大東流厨は、武道の名称として合気柔術と言い始めたのは、植芝盛平が自己の武道を合気道と呼ぶようになるようりも先と言い、
その証拠として、明治40年代の大東流の稽古日誌に「合気」という言葉が出てくると自慢げにおっしゃる。

しかし、「合気」という言葉を使うだけなら、他流の柔術でも、もっと前から使ってますから。

明治26年第1版発行「天神真楊流 柔術極意図解」聚榮堂大川屋書店(吉田千春・五世磯又右衛門 合著)より

「(前略)或いは、我と敵と一体一気になるを合気と云って之も宜しからず。
 敵の変動の気に付け入るを合気の先と云う。
 我も敵も動かざる先に拳法を行うを不意の先と云う。(後略) 」
    (カタカナをひらがなに改め、現代仮名遣いに修正)