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大東流の鬼門は東北にあり[転載禁止] [転載禁止]©2ch.net

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1名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/03/20(金) 20:19:34.42ID:4+E6cwwy0
大東流合気柔術、合気道について、真面目に語り合いましょう。
秋田こまち合気スレ。
157名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/16(木) 02:24:52.94ID:XMJ27ZvJ0
>>152
あ、1「4」87年でしたね。
300年まちがえちゃった・・・・
 
久八、惣角からじきじき聞かされていたのですか。
佐川氏も聞かされていたわけだし、こう何人もの高弟へ、惣角ご本人が話していた事を、目の色変えて否定しても、意味無いのではと思うのですが・・・・
158名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/16(木) 02:38:10.23ID:XMJ27ZvJ0
>>153
>>156
体格に劣る人間が、重い荷物を持ち上げるのと、
体格に劣る人間が、体格に優る人間を投げる事、どちらも大変な技が要ります。
 
どちらか一方だけ、程度が低いなどという事は、ありません。
少ない力で大きい物が扱えるという、寧ろ共通点のある話になり、興味を持つのは悪くないと思います。
159名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/16(木) 03:12:32.75ID:pxMviW8/O
>>102の返事まだ〜?

剛一への煽り続けないの〜?

久がケンパチの名前出してるソースどこ〜?
160日本語講座
垢版 |
2015/04/16(木) 04:27:54.99ID:RM2VXGut0
>>157
興味深いことに
久八の愛洲氏自体が
清和源氏系とされるんだよね。

恐らくはここに惣角が
何らかのアイデンティティを見出したのだろうね。

久忠は決定打だったね。

>>159
ん?


何か混線した?
161名無しさん@一本勝ち
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2015/04/16(木) 04:39:48.12ID:pxMviW8/O
>>151
ケンパチ監修公認のハゲ本が嘘だらけだったからどうにもなりまへんな〜
162名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/16(木) 04:42:22.58ID:XMJ27ZvJ0
そろそろ武田惣角の年表も作っていきましょうか・・・・
 
 
1860年11月22日 陸奥国会津坂下に生まれる
1873年..       東京の台東区、榊原鍵吉の道場で修行
1876年..       兄・惣勝が死去。実家に呼び戻される。
1876年秋..      男の旅立ち
1877年 .3月    大阪の桃井春蔵の道場を離れる
 
 
まずこんなとこですかね・・・・
163名無しさん@一本勝ち
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2015/04/16(木) 04:52:12.73ID:XMJ27ZvJ0
>>160
数あるお弟子さんの内、
ひょっとしたら惣角が一番かわいがったのも、久八だったのかも知れませんね・・・・
 
久八と角義だけには、合気を教えた。
そんな噂も、あったりします・・・・
2015/04/16(木) 15:47:41.52ID:wPWLkdA90
>>158
重い荷物を持てる力があれば武術も・・・

ないよ。
「女、子供の方が上達が早い」と言う逸話や、
「力はいらない。」まはと言われる

「日本の」

武術に関しては。
165日本語講座
垢版 |
2015/04/16(木) 17:31:32.57ID:RM2VXGut0
>>161ああ
>>160自己訂正。

興味深いことに
久忠の愛洲氏自体が
清和源氏系とされるんだよね。

恐らくはここに惣角が
何らかのアイデンティティを見出したのだろうね。

久八は決定打だったね。

>>16273年の奉額ではまだ竹田姓なんだよね。

当然といえば当然なんだけど
年代的に
77〜79年の長旅以降ではない点が重要だと思う。

つまり
73年の時点では
清和源氏→武田氏(→愛洲氏)のインスピレーションを受けていなんだ。

むろん
98年の史料では既に改姓している。

とすると
「それ」
は晩くとも柳生の尾張時代
そして頼母は一刀流(溝口派)
ではいつと考えると年表作成上おぼろげながら見えて来るものがあったりするね。
166名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/16(木) 18:01:08.62ID:pxMviW8/O
2015年9月11日(金)から〜13日(日)の3日間にわたって
塩田剛三生誕100周年イベント開催

主催〜塩田国際合気道連盟

場所〜千葉県、勝浦の日本武道館研修センター
2015/04/16(木) 18:06:01.78ID:4uU9TLi+0
リアル筋肉ってなに?
168黒魚老師
垢版 |
2015/04/16(木) 18:40:13.79ID:q2JCO9040
力はいらないというが、佐川先生が力はあればあるほど良いと言いましたけどね。
そういう人がリラックス出来るかなんです。
2015/04/16(木) 19:28:27.39ID:ccq/dw9+0
>>168
それは「分かった人」が鍛えた場合の話。
ただ重いものを持ち上げる力だけの人は上達が遅くなる。
力を使う癖が出るから。
だから力を使う癖の少ない「女、子供は云々」と言われる。

こんなことちゃんと稽古をしてれば分かること。

お前、ただの佐川ファンだろ??
2015/04/16(木) 19:50:42.95ID:eoZ7t1xi0
佐川氏も、若い頃は近代的なウェイトトレーニングをガンガンやって
逆三角形の体型にしたけど結局そういう筋力は武術には余り関係なかったということで
結論してたハズ
171名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/17(金) 11:11:44.70ID:4eqtqhTR0
東北の食品も十分チェックしてほしい。盛岡も注意が必要かな。
https://www.youtube.com/watch?v=8varYf41TAA
172名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/18(土) 02:47:04.34ID:jWqtye760
>>164
まはと言われる?
ちょっと意味がわからない・・・・
 
>>165
ご投稿を目にし、あァそう言えば奉納額というのがあったなと思い出したので、
その写真が載っていた史料を取り出すと、1875年・・・・  のようです。
 
今更ながら、最初は竹田姓だったのですね。
少し年譜を更新します・・・・
 

┃ 1860年11月22日 陸奥国会津坂下に生まれる。意外にも最初の姓は「竹田」
┃ 1873年..       東京の台東区、榊原鍵吉の道場で修行
┃ 1875年..       板下・渋谷東馬の道場に、在籍記録あり。当時の名は竹田宗角。
┃ 1876年..       兄・惣勝が死去。実家に呼び戻される。
┃ 1876年秋..      男の旅立ち
┃ 1877年 .3月    大阪の桃井春蔵の道場を離れる
173名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/18(土) 03:12:21.64ID:jWqtye760
>>170
佐川氏の一時期の体は、無論これはこれで凄いですが、確かに所謂「近代的」ですね。
http://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2012-12/sagaya-yukiyoshi-young.jpg
 
でも>>8にも貼った、この方たちは、近代的な体じゃないと思うし、近トレの力でもないと思うんですけど・・・・
http://livedoor.blogimg.jp/hanagenuki-jet/imgs/c/2/c2306555.jpg
174日本語講座
垢版 |
2015/04/18(土) 04:17:36.87ID:+D45HaaQ0
力といわゆる筋力も分けて考えないと
話しが混線するよね。

オニ三郎の岩ゴロゴロは合気だと思うし
筋力ではない(無理だ)と思うけど
力と表現する人が居てもいいだろうからね。

>>172
訂正どうも。

ところで惣勝の逝去は
75年と
76年
両説あるけど
奉額に典拠すると
75年ということになりやしないかな。

その年
そこに居合わせたということで。

額に名前を連ねているということは
奉納演武に参加して・・・いた?

あとは門人帳と数合わせをするしか無いなこりゃ。
175日本語講座
垢版 |
2015/04/18(土) 04:52:44.57ID:+D45HaaQ0
とりあえず
八重の桜の中野竹子さんは奉額に見当たらない。

となると
記載名は少なくとも歴代門弟一同ではなく
養気館一同か
存命者一同なんかね。
176名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/18(土) 05:36:11.84ID:jWqtye760
>>174-175
なるほど、75年に惣角が会津にいるわけですから、
その「いる理由」は、兄が亡くなり呼び戻されたからと考えるのが、自然でしょうね・・・・
 
年表を訂正します。
 

┃ 1860年11月22日 陸奥国会津坂下に生まれる。意外にも最初の姓は「竹田」
┃ 1873年..       東京の台東区、榊原鍵吉の道場で修行
┃ 1875年..       兄・惣勝が死去。実家に呼び戻される。
┃ 1875年..       板下・渋谷東馬の道場に、在籍記録あり。当時の名は竹田宗角。
┃ 1876年..       保科近悳に半年ほど師事したものの、東京での生活が忘れられず
┃ 1876年秋..      男の旅立ち
┃ 1876年末頃    大阪の桃井春蔵の道場に到着
┃ 1877年 .3月    桃井道場を辞去

 
中野竹子さんというかたは、不勉強で申し訳ありません、存知なかったのですが、
肖像が残っていて、大変キレイなかただったようですね。
http://bakumatsu.org/blog/wp-content/uploads/2012/03/00389_l.jpg
 
検索すると、黒河内伝五郎に師事したと出てきましたが、渋谷東馬にも就いていたのですか・・・・
177日本語講座
垢版 |
2015/04/18(土) 18:14:29.53ID:+D45HaaQ0
中野竹子さんはそうだね。

バカが否定していた二道者だね。

存命といえば
当時二年不在だった宗角が存命だったとは限らないから
少なくとも奉額は存命者一同とも言い切れないね。

とすると養気館一同かな。

あとは保科門からの出立のタイミングで
年表と改姓の時期が推定できそうだ。

というか戸籍に改姓の時期が書かれているハズなんだけど。
178名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/18(土) 19:49:09.18ID:cq1lpoub0
>>177
二道くらい、歩む人いくらでもいるでしょうに、なぜムキになって否定するのでしょうか・・・・
僕には解せませぬ。
 
ところで>>174に、さらりと大事な話を書いて下さったのを、見落としました。
奉納演武に参加していたのではないか、という箇所です。
当時、奉納演武と言うと、今で言う柔道の福島県大会か、それ以上(多分それ以上でしょう。年一回でしょうから)の、重要行事だったに違いありません。
そんな、一門の栄誉のかかった演武会に、当時15歳、今で言う中三が出るなど、普通は無いと思います。
 
余程見栄えのする武技を持っていたのだと思います。
二年後、軽業師の一団に加わった際、剣と手裏剣術を看板芸にしたのは、この時の演武が自信になったのかも知れないです・・・・  既に名手だったのも、逆算出来る?
179名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/18(土) 20:29:59.90ID:cq1lpoub0
武田惣角は、父・惣吉が185センチ(流石に時代的にありえないと考え、10センチ差っぴいても175)あったのに、一説には148しか無かったと云います。
 
まさか・・・・  小人症だったなんて事は・・・・
画像を見ても、確かに異常に小さい印象です。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/f6/980336d263f5cd2f40466e1a10da422b.jpg
 
でも惣角の大体同時代(歳は四つ下)を生きた、フランスのアンリロートレックさんという画家は、見るからに、より異様な体型をしています。(152センチ)
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-f1-54/hidemasarin/folder/737859/21/10189621/img_7?1267965667
 
ロートレックは、中一で左大腿骨、中二で右大腿骨を、不幸にも事故で折り、その時ピタッと背が停まってしまったのだそうです。
小人症でありながら史上唯一、所謂天才だったとされる人ですが、病理学的な検査を受けたわけでもなく、症状名の断定は、出来ないそうです。
 
芸術の大家として名を残す以外に、えらく器用だったらしく、銃を持たせたら百発百中、狩に出たら、外す事が無かったのだとか・・・・
遠く異国の地に、どこか似た人がいたのですね・・・・
2015/04/18(土) 21:02:55.62ID:IpvAN97g0
信夫、リアル筋肉ってなんだよ?
181名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/18(土) 22:47:54.74ID:dVENzWtFO
>>166
2015年9月11日(金)から〜13日(日)の3日間にわたって

塩田剛三生誕100周年イベント開催
主催〜塩田国際合気道連盟

場所〜千葉県、勝浦の日本武道館研修センター
182日本語講座
垢版 |
2015/04/18(土) 23:00:20.29ID:+D45HaaQ0
>>178
>二道くらい
>歩む人いくらでもいるでしょうに
>なぜムキになって否定するのでしょう

バカなのだろうね。


>当時
>奉納演武と言うと
>重要行事だったに違いありません

考えてもみればそうだね。

だからこそ奉額まであるのだろうし。


>余程見栄えのする武技を持って
>この時の演武が自信になったのかも

なるほど。


>既に名手だったのも
>逆算できる

論理的に正剛・・・
整合するね。
183名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/18(土) 23:09:16.10ID:dVENzWtFO
なんでいつも言葉に力が無いんだろ?
184日本語講座
垢版 |
2015/04/18(土) 23:27:31.40ID:+D45HaaQ0
>>179
頭を強打して身長が停まる症例もあるそうだね。

相撲か竹刀打ちでそうしたことがあった可能性もゼロではないね。

惣角は作中においてではなく
西郷頼母に不覚にも背後をとられたことがあったらしく
これは別に頼母がオニ三郎のような達人だったからというより
自分より小柄な人に不慣れだったから
というのもあるだろうね。


>中一で左大腿骨
>中二で右大腿骨

成長期に大腿骨を折っても同じことが起きるらしいけど
左右を別々に折ること自体がもっと珍しいね。

こういう人ほど肉体の成長に動員されたハズのエネルギーが他に充当されたりしたのかな。


>>183
IDがツクオと一緒だからじゃね?
185名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/20(月) 02:17:22.08ID:dVbJUdXb0
え、ちょっと待って下さい、頼母、惣角よりも小さかったのですか・・・・?
 
慌てて画像を検索すると、よく知られた西郷四郎とのツーショットが出てきて、これじゃ検証出来ないな・・・・   と思ったら、
四郎が153センチだったのを思い出し(僕も一応柔道をかじった身なので、知っていた)、青ざめました。
http://bakumatsu.org/img/00436_l.jpg
 
ち、小さ過ぎる・・・・
これだと確かに、小さ過ぎて見失うかも知れないという講座さんの推理、的を射ているかも知れません。
 
背の伸びが停まる原因に、外傷性のものもあるのは、初めて知りました。
まだまだ人体は、果てしなく奥が深いです・・・・
 
あくまで小説ですが、惣角は鍵吉に、面を撃たれ気絶しているので、あるいはその瞬間、背が停まったのかも知れないですね。
186日本語講座
垢版 |
2015/04/20(月) 03:18:39.96ID:QXIKTpMw0
ハッキリとはわからないけど
呼び名や西郷四郎との比較からも
頼母は惣角より小さかったようだね。
http://page.freett.com/sukechika/ishin/kaisetsu/saigou_tanomo.html

それこそ前スレ?の本田サゴ兵衛や小弾平と同じ二つ名だし。


>頭が大きく

とあるから小人症かな。


>柔道と和歌には際立った才能が有った

とも書かれているね。

柔道?

惣角の心影修行は惣吉の伝手だから
そこまで烈しくは扱われなかった気もするね。
187名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/20(月) 04:00:25.38ID:dVbJUdXb0
>>186
リンク先、拝見しました。
 
「三尺ダルマ」などという、妖怪めいた呼び名が冠されてしまっていたのですね・・・・
ロートレックの、>>185の画像と較べやすいショットですが、確かに異様ではあるものの、較べやすいだけに、更に頼母が小さいのが判ります。
http://cdn2.all-art.org/yapan/History%20of%20Photography/foto_story_begining/pi82-89_files/foto0014p.jpg
 
小人症・・・・  だったのでしょうか。
 
だとしたら病理学史上一人しか確認されていない、「小人症でありながら名を成した(not見世物)」という、奇跡の例が、
ほかでもない我が国に、二人もいた事になります。
 
同じ日本人として、誇りを覚えてなりません。
188日本語講座
垢版 |
2015/04/20(月) 04:15:52.10ID:QXIKTpMw0
ロートレックは隣の人も小さく見えるね。

ただ頼母は細いのも相俟って
確かにもっと小さく見える
かな。

希少種だね。

頼母と惣角
両者のDNAを調べる手立てでもありやしないかな。
189名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/20(月) 04:22:26.62ID:dVbJUdXb0
>>186
本田サゴ兵衛、確かに前スレ、お名前出していましたね。
むむむ、何やら妖怪めいた響きのある人・・・・  いつかお話下さいませ。
 
柔道は、確かに気になりますね。
とにかく「やわら」に、異常に才能があるという人は、いるのかも知れません・・・・
 
鍵吉は講座さんの仰るように、惣吉と旧知の仲だったようですから、後遺症を残すほどの扱われようは、なかったでしょうね。(失礼しました)
 
思ったのですが、遺骨をDNA解析すると、今は小人症だったか否かも、判ると云います。
惣角、頼母、ついでに惣吉の遺骨を調べたら、さまざま貴重な事実が判明するでしょうね。
190名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/20(月) 04:31:24.53ID:dVbJUdXb0
書いているあいだに、講座さんの>>188が入りました。
 
「DNA」という意見が、かぶりましたね・・・・
お二人とも、確か墓があったと思います。
 
道義上著しい問題があるとは思いませんので、遺骨を「借りて」、一度我国の栄誉のためにも、検査機器にかけてみてほしく・・・・
2015/04/20(月) 07:48:11.59ID:558v25pS0
惣角は双子じゃなかったか?
小さいのもそれが理由なんじゃね
192日本語講座
垢版 |
2015/04/20(月) 16:42:43.31ID:QXIKTpMw0
>>191
そうだったの?

塚原卜伝が双子だったのは聞いたことがあるけど。
//dic.ニコビデオ.jp/a/%E5%A1%9A%E5%8E%9F%E5%8D%9C%E4%BC%9D

>>190
ちょっと笑った。

遺骨は
過去帳よりもレンタルが難しそうだね。

惣角が小人症かどうか
手が大きいのが唯一の難点なんだよね。

そうするとやはり双子かな。
2015/04/21(火) 23:43:58.66ID:t0mXIchG0
合気は惣角の前からあったのだろうか?
194日本語講座
垢版 |
2015/04/22(水) 03:50:34.24ID:O9Rl1J+S0
言い古されていることだけど
技術的にはむろん存在したし(技術合気?)
柔術用語としても存在したね(用語合気?)。

あえて大東流との接点を考証してみると
用語合気の母体流派には例えば
http://www.geocities.jp/themusasi2a/kaizan/s109.html#sadanobu
この人がいたわけで
更には
その人が創流した分派が
https://www.jstage.jst.go.jp/article/budo1968/41/Supplement/41_9/_pdf
これ。

んで母体流派の分布が
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/30285/1/NingenkagakuKenkyu_20_00_110_Nakajima.pdf#search='%E8%B5%B7%E5%80%92%E6%B5%81%E6%9F%94%E9%81%93'
こう

となると西郷豆彦の

>柔道と和歌に際立った才能が〜

の柔道とは
用語合気込みで上掲の分派だった可能性がゼロでもないね。
195日本語講座
垢版 |
2015/04/22(水) 17:16:16.05ID:O9Rl1J+S0
リンクが巧く貼れなかったけど
http://www.geocities.jp/themusasi2a/kaizan/s109.html#sadanobu
は文字列の通り定信のサブセクションをクリック。

その師の方の創流はこのように
https://www.jstage.jst.go.jp/article/budo1968/39/Supplement/39_7/_pdf
特異なものだったそうで。

ただここをそのまま大東流の源流とすると
今度は清和源氏の仮託が説明し切れないけどね。
196名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/23(木) 19:28:10.58ID:KaH4aC7l0
>>191
惣勝は年齢がちがったし、名著『鬼の冠』には、一ページだけ妹が出てきますが、双子だとは書かれていなかったと思います。
でも興味深い情報です・・・・  改めて色々史料にあたってみますね。
 
>>192
ぜひ連樽・・・・  レンタルしてほしいものですね。
 
手はそうですね、よく気がつかれたと思います。
確かにその部位の大きい小人症は、ありえないのかも知れません。
 
双子は左利きになる確率が高いと云いますから、左利きの惣角は、矢張り双子だった、そして双子だったがゆえに小さかったと、考えられます。
 
>>193-195
なるほど、豆彦(w  の教えてくれた「柔道」とは、セーベークニノリの、神武柔道だったと!(※しんぶじゅうどう、と読む。ちゃんとした流派名)
合気という用語はクニノリの先輩が創ったのですし、大東流がぶっちゃけこの流派だったと考えれば、用語の伝わっていた理由もすんなり説明がつきますね。
197透明な智から
垢版 |
2015/04/24(金) 03:36:37.13ID:H3bKomhN0
>連樽

何か懐かしい響きだね。

そう言えば武聖の戦後初出って今更ながら
山田一郎の本よりも以前の史料なんだよね。

巻末に旅日記近刊とあるから
山田本にある伝説の一戦も恐らくはこの筋の情報だろうね。


>神武柔道

技法的には総てそこにあったのだろうけど
改めて確認すると厳周のアザナが三五郎だったんだよね。

すると考証通り
小説の描写はどこか真実であり
シンカゲから否定したい大きな影響を受けたことにもなって来るのかな。
198名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/25(土) 04:04:52.59ID:fjukHccY0
>>197
えっ、厳周が三五郎だったのですか・・・・?
 
でもまァ、ほぼ>>147のご高察通りだったのが、これで判明したかたちになります。
透明な智からさんの頭脳、相変わらず凄いですね・・・・
 
年表を少しだけ更新します。
 
 

┃ 1860年11月22日 陸奥国会津坂下に生まれる。意外にも最初の姓は「竹田」
┃ 1873年..       東京の台東区、榊原鍵吉の道場で修行
┃ 1875年..       兄・惣勝が死去。実家に呼び戻される。
┃ 1875年..       板下・渋谷東馬の道場に、在籍記録あり。当時の名は竹田宗角。
┃ 1876年..       保科近悳に半年ほど師事したものの、東京での生活が忘れられず
┃ 1876年秋..      男の旅立ち
┃ 1876年秋か冬   柳生三五郎厳周の道場に立ち寄る
┃ 1876年末頃    大阪の桃井春蔵の道場に到着
┃ 1877年 .3月    桃井道場を辞去
┃ 1877年春..      大分の鶴崎港より九州上陸
199透明な智から
垢版 |
2015/04/25(土) 04:52:49.40ID:lISpn1A60
さてかなり進んだね。

次に移ろう。

惣角南下の動機は桃井道場
或いは西南戦と種々囁かれているけど
いずれも中途的に発生したもので
そもそもの主因は第一次上京が中断されている点にあると思う。

というのも挨拶や添え書き入手のためだけに
強いて遠隔地から第二次上京を果たすのも考えてみれば奇矯な話しで
子弟の修行に理解のある鍵吉が
惣角の一時帰郷に際して来るべき上阪に向けて予め添え書きを持たせるのは充分あり得るし
すると第二次上京の当初の目的は上京自体にあった可能性が大きくもなる。
200名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/25(土) 05:11:42.78ID:DtCFNlRfO
透明な智から=日本語講座=信夫
201名無しさん@一本勝ち
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2015/04/25(土) 05:19:42.80ID:fjukHccY0
>>200
あれ、ひょっとして負け犬のツクオじゃない?
生きてたの?
 
>>199
お〜、二次上京の目的は、上京自体にあった・・・・  わくわく。
ここからどう推理が展開するのか、楽しみに待っています。
202名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/25(土) 14:30:06.80ID:DtCFNlRfO
負け犬はお前だ自演レンタル
203名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/25(土) 14:32:01.40ID:DtCFNlRfO
剛一への煽りが不味いと感じて改名かよヘタレww
204透明な智から
垢版 |
2015/04/25(土) 16:37:02.79ID:lISpn1A60
>>201
繰り返しだけど
地獄坂・・・
じゃなくて坂下から上阪するには
直接木曽入りしたほうが何倍も効率的だしね。

>>203
徳一?

それって上記史料の方の後輩のこと?
205名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/25(土) 22:02:27.03ID:DBCjevVS0
>>204
地獄坂、さすがに何の事だか解からなかったんですけれど(笑)、検索したら、おォ・・・・
 
かの武聖の通われていた、スーパーエリート校の門へ向かう、坂ではないですか・・・・
美しい眺めです。
http://otaru-class.com/wp-content/uploads/2013/08/jigokuzaka00.png
 
今から百年前、かつて武聖も、ここを歩いて、登られていたのですね・・・・
 
惣角は、1876年末〜1877年3月の滞在中、既に桃井春蔵と試合(おそらくは竹刀スパー)で、互角だったそうです。
高一にして、この実力。
 
天才だったのかも知れません・・・・
透明な智からさんのお話の続き、楽しみにです。
206名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/25(土) 22:04:43.62ID:DBCjevVS0
楽しみです。
 
でした。
207名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/25(土) 23:56:12.29ID:DtCFNlRfO
>>102 >>124 >>159
208透明な智から
垢版 |
2015/04/26(日) 03:42:11.78ID:4SA9nu3/0
>>205
武聖坂だね。

武聖・・・もとい
武田惣角は第二次上京の折り
鍵吉門での有意な修行譚を聞かないことからも
目的は必然的に鍵吉門自体ではなかった。

しかし上京自体が一次的な目的だったのは
論理的に明白
と来る。

後世まで徳一・・・
じゃなくて一徳斎と確かに交流があった。

よって鍵吉門との関係性は史実のようだ。

ではここに見え隠れする上京の動機は何だろうか。

>>207
>>208って感じかな。
2015/04/26(日) 07:19:55.38ID:aEdIKmAo0
惣角は一刀流と直心影流の影響どっちが濃いんだろう
210名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/26(日) 09:34:42.54ID:7BvUwfgP0
>>208
>>209
一徳齋との交流があったのを、佐川氏が聞いていない筈は無いし、
また透明な智からさんが>>204に再び簡単に纏めて下さった推理は、天才なら浮かばなくもないでしょう。
 
三五郎の件も併せると、よりカゲ流の影響のほうを、少なくとも隠したいのは、窺えるのではと。
惣角ではなく、佐川氏の意向としては。
211名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/26(日) 10:12:25.43ID:SX2DQF56O
一人三役おつかれさん
212名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/26(日) 11:56:15.00ID:7BvUwfgP0
年表更新。
 
 

┃ 1860年11月22日 陸奥国会津坂下に生まれる。意外にも最初の姓は「竹田」
┃ 1873年..       東京の台東区、榊原鍵吉の道場で修行
┃ 1875年..       兄・惣勝が死去。実家に呼び戻される。
┃ 1875年..       板下・渋谷東馬の道場に、在籍記録あり。当時の名は竹田宗角。
┃ 1876年..       保科近悳に半年ほど師事したものの、東京での生活が忘れられず
┃ 1876年秋..      男の旅立ち
┃ 1876年秋..      榊原鍵吉に桃井道場への紹介状を貰いに寄る。それ以外にも何らかの理由があり、東京に立ち寄った。
┃ 1876年秋か冬   柳生三五郎厳周の道場に立ち寄る
┃ 1876年末頃    大阪の桃井春蔵の道場に到着。竹刀稽古で互角に渡り合った。
┃ 1877年 .3月    桃井道場を辞去
┃ 1877年春..      大分の鶴崎港より九州上陸
┃ 1877年春〜秋   鶴崎にて軽業師の一団に加わり活動。手裏剣術は座の目玉になった。
213透明な智から
垢版 |
2015/04/29(水) 03:51:55.84ID:C4aXsb+a0
>>209
ワンクッション置くと
二刀剣は明らかにシンカゲの天狗抄の影響だよね。

居合いや片手斬り
晩年の盛平の手かざしは直シンカゲの影響。

>>212
春蔵とは3−2だったともされているよね。
214名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/04/30(木) 10:41:42.71ID:zjtRuWYs0
>>213
おォ、そうですか・・・・
ではそれも組み込み、年表を更新します。
 

┃ 1860年11月22日 陸奥国会津坂下に生まれる。意外にも最初の姓は「竹田」
┃ 1873年..       東京の台東区、榊原鍵吉の道場で修行
┃ 1875年..       兄・惣勝が死去。実家に呼び戻される。
┃ 1875年..       板下・渋谷東馬の道場に、在籍記録あり。当時の名は竹田宗角。
┃ 1876年..       保科近悳に半年ほど師事したものの、東京での生活が忘れられず
┃ 1876年秋..      男の旅立ち
┃ 1876年秋..      榊原鍵吉に桃井道場への紹介状を貰いに寄る。それ以外にも何らかの理由があり、東京に立ち寄った。
┃ 1876年秋か冬   柳生三五郎厳周の道場に立ち寄る
┃ 1876年末頃    大阪の桃井春蔵の道場に到着。竹刀稽古で互角に渡り合った。3-2でまさったとも云われる。
┃ 1877年 .3月    桃井道場を辞去
┃ 1877年春..      大分の鶴崎港より九州上陸
┃ 1877年春〜秋   鶴崎にて軽業師の一団に加わり活動。手裏剣術は座の目玉になった。
┃ 1877年 .9月末   西郷隆盛の訃報に触れ、一座と別れた。熊本へ向かう。
┃ 1877年10月末   熊本を出立。延岡へ。
215名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/05/01(金) 21:26:56.47ID:ts7ze3kq0
やっぱり合気は白鳳会が最高!
216名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/05/01(金) 21:59:09.86ID:5F6QmvTDO
あったりまえだのケンパッチ
217透明な智から
垢版 |
2015/05/02(土) 02:12:19.62ID:Tb333Odi0
>>214
養気館は坂下だね。

>>215
最高峰は渋谷区(新宿区)の某会
更には同門の首都圏の某会だろうね。

>>216
興風会の前田小天狗は伝説的だね。
218名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/05/02(土) 10:42:35.04ID:+650wvwa0
>>217
前田小天狗、検索したら漫画の主人公にもされた人なのですね・・・・
すごいなァ
 
画像の前田整骨院を開業し、昔は書生や乞食をタダで住まわせ、併設の柔道場(地下、34畳)は、今も連綿と続いており、小天狗の伝えた技が学べるのだそうです。
https://www.google.co.jp/maps/place/%E6%9C%AC%E5%BA%84%E5%8C%BB%E9%99%A2/@35.710217,139.717364,3a,75y,325.12h,90t/data=!3m4!1e1!3m2!1sDKdgIsz2f01OiwSJaavZeQ!2e0!4m2!3m1!1s0x0:0x4c631586555e3f3d!6m1!1e1
 
あまりに貴重な、幻の道場ですね・・・・  東京在住だったら、武者修行に訪れたいのですが、居住地域に無理あり過ぎるのが、残念です。
219透明な智から
垢版 |
2015/05/02(土) 22:47:45.72ID:Tb333Odi0
現況は流石に知らなんだ。

どうも!

若?先生も九段らしいね。
220名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/05/02(土) 22:50:24.09ID:qwyU3JrvO
村井珍八らしいらしい
221透明な智から
垢版 |
2015/05/03(日) 00:37:48.92ID:HuT3E47U0
親子で九段は新記録だね。
222名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/05/07(木) 01:11:18.71ID:lNZbo7MF0
僕はいつも、合気を探してテクテク歩いている。
冷えたブナの森の中を、暗い北の湖のほとりを。
合気はどこにあるのか。
どこかで気が燃えだしてくれないか、枯れ腕が炎を噴いてくれないかと期待しながら。
いつも一人で、いつまでもいつまでも歩いている。
草地に散り敷いたブナの枯葉の上にひざまずき、身を折って、ぼくは何度も地面に額を押しつけた。
古い城の塔の頂きに立ち、湖を見つめて祈ってもみた。
でも合気には出会えなかった。
 
約束の地に戻ってから、人はみな合気を探した。
しかし世界を焦がす業火の中に、合気は無かった。
世界を滅ぼす大地震の中にも、合気は無かった。
嵐の中にも、地を揺する強風の中にも、合気は無かった。
 
しかし、木々をそよがせる黄昏の微風の中に、合気はあった。
 
自然の中にすべての啓示は現れる。
数式や真理の中、芸術の内にも。
それらは磨き抜いた鏡だから。
神の意志はそういうものに映る。
人格を持つ神を、僕は信じない。
223名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/05/07(木) 01:36:27.17ID:lNZbo7MF0
>>219
>>221
新記録ですか!
 
そうですね、考えてみれば、親子二代に亘り九段位は、聞いた事がありません。
武聖にお相手して頂けた方たちは、矢張りそれだけの光栄に浴せただけあって、凄い人ばかりです。
 
惣角の年表を更新します。
 

┃ 1860年11月22日 陸奥国会津坂下に生まれる。意外にも最初の姓は「竹田」
┃ 1873年..       東京の台東区、榊原鍵吉の道場で修行
┃ 1875年..       兄・惣勝が死去。実家に呼び戻される。
┃ 1875年..       板下・渋谷東馬の道場に、在籍記録あり。当時の名は竹田宗角。
┃ 1876年..       保科近悳に半年ほど師事したものの、東京での生活が忘れられず
┃ 1876年秋..      男の旅立ち
┃ 1876年秋..      榊原鍵吉に桃井道場への紹介状を貰いに寄る。それ以外にも何らかの理由があり、東京に立ち寄った。
┃ 1876年秋か冬   柳生三五郎厳周の道場に立ち寄る
┃ 1876年末頃    大阪の桃井春蔵の道場に到着。竹刀稽古で互角に渡り合った。3-2でまさったとも云われる。
┃ 1877年 .3月    桃井道場を辞去
┃ 1877年春..      大分の鶴崎港より九州上陸
┃ 1877年春〜秋   鶴崎にて軽業師の一団に加わり活動。手裏剣術は座の目玉になった。
┃ 1877年 .9月末   西郷隆盛の訃報に触れ、一座と別れた。熊本へ向かう。
┃ 1877年10月末   熊本を出立。延岡へ。
┃ 1878年 .3月    鹿児島で武者修行中、一度会津へ戻るのを決意
┃ 1878年 .5月上旬 会津にいたのを、仙台への武者修行の旅に出る
224透明な智から
垢版 |
2015/05/07(木) 18:16:58.53ID:XftLZlxI0
>>222
確かにtechtech歩くべきものだね。

>>223
武聖も恐らくは講道館史上の
新記録のホルダーだしね。
2015/05/07(木) 22:58:46.70ID:UF2fWdCO0
>>223
惣角がいつ合気に気がついたのかも入れてくれ
佐川は1919年らしいが
2015/05/08(金) 07:27:15.86ID:UGrZ24eSO
自演は続くよ〜♪いつまでも〜♪
227名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/05/08(金) 07:48:42.37ID:LEkAJROa0
佐川はホラだらけや
228名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/05/08(金) 15:22:08.07ID:A6ArfUZg0
じゃあ本物は誰よ?
229透明な智から
垢版 |
2015/05/09(土) 00:59:20.38ID:Ut/Jmv610
他スレによるとNさんという人のが上らしい。
230名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/05/09(土) 02:51:28.46ID:g/APgqh90
>>225
それは惣角の足跡を、従来無いほど事細かに辿る事で、自ずと浮かび上がってくるのではないでしょうか。
 
「従来無いほど」というのが、ここでは大事なのです。
たとえば、お書きの1919年という数字は、世間に流布する佐川氏ご自身の証言、「17歳で―― 」を元になさったのでしょう。
 
しかし注意深く情報元を眺めれば、あの本は一貫し、数えで歳が書かれていて、実際には16歳か満15、年代は1918年なのが、判ります。
231透明な智から
垢版 |
2015/05/09(土) 03:23:23.98ID:Ut/Jmv610
確か年末だっけか。

いずれにせよ
Nさんは不動だね。
232名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/05/09(土) 04:16:29.71ID:g/APgqh90
フランツリストというかたをご存知ですか?
 
ハンガリー出身、史上最高と称えられるピアニストです。
大変な美形で知られたものの、背は185センチと巨人で、指が人の倍の長さがあるとまで云われた手が、武器になっていたそうです。
http://img.yaplog.jp/img/16/pc/b/r/o/broken-mind/0/24.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0e/Liszt_and_his_students.jpg
 
打鍵の威力が凄まじく、弦は切れ、ハンマーが折れてしまうので、演奏会には三台のピアノが並べられた事も。(補欠)
 
しかし次第にそういう荒い事は無くなり、より表現力という方向へ進まれたそうです。

「指が5本ついている手が二つあると思うな。
 身体から10本の指が生えていると思え」
 
誰をも無料で指導した、リストの技術論です。
このスレで繰り返しテーマになってきた器用論、合気論にも通じるものが、ありそうですね・・・・
 
最後に、これは技術論に較べ、大事な話か判りませんが、リストの人間性に関する逸話を、紹介します。
 
ある時、リストの弟子という偽の肩書きを持った人に、リストが会いました。
その人が、嘘をついていたことをリストに謝ると、リストは、「弾いて聴かせてください」と言います。
あまり上手な演奏では無かったが、聴き終わると、リストは言いました。
「さァこれであなたは、リストの弟子だと胸を張って言っていいですよ」
233透明な智から
垢版 |
2015/05/09(土) 22:38:23.20ID:Ut/Jmv610
おおー
こんな鮮明な写真が・・・

ってそこかい!

手と指という概念を超えれば
そこまて手の威力が出るんだね。

そしてそれだけ精神の包容力も
身体の浅い部分で滞らずに深みが持てる。

リストにしろ
Nさんにしろ
とかく
精神がいいや。
234透明な智から
垢版 |
2015/05/10(日) 23:34:03.22ID:T/FR4jx/0
そこまで
だったね。
235名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/05/11(月) 13:39:35.81ID:gJPG3dYh0
>>233
武田惣角の師爺、男谷精一郎は、君子の剣と称えられました。
剣の聖(ひじり)、剣聖とも。
 
さしずめリストは、鍵聖ですね。
 
Nさんは、チンオスレの情報によると、柔道の(元)国体選手だったそうです。
野球も得意でいらっしゃるらしく、そんな運動能力の塊が、伝統武林にいる事自体が、驚きでした。
236透明な智から
垢版 |
2015/05/11(月) 23:22:54.05ID:5hg813Ub0
>これであなたは
>リストの弟子だ

>さしずめリストは
>鍵聖

一瞬
鍵吉と読み違えた私は只のオタクとして

あいつには教えていないのだから百年経ってもわからん
とかの誰かに教えたい説話だね。

ひじりと言えば昨日は
武星の命日だったね。

コメントしなんだ。
237名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/05/14(木) 07:21:24.28ID:9NRF5n870
>>236
鍵吉w
 
―――剣聖は、鍵吉の家が苦しいのを見て、指導に一切、報酬は貰わなかったそうです。
鍵聖と同じですね・・・・
 
惣角はまだ、剣聖や鍵聖の域には達されていなかったのでしょう。
鍵吉は、師の「武のこころ」を、惣角に伝えなかったんですかね・・・・
 
ぶ、武星とは・・・・?
五月十日がご命日に、どなたかいたかな・・・・
 
以前、チンオスレに、キリストと命日が同じというかたの話が出て、その例も未だ判らないのですが、どうにせよこういう話は単純に面白いです。
238透明な智から
垢版 |
2015/05/14(木) 09:07:36.88ID:udw5bbH/0
惣角も角聖へと昇華して欲しいところだね。

ああ角聖は先客が居たっけか。
239名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/05/21(木) 08:22:32.69ID:3aZhjRvc0
佐川氏の鍛錬のメニューには、腕立てや素振りに混ざって、「合気」があったらしいです。
 
遺された日記に、「腕立て千回、合気○○回」といったような記述があったと。
興味深いですね。
 
対人稽古と違い錬体、すなわち独りでやる運動で、合気はどのようにして抽出され、鍛えられたのでしょう。
240名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/05/21(木) 09:48:18.94ID:8L8YZrtY0
佐川爺の年寄りの冷や水だわな

老人性膝関節症でヨレヨレだったもんな。
2015/05/21(木) 11:07:33.67ID:u0IluT4l0
佐川をカルトにしたのは一部の狂信的ネラーたちでもある
 
バカは何でも宗教にするからな。
242名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/05/21(木) 11:27:12.06ID:YneV/dBX0
 
    ィォ鬱町テ!ュ
   |鬱鬱町二  ュ
  鬱鬱鬱送送リキ
  鬱鬱鬱欝鬱!ィ須
  鬱鬱彰ニ ̄ ̄撫
  参|彰 ━ -━!|               宗教の無い世の中が弥勒の世だ
  /ノノノ _ィォ|> rォ_|))
 く///   /。。 )ノ
   ィ||  __i_ |
 ォ||迅  ゙ ー ゙ノ|ュ_
傾鸞迅、___ィノノ辻
鸞鸞恥ス_ \/ /ッ迅i
243透明な智から
垢版 |
2015/05/21(木) 14:36:50.41ID:uuxiRym30
>>239
興味深い情報だね。

前腕の上をバーベルを転がすとかかな。

佐川邸ってバーベルはあったっけ?

>>242
すげえ!

ちゃっかり親鸞の鸞が入っているとかウケルんですけど。
244黒魚老師
垢版 |
2015/05/21(木) 14:56:44.98ID:Ope3AOsv0
>240、241
しつこい性格は女性に
一番嫌われるのは理解しているかね。
245たっくんby内田理央
垢版 |
2015/05/21(木) 15:03:40.69ID:orTOHKlg0
  【当て身投げ合気3兄弟について】

はじめて合気を見た時驚きました。
まさかギースハワード、ヴォルフガングクラウザー以外に
当て身投げを使いこなせる人間がいたなんて・・正直驚きました。
というわけで合気もこの中に加えておきます。

登場する敵の順・・風間飛鳥・・ギース、クラウザー、合気師範

彼らの主な技は・・返し技、気候術、打撃技、
外見スタイルは・・上半身は日本武道技(柔道着のようなもの)
下半身は日本古来より伝わる伝統の正装着ハカマ

ハカマというのは、剣道や弓道で使用するやつですね。

970 名前:たっくんby内田理央 :2015/05/21(木) 15:00:46.24 ID:orTOHKlg0
合気師範のお友達について・・

リュウ、マイク・バイソン、マイケル・マックス、 ライデン、 ギース・ハワード、
ヴォルフガング・クラウザー、そして合気道の師範です。

技名、ボクシング、レスリング、アイキ、日本武術一般
246名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/05/21(木) 18:42:00.16ID:CDGLxkaV0
>>245
誰だよそのラノベに出てきそうな外人の名前は!(笑)
247名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/05/21(木) 20:42:34.38ID:7NSuLyuAO
>>246
ラノベじゃなくて格ゲーのキャラだよ。
248透明な智から
垢版 |
2015/05/28(木) 05:15:35.87ID:5LIZa6GZ0
>>244
あっ
太氣スレで俺に論破されとった面子だ。

>>223
さて本題に戻って
話しをやや前後させると
くだんの銭形さんはものの本によれば
一文銭も投げていたらしいね。

一文銭のうち鉄銭は
改制二年後に貨幣価値を失っていたに等しいそうだ。

だからもしかそうした粗雑な使用が出来ていたのは鉄銭だったからであり
銅ではなく鉄銭だっただけにそれだけの威力を誇り得た
ってパターンは無いだろうか。

トリックといえば巧妙なトリックだけど
流石に不謹慎だし超仮説に留めておくよ。
249名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/05/30(土) 22:37:11.50ID:dg5ueRaO0
>>243
そ、それは確か、木村政彦がやってしまっていたような・・・・
そう言えばあの方も、晩年、合気が備わっていたらしいです。
 
>>248
なるほど、鉄銭・・・・  それは慧眼かも知れません。
いずれにせよケタちがいの芸当、神業だったのには変わりなく、かのテッケンさんをも上回る、「テッセンさん」だったのですね。
250透明な智から
垢版 |
2015/05/31(日) 18:26:07.21ID:zonaAWkl0
>木村政彦

怪物だね。

立山本では牛島辰熊ともども咬ませめいていたけど
人は成長もするし
力道山に手刀を伝えたのも木村七段ともされる点を完全にスルーしたりしたら
片手落ちだよね。


>テッセンさん

おおー。

惣角血風録のここがまさにハイライトだね。

どこで彼に出逢い
いかに影響を受けたか。

そこを中心に惣角第一の全国行脚を
もう一度洗い直してみよう。
2015/07/31(金) 09:33:06.59ID:7lSiD5N50
大東流の合気の正体は修験道などに伝わる霊術が元
2015/07/31(金) 17:19:32.76ID:hhYkIs2j0
オカルトや宗教にしちゃうと別な話になっちゃうよ?
253名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/08/13(木) 13:12:52.59ID:WhOc7mHt0
現実にここまで強い人がいたら凄いですね・・・・
http://www.geocities.jp/sitamatinohomepage/gazou/p_golgo.jpg
 
「俺は実戦だったら――― 」「突き蹴り金的があれば――― 」なんていう、検証不能の、
おそらくは思い込みでしかない主張、武術観には、何の魅力も感じませんが、この漫画には魅かれます。
 
思えば僕の伝統武術への興味も、こういう本物が、最初だったなァ・・・・
254透明な智から
垢版 |
2015/08/14(金) 02:31:54.30ID:3InuNuVW0
>>253
組み手とあるから
もしかして当て込みだったかも知れないけどね。

いずれにせよ世の中には稀に
本当の本物ってのが存在したりするよね。
255名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/09/01(火) 00:22:52.59ID:37Igj/fy0
武田惣角が直心影流を榊原鍵吉に学んだと言うのは眉唾ですね。
256名無しさん@一本勝ち
垢版 |
2015/10/22(木) 23:24:27.25ID:JQU9WdrG0
鋳造さんは?
257透明な智から鋳造
垢版 |
2016/03/12(土) 01:15:37.62ID:H0M4dKZN0
>>255
それだとだね
惣角が桃井道場への紹介状を受けていること
山田次朗吉と交流のあったこと
同系統として学んだ新陰流の外伝以上を受けていること
以上三点の説明がつきにくいんだよね。

これには必然的に
大東流の成立に関わると或る存在が介在していたと
共通因子から考証できるんだけどね。

>>256
先程からここに。
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