紋を捕来るを右手にて敵の衣紋を取り、
向へ押し付けて下に居に敵打
左の手にて請留掛け声と諸共に投げる。
https://i.imgur.com/UW3lxcB.jpg
解説は覚え書きから
写真は、戸塚派の人が書いた大正の本で同じ技「向山影」の写真。
腕持たず、片手で襟、もう片手で足を跳ね上げて投げるのはよく見るね。 腕取って投げるのはある所にはあるけど、一般的なのはこういうのが多いかな。
https://i.imgur.com/o7Ns7Kj.jpg 中拳でも、東南アジアでも、西洋の武術でも見られる動きってあるじゃない
所詮、人間は現在でいう南アフリカから出た、一つの種族にすぎない
基本的な身体構造は同じだからね
真面目に戦いを探求してれば、当然似たような動きもでるわけで ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています