一説によると神槍李書文は20世紀最強の格闘家の一人らしい。

だとしたら、スタスタと何の気なしに歩み寄りポンと打拳したら対者は血反吐を吐いて死んだであろう。
そこに全身を一にするような力みや努力は想像がつかない。
息をするように拳で相手に触れ、それが相手の生命活動を破滅させればいいのだから、技法ではなく生理作用に働きかける気で打つのが自然ではなかろうか?

勿論ボーリングみたいな運動を殺人に利用する人がいないわけではない。
高性能なライフルで一キロ先から狙撃する仕事がそれだ。

しかし、それは「居着き」を道具に押し付けて自分自身は自由に使える身体を維持することに他ならない。
ずるいし、結局は居着きを肯定する思想に行きつく。

だから居着き拒否症と言えるほど居着きを嫌うなら、結局は徒手空拳の武術をやりたくなる。
実用的には道具に頼るのが早いし強いけれど、生理的に、固まることや居着くことが嫌な人もいるから仕方ない。

個人的には全身の筋肉骨格内臓が居着かず柔らかく流体的になり、かつ随意的に使えるようになれば、発勁に近づくように思う。
一生かけても無理だと思う。