オートレースの問題出すから答えてけ [無断転載禁止]©2ch.net
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>>576
香川雄之助でも(漢字違いの「かがわ」である)加川光俊でも加川登でもない >>578=579
正解
平成19年1月2日に浅井孝祐がレース中の事故で殉職
これにより期前の選手は富永一人になり、その16日後引退しました。 >>582
富永は再試走したが再試走も試走タイム悪すぎて欠車になった!
理由は浅井が落車で亡くなってビビってそのまま引退した選手!
なお、反妨は岡崎秀二で落車した浅井、釜本のバイクが浅井のヘルメットにぶつかった 以前ベイサイドオープンというレースがありましたがどんなレースだったでしょうか? では私もひとつ。
そのころ湾岸の貴公子と呼ばれた選手がいました。
さて誰でしょう? 問題です
地震が発生してレース中レースを中断したことがある?
レース中に地震が発生したとき審判長はレース中止を宣言できるが
難しい問題でどれくらいの揺れで審判長がレースを中断するのかが
にかかっている
答え 一度もない オートレース場近くの中学校に通い、放課後レース場にジャージで遊びに行ってた
中学校はどこの生徒でしょうか?! >>592
どヘボインチキ互助会レーサーが多数所属
ビビリS1レーサー携帯野郎が所属 >>594
大正解!
もうひとつ、発走補助員のへんな踊りというのもあります。 問題です
オートレース場内の施設の中には必ず鳥居がある
有る ない そうとも言えない
さてどれ? >>597
ヒント
浜松、伊勢崎にはある
川口は外に大きな神社があるから敷地内にはないかもしれない
山陽、飯塚は行ったことないからわからない 元郵便配達員選手は城戸利成、元JR職員選手は中村友和。 それでは元白バイ隊員選手はだれでしょう? それではその白バイに追いかけ回されてた暴走族がその後選手になり逆にレース場ではその福井を追いかけ回していたその暴走族あがりの選手とは誰? 白バイ乗ってた頃は佐藤次郎。 追っかけまわされたのは鈴木辰己。
って、話だけど本当は逸話でしょ。
福井次郎は大井8期デビューで登録番号5267番
大井の同期土田一男が登録番号5269番 登録番号の間が知ってる人は知っている
高橋光男。
大井のデビューで3級車時代は筆頭。 レース中の事故で無くなってしまったが土田以上だったのは間違いない。
問題
鈴木辰巳は辰年である
〇か×か?
西村龍太郎は辰年である
〇か×か? 鈴木辰巳は辰年である
×・・・・・・へび年(巳年) ひっかけ問題
西村龍太郎は辰年である
〇 日本選手権真っ盛りだが、その昔やっぱり同じ飯塚の日本選手権で優勝戦の発走直前に雨が降り出し、
その雨を恵みに選手権優勝してしまった選手がいました。さて誰でしょう? >>610
ピンポン ピンポン! 大正解!
ガイ加納好和です その後雨の鬼と言われるようになりました 今の高宗の車名がCパンダ
むかし川口にもパンダという車名の選手がいた さて誰でしょう? 昔船橋の駐車場で夜あることをやってました。さて何でしょう?
ヒント 車に乗って楽しめました >>615
正解! 昔駐車場にスクリーンを貼ってドライブインシアターをやってました
>>616
そこでやっていた人がいたかも・・ SGの優勝者インタビューの第一声「自分みたいのが勝っちゃってすみません」 質問じゃないけどベテランさん教えて
今に例えるとどの選手レベル
1、ブルドッグのころの嶋田守孝
2、ハイマツのころの板橋忍
3、ゲンのころの山元正次
4、マックルのころの伊藤力示
以上よろしくお願いします >>620
優勝した時
1975.10.7
1.ブルドッグ(トラ)30嶋田 守孝
2.シビア(トラ)50阿部 光雄
3.ムサシオーカン(トラ)20森田 清一
4.クール(東洋単気筒)20篠崎 実
5.タイコウ(トラ)0熊丸 忠輝
6.シーク(トラ)30風間 義夫
7.ベンホーガン(トラ)10鶴久 正美
8.ミスタータイジ(トラ)30吉田 泰二
6→2 700円
*車番は上から72568413 1976.7.13
板橋 忍~トラ乗り初優勝
1.ハイマツ(トラ)60板橋 忍
2.ポストマン(目黒3級)0城戸 利成
3.テイゲル(極東1級)30徳永 静男
4.ゴライアス(トラ)60仲 忠司
5.セニョリータ(目黒1級)60平藪 利男
6.マジシャン(トラ)40加藤 東海男
7.ビバライアット(目黒1級)20奥田 富雄
8.ナオ(目黒1級)40藤川 順二
4→6 1370円
*車番は上から48613257 ビーチの頃の山元 正次は以前に多数有り
1977.6.27
1.ザ-ゲン(トラ)20山元 正次
2.ミスターTR(トラ)20上村 敏明
3.イーツ(トラ)10鈴木 隆司
4.アイグレー(東洋1級)0小松久二一
5.ストーク(トラ)10伊藤 博康
6.シュベール(トラ)20小林 啓二
7.ファッション(東洋1級)0大桑 泰
8.エルザ(東洋1級)0望月 修治
3→4 810円
車番は上から34581276 1976.9.15
1.マックル(トラ)20伊藤 力示
2.ザ-デビルマン(目黒1級)0宮地 良
3.スタンビー(トラ)20中村 豊司朗
4.アイグレー(東洋1級)10小松久二一
5.ベリーグット(トラ)10赤堀 実
6.マクラーレン(目黒1級)10坂梨 高行
7.バギー(目黒1級)10河野 利春
8.ビクトリ(東洋1級)10坂田 啓一
3→5 220円
*車番は上から36178254 >>620から>>624 みたいな糞ジジイの自演を見ると心底胸糞が悪くなる
糞ジジイばかりのこの国はもう終わらしたほうがいい >>621から>>625丁寧な回答ありがとうこざいます
年長に対して無礼な発言こそ国の終わりだね その昔試走タイムがまだ発表されない頃、予想屋がくれる試走タイムだけがたよりだった。
でもその予想屋の試走タイムは今の3.39とか3.42とかじゃなく別の書き方だった。
さてそれはどんなふうに書かれていたのでしょう? >>629
一周のタイム
[例]
1-171
2-170
3-169
4-168
5-172
6-173
7-171
8-174
*1号車の171は17秒1→今なら(100M秒3.42の事)
よって試走タイムは100M秒に換算すると全て偶数になる >>630
ピンポーン! 大正解! あんたも古いね・・。 >>631
各予想屋によってタイムがバラバラで悩ましかった為、今より真剣に試走を見ていた。 あの予想屋のストップウォッチ8台並べて計るのは神技的だよな その昔、まだ今みたくオッズが発表されてない頃、誰が一番人気とかわかりづらかった。
でも簡単に誰が売れているのかわかる方法があった。さてそれは何でしょう? >>634
オッズが発表されていない≒車券電算システム導入前
だから、当然穴場は買い目によって異なる(3-4と3-6買いたけりゃ各々の穴場に並ぶ必要がある)
ということで、どの穴場にどれだけ客がいるかで人気を推測できた >>636
ピンポーン! 大正解!
人気の目の窓口はずら〜っと並べて増やしていた その札の多さを見れば人気がわかった 今はピットから押しがけで選手自身がハンデラインまで行くが、昔は係員がハンデラインまでバイクをよいしょよいしょと押していった。
昔は1〜3級車戦などはロングハンデ戦が多く、90mの時などは係員も大変だった。
さてここで問題ですが、選手はどうやってそのハンデラインまで行ったのでしょうか? >>638
荷台にベンチが付いたトラックへ8人乗って各々のハンデで降りる 本当の大昔はゴール線付近に横一列になって敬礼してそれぞれスタート位置まで歩いて行った、そのごトラックでハンデの重い選手から下ろす方法、トラックも幌なしから有りに変遷 畜生を運ぶような車で発走ピットから各ハンデ位置まで選手を移送した 問題
昔はゴール線手前に30mラインが引かれていた
何の意味を持っていたか解りますか? >>639->>641
ピンポン ピンポ〜ン! 大正解! 今は8車8枠制だが、その昔今と違って5枠と6枠が2人づつの8車6枠制だった。
その時、例えば5枠の一人が試走落車して欠車になった場合、車券はどのように返還したでしょうか? >>644
5枠の1人が試走落車したら、もう1人の5枠の選手は出走除外。
日本選手権準決勝で鈴木 章夫が除外になった事があった.. >>647
ピンポン ピンポーン! 大正解!
もう一人の5枠の選手は出走停止となり5枠に関する車券は全て返還になった
これを当時友引と言っていた
この5枠のもう一人の選手は走らずして出走停止 これは非常に無念だったろうに
それゆえに当時の有力選手は友引にならない為に1〜4枠に組み込まれていた カンパイっつうのもあったな
乾杯や完敗じゃないぜ
わかるかな・・ >>650
カンパイというのはスタートのやり直しのことじゃね
先頭車が大時計通過前までになんらかのアクシデントで走れなくなった場合のスタートやり直し
もともとは競馬用語だったような 現在、軽ハンの選手で全盛期は最重ハンだった選手を10人以上あげて下さい。 川口→阿久津、宍戸、長谷川
伊勢→伊藤幸、保永
浜松→上村、小松、馬場、吉田富
飯塚→安藤、井上秀、秋吉
山陽→金居、畑、竹中、森園
急降下大はなんといってもスーパーハンデだったピンクパンサー 畑の異名 西のスタート王、ミクロ戦士(スタートタイミング)だっけ?
進藤の弟分だったんでしょ? ドドドの浜松以外使わないね
オートファンは選手の『整備力不足』として扱ったことあったね >>654
・阿久津は船橋4強って言われたスーパーハンデだったね。
川口遠征で来たときは10後ろからスタートで7車叩いて1着だったレースあったよ。
あのスタートはすごかった。
・長谷川はセアに乗り替わったとき確か8連勝したんだよね。
スーパースターも出たことあって、最終日に負け戦は4車立てのレースで一着取ったよね。
あの頃は強かったね。
川口だと最重ハンだったのは高橋祐一、木村悦教、塚本浩司、秋田貴弘、吉田幸二かな?
良く川口に遠征に来てた、宍戸幸雄、片岡けんじも最重ハンだったね。 阿久津のスタートは超人的に速かった。
当時のオートタイムスのスタート欄は速いが二重丸なのだが、阿久津だけは二重丸の中が黒塗りにしてあった。 阿久津はタイミングは並みだが、チェンジ入ってからの伸びがすごかった
カムイオー、ロデムの頃が最強だったな >>661
塚本はちょっとだけあった思うよ。
丸山は記憶ないです。 その昔まだメグロやトーヨーやキョクトーのエンジンの頃、今みたく性能がよくなくよく故障をおこしていた。
さて、レース中に故障をおこしてしまった場合、選手はある動作をして他の選手に知らせた。さてどんな動作をしたでしょうか? 左手を振り回していたか
右手だとキャブレターが完全に閉じ
強いエンジンブレーキかかり
後続に危険がおよぶ >>664
ピンポーン! 正解!
故障すると左手を上げて合図した 今でもスタート直前にエンストした時なども左手を上げて大時計の所の係員に合図している 山田真弘なんかS2から一気にA級まで降格したんでしょ? >>665
このシーンは浅井孝介が事故で亡くなる2月前の時に1,2コーナーで異常に減速し出したのでかなり振り回してた記憶があった。 >>667
正しくは浅井孝祐な
おれはシュウホウという車名が印象に残っている 伊勢崎の黒潮杯 なんか盛り上がりに欠けるな
元祖船橋の黒潮杯は毎年盛り上がったけどな
さてそこで問題です 元祖船橋の黒潮杯は通算38回開催されましたが、最多優勝者は誰だったでしょうか? >>670
飯塚 将光の7回
次位は片平 巧の4回 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています