関学の連勝ストップ
1971年に水野彌一コーチがコロラド鉱山大学に留学し、
金氏眞氏がヘッドコーチに就任する。
金氏コーチは、
オプション攻撃を導入し、
京大隆盛の基礎を築く。
1973年の関京戦は、
京大がトリプルオプションを初めて実戦に使用して17-0で完封負けを喫したものの、
リーグ戦無敵だった関学が京大をライバル視するようになる。
1974年に米国留学から帰国した水野彌一が監督に昇格。
京大はQB宅田裕彦を中心としたIフォーメーションからのトリプルオプションで1976年の関京戦に臨み、
遂に21-0で関学に勝利し、
関学のリーグ戦連勝記録を145でストップさせた。
しかし、
京大はトリプルオプションを温存した関大戦に敗れており関学・京大が6勝1敗で両校優勝となった。
甲子園ボウル出場をかけたプレーオフは万博記念競技場で行われ、
関学武田建監督のオプション対策が功を奏して関学が13-0で勝利し、
京大の甲子園ボウル初出場はならなかった。