もともと先代中山師範が習った系統は完全じゃなかったから
宗家に行って補完した
その後、先代中山師範破門
経緯不明だが先代中山師範の後輩である京都の先生が、先代藤十郎先生とつながりを持つ
ここから備中伝と相伝家の交流開始
先代中山師範没後、以前から問題視されていた京都の先生の暴走が激化
当代藤十郎先生の手に負えなくなり宗家を巻き込んでの抗争に発展←いまここ