禅道会について語ろう
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■はじめに――最強を求めて
「格闘技って、なんてつらいんだろう。」
ふと立ち止まっては、こんなことを思う。
仕事がうまくいかない、練習が苦しい、
現実に直面して夢敗れる、KO負け、納得のいかない判定……
さらには逃れられない老いによる衰え、病、そして死。
どうしてこんなに苦しみが多いのだろう。
まるで苦しむために生まれてきたみたいなものじゃないか。
たいていの人間は、こんなことを考えるに違いない。
でも、考えたからといって、それから離れることができるのだろうか。
おそらくできないだろう。苦を背負ったまま、
自分の心をごまかしながら生きていくのが普通であろう。
ところがわたしはそういう妥協ができなかったんだ。
わたしだって、わたしなりの苦を持っていた。
でも、自分をごまかすなんて、不器用なわたしにはできないことだった。
普通だったら、死ぬしかないっていう状態だ。
そこで何をしたかというと、「真の最強」を探して、
がむしゃらに格闘技の世界に飛び込んでいったんだ。
もともと物好きだったし、熱中すると我を忘れる性格だったからね。
それはもう、大変なことだった。
なにしろ、だれも知らないことをやろうというのだから。
文字どおり、暗中模索【あんちゅうもさく】の数年間だった。
その途中では、人生のどん底に落ちて、辛酸【しんさん】をなめた時期もあった。
苦をなくそうと始めたことが、いっそうひどい苦しみをもたらしたのだから、本末転倒だね。 しかし、わたしは「真の最強」探しを放り出さなかった。
なぜかというと、このころようやく手応えのようなものを感じていたからである。
わたしはギあり総合格闘技に巡り合った。
そして、VT【バーリトゥード】によって生死を超越し、
真の最強をつかむことができると確信したんだ。
それからは黙々と、格闘空手の教範を頼りに修行に励んだものだ。
空手というものは面白いもので、進歩を測るのに段や級を目安にする。
つまり、どの色帯が身につけばどの段階か、
ということがはっきりしているのである。
もちろん、わたしも少しずつ級を獲得していき、
いつしか有段者と呼ばれるようになった。
しかし、これはあくまでも付録で、最終目的は最強だ。 やがてわたしははみだし空手に書かれている、空手バカの最終段階に到達した。
地方大会でも優勝した。ところが、それはわたしが求めていた最強とは違っていた。
まだまだ途中の段階だったのである。それを知ったときは、
再び暗闇の中に放り出されたような気分だった。さて、どうしたものか。
より高い段階へ行くには、どういう修行をしたらよいのだろうか。
しばらくの間、停滞期が続いた。
そして、あるとき格闘空手発祥の地である仙台が、
わたしを呼んでいるのを感じたのである。
わたしは当時全く自分の時間がない状態であったが、
意を決して仙台へと飛んだ。何がしかのヒントを得られることを信じて。
ところが、よっぽどわたしも気がせいていたんだろう。笑い話にでもなりそうな失敗をしてしまった。ホ●ス戦でわりと有名な先輩が、
「自分は最強に近いス、最強の方法を知っている。」
と言うのを信じて弟子になってしまったのである。
彼を師と仰ぎ、多額のドーネーション(奨励金)をし、教えを乞うた。
しかし、何も教えてくれなかった。
彼は、自分の壊れ始めたココロを維持するために、
なりふりかまわず奔走しているだけだったのだ。
続く ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています