Paul Rusch

立教大学在職中の1934年に東京学生アメリカンフットボール連盟を設立。

太平洋戦争中はアメリカンフットボールも敵性スポーツと判断されて中断されたが、戦後の再来日後、1948年に行われた第1回ライスボウルでは始球式のキックを行った。

1961年には日本アメリカンフットボール協会から「日本フットボールの父」と称号をもらった。
この業績を記念して1984年からライスボウルの最優秀選手にはポールラッシュ杯が贈られるようになった。

立教大学のチーム名“ラッシャーズ”はポール・ラッシュにちなんで名付けられた。
(以上Wikipedia )