新陰流総合【ワッチョイ】 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net
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変な政治レスに荒らされたので新しく立てました。
前スレ
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/budou/1455535036/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured そろそろ宣伝しないとね
www.shinkageryu.com › index_main URLおかしくなってしまった。
柳生会の必死の抵抗なんてほっといて、まずは宣伝しないとね!
昔の人数少ない頃の転会で若くて熱心にやってたから門弟筆頭になった前田さんとか、はるか昔の話。
散々忠成さんを無視して忠敏さんのことばかり褒めといて今頃になって都合良く、忠成さんに長くついてたと本当のことを言い出す。
その他、自分が誰に教わったのかも言えないし頭も弱い色んな人とかほっといて、まずは宣伝でもしておいた方がよい。
http://www.shinkageryu.com/index_main.html 転会には昇段審査みたいのはないが旧日経支部(現上泉会)だけが一部そういうことやってたらしい。
現代武道のシステムを取り入れた独自路線。 こっちには共産党員の地縛霊来ないんかの〜m9(^Д^) 転会から新しく出版されたDVD観た人いますか?いままでのと比べて内容はどうだろうか。買おうか迷っています。 質問です。
新陰スレ時々見てるけど、
やはり、新陰の本質を伝えてるのは転会なんだね。
そこで、聞きたいのは忠成さんは別格として
皆伝者で教えてるひとは仮に剣道の高段者を
@あしらえずとも、それなりに勝負対応できるのか?
単に型が上手いだけで、実戦対応ができないのか?
A才能などの個人差はあるにせよ、真剣に学べば実戦対応力のような
ものは誰にでもある程度身に付くのだろうか?
教えて欲しい。私見で大いに結構なので。 ただの、形骸化した型をやってるだけで
歴史保存に燃えてとかいうのは
俺は意味がないと思うんだ。 >>10
>やはり、新陰の本質を伝えてるのは転会なんだね。
>そこで、聞きたいのは忠成さんは別格として
>
は?
なんでや?
>皆伝者で教えてるひとは仮に剣道の高段者を
>
>@あしらえずとも、それなりに勝負対応できるのか?
> 単に型が上手いだけで、実戦対応ができないのか?
>
実戦の定義は?
真剣で斬り合いでもするの?
剣道の高段者と剣道のルールで剣道の試合したら、剣道家の方が強いんとは思うけど。
>A才能などの個人差はあるにせよ、真剣に学べば実戦対応力のような
>ものは誰にでもある程度身に付くのだろうか?
>
これも実戦の定義を言わないと答えようがないでしょう。 新陰流もかなりの腕前、剣道も高段者、って人も割りと居ると思うけど。 お2人とも解答ありがとう。
スレをずっと見てると転会に軍配が上がるな
と俺は思ったんだね。あくまでも私見でね。
真剣の斬り合いの実戦とかじゃなく
ごくごく普通に剣道ルールだったり、自由攻防とかで
どの程度いけるかなってこと。
あと、誰にでもある程度対応できる何かは身に付くのかなってこと。
あまり深く考えずに,自由な私見が聞きたい。
それと個人差はどうしてもあるから難しいけどね。
新陰、剣道それぞれ確かにレベルの高いひとはいるだろうね。
ただ、ダブるけど新陰の型の修練で凡人でもいいところに行ける
何かがあるのかなと。期待もこめて。 >>15
剣道の道具を使って攻防すると、どんな流派も最終的に剣道のスタイルに落ち着くってのは歴史的にも明らか。
剣道の試合でどうこうってのは別にしても、形稽古してて全く何も対応できないって事は無いだろ。
そんな稽古では、新陰流じゃなくて剣道やってたって一勝も出来ないんじゃないか? 千代田転会と上泉会はどっちが身に付きますか?
やはり会社帰りということで緩い感じですか?
同じ習うなら世田谷でしょうか 上二つは曜日が違っても練習場所が同じで
仕事帰りに通えます
新人の指導はどつらがいいか
体験者のかた教えて下さい 習い始めたとして、週一回で身に付きますか?みなさん、普段はどこで練習してらっしやいますか ぼ、ボキは2ちゃんに戸籍貼るほど池沼じゃないかんね! >>22
上泉会は元転会だから、内容は殆ど同じです。
上泉会の人も渡辺先生に教わっていたから。
やはり、オリジナルの先生の会 >>10
比べるベースが揃わないから、何とも言えないと思いますが…
剣道のカタチとルールで試合をすれば、古流剣術の人は「一本」を取ることは出来ないと思います。負けることも無いですが。
真剣を持って立ち合えば、古流剣術の圧勝でしょう。
ルールの中で研鑽している人は、ルール無しになっても縛られ続けるのではないでしょうか。
剣道と古流剣術を両方得ている人は、実戦があるとしたら、迷わず古流剣術を選ぶと思います。 >>29
捏造した業前を上泉伊勢守からと騙って、平気で祭りで踊っている位だから、終わってる。
柳生家の新陰流を、柳生家自身で終了させてるから、情け無い。 >>30
尾張柳生家は管理不足で屋敷まで国に没取されたくらいだもんね。 >>32
神戸氏は柳生厳周師から、仮目録までしか伝授されていない。
従って柳生の慣例に則れば、石舟斎以前の遣い方である本伝は知らない筈。
だから、江戸遣いとかは捏造。
また、厳周伝と謳っているが、新陰流は厳周師から厳長師へ正規に継承されているのに、何故厳長師を無視するのか謎。
新陰流ではなく、現代創始の柳生新陰流を名のるのに、新陰流を連想される表現を多用するのは如何なものか。 厳長先生は剣道に使い方を多少変えてしまったから、伝統型は神戸先生に引き継がせたんじゃなかった?
あと、江戸遣いと言っているのは赤羽根先生だけで春風館はそんな言い方してなかった様な気がする。
三学圓は使い方は厳長先生と神戸先生が武徳会で演武した記録がある。
登録では柳生新陰流だね。その辺りはどうなんだろう?
表看板は尾張貫流槍術だったのでは? どこの柳生もよくわからん。
でも、転ぶ会やヤ牛会よりは春風館が使えてる気がする。 >>34
厳長先生は剣道嫌いだった。息子が剣道始めて激怒してる。
息子が剣道しかできなかったから、新陰流が剣道寄りだと嘘ついた。
神戸氏は厳長先生が後を継いだ事が不満で、世代交代後すぐに離れている。
離れた段階では、新陰流の半分程しか技術を伝授されていなかったので、新陰流は名乗れず柳生新陰流を創始した。
現柳U会も同じ理由だが、実子に至っては全技術の20%程しか習得していなかった。
因みに厳長先生は、柳生新陰流という名称をとても嫌っていた。
新陰流という名称にこだわっていた。 江戸遣いというのは、所謂本伝と呼ばれるもので、甲冑剣法。
本来カブトを被っているから、剣道の上段の様に振り上げる事は無い。
江戸時代からの新陰流の教習順序として、延春氏は勿論、神戸氏の伝授されていた伝位でも、本伝はまだやらない。
だから、それらのカタは捏造と言うしかない。 >>37
剣道寄りだと嘘ついたのは、息子さんの方ね。
自分が知らない部分をよりによって、剣道の先生に監修してもらって捏造したから。
悲惨だな… じゃあ転ぶ会は?
転ぶ会もダメなら厳周せんせで新陰流は終わりなんだね。 フツーに考えたら、厳長先生から全てを教わった人のいる所がマトモなんじゃないの?
捏造や創作は勘弁して欲しい… 転会を主宰している人は、柳生厳長から直接教わった人で存命ただ一人ですよね。 M会とそこから派生(破門を含めて)したところ以外は、みな柳生新陰流を名乗っているけどなぜかな?柳生新陰流の名称は 江戸時代にはなったのでは。 柳生新陰流という流派は、新陰流ではない所が近年立ち上げた流派だからね。
上泉伊勢守からの系統は新陰流。
柳生家も柳生厳長師までは新陰流だったけど、息子さんは新陰流を稽古しなかったので、流儀の宗家は譲られなかった。
厳長師没後、流儀を譲られなかった息子が仕方なく始めたのが柳生新陰流。
因みに柳生厳長師は、柳生新陰流と言われるとキレた位、その名称が嫌いだった。 新陰流はもう途絶えてたんだね。残念。
今は渡辺新陰流(m会)、神戸新陰流(s館)、柳生新陰流(y会)みたいな感じかな? >>49
柳生系はそんな感じだろうね。
ただ、柳生厳長までの伝は全てm会には継がれているね。
厳長師の息子さんも、当初m会に教わりに来ていた位だからね。 >>49
神戸さんは、柳生厳周師から半分くらい習っただけで独立してしまったし、柳生さんは父親からは基本までしか習わなかった。
渡辺さんは、厳長師から免許(それ以上?)をもらっているね。
新陰流の技法の事なら、それらの事実を鑑みればどこがどのくらいかは、想像できるね、 そうなると、M会に技は伝わっているんだね。
しかしまあ、動きはS館の方が理にかなっている気がするけどな。
M会もなるほどって動きはあるけどね。 >>51
渡辺忠敏師範(渡辺忠成しはんの父親)が厳長師から目録を貰っているのは確だけど、それより上の許しを得たかどうかは不明。
さらに、息子さんの渡辺忠成師範は厳長師からは目録とか貰っていない。 厳周追悼演武会の演武者に延春氏と神戸氏の名前はあるけど、渡辺氏の名前はない
本当に渡辺氏は免許皆伝だったのー? >>54
それよりもっと前の厳周師、厳長師の名がある法徳寺落慶式奉納演武会の名簿には渡辺氏の名はあるよ。 ここでの投稿は消せないから、どんどん本当の事を投稿して後世に残そう。
嘘ばっかり発信している所多いからね。 技術論って、どういうのを期待してるの?
それを始めると、捏造組は関係無い話を持ってきて話題を変えてくるけど…
面白いけどね、それなりに。 柳生新陰流を柳生新陰流たらしめる技・・・
ああ、三学円の太刀、になるのかな?
こんな意味に気付いた時に修行が進んだとか
歩方はこれだったか・・・とか
間合いと目の関係に気付くまでと気付いた以後の違いとか手応えとか
天狗抄は各派によってあまりに違い過ぎるけど
これが正しいとか・・・色々
もうね、色々な人の悪口とかスキャンダルとかはお腹いっぱい 悪口と捉えるのは、捏造している所があるからですね。
実際問題として、上泉伊勢守からの新陰流を学んでいる所は、柳生新陰流の事はわからないですよ。
また、柳生新陰流を学んでいる所は新陰流の事はわからないですよね、当然。
だって、元々天狗ショウにしたってひとつだった筈。
色々違うのはどこかが捏造しているから。
あと、新陰流の存在意義を強烈に表すのは、本伝。
天狗ショウにも初心者向けの遣い方と本伝がある。
術の深い意味が出てくるのは、本伝から。
師匠に教わっていないのに、本伝を騙る所は捏造してますよ。
どうせ修行するなら、本物を。 >>62
>実際問題として、上泉伊勢守からの新陰流を学んでいる所は、柳生新陰流の事はわからないですよ。
>また、柳生新陰流を学んでいる所は新陰流の事はわからないですよね、当然。
自分の処は上泉伊勢守からの新陰流なので、
まあ、柳生の方々のされてることはは興味深く参考にさせて戴いてますが
三学円の太刀は非常によく出来ていると思いますよ。本当に感心させられて唸らせられる位に。
九箇の達は確かに分かりませんけどね。
因みに燕飛の達は分かります。やってる事や順序や解釈は違えどね。
>あと、新陰流の存在意義を強烈に表すのは、本伝。
>天狗ショウにも初心者向けの遣い方と本伝がある。
>術の深い意味が出てくるのは、本伝から。
なるほど。勉強になります。
その術や深さを、もう少し分かりやすく、具体例を持って説明して戴けたら
それをきっかけに、自分ももう少し習った事などを色々と考え治してみたりして解析してみたいのですが?
もう少し詳しくお願いします。 >>63
石舟斎の兄弟弟子の系統なのですね。
柳生での伝承で、石舟斎以外の新陰流系統に参考になるのは、九箇本伝、燕飛本伝、天狗ショウ本伝、奥義之太刀、斬相27ヶ条でしょうね。
いずれも上泉伊勢守の遣い方です。
斬相については、陰流念流新当流の遣い方です。これらは疋田やタイ捨等の方々にも参考になると思います。
現在多くの投稿動画にある参学等のカタは、捏造か柳生兵庫以降の初心者用なので、疋田等の系統の各流には参考にならないと思います。 自分も各新陰流の演武を拝見させていただく事が多いです。
燕飛も少しずつカタが違い、興味深いですね。
ただ、伝承されているカタをただ、なぞっているだけの様な印象を受ける事も多いです。
例えば猿廻。
これは上泉伊勢守からの技術なので、根本的な理はどこも同じ筈です。と、言うより同じでないとならないと思います。
各流のカタを観ていると、その理が理解されていない(きちんと伝えられていない)所が多いです。
臍の向き、拳の位置、視線、体勢、刀の方向…全てが噛み合わないと完成しません。
ですが、古武術の常で簡単にこの様な場所で説明する事はできません。
正しく伝承されている所で学ばれる事を、お勧め致します。 柳生は石舟斎、宗矩、兵庫、十兵衛、連也と代々各自の工夫や改編を加えていったけど、疋田やその弟子は上泉の教えをそのまま伝えたいったって事かな
上泉自身は「常に新たにすべし」と言ったそうだから、真に上泉の流儀を受け継いだのがどちらからというのは見方しだいか 疋田やタイ捨、又は駒川改心に技が上泉伊勢守から代々受け継がれているなら、それらも新陰流と言えますよね。
ただ、途中で技の伝承がうやむやになって、カタだけが残りその意味とかが不明になっているのなら、意味もきちんと伝えられている尾張柳生に軍配は上がるかな。
尾張は改編もしているけど、昔の遣い方も並行して伝えているからね。
伊勢守の免許のあげ方は、現在の宗家制度とは違う気がします。
技術さえきちんと伝えられていれば、それで良いのでは。 門外漢だけど、上泉の新陰をほぼ
そのままという派は疋田やタイ捨になるってこと?
転会は柳生ってこと? >>70
そのまま変わらず伝承されているなら、という条件が付きます。
途中一度でも失伝しているなら、もう違います。それ以降は誰かの創作ですからね。
転会を作った人は柳生厳長師の筆頭高弟でしたから、転会は尾張柳生ですよ。 >>71
そうなんだね。尾張柳生なのね。
転会が伝承しっかりしてるようなので
入門考えてるんだよね。 ま、柳生にはなんせ流祖以来の太刀目録があるから強みがあるよね
基本的にそこに準拠してるんだから 古流はどの程度オリジナルの技術を残しているかに尽きると思うなぁ。
技術が近代の創作なのに、「流祖から続いている我が流派は…」とか言わないでほしい。
しかも、そう言う所は創作をわかっていて言うからね。
残念だよね… 最近になって新陰流に興味を持ち初めてスレを読ませてもらってますが、なかなか勉強になります。
現在では主立って(柳生)新陰流を名乗っている団体は3つあるのですね...。
尾張柳生とは別に江戸柳生というものも聞いたことがあるのですが、こちらはもう失伝してしまっているのでしょうか?
素人な発言で申し訳ないです。 江戸はとっくに絶えたと聞いたけどね
興味があるなら修行しよ >>77
尾張に伝わった新陰流の系統はその3つですね
他の地方に伝わった新陰流も残っていますが、それぞれの伝系はどこまで正確かは私は知りません
江戸での伝承は失伝しました
自称江戸柳生を名乗ってるいくつかの団体はインチキなので気をつけましょう 江戸の新陰流ラインは失伝してるね。
柳生厳周、厳長親子は十兵衛杖を解明したくて、随分調べたらしい。
江戸での伝承が続いていたなら、尾張柳生の宗家が調査に苦労する事も無い筈。 江戸の柳生家にはまだ新陰流の資料は沢山あるらしいよ、 >>80
江戸柳生健在の時も元々秘伝扱いだったらしいからその時点で江戸柳生伝える人がいなくなってた証明には微妙じゃない? >>82
尾張柳生も秘伝扱いでしたよ。
でも、柳生宗家が知る秘密は江戸も尾張も同じだし、互いの宗家同士で技術的に秘密にする事も無いのでは?
現に尾張柳生や旧柳生藩にも、十兵衛杖の実物があったりしますし。
それは、柳生家間では交流があったということです。
江戸柳生の新陰流が続いていたのなら、尾張柳生の宗家が知らない筈は無いですよ。
裏で内緒で江戸柳生が続いていた事を、尾張柳生が知らなかったという事はあり得ないです。
江戸柳生の新陰流が続いていたと、証明する方が難しい。
理由として尾張柳生の方は、きちんと継承している人たちが現存するからです。
その人たちは、江戸柳生を現代まで継承している人はいないと断言しています。 江戸柳生も尾張柳生も家督を継ぐ人は実在しますので、ご本人に直接質問されるのが一番。
江戸柳生の御子孫が江戸柳生の新陰流について語る言葉が、証明として強力だと思われます。 十兵衛杖が特に秘匿された技であることら寛政7年に著された『仕込み杖遣様目録』にもあるので、ほぼ間違いないでしょう
十兵衛杖が当時伝わって無かったといって他の江戸柳生が伝えられてなかった証明にはならない
尾張柳生にある十兵衛杖とやらについては、いつ作られたものか知らないんで何とも言えないです 尾張が道統をついでいたとしても
江戸柳生としての誇りや
技法の伝承を残そうという熱意みたいなもの
がなかったのかねえ。
尾張が本筋だから、残さなくていいやってのもねえ。
名流なんだから。失伝させるかね。
何か残したくない理由があるのかな。不思議。 最後の柳生藩主の日記によると維新後しばらくは稽古続けてて
廃藩置県を機に完全に辞めたみたいだから
幕府も柳生藩も無くなったのに剣術だけ続けててもしょうがないって感覚だったんだろ 正直尾張関係者以外に尾張が道統を継いだという認識は無かったと思うけど
尾張が自分達が道統を継いだと強く意識してた事は新陰流が残る上で重要な要素だったとも思う 尾張まで江戸みたいだったら大変だったんだね。
技法、技術的にはそんなに違わないのかな?
江戸柳生の相伝が途絶えてるんだから
比較できないのはわかるけれど。 今現在、江戸柳生を伝えてるところは
結構あるよね。
文献からの我流創作が多いってことなのかな? 正しい尾張柳生を伝承している所で修行していれば、本伝は江戸も尾張も同じである事を知る事ができます。
江戸柳生を騙り創作されているのを見ると、全然違うので、閉口してしまいますね。 単に型の手順というだけなら 外面上同じような事をやってるというのは
ある意味現代でも一緒だからね
そういう見てくれの部分だけじゃ解らないような理合、一貫して貫徹された
新陰流を新陰流たらしめている理合が きちんと伝わってるのかが重要なんであってね 伝わっている所はカタはもちろん、理合もきちんと伝わっているね。
習う方も本物を求めて来るから、捏造だと後でわかってしまう。
なのに、カタでさえちゃんとしたものが伝わっていない所もある。
で、ウチが正しいと言ってしまう。
カタが違うのだから、理合なんて…
武術の捏造は罪深いよ。 そうだよ。
疋田やタイ捨、駒川からの柳生ダメ出し聞きたいよね。
なんで猿飛を燕飛にしちゃったのかなぁ、とかさ。 意外と柳生はそういう変更をしているよ
間違って伝わってしまったとかっていう事じゃなくて
影目録のように流祖以来の太刀目録が存在してるのにも関わらず
その上で、意図的に字を変えたりしている
こちらの方がより型の本質を表していると考えての変更なんだろうね もしかして、上泉さんが違う名称でそれぞれに伝えたっけかなぁ…
どうだったかな…
家に帰って資料見てみないとわからないけど… >>96
疋田は流祖を伊勢守じゃなくて愛洲移香斎にしてるから陰流の「猿飛」のままにしてるけど、他は「燕飛」じゃないの?
柳生に伝わる『影目録』では「燕飛」だし、タイ捨流の丸目に出した目録でも「燕飛」だよ。
他は知らんけど。 厳長さんが「正伝新陰流」で、疋田の奴等は燕飛を猿飛と誤伝してて恥ずかしいって言ってたけど
あいつの他流批判はマジであてにならんな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています